421.紳士的交渉術
「いやあ……私も恐れ多いかなぁ……」
シロトの腕の観察も終わったので。
クノンは早速、行動を起こした。
ベーコンの危機である。
動かない理由はない。
首尾よく、書庫で本を読んでいたアイオンを発見し、交渉に入る。
――グレイちゃんにベーコンを作ってほしいと頼んでくれ、と。
――自分は恐れ多いから直弟子から頼んでほしい、と。
「大丈夫ですよ! 弟子を無下にする師なんて……まあざらにいるか」
己の二人の師を思い出し、クノンは口ごもった。
弟子を無下にする師なんていない。
勢いに乗って言ってしまいたかったが、無理だった。
師ジェニエは無下にしない。
だが師ゼオンリーは無下にする。
経験上、確率は五割だ。
「グレイちゃんは無下にするタイプですか? そうじゃないのでは?」
先日、実験に付き合ってくれたではないか。
打ち上げ式飛行落下傘の試行運転に。
面倒見がよかったりしそうなものだが。
「興味が向かないと、何もしない人だから……」
それにしても、とアイオンは開いていた本を閉じる。
「ベーコン、加工肉、燻製ね……今はちょっと重いかも」
アイオンはさっき起きたそうだ。
クノンらと違い、夜が活動時間である。
「起き抜けに肉は重いタイプですか?」
「そうだね。もう結構いい歳だし、起きてすぐに脂ものは無理かなぁ」
そういう人もいるのか、とクノンは思うばかりだ。
自分は、朝はベーコンがあってほしいタイプだ。
厚切りならなおよし、だ。
歳を取ったら、こんな風に言う日も来るのだろうか。
今の自分からは考えられないが。
「アイオンさんって割と小食ですよね。
なのになぜそんなに背が伸びたんですか?」
「身長に関しては私が一番知りたいけどね。
目立ちたくないのに、無駄に背だけは伸びちゃって……そんなに食べてもないのにね」
「羨ましい限りです」
「そう?」
「じゃあお願いしますね!」
「ごめん、さすがに騙される流れじゃないと思う」
日常会話から自然な流れで、グレイちゃんへの陳情を。
そんな紳士的な交渉術は見破られてしまった。
「お願いします。僕、明日のベーコンがないと困るんです」
「普通に買えばいいと思うんだけど……」
「グレイちゃんが作ったベーコンが食べたいんです!」
「……困ったなぁ。さすがに無理だよ……」
アイオンは困ってしまった。
クノンも困ってしまった。
女性を困らせるのは本意ではない。
「ロジー先生ならどうでしょう?」
「あの人は私たちよりよっぽど忙しいから、煩わせちゃダメだよ」
それは確かにそうだ。
ロジーはいつも忙しそうだ。
今は弟子カイユが屋敷にいないので、特にそうかもしれない。
まあ、アイオンは夜手伝いをしているらしいが……。
……こうなったら仕方ない。
世界一の魔女グレイ・ルーヴァ。
彼女と直接話ができる機会など、この先あるかどうかわからないのだ。
そもそも、そう簡単に会える存在ではない。
会えたとしても、グレイちゃんだと気付かないかもしれない。
シロトに隠しているくらいだ。
彼女は率先して名乗りを上げる人ではないのだろう。
たぶん面倒臭いから。
今なのだ。
今こそ、かけがえのない時間なのだ。
この機会を逃せば。
彼女に直接交渉する機会などないだろう。
そして、彼女の作るベーコンを食すことなど、一生ないだろう。
そして悔いるのだろう。
ああ、あの時うまくやっていればなぁ、と。
そうすれば世界一の魔女のベーコンを食べられたのかなぁ、と。
――たぶん、生涯引きずる後悔になるのだろう。
ならば。
魔術師としてやるべきことは、一つだ。
「アイオンさん、お願いです」
「頼むのは無理だよ」
「それは僕が自分でします。
その代わり、グレイちゃんと話をする時、僕の隣にいてくれませんか?」
あのグレイ・ルーヴァに直談判だ。
恐れ多いし、単純に怖い。
でも、二人だったら。
交渉の席にアイオンがいてくれたら、頑張れそうな気がする。
紳士は女性のためなら頑張れるものだから。
「えぇ…………私も? いなきゃダメ?」
アイオンはすごく嫌そうだ。
が、ここは引けない。
「いてほしいです! そしてもしグレイちゃんが怒ったら全力で止めてください!」
「……あの、私も命は惜しいんだけど」
「僕もです!」
アイオンは「じゃあやめようよ……」と言いつつ、溜息をついた。
「怒らせるようなこと、絶対に言わないでね? もしもの時は先に逃げるからね?」
付き合ってくれるらしい。
かなり嫌そうだが、頷いてくれた。
早くグレイちゃんを探した方がよさそうだ。
彼女の気が変わらない内に。
――と、思っていたのだが。
ここで根本的な問題に直面することになる。
今日も魔建具で作った砂浜でくつろぐグレイちゃん。
「恐れ多くも」と交渉を持ち掛けたところ。
「ベーコン? 儂は作ったことないが」
世界一の魔女は、ベーコンを作ったことがなかった。





