448.対抗戦、前夜
夕食前の、ほんのわずかな一時。
「随分と予想外の方向へ行ったものだな」
いつもなら。
彼は「魔道式飛行盤」で庭先をひとっ飛びしている。
自由に動ける時間がほとんどない彼は。
まだ、満足するまで飛ぶことができていないらしいから。
――今日のクノンは、ジオエリオンの屋敷に来ていた。
夕食時にはまだ少し早い。
だから、応接室でお茶を飲んでいた。
「僕たちも予想外でしたよ。
この二日、本当にもう……ずっと魔術戦のことだけ考えてました」
二級クラスの対抗戦。
魔術戦の変更が告げられたのが、昨日である。
決戦用魔法陣なしの魔術戦が想定されていたが。
魔法陣ありのコンビ戦に変更された。
そして昨日と今日で、考えつく限りのことを尽くして。
なんとか教え子たちに伝えてきた。
クノンがここに来たのも、アゼルの家の帰りである。
ついさっきまで教えていた。
だいぶ手探りになってしまったが……。
まあ、仕方ないだろう。
以前より、ここへ来る回数は減った。
お互い忙しいので、自然と減っていったのだ。
しかし、それでも。
今でも、ジオエリオンとは週一くらいで会っている。
例の育成計画のことも話してある。
「実は少し楽しみにしていたんだがな」
「魔法陣なしの対抗戦ですか?」
「いや、君が教えた二級生徒との魔術戦だ。
かなり遠い意味になるが、また君と戦うことができると思っていた」
「ああ……そう言われれば、間接的にはそう考えていいのかもしれませんね」
――実は、クノンとジオエリオンとの勝負は、もう行われない。
実家の都合で禁止されたのだ。
正確には、彼の家の都合で、だ。
以前行われた、クノンとジオエリオンの魔術戦。
もう一年以上前の話になる。
それが、ついに彼の実家が知ることになったらしい。
率直に。
帝国第二皇子に大怪我を負わせた生徒がいる、と。
彼の実家。
アーシオン帝国の皇帝の耳に、そんな報告が入ったわけだ。
もちろん魔術戦だ。
尋常の勝負だったし、本人を含めて誰も不満は唱えなかった。
だが、それはそれだ。
政治的に考えれば、無視も看過もできないだろう。
あわや帝国の第二皇子が留学先で死に掛けた、なんて。
絶対にあってはならないことだ。
報告を受けて「はいそうですか」で流すことはできないだろう。
――それでも丸く収まった、というのが今である。
何がどうやって丸く収まったかまでは、クノンは知らされていない。
というか。
クノンが考えても、丸く収まる問題ではない。
それでも収めたのだ。
きっとジオエリオンは相当苦労したのだと思う。
親たる皇帝を説得したり。
大臣を説得したり。
帝国軍人を統べる偉い人を説得したり。
クノンに類が及ばないよう、骨を折ってくれたのだと思う。
その上で、勝負禁止の決め事だ。
これはもう、さすがに、絶対に守らねばならない。
――もしやったらグリオン家どころかヒューグリア王国まで影響が出るだろうな、と。
それくらいのことは、クノンにもわかる。
いずれまた再戦を。
お互い願っていたことではあるのだが。
もう実現は難しいだろう。
「それで、二人一組の魔術戦の様子は?」
「面白いですよ。
まず組み合わせです。
同じ属性で組むか違う属性で組むか、そこで大きく変わってきて――」
ほんのわずかな隙間の時間。
二人は当然のように、魔術の話で埋め尽くした。
「ジオ様ーご飯ですよー。クノン殿もどうぞー」
まだまだ語り足りないが。
タイムリミットだ。
呼びに来たのは、ジオエリオンの友人兼護衛のイルヒ・ボーライルである。
「あ、明日の対抗戦の話してました? コンビで魔術戦なんて、自分は聞いたこともないでありますよ」
彼女も魔術学校の生徒である。
無関係ではない。
「そうなんですよ、レディ。
そういえば、元々魔法陣なしの魔術戦は希望者だけでやる予定だったんですよね? イルヒ先輩も出るつもりでした?」
「いえいえ、自分は護衛でもありますからね! 無暗に消耗して、ジオ様が一大事の時にヘロヘロになってたら大変でありますよ!」
言われてみればその通りか。
「でもジオ様がどうしてもっていうなら? コンビ戦? お友達枠でご一緒してもいいでありますけど?」
「確かに俺の友は少ないが、コンビ戦なら俺は出ないぞ」
「え? 出ないんですか!?」
ジオエリオンの返答に驚いたのは、クノンの方である。
彼は魔術戦に出るだろう、と。
当然のように考えていた。
――いや、その前提ではあったのだ。
「コンビ戦は、な。
元は序列争いとかなんとかで、出場しないのが許されない状況に近かったんだ」
同郷のしがらみやらなんやら。
政治に近い因縁やら。
無視したいが、できなかったから。
なんだかよくわからない内に序列の戦いが始まって。
挑まれて勝負して。
勝ち抜いて。
いつの間にか序列一位なんて呼ばれて。
それが今のジオエリオンである。
正直、本当に興味も関心もないのだ。
自分のことだけで精一杯だから。
ただ、何人かいるのだ。
何度負けても挑んでくる、いつもの顔が。
彼らと戦うのは、それなりに楽しかった。
――だからこそ、今度の対抗戦は、とても楽しみだった。
よく挑んでくるアーセルヴィガの王子。
彼は戦うたびに強くなり、最近ではかなりひやひやするシーンが増えた。
そして、そんな彼にクノンが教えるという。
この二つの条件が揃うなら。
絶対に楽しくなると思っていた。
思っていた、が。
「コンビ戦は、俺にはやる意味がない」
従来の一対一なら、序列に拘わる。
だがそうじゃないなら、周囲の「やれ」という圧力もないだろう。
理由がないなら、やらない。
イルヒじゃないが、やらなくていいことで消耗して、日課が滞るのは困る。
ただでさえ自由になる時間が少ないのだから。
飛行盤にも乗りたいし。
「そうですか……。
僕、久しぶりに先輩の本気の魔術が見たかったんですけどね。見えないけど」
クノンも、心情的には近かったかもしれない。
――自分が教えたアゼルが、ジオエリオンと戦うかもしれない。
そんな予想もしていたのだが。
「クノンが対戦相手なら、話は別だがな。喜んで参加する」
「う、うーん……気持ちは僕も一緒なんですけどね。
でも難しいでしょう、さすがに」
二級と特級だし。
ジオエリオンの実家の意向で、魔術戦禁止らしいし。
そもそも、たぶんクノンは現皇帝陛下に睨まれているだろう。
お宅の息子さんやっちゃった、みたいな感じだから。
結果論ではあるが。
アーシオン帝国第二皇子に大怪我をさせているのだ。実際に。
あんまりやりすぎると、本当に彼のお父さんに呼び出されるかもしれない。
そして直接注意されたりもしそうだ。
どんな人かは知らないが。
一国のトップに直接「うちの子を傷ものにしたの? ん? やったの?」とか、ねちねち嫌味を言われたら、たまったものではない。
きっとプレッシャーで胃が痛くなる。
ディラシックに政治は似合わない。
だが、完全丸々無視は、やはり難しいだろう。
そんな前夜を経て。
二級クラスの対抗戦、当日を迎える。





