446.対抗戦、直前
「――これでいいかな」
七日に及ぶ二級クラス育成計画。
そのレポートが仕上がった。
これで企画は終了となる。
教え子たちが対抗戦でどれだけの結果を出せるか。
それはまた別の話である。
当日の対戦相手次第で、大きく結果が左右されてしまうから。
それと。
当人の素養、素質というものがバラバラだから。
ベイルが教えた土魔術師には、三ツ星がいなかったし。
クノンは、途中で生徒が一人増えた。
条件が不揃いすぎる。
だから、クノンらは決めた。
対抗戦の結果をレポートに書くのはやめておこう、と。
あくまでも、育成期間中のこと。
あくまでも、教えた相手がどれだけ伸びたか、できるようになったかを冷静に見て。
それを中心にレポートにまとめよう。
そういうことになった。
あと加えるとすれば。
対抗戦が済んだ後の、教え子たちの所感だろうか。
手応えというか、感想というか。
特級生徒の教えは有用だったか否か。
彼らの気持ちくらいだろうか。
コンコン
「はい、どうぞ」
ノックの音に、反射的に返事する。
「――失礼します。クノン様、夕食の準備ができま……うわ、暗いなぁ」
ドアから顔を覗かせたのは、侍女リンコだ。
自宅の自室である。
今日も学校へ行き、昼には帰り。
それから、クノンはずっとレポートを書いていた。
「あれ? もう夜?」
見えないクノンには、灯りは必要ない。
手元なら魔力視ではっきりわかる。
だから、周囲の明るさまでは気にしない。
そう言えば腰が痛い。
長いこと同じ姿勢だったせいだろう。
「ええ、そろそろ夕陽が沈みますね。ほーらどこかのお宅の美味しそうな夕飯の匂いがするでしょう?」
「うちだね」
確かに、美味しそうな匂いはする。
侍女が開けたドアの向こうから。
夕食だ。
ひとまず食べて、夜は他の書類を片付けてしまおう。
育成計画を行った一週間。
かなり集中して取り組んでいたので、他の書類仕事が溜まっている。
――明日になったら伸びている。
日々急速に成長する、二級クラスの彼ら。
とても面白い研究対象で、とても興味深い企画だった。
目が離せなかった。
他のことが手に付かないくらいに。
まあ、クノンは見えないが。
あとは、あれだ。
彼らも満足する結果が得られれば。
それが叶えば、互いに利があった企画になるのだが。
「ふふふ。今日のディナーは何だと思います?」
テーブルに着いたクノン。
そして侍女は、台所で料理を盛り付けている。
「なんだろう。ベーコンじゃないことははっきりわかるんだけど」
肉とも言えないし。
シチューとも言えないし。
なんとも嗅ぎなれない香りだが、美味しそうではある。
あるが……なんだろう。
「まあ、はっきりわかるのは、九割がリンコの愛情でできてるってことかな」
「惜しい。九割九分ですよ。あとの一分は食材になりますね」
なんともバランスが悪い構成である。
「はい、今日の夕食はルベルッチアですー!」
「ああ、ルベルッチアね! なるほどルベルッチアか!」
クノンは紳士である。
だから、ちょっと見栄を張って。
背伸びして。
ちゃんと知っている的な空気は出しておいた。
正直、どの国の料理かも、食材は何かも。
そもそも何料理かもわからないが。
だが紳士として、時には見栄を張るべき。
それが今だ。
「……野菜のソテーでいいんだよね?」
緑色の野菜を、ステーキのような感じで調理し彩ったそれ。
恐らく何かしらの野菜だ。
それを肉塊に見立てて火を通したもの、だと思うのだが……。
「いえ、ルベルッチアですよ」
全然知らないが。
まあ、美味しかった。
たぶん野菜だと思う。
……野菜だと、思う。
◆
「ルベルッチアって知ってる? 僕、昨日食べたんだよ」
恐らく野菜だ。
野菜ならば、彼女が知っている可能性は高い。
育成計画のレポートを仕上げた翌日。
クノンは朝一番に、聖女の教室にやってきていた。
約束していた、傷薬の作製。
そのためにやってきた。
企画が終わったので、報告会はもうない。
今度あの四人とルルォメットが集まるのは、対抗戦の時になるだろう。
レポートの締め切りも、その日になる。
クノンは早々にまとめたが。
皆忙しいから、まだ完成させていないかもしれない。
「ルベルッチア?」
植物の様子を見て、何かしらメモをしている聖女が振り向く。
どうやら気を引く名前だったらしい。
彼女は気にならない話題なら、見向きもせずに返答するから。
「アレを食べたのですか? 本当に?」
「アレを……?」
気になる言い方だ。
「体調の方は大丈夫ですか? 腹痛は? 嘔吐感は? 少々頭が痛いなどの症状は? 胃に違和感は? やっぱり嘔吐感はあるでしょう? 吐いたりしました?」
なんだ。
植物以外でこんなに熱心になるなんて。
人の体調を気遣うなんて、まるで聖女みたいじゃないか。
……率直に、怖い。
「……なんかダメなもの食べたかな?」
体調に異変はまったくないのだが。
違和感一つないのだが。
なんなら調子がいい方かもしれないのだが。
「……いえ、問題ないなら大丈夫でしょう」
「何? そもそもルベルッチアってなんなの? ちゃんと教えてくれるかな?」
「知らないで食べたのですか?
好奇心も程々にした方がいいですよ。
知りたいと思って受け入れた次の瞬間、取り返しがつかない大惨事になっていることもあるのですから」
ちょっと呆れられている空気は感じる。
それに、クノンも同感ではある。
先日うっかりアゼルの水鞭で大怪我しそうになったから。
が、今はそれどころじゃない。
「ルベルッチアは何か、ですか。ルベルッチアは――」
聖女が言いかけたその時。
「――クノンいるか!? あ、いた!」
早い足音が聞こえたと思えば、ノックもなくドアが開いた。
やってきたのは、「実力」代表ベイルだ。
「ベイル先輩?」
いつもどこか余裕がある、派閥の代表。
そんな彼が、かなり焦っていた。
「大変だ! シロトがやりやがった!」
「え?」
シロトがやりやがった?
……そういえば。
「シロト嬢が何かしたんですか?」
彼女は育成計画に。
というか、二級クラスに拘わることに反対していた。
すっかり忘れていた。
そう、シロトは何かしそうではあったのだ。
「こっちから仕掛けるか」みたいなことを言って。
クノンをときめかせたのは、記憶に新しい。
すっかり忘れていたが。
「あいつ対抗戦のルールを変えやがった!
俺らがやってきたこと全部無駄にしやがったんだよ!」
「えっ!?」
それは焦るはずだ。
クノンだって、瞬時に焦った。
「今から全員集める! おまえも来い!」
「は、はい! ――ごめんレイエス嬢、あとでまた来るから薬はその時に!」
もうルベルッチアどころではなくなってしまった。
◆
「……」
バタバタとやってきたベイルと。
バタバタと出ていったクノン。
そんな二人を見送ったレイエスは、植物の観察を再開する。
――そういえば、薬の件もキャンセルになったなぁ、と思いながら。





