455.二度とない
「――いやあ、指名されちゃいました」
指名されるなり、クノンは「水球」で飛んで渦中に飛び込んだ。
まさかこんな展開になるとは思わなかった。
思わなかったが。
拒む理由などない。
むしろ、望ましい。
ジオエリオンと共闘できる。
グレイちゃんと戦える。
この二つが同時に叶うなんて。
こんな幸運、一生に一度あるかどうか。
どんな権力者が望んだって、不可能なことだから。
「うーん……」
しかし。
ジオエリオンや教師たちはともかく。
「……やるの? クノンお兄ちゃん」
「えっ!?」
グレイちゃんが乗り気じゃなさそうだ。
気が進んでいない。
明らかに。
「ダメですか!? 僕じゃダメですか!? こんなにも望んでいるし紳士なのに!?」
クノンはすがりつく想いで言葉を重ねる。
喜び勇んで出てきたのに。
なのに、この幸運を取り上げられるなんて。
「いや、ダメって言うかさ――」
グレイちゃんは苦笑する。
「これ二級のテストでしょ?」
二級のテスト。
二級クラスのイベント、対抗戦。
冷静に言われれば、そう、確かに。
クノンは特級クラスだ。
出られない。
最初から、出られる理由がない。
「そのつもりで私は来たんだけど。
二対二の魔術戦としては、ちょっと噛み合い方が甘いというか、ゆるい感じがしたからね。
だからちゃんとしたやつを見せてやろうかなーって思ってさ。
ちょっと懐かしかったしね。
前に私がやった時は、もうはるか昔のことだから」
まさか、という印象は拭えない。
あの奔放なグレイちゃんが。
二級とかテストとか、そういうことにこだわるとは思えなかったから。
でも実際、気を遣っているようだ。
――いや、そうだ。
彼女もきっと、教師としての顔も持っているのだろう。
だから、後進の育成は気にしているのかもしれない。
「そもそも特級は見学しに来ているだけの部外者……ああ、わかったよ。泣きそうな顔しないでよ」
本当に泣きそうになっていたクノンを見て、グレイちゃんは折れた。
もし却下されたら。
本当に泣いていたと思う。
手の中をすり抜けるには。
あまりにも大きすぎる幸運だから。
「こっちで条件を揃えるよ。
あと少し制限を付けるからね。それは納得してよね」
と、彼女は周囲を見て……視線を止めた。
「――シロトお姉ちゃん! 来て!」
なるほど。
グレイちゃんの相方に特級生を呼ぶことで、条件を揃えるようだ。
やってきたシロトの承諾を取り、二対二の準備ができた。
教師たちが去り。
医療班であるスレヤと聖女が去り。
魔術戦を行う四人が残った。
「なんとも急だな」
シロトの言葉は、急な呼び出しのことだけではない。
「急に消えたと思ったら、急にテストに乗り込んで、更には私を呼ぶか」
主にグレイちゃんに関してのことだ。
特に、ロジー邸から急にいなくなったことだろう。
シロト的に引っ掛かっていたらしい。
別れの挨拶くらいして行け、と。
「人には事情があるんだよ。
魔術師なんて特に顕著でしょ?」
「……まあいい。正直、再会できるとは思っていなかったけどな」
それはクノンも同感である。
シロトと同感、というのに、少し違和感を覚えるが。
「じゃあルールの説明をするね。
二級クラス用に少し抑え気味でやるつもりだったけど、それはもういいや。
こうなった以上、抑圧すると却って不格好になりそうだから」
グレイちゃんは続ける。
「この魔術戦、上級魔術は禁止。制限はそれだけ。
あとは思いっきりやろうね」
上級魔術。
クノンは使えないし、見たこともない。
まあ見えないが。
いや、あるのか?
