470.掃除開始!
「ふうん」
開かないドアが多い。
手分けすることになり、サンドラとは一旦離れた。
廊下は彼女。
クノンは室内担当だ。
だが。
手近な教室に入ろうとするも、入れない。
三つほど試したが、三つとも開かなかった。
古い校舎だ。
ちょっと建付けが悪くなっているのかもしれない。
そう思って力を込めているのだが。
動かない。
果たして建付けが悪いのか、それとも鍵が掛かっているのか。
「どう思う?」
肩の手に問うが、当然のように答えはない。
さて、どっちだろう。
……開かない以上、もう鍵が掛かっているということにしておこう。
クラヴィスは、入れない教室は掃除しなくていいと言っていた。
思ったより掃除する箇所は少ないかもしれない。
「ここも開かないなぁ」
四つ目も開かない。
ぴちゃ
しかも、上から落ちてきた雫が、手に掛かる。
赤い。
血かもしれない。
まあ、今は無視だ。
あとで洗えばいいだろう。
汚れなど気にしていたら掃除が進まない。服に染み込んだ汚れだって落とせるし、気にしない。
それより、足元を流れている水が気になる。
「……」
サンドラの魔術だろう。
この水の量。
水嵩こそないものの、これではちょっとした川のようだ。
彼女は大丈夫だろうか。
いや。
手分けすると決めたのだ。
無用な心配なんてしないで、廊下はサンドラに任せよう。
水とともに、大量の泡がもこもこ流れ始めている。
クノンが渡した「『洗泡』」の球を、一度に全部使ったのではなかろうか。
あれはかなりの量を詰めている。
一個で教室一つ分くらいは綺麗に……いや。
気にしない。
もし収集がつかなくなった時は、クノンを呼ぶだろう。
それまでは任せよう。
「開いた」
七つ目のドアは、開いた。
中に侵入しようとしたサンドラの水を、「水球」の壁で一旦せき止めて。
クノンは中に踏み込んだ。
一歩踏み込むと、ひやりとした空気が全身を包む。
これは温度調整の結果だろうか。
「……ほう」
ここは実験室だろうか。
机や謎の書類が散らばっているが、気になるのは壁際の棚。
壁沿いに設置された棚。
そこにはずらりとガラス瓶が並んでいる。
「ふうん」
ガラス瓶を覗いてみる。
何の液体かは知らないが。
緑色で、ひどく濁っている。
中はよく見えない。
ただ、何かが漬けられているのは間違いない――
「――あ、ごめんね。僕見えないから」
瓶の中にあった二つの眼球が、ぎょろりとクノンを見た。
クノンが見えていたら、目が合っていただろう。
「……なるほどなぁ」
眼球。
いずれ造魔学で、これを作ることになるかもしれない。
しばらく観察し、壁沿いにガラス瓶を見ていく。
トカゲ。
蛙。
右手。
指。
蛇。
何かの臓器。
「生物実験かな」
造魔学の歴史はわからないが。
だいぶ昔から禁忌とされていたのは、確かである。
だから、ここまで大っぴらに造魔学をやっているとは思えない。
堂々とやっていい学問ではないから。
ということは、生物実験の研究室だろうか。
ごぼっ
「ん?」
音に振り返ると、ごとん、とガラス瓶が床に落ちた。
落ちた拍子にか、蓋が空き。
濁った液体が床を汚し。
それが出てきた。
仮面、だろうか。
左右非対称で、とても歪んだ、人の面……。
それが、クノンを見て、笑った。
人のようで、人じゃない。
人の顔のように見えるが、案外別のものだろうか。
まるで人の顔の皮を剝いだもののような……。
「動いてる……生き物かな? ……まあいいや」
魔術で、こぼれた溶液と仮面を拾い。
ガラス瓶の中に戻して、蓋をして、元あった棚に置く。
これで元通りである。
九割は。
残り一割は。
ちょっと埃とか。
クノンの「水球」の水が混じってしまった、かもしれない。
ちょっとクリアな見た目になった気がするし。
濁りが薄くなったというか。
まあ、なんだ。
自己責任ということで、許してもらおう。
「あんまり暴れるとまた落ちるよ」
と、クノンは振り返る。
戻した瓶の中で、仮面は何か言いたげに口を動かしていた気がするが。
気のせいだろう。
さて。
無駄に観察していたわけじゃない。
研究室内を調べていたのだ。
ここには、謎の血痕と、謎の液体溜まりがある。
これらを洗って次に行こう。
実験室を出る。
「――あ」
サンドラが流し続けている、もこもこ泡と水。
その泡と一緒に。
赤子の人形が流れてきた。
なんとなく拾ってみる。
つぎはぎだらけの服と身体。
とても汚れていて、年季を感じる。
と――ぐるりと頭だけが回り、クノンを見た。
「はははははははははははぐぼぐぼぼぼぼ」
「あ、ごめん」
急にけたたましく笑い出したので。
反射的に「水球」で包んでしまった。
水に沈められているのに。
それでももぐぼぐぼ笑っている。
ゴキゲンなんだな、とクノンは思った。
まあいい。
この子は流されて機嫌がいいのだ、もっと流れていってもらおう。
ついでに「水球」の中に泡を出して、人形を洗いつつ。
再び放流した。
「水球」の効果が切れる頃には、綺麗になっているだろう。
さあ。
どんどん掃除していこう。





