458.針一本分の隙間
「――まあまあ、まあ」
光教師スレヤは、「まあ、まあ」と驚きっぱなしである。
目の前で繰り広げられている魔術戦。
激しい魔術の応酬は、二級クラスのテストとは段違いだ。
「さ、最近の若い子ってすごいのね……」
「面子の問題だと思います」
焦る大人の隣にいる聖女レイエスは、冷静そのものだ。
医療班として呼ばれているスレヤとレイエス。
どちらも治癒魔術が使えるので、一応呼ばれた形である。
今日の二級クラスのテストでは、出番はなかったが。
だが、これから。
この最後の魔術戦で、出番が来そうだ。
「面子?」
「はい。この二対二の魔術戦は、参加者が強い人ばかりですから」
――クノンは、教師サーフ並びにジオエリオンとの勝負で有名になった。
特に後者だろうか。
大勢が見ていたから。
クノンは強い。
普段の優秀さの理由がよくわかる。
あのおかしな紳士感さえなければ……。
いや、あれがあってこそのクノンだと、今は思える。
――ジオエリオンは、入学当初から、魔術が上手いと有名だった。
特級クラスが注目するくらいには。
彼もまた、クノンとの一戦で実力を証明した。
二級クラスの生徒としての魔術戦はやっていたが。
クノンとの一戦は、それとは比べ物にならないほど激しかった。
実力が拮抗した結果だろう。
双方如何なく実力を発揮した一戦だったと思う。
――シロトは語るまでもないだろう。
特級クラス三派閥の代表の一人。
風属性でも珍しい雷の魔術が得意で、「雷光」という異名が広まっている。
肩書きからして、弱いはずがない。
――もう一人は……わからないが。
だがこの面子に平気で交じっている辺り、普通じゃないのは確かだ。
「なるほどねぇ」
レイエスが簡潔に説明すると、スレヤは納得する。
「私は魔術戦なんて、ほとんどやったことがないのよね」
ちなみに。
スレヤは、以前行われたクノンとジオエリオンの魔術戦を、見ていないそうだ。
つまり初見。
……なら、驚くのも無理はないかもしれない。
水魔術師が空を飛ぶのだから。
「光属性は魔術戦に向いてませんか?」
「そうねぇ……私は、こっち方面は全然興味がなかったのよ。
光属性で魔術戦なんて考えたこともなかったから、なんとも言えないわ。
でも、光は攻撃に使える魔術が少ない、というのは確かね」
それはレイエスもわかっているつもりだ。
魔術戦。
己が使用できる魔術で、何をどこまでできるのか。
時々考えはするものの。
結局、何もできない気がしないでもない。
光線を放つ「聖光線」か?
でもあれは、集中して、やっと熱を帯びるくらいのものだ。
攻撃に使えるかどうかはちょっと怪しい。
可能性があるとすれば、やはり「結界」だが。
レイエスとしては、あまり気は進まない。
それは光属性ではなく。
固有魔術「結界」が強い、便利、というだけの話だ。
光属性の可能性。
それは「結界」に見出すべきではない。
聖女として強いのではなく。
ただの光属性の魔術師として、強くありたい。
目の前で行われている魔術戦を見ていると、そう思う。
「あっ」
あ。
スレヤの声と、レイエスの心の声は、綺麗に重なった。
――飛んでいたクノンが爆発した。
どうやら医療班の出番がありそうだ。
◆
「まずい!」
シロトが只事じゃない声を上げた。
「へえ?」
グレイは声を漏らした。
クノンを狙っていた「風真裂災」が、爆発で掻き消された。
そして、自爆のように見せかけて。
クノンは落ちている最中に、その姿を消した。
――随分と強引なことをするものだ。
ここまではクノンの予定通り、なのだろう。
クノンは落とされることを想定していた。
だから、消える準備をしていた。
事前に。
それに合わせて――こちらも動き出した。
グレイたちを囲む「水球」が、形を変えた。
水でできた動物たちだ。
大気に展開していた水の全てで構成したのだろう。
これら全てが、爆弾だ。
ジオエリオンの「火種」を越える火力を持っている。
その動物たちが一斉に向かってくる。
周囲にまとう青い火に当たって、爆発する。
それが何度も続く。
止めどなく。
ジオエリオンも、これを好機と強めの魔術を放ち出した。
「クックックッ」
グレイは笑う。
二人とも、ここを勝負所と見たか。
いい判断だ。
シロト相手には間が持たない。
仕掛けないと普通に負ける。
そう判断したクノンが、総攻撃を仕掛けてきたのだ。
タイミング的には、ちょっと早い。
きっと他にも何かしたいことがあったはずだが。
動かざるを得なくなったのだろう。
さながら風に追い立てられて。
さて、クノン本人はどこから来るか。
探ればすぐにわかるが、それではつまらない。
グレイがやり過ぎると、ただの蹂躙になってしまう。
それは、誰のためにもならない。
防御しているグレイと、タイミングを計っているシロト。
二人は理解している。
これは攻撃だが。
本命じゃない。
これは目くらましだ。
周囲で起こる水動物や火魔術の爆発と、爆音。
威力は申し分ない。
その辺の教師でさえ、しのぐには骨を折るだろう。
グレイじゃなければ、防御を崩すくらいはできたかもしれない。
が、しかし。
それでも本命じゃない。
クノンが来る。
必ず来る。
どこからだ?
