464.三年目が始まる前に
「ああ、そうか。もうすぐ夏季休暇が終わるのか」
家に届いた魔術学校からの手紙。
進級を認める旨の書類と。
来年度用の学生証。
クノンは無事、三年生を迎えることができるそうだ。
ここのところ毎日へとへとで。
日程や日数など、考える余裕がまるでなかった。
そうだ。
もうすぐ夏季休暇が終わるのだ。
「――あ、クノン様おかえりなさい」
奥で何事か作業をしていた侍女リンコが出てくる。
「ただいま」
リビングのテーブルにあった封筒の数々。
クノンは帰るなり、自分宛ての手紙を見ていたところだ。
他の手紙は後でもいいが。
魔術学校からの手紙は、最優先で確認する。
教師からの呼び出しもあるから。
まあ、滅多にないが。
ちなみにミリカからの手紙は、むしろ後回しだ。
ゆっくり読みたいから。
流し読みではなく、しっかりと。
「あれ? まだ夕方じゃないですよね?」
「そうだね。今日は早めに帰ってきたよ」
――今は夏季休暇の最中だ。
多くの生徒が故郷に帰った。
だがクノンは、魔術都市ディラシックで過ごした。
故郷ヒューグリアは遠いから。
まあ、例年通りである。
「それではクノン様」
「うん?」
「お風呂にする? ご飯にする? それとも――」
侍女はとびっきりの笑顔で言った。
「使用人にお小遣いにする?」
愚問である。
迷う余地などない。
「もちろん僕の愛を込めたお小遣いだよ、僕の可愛いリンコ」
「わーい。それじゃお風呂に入って着替えてくださいねー」
最近恒例のやつをやって。
クノンは百ネッカ硬貨を侍女に渡し、風呂場へ移動する。
今日も、ボロボロのどろどろだ。
「ほら見てサトリ先生、ジェニエ先生。
僕の来年度の学生証ですよ」
翌日、早朝。
クノンは早速、届いたばかりの学生証を見せびらかした。
「ああ、無事進級できたのか。そりゃおめでとう」
サトリ・グルッケと。
「問題児なのに優等生だなぁ……」
ジェニエ・コースに。
この夏。
里帰りしなかったクノンは、ずっとサトリの研究室に通っていた。
頼れる恩師ジェニエと。
恩師の恩師であるサトリと。
本当に、ずっと一緒に過ごしてきた。
午前中は。
「頃合いだね。そろそろ終わりにしようか」
「――そうですね」
そう、頃合いだ。
クノンもそう思う。
もうすぐ新学期が始まる。
これまで充分付き合ってもらったのだ、そろそろ終わりにしないと。
「約一ヵ月、ありがとうございました」
この一ヵ月。
クノンは幸運だったと思う。
この先、もう。
こんな幸運はないかもしれない。
それくらいの一ヵ月だった。
「なぁに、ククッ」
サトリは笑い、椅子から立ち上がる。
「生意気な小僧をいじめるのは、存外楽しかったよ」
この夏、クノンはサトリと戦ってきた。
毎日のように。
魔術戦を行ってきたのだ。
一対一を、何度も何度も繰り返した。
クノンから「特訓してほしい」と頼み。
サトリが了承した。
教師が魔術戦を受けてくれる。
しかも一ヵ月も。
こんな幸運、普通はありえない。
だからこそクノンは、必死で学び、食らいついてきた。
そして。
毎日、毎回、あたりまえのように負けてきた。
さすがは魔術学校の教師。
さすがは世界的に有名な水魔術師。
魔力量、操作、バリエーション。
使える魔術の数も段違い。
クノンは毎日、毎回のように負けて。
余すことなく学んできた。
――三人は、魔術戦ができる特別教室へ移動する。
何もない白い教室。
いつか教師サーフと戦った、あの教室だ。
だが。
今クノンと相対する者は、あの風の魔術師ではない。
「お願いします!」
眼帯の下。
クノンの真摯な眼差しが、向かいに立つサトリに向けられる。
「今日もしっかり遊んでやる。一瞬たりとも油断するんじゃないよ」
自信満々で応えるサトリだが。
心の中で付け加える。
――そろそろ手加減が難しいんだ、ミスって死ぬなよ、と。
十一回。
今日もしっかり、師匠の師匠にわからされてしまった。
倒れたクノンは、全身水浸しだ。
もうびっしょびしょだ。
普段なら、濡れることなど気にしないが。
今は不快な感覚だ。
疲労と痛みで、身動きが取れない。
「――あんたもこれくらい我武者羅にやってくれればねぇ」
「――私は戦うタイプじゃありませんから」
近くでサトリとジェニエの声が聞こえる。
いつの間に近くに来たのだろう。
……少しばかり、気を失っていたかもしれない。
「一矢報いるくらいは、したかったなぁ……」
と、クノンは力を振り絞って立ち上がる。
今日も完封負けだ。
今日も全身びしょびしょにされた。
これで最後だと思えばこそ。
一度くらいは、なんとか、サトリを焦らせるくらいはしたかったのだが。
――焦らせるくらいは、何度もしているのだが。
サトリが表に出さないだけだ。
毎日戦って。
昨日通用した魔術や戦法が、翌日には通用しなくなるのだ。
ともすれば。
反撃さえしてくるのである。
それも、当たれば死にそうな感じのやつで。
この一ヵ月。
追い掛けられるサトリの心境は、割と穏やかではなかった。
クノンの成長が早すぎる。
たった一ヶ月で、ここまで伸びるのかと。
本当に驚いている。
どんどん魔術の殺傷力を上げていかないと、対処ができなくなっていた。
それくらい、厄介な学生になっていた。
特訓。
そんな話、受けなければよかった。
軽い気持ちで返事をした自分を恨んだくらいだ。
たった一ヵ月でなんなんだ、この小僧は。
何度思ったか知れない。
が。
教師の意地だ。
こんなこと、絶対にクノンには教えない。
「向こうも似たような状態だろう。
――今日こそ決めてきな」
「はい!」
とは言うものの。
午前中はしっかりとサトリの研究を手伝いがてら、体力と魔力を回復して。
それから。
満を持しての出発となる。
そうだ。
今日が最後の勝負である。
★
「――負けた!」
これで七十二戦七十二敗。
一勝もできず。
引き分けさえ許されなかった。
完膚なきまでの完敗だった。
午前中に続き。
午後も、クノンは倒れていた。
もうボロボロだ。
今日も地面を転がされたし、転がったし、ぼっこぼこにされたし。
身体中が痛い。
疲労も深い。
立ち上がる気力が湧かない。
もう「負けた!」と叫ぶくらいの元気しかない。
「こんなに引きずるとは思っていなかったが……これで終わりだ」
――ロジー邸の庭にて。
今日もクノンは、「調和の派閥」代表シロトに、負けた。
夏季休暇が始まる前。
いや。
二級クラスの対抗戦から始まった因縁だった。
この夏。
シロトへの復讐するため、サトリと特訓して。
そして、負け続けた。
クノン・グリオンの、魔術学校三年目が始まる。





