419.風魔術とは、
「というわけで、なんとかベーコンを入手できました」
「そうか。よかったな」
首尾よくベーコンを手に入れたクノンは、今日もロジー邸へやってきた。
今日もシロトの右腕。
魔人の腕の経過観察である。
応接室の椅子に座るシロトの腕を、クノンは観察しながらメモを取る。
――本当に一体化してきている。
最初は、人の腕とは思えないほど節くれ立っていた。
肌の色も違い。
爪も鋭く。
それこそ毛のない獣の腕のようだったが。
毎日少しずつ変化していくそれは、いよいよ異形とは言えなくなっていた。
これなら、もう隠す必要はないのではないか。
それくらい定着してきている。
「しかし、ベーコンとは作るのに時間が掛かるんじゃないのか?」
「そうですね。
特に塩抜きに時間が掛かるみたいですけど、なんとかしてもらいました」
リーヤに我儘を言って。
だいぶ時間を短縮して作ってもらった。
味の保証はできないけど、とは言われたが。
とにかく今は数だ。
枯渇したベーコン用保管庫に肉を詰める必要がある。
この際、味がベーコンじゃなくても構わない。
少なくともまずくはない、はずだ。
いざとなったら侍女に肉として調理してもらうか。
あるいは、聖女にあげようと思う。
「あ、そうだ。シロト嬢ってアサミシトカゲのあばら肉って食べたことあります?
僕、今日初めて食べたんですけど。あれはおいしいですね」
「高級品だな。レストランで何度か食べたが――」
そんな話をして、今日の観察を終えた。
「もう少しって感じですね」
あと一週間か二週間か。
それくらいで、完全に一体化するのではなかろうか。
「そうだな。もう違和感はないんだ」
と、シロトは右手の指先を動かす。
「以前使っていた造魔製の腕では、操作に慣れるまでかなり苦労した。
だがこれは、最初からさほど違和感がなかった。
これまでの造魔の腕とは、明らかに違う」
元々の造魔製の腕の感覚を知らないので、クノンからは何も言えないが。
あれだけ苦労して作った腕だ。
貴重な神花まで使用したのだ。
その苦労に見合う、優れた性能なのだろう。
「ただ、少し問題もあってな」
シロトはいつもの手袋を装着しつつ、言った。
「どうも魔術の威力が上がっている気がする」
「え?」
魔力の威力が上がっている?
「風の威力が?」
「感覚的なものだ。
もしかしたら魔力の調整が難しくなっただけかもしれない。
想定するより、ちょっと強めの魔術が出るんだ。
まあこれもじき慣れるとは思うが」
――いや、待て。
それは大きな変化なのではなかろうか。
「それって大問題では?
率直に言うと、魔人の腕を付ければ魔術が強化される、みたいなことでは?」
だとしたら、大変な発見である。
魔術が強化される。
もしかしたら、魔力が強化されるのでは?
そう想定して。
クノンが真っ先に思い浮かんだのは――
魔術師じゃない者に付けたらどうなる、だ。
「過去の例から『魔力に違和感があったがすぐ慣れる』という記述はあったんだ。
私が今感じているのも、それかもしれない」
「強化されているような違和感、ってことですか?」
「そうだ。
ちなみにロジー先生とアイオンさんには報告済みで、二人とも同じ推測を立てた。」
「えー? 僕に教えてくれるのは最後ですか? 僕とシロト嬢の仲なのに」
「おまえの部屋の片づけを私が手伝う関係か。
……一番薄い仲じゃないか?」
そう言われると何も言えないが。
というか、この話題は深堀したくないが。
「……魔術が強化される、か」
なんでもないことかもしれない。
でも、気になる報告である。
「――あ、そうだ」
気になると言えば、だ。
「さっきベーコンの話をしましたよね?
その時、リーヤのほかに『実力』のエリア先輩がいたんです」
「風属性二人か」
シロトは『調和』の代表だ。
派閥違いのリーヤ、エリアとは、あまり関わりはない。
「その時、風属性の話をしたんです」
「へえ」
シロトも風属性である。
だからこそクノンは聞きたい。
「で――風魔術ってなんなんだろう、って話をしまして」
「大気だな」
明快な即答だった。
「でもそれだけじゃないでしょう?」
「いや、私はそれだけだと思っている。
人それぞれ答えがあっていいと思うが、私の答えは大気だ」
――すごいな、とクノンは思った。
シロトは、己の魔術の答えに辿り着いている。
何が正しいか、ではない。
自分にとっての魔術の根本、根幹の話だ。
こういうのは自分が専攻する学問や意向に向かうのだ。
多くを学び、経験を積み。
そして自分にとって大事な魔術を割り出す。
その結果が、答えになる。
たとえば、師ゼオンリーなら魔技師だ。
あの人は「土魔術で道具を造る」という答えに辿り着いた。
「大気とは空気。
空気とは全てに触れているもの。
人になくてはならず、あたりまえに隣にあるもの。
大気を制するということは、地上を制することだと私は思う」
どこかをひたりと見据えて。
なんの気負いもなく、世間話のように。
しかし、どこまでも揺るぎない自信をもって、彼女は言った。
「……若輩の身で語り過ぎたな。恥ずかしいから内緒にしておいてくれ」
風とは、大気。
それがシロトの答えだ。
「クノンはどうだ? おまえにとっての水属性とは、なんだ?」
なんだろう。
実は、魔術学校を出てからここへ向かう途中、ずっと考えていたのだが。
「僕、考えたことがないんです」
「ないのか?」
「はい。ありがたいことに、幼少から今日まで日々忙しく過ごしてきました。
だから、必要ないことを考える余裕がなかったんです」
クノンの目的は、魔術で「目玉」を作ること。
その目的に向かって、ひたすら頑張ってきたと思う。
だがそれは、答えとは違う。
――クノンにとっての水魔術とは?
今も昔も、「目的のための手段」だ。
だが、それは魔術に対する答えではない。
あくまでもクノンの野望の話だ。
「そうか。それはそれでいいと思う」
「本当に? 主体性のない紳士は嫌いだったりしません? これまで通り好きでいてくれます?」
「色々引っ掛かるが、大事なことなら大いに迷えばいいだろう」
「それってつまり、これまで通り好きでいてくれるんですね!」
「ああ、わかった。それでいい。
好きでいるから部屋の片づけくらいはしろよ」
「……」
「魔術師の部屋は危険なものが多い。
何かと何かがうっかり混ざると、何が起こるかわからないぞ。」
「……」
「返事は?」
返事は、できなかった。
もう目を逸らすことしかできなかった。
目は出していないが。





