474.掃除、二日目
翌日。
「うへぇ……」
「合理」のユシータは、近くで第一校舎を見て眉を寄せる。
窓という窓からこちらを見ている人影。目。異形。
不吉。
その言葉以外がない。
本当に近づきたくない場所だ。
前にチラッと見た時は、もっとこう、マイルドだった気がするのだが。
まだ新入生だった当時。
先輩の実験の付き添いで来たことがある。
あの時はまだ女子と勘違いしていたカシスと、ほか数名と。
キャッキャ言いながら入って。
後悔した。
今も後悔している。
俄然。なお。依然として。
しかし、あの時はこんなんじゃなかった。
控え目というか。
手心というか。
向こうも若干遠慮していたというか。
なのに、今日はすごい。
遠慮なしじゃないか。
中に入ってもいないのに。
見えているじゃないか。
ユシータはすでに、ここに来たことを後悔している。
それくらい、すごい。
「ちょっとサンドラ、しっかりしてってば。おい」
「……眠い」
そう。
ユシータは来たくて来たわけではない。
サンドラを送り届けに来たのだ。
朝に弱いサンドラを。
背中を押して連れてきた。
同じ派閥のよしみで。
あと、クノンが待っていると聞いていたから。
「夜遅いタイプですか?」
クノンは先に待っていた。
女性に対していい加減な発言は多いが。
他はしっかりしているのだ。
「いや、単によく寝るタイプってだけ」
寝起きは悪くないのだ。
睡眠が足りていれば。
ただ、眠い時はとことん眠い体質らしい。
「なるほど。いいですね、健康的で。
女性には常に健康でいてほしいですからね」
いまいちピンと来ないが。
それは男もだと思うが。
しかし、クノンの育ちの良さは伺える。
かろうじて。
サンドラとは大違いだ。
――家格はサンドラの実家の方が上なのだが。
「ほら、クノン君待ってるよ。起きて」
とは言うものの、まだダメっぽい。
何せ目が開いていないのだ。
今も半分寝ているかもしれない。
たぶんユシータという支えを失ったら、その場で寝ると思う。
もはや自力で着替えただけでも奇跡だろう。
「クノン君、なんか目覚めるような水ってない?」
サンドラがこの調子では帰れない。
とにかくユシータはここにいたくない。
いたくないのだ。
「目覚める水? うーん……水風呂とか?」
「あ、それでいいや。お願い」
「――よし、じゃあ始めるか」
冷水を浴びて飛び起きたサンドラと。
それを指示したユシータ。
二人がちょっと揉めたりもしたが。
いよいよ掃除二日目である。
「では先輩、これをどうぞ」
と、クノンは用意してきたデッキブラシを一本渡す。
もう一本は自分用だ。
今日ばかりは、杖の代わりにこちらを持ってきた。
実はこれ、魔道具である。
魔系塗料などに負けないよう、細工してある。
見た目はただのブラシだが。
「デッキブラシか。そうだな、あった方がよさそうだ」
「――ねえ、私もう帰りたいんだけど。離してくれない?」
「役割分担は昨日と同じでいいですよね?」
「ああ、私は廊下だな」
そしてクノンは教室担当だ。
「昨日と同じように水を流してください。
それに合わせて汚れを磨いていただけると助かります」
「わかった。廊下は任せろ」
「――さりげなくブラシを押し付けないでよ。やらないって。私は帰るの」
ユシータは嫌がっている。
さっきから、ずっと。
「……」
そんなユシータの襟首を掴んで離さないサンドラと。
「……」
何も見えていないかのように振る舞うクノン。
ほんの一瞬の沈黙。
その間に、確かに、クノンとサンドラの意志が繋がった。
ユシータを巻き込もう、と。
だっているのだ。
ここに。
ならば手伝ってもらいたいではないか。せっかくだし。ついでだし。
優秀な水魔術師はいくらいてもいい。
それだけ早く終わるし。
――そしてそんな二人の不穏な空気を、ユシータも感じ取っていた。
あ、これ巻き込まれるかも、と。
そう漠然と悟ってしまった。
「じゃあユシータ先輩は天井をお願いしますね」
「いや私やんないって! 帰るって言ってるじゃん!」
「いいから付き合えよ。
単位貰えるんだぞ、単位。欲しいんだろ単位。欲しいって言ってみろよ」
「怖い想いしてまで欲しくないのよ! 私は真面目に実験とか研究とかするの! 手軽なやつを中心にね!」
まあ、真面目ではあるのだろう。
手軽なやつ中心でも。
「ねえクノン君! 女がこんなに嫌がってるんだけど! 紳士的に私のことどう思ってるの!?」
「そろそろユシータ先輩ともまた何かしたいなぁって思ってましたよ。
だから、ここで会えたのは運命かな……ってね」
「運命じゃないでしょ! どう見ても人災でしょ!」
「ああごめんなさい、僕見えないんで。
僕には、優しい先輩がしょうがなく後輩に付き合ってあげようかなって顔してるように見えますね」
「見えるのか見えないのかはっきりしなさいよ!」
「サンドラ先輩、始めましょうか」
「おう!」
「おうじゃねぇんだわ! ちょ、マジで帰りたいんだけど! ねえ! ねえって!」
こうして、手伝いが一人増えた。
「――ぎゃあああああああああっ!」
「――ひっ、ひぃええええええい!」
「――うぉ、おぉ、お……おお……美形の幽霊もいるのか……!」
第一校舎から悲鳴が響く。
だがしかし。
この魔術学校では、悲鳴なんて珍しくもない。
第一校舎じゃなくても、どこからでも聞こえる時は聞こえる。
主に実験失敗の時などに。
だから、誰も気にしない。