「そろそろ来るよ」
消えたクノンが、仕掛けてくるはず。
「わかってる」
――シロトとしては、クノンの攻撃までグレイに任せたら、負けだ。
攻撃と防御。
一応、その役割分担で動いているつもりだ。
ジオエリオンの攻撃は防御してもらっている。
だから、クノンの攻撃は自分が防がねばならない。
そうじゃないと、グレイに頼り切りになってしまう。
そんなの実質負けだ。
たとえ勝っても、シロトの負けだ。
実力的に、グレイだけで余裕で勝てるのだから。
さあ、どこから来る?
どこから――
「上か!」
大量の水が降ってくる。
まるで滝のようだ。
その中に、クノンがいた。
「――『風壁塵!』
中級魔術「風壁塵」。
空気の壁を発生させる魔術だ。
風ではない、空気を圧縮した、見えない壁である。
ボウル状に展開して、大量の水を、完全にシャットアウトする。
これも爆弾だから。
間違いなく、爆発する水だ。
最大火力を直接叩きつけに来ただろう。
命懸けにも程がある。
こんなの爆発したら、爆弾の中にいるようなクノンだって、ただでは済まない。
……とは思うものの。
特級クラスの生徒なら。
相手次第では、これくらいはやりそうではある。
魔術に入れ込んでいる者なら、普通に。
「む――!?」
そして。
上に気を取られている間に。
いや。
動物爆弾や、強めの火魔術が視界を塞いでいた間に。
駆けたジオエリオンが、すぐそこまで来ていた。
右腕が燃えている。
芯が白く見えるほどの灼熱の色に。
こちらもだ。
クノンと同じように、最大火力を、直接叩き込みに来たようだ。
――いや、違う。
「ハハハッ」
グレイは笑った。
声を上げて、笑った。
ジオエリオンは、グレイの目の前で。
青い火に、灼熱の腕を突っ込み。
魔力操作による火の乗っ取りを仕掛けてきた。
純粋な力比べだ。
純粋な、魔力をコントロールする能力での勝負だ。
よりによって、この方法か。
いや、確かに勝算は高いのだろう。
その辺の同年代の中では。
ジオエリオンは、群を抜いて優秀だ。
魔術では勝てない。
ここまでの攻防で、それがわかったのだろう。
だから直接。
一番勝算があるであろう、この方法で仕掛けてきた。
――相手が悪かった、としか言いようがない。
グレイじゃなければ。
ただの、見た目通りの同年代ならば。
これで決着がついたかもしれない。
だが。
「っ……!」
青い火が、ジオエリオンの腕にまとわりつく。
染まる灼熱を乗っ取るかのように。
――このくらいでは、まだ、負けてやることはできない。
◆
――さすがだ。
シロトの作ったボウル状の壁に阻まれ、クノンは溜まる水の中にいた。
見えないボウルは大きく、淵も高い。
水を通さない、完璧な防御だ。
この状態で爆発させても、壁に阻まれるだけ。
クノンが自爆して終わるだけ。
だが、もう一つ。
――さすがはジオエリオン先輩だ。
クノンの動向を見て、勝負所を察してくれた。
だから、ほぼ同時に仕掛けている。
これは、クノンの動きをサポートするための行動だ。
最大級の攻撃を成立させるための、ジオエリオンなりの攻撃でもある。
あとは、そう。
クノンがこの壁に穴を空ければ。
水を通せば。
最大の攻撃を叩きこむことができる。
「……」
ボウルの底。
見えない壁に、右手を触れる。
――水は浸透する。
――水は浸食する。
――そして、魔力を通す。
壁の中に。
高密度で、隙間のない空気の壁に。
少しずつねじ込んでいく。
魔術を乗っ取るのと同じ要領だ。
ほんの少しでいい。
針一本分の隙間でいい。
水はそれで事足りる。
シロトが抵抗しているのがわかる。
以前のクノンなら、まるで通用しなかっただろう。
だが、今は違う。
中級魔術を使用できるようになった。
それだけの魔力の出力を憶えた。
この壁も、きっと中級魔術だ。
同じ中級魔術だ。
だったら負ける理由はない。
「――っ!」
歯を食いしばり。
全身の魔力を振り絞り、右手に込めて。
見えない壁に突き立てる。
少しずつ。
少しずつ。
クノンの魔力が押し込まれていく。
いく、が――
「……がぼっ」
一瞬、気が遠くなった。
急激な魔力の消耗に、口から息が漏れた。
まずい。
魔力がなくなりそうだ。
ここでシロトとの差を感じてしまった。
彼女は三ツ星、魔力量が多い。
対して自分は二ツ星だ。
こんな時でもないと、特に何も思わない。
今はただただ羨むばかりだが。
持たない。
まずい。
負ける――
「っ……!」
意識が闇に沈む寸前で、戻ってきた。
繋がった。
クノンの魔力と、ジオエリオンの魔力が。
彼は察したのだ。
クノンのやろうとしていることに。
何を狙っているかに。
クノンから見て、壁の向こう側。
クノンが抉っていた壁の一点の、向こう側。
そちらに、何かしらの魔術を当ててくれたようだ。
その衝撃に。
ほんの一瞬だけ開いた、針一本分の小さな穴に。
そこに――クノンの水が流れ込む。
そして。
ボウルに溜められていた爆発する水が、シロトらの真上に降り注ぎ。
青い火に引火して、大爆発を起こした。





