425.魔女の魔術 成功!!
「――来たか小僧」
いつもの浜辺で。
造魔犬と造魔猫を侍らせた魔女が、待っていた。
湯を張ったたらいの中で。
「お待たせレディ、……って言いづらいなぁ」
気安く声は掛けられない。
さすがの紳士力を誇るクノンでも、それは無理だ。
今日も付き合ってもらっている、アイオンの背中で言うのが精いっぱいだ。
「……」
そのアイオンから、ものすごく何か言いたげな雰囲気を感じるが。
見えないことにしておく。
実際見えないし。
「もうできておるぞ」
「え?」
できている?
ベーコンが?
それは、アイオンの陰に潜んだクノンを引きずり出すのに足る情報だった。
「本当ですか? アイオンさんも納得のベーコンができたんですか?」
「おう。まずいと言ったそこの小娘も納得するベーコンができた」
「言ってないです……」
いや、実質言っていた。
優しくて控え目な人の言う「あんまりおいしくない」は。
もはや「まずい」と言っているようなものだ。
少なくとも、意味は同じだ。
言い訳できないくらいに。
まあ、それはいいとして。
「やった! 早速味見してみましょう!」
クノンの気持ちは晴れた。
――明日のベーコンに不安を抱えていた。
たとえるなら。
土砂降りの朝、どうしても外出しなければいけない。
そんな憂鬱な気持ちだったのだが。
まさかできているとは。
まさかできているとは!
ベーコンがない。
ベーコンが切れた。
ただそれだけで、大切な人を失ったかのような虚無感を覚えていた。
侍女も信じてくれなかったし。
どうせ手が届かないなら。
どれだけ手を伸ばしても、手に入らないなら。
いっそ市販品に逃げてしまおうか。
そう思ったことも、一度や二度ではない。
だが、できているそうだ。
クノンのベーコンは、ここにあるそうだ。
しかも、世界一の魔女が作ったベーコンが!
アイオンも納得すると太鼓判を押したベーコンが!
ついに手に入るのだ!
「あ、おいしい」
普通においしかった。
あのグレイ・ルーヴァが作ったと思えば、……まあ、物足りなさがないと言えば嘘になるが。
あまりにもオーソドックスで、普通で。
もう少し刺激的でもいいんじゃないか、と思わなくもないが。
だが、失敗するよりはよっぽどマシだ。
充分、普通においしいベーコンだ。
そこになんの不満もない。
とにかく、これで明日の心配はなくなったのだ。
◆
「やれやれ」
クノンがベーコンを持って去っていった。
――ひやひやしたな、とグレイは息を吐く。
「苦労したわい……」
「グレイちゃん?」
思わずこぼした言葉に、残っていたアイオンが反応する。
まあ、弟子なら構わない。
「四日掛かった」
「え? ……まさか『影』ですか?」
「ああ」
圧縮した時間の中で、約四日ほど。
グレイがベーコン作りに費やした時間である。
どうせだからすごいベーコン、燻製肉を作ってやる。
そして若造どもの度肝を抜いてやろう。
そんな意気込みで作り始めて。
後悔した。
どんな高級食材を使おうが。
どんないい肉を使おうが。
結局、普通のシンプルなベーコンがいいんじゃないか。
そう思ってしまった。
色々と試して、それなりのものはできたのだ。
しかし、それはもはやベーコンではないのではないか。
ただのベーコンっぽい加工肉ではないのか。
ベーコンは、ベーコンであるべき。
ベーコン以上でも、ベーコン以下でもなく。
そう思ったグレイは。
最後に、普通のベーコンを作った。
――クノンに「え……思ったより普通……世界一の魔女なのに……」なんて言われたらどうしよう。
そう思いながら、この時を迎えたのだ。
ほっとした。
本当に。
久しぶりにプレッシャーを感じた気がする。
グレイ・ルーヴァは、世界一の魔術師であるべきなのだ。
憧れであるべきなのだ。
実力で負けるまでは。
ベーコンが何者でもなく。
ただのベーコンであるように。
まだ学生の小僧にとっては、憧れの存在であるべきなのだ。
「『影』って、魔術師の最高到達点……って教えてもらいましたけど」
「ああ、そうだ」
その先は、いまだグレイも模索中。
未知の領域である。
だから。
そこまで辿り着けば、グレイと同格だ。
だから弟子たちには、できるだけ呼び捨てで呼ばせている。
「グレイ」と。
アイオンだってそうだ。
弟子ではあるが、自分の下にいるとは思わない。
そんな弟子たちの中。
いずれ自分を追い抜く逸材もいるだろう、とも思っている。
願ってもいるし、祈ってもいる。
ぜひ、共に、未知の世界へ探求の旅をしたい、と。
――まあ、そんなことはいいとしてだ。
「おいアイオン、おまえシロトのことどう思う?」
「え? ……いい子だと思いますけど……」
寝ぼけたことを言う弟子に、師は胡乱な目を向ける。
「魔術師としてどうかって聞いてるんだよ」
「……魔人の腕、ですか? なら――」
と、少しはまともな顔をする。
「なぜグレイちゃんが今更魔人の腕の観察をするのか、ずっと気になっていました。
何か気掛かりが?」
「逆に聞きたい。おまえはどう思う?」
「……時々違和感がある、くらいですね。
妙なタイミングで少しだけ魔力が動いているような……」
「それだ。儂はそれの正体が知りたいのよ。
そして答えはわかった」
接してみてわかった。
あの魔人の腕は。
クノンが時々使用する視覚魔術を使っている。
シロトの意識外でのことだ。
そもそもシロトはそのことに気付いていないと思う。
あまりにもさりげなく使用しているから。
クノンと同等くらいに、非常に巧妙に使用しているから。
グレイでさえ、わずかに察知できるくらいだ。
多くの魔術師が見逃すだろう。
そんな魔術を、魔人の腕が使っている節がある。
つまり腕に自我があるのか?
そこが気になり、できるだけシロトの観察をしてきたが。
――だいたいわかった。
「そろそろ引き上げ時だな」
少しばかりのんびりしたが。
戻るか。
ベーコンと同じように、あるべき場所へ。