入学試験の時、面接を行った夜空の部屋。
あれは上級魔術の何かではないか、と予想していたのだが……。
「ジオエリオン先輩、使えます?」
クノンが問うと、彼は頷く。
「一つだけ」
さすがである。
上級魔術は、九割方が大規模範囲魔術になる。
とにかく範囲が広いのだ。
戦乱時代はともかく。
現代においては、使い道がない筆頭となる。
強い魔術なら、中級で充分。
必要に迫られる範囲なんて、大きくても教室一つ分くらいのものだろう。
習得する意味も理由も意図もない。
それが現代の上級魔術だ。
だが、魔術師としては。
一つくらいは習得したいものである。
たとえ一生涯、使用する機会などなくても。
「それ以外は何をしてもいいのか?」
ジオエリオンの確認に。
グレイちゃんは満面の笑顔で「大丈夫だよ」と答えた。
「お兄ちゃんたちくらいなら、何しようと一緒だからね」
来た。
真っ正面から挑発してきた。
――いや、挑発とも言い難いか。
グレイちゃんの正体を知っているクノンからすれば。
それは事実だと断言できるから。
「私は死ぬほど手を抜いてあげるから、頑張ればいいと思うよ」
「わかった。ルールはそれだけだな?」
ジオエリオンは「行こう」と、クノンを連れて離れる。
挑発には乗らない。
いつも冷静沈着なジオエリオンらしい態度である。
……表向きは。
少し離れて、中央を向く。
グレイちゃんとシロトも、離れつつ何事か話している。
きっと、お互いが向き合ったら。
魔術戦開始だ。
「君はあの子を知っているようだな」
クノンは「はい」と答える。
「とある教師の遠縁の子だそうです」
正体は話せない。
なので、グレイちゃんの設定を話しておく。
「訳ありか?」
「ええ、まあ……僕も詳しくは」
「詳しく聞くつもりはない。
俺が知りたいのは、本当に思いっきりやっても大丈夫かどうか、だ」
「それは間違いなく」
クノンは断言した。
「というか、たぶん、思いっきりやらないと怒られると思います」
ついでに念押しもしておいた。
怒られる、というよりは。
後々後悔する、の方が正確だろうか。
たとえ殺す気でやっても受け止めてくれる。
平気で。
グレイちゃんなら、それができる。
それも赤子の手をひねるくらい。
それくらいの感覚で、簡単にやってくれるだろう。
クノンら二人がかりの全力だって。
児戯も同然だろう。
「わかった。君が言うなら信じる。
……近くで見てなんとなく感じた。あれは普通の人じゃないな」
普通の人じゃない。
本当に、さすがジオエリオンとしか言いようがない。
彼女の正体。
それは造魔の身体を借りた、世界一の魔女だ。
「楽しみだな」
「ええ」
ああ、やはり似ている。
クノンと同じように考えたようだ。
ジオエリオンはグレイちゃんの挑発を、「楽しみ」と捉えたらしい。
何をしても大丈夫。
抑える必要もなく、全力でやっていい。
そんなの「楽しみ」でしかないじゃないか。
◆
グレイが歩き出し、シロトが続く。
「方針は?」
「適当にやっていいよ。私も適当に合わせる」
「火か?」
「そうだね。他の属性でもいいけど、今回は火にしようかな」
今回は火。
もはや決定的なセリフである。
だから。
「グレイ」
だからこそ、シロトは言った。
「おまえが自分の口から正体を明かさない限り、私は年下の後輩扱いをやめないからな」
「あ、やっぱり気付いてた?」
「気付かない方がおかしい」
色々と不自然な点はあった。
落下する試作魔道具から瞬間移動したり。
破綻した金銭感覚だったり。
極めつけは、どうみてもロジー・ロクソンが相当気を遣っていたこと。
付き合いが長くなり。
そして深まるごとに、疑惑は増していった。
そうして、結論に達した。
「信じたくない思いも少しあるしな」
「そう。じゃあ正体は明かさないでおこうかな」
知りたい気持ちもあるが。
その方が、きっと、いいのだろう。
「――さて」
グレイちゃんが振り返る。
向かう先には、少年が二人。
「やろうか、シロト」
シロトも並び、振り返る。
「シロトお姉ちゃんだろ」
◆
客席は静まり返っていた。
誰かが動く衣擦れの音さえ聞こえそうなほどに。
今から始まる魔術戦に、誰もが注目していた。
話をする余裕もないほどに。
だって一つも見逃せないのだ。
これはとても貴重な魔術戦になるから。
きっと二度と見られない。
特級二年生クノン。
狂炎王子ジオエリオン。
かつては対戦相手として相対し、今でも語られる名勝負を繰り広げた二人。
対するは、「雷光」の異名を持つシロト・ロクソン。
現三派閥の代表の一人だ。
それから見覚えのない謎の少女。
ほとんどの教師たちの目は、彼女に向いている。
突然の豪華な対戦カードだ。
喜びより何より、やはり驚きの方が大きい。
あの四人を知らない生徒もいる。
知らないにも拘らず。
嫌でも高まる緊張感に胸を高鳴らせていた。
じりじりとしながら待っていると、謎の少女が手を上げた。
合図だ。
かなり離れたところにいる、審判役の教師が宣言する。
「――し、試合……開始!」
ドォォォォン!
開幕直後。
目を眩ませる閃光が走り、地面を揺らすほどの衝撃が落ちた。
落雷だ。
「雷光」の二つ名に恥じない、シロトの容赦ない初手。
人が食らえば、きっと一発で焼け焦げる。
それほどの規模だった。
しかし。
それは少年二人に届かなかった。
「水球」だ。
二人を覆う水の壁で防がれた。
――真水は電気を通さない。
そして、初手で動いているのはシロトだけではない。
すでに百を超える「水球」と。
百を超える火蝶が。
シロトらの周囲に浮いていた。





