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405.想いに気づく





 ちょっとだけ冷たい風に、甘い香りが混じっていた。


 キオ・ロモの花の匂いだ。

 この時期、ヒューグリア王都にあるグリオン邸で毎年嗅いでいた。


 春の香りだ。

 クノンにとっては、春を告げる香りだ。


 ミリカが好きな花で。

 だから彼女が来る日は、侍女がよくテーブルに飾ってくれた。


 摘むのはクノンの役割だった。

 庭先を一人で出歩くことができるようになってからは、ずっと。


 クノンがミリカのためにできる、数少ないことだったから。


 ――気が付けば、冬を感じることが少なくなった。


 すっかり春である。


 



「おはようございます、クノン様」


「おはよう、リンコ」


 朝の支度を済ませて、テーブルに着く。


 いい朝だ。


 懐かしい花の香りに婚約者を想い。

 かぐわしい焼けたベーコンの匂いに、今日も胸がときめく。


「クノン様、本日のご予定は?」


 できたての朝食を並べつつ。


 侍女リンコが、いつにない質問をする。


「いつも通りだけど、何かあった?」


 クノンのスケジュールを聞くなんて、珍しい。


 大抵の場合は、何か用事がある時だが。


「あ、わかった。たまには僕とデートしたいんだね?」


「え? いえ……ああ、そういえばディラシックを一緒に歩いたことってほとんどないですね」


 言われてみればそうかもしれない。


 ディラシックにやってきて、もうすぐ丸二年になる。


 なる、が。


 侍女と一緒にこの街を歩いた記憶が、ほぼない。

 魔術学校からの帰りに、偶然会うことがあったくらいだ。


 たぶん五回くらいだと思う。


 印象深い記憶は、ディラシックにやってきてすぐのことだ。

 住む場所を探して、一緒に街をさまよった。


 思ったよりデートしてなかったな、とクノンは思った。


「する?」


「えー? 家で過ごすだけじゃ刺激が足りなくなりました?」


「そんなことないよ。いつだってリンコは刺激的で素敵なレディだよ。

 ほら、今日だってこんなにベーコンを厚切りに……あれ?


 ……してないね」


 クノンは少し落ち込んだ。


 はっきりしてしまったから。

 いつものサンドイッチを手にして、はっきりと。


 今日のベーコンは、薄い……。

 刺激的な重厚感とは言えない……。


 厚みはいつも通りだが。

 ときめきを感じざるを得ない、ずっしりした肉の重みがない……。


 なんだか舌の動きがにぶくなってしまった。

 ついさっきまで、饒舌に言葉を紡いでくれたのに。


「そうだ、そのことなんですよ」


「ベーコンを厚切りにしなかったこと?」


 随分薄い気がするが。

 とんでもなく薄いのではなかろうか。これは。


 指先から、葉っぱが多めに挟まっている感触がするのだが。


 こんな非道な仕打ちを受けるような真似、してないはずだ。

 最近は特に。


「クノン様のベーコン用の保冷庫が、もうじき空っぽになります」


「え?」


 ベーコンが、ない?


「一応、約三日分は残してあります。

 すぐに用意できない場合もあるかもしれないので」


 つまり、だ。


「ベーコンのストックが切れたの?」


「そういうことになります。

 以前はちょくちょく持って帰ってきてくれたのに、最近は全然だったので……」


 ――言われてみれば、その通りだ。


 以前は何くれと、同期ハンク・ビートと会っていた。


 会うついでに持ってきてくれて。

 それを購入していたのだ。


 それが楽しみで楽しみで仕方なかった。

 定番のプレーンをメインに、試作品もいくつか持ってきてくれて。


 クノンを驚かせる新たなベーコン。

 めくるめく日々のベーコンに、毎朝が楽しみになっていた。


 一時期は保冷庫にぎっしり並べてはニヤニヤしていた。

「一生ベーコンに困らないな」と。

 そう信じて疑わなかった。


 そうだ。

 そう言えばそうだ。


 ヒューグリアの辺境へ行く際、家の食料庫は空っぽにしたのだ。

 不在期間が長くなることを考えて。


 その際、保冷庫のベーコンを全部持って行った。

 道中の食料に、と。


 それからディラシックに戻り、一回か二回は補充したはず。


 ……思い出してきた。


 ロジー邸に通うようになってから、ベーコンを仕入れていない。


 なくなるなんて考えもしていなかった。

 毎日あたりまえのように、朝食に出ていたから。


 それくらい、クノンの生活にはベーコンが寄り添ってくれていたから。


「クノン様、市販品は買うなって言っていたでしょう?」


「……言ったね」


 ハンクの作るベーコンの味が、格段にいいから。


 もう市販品には戻れない身体になってしまっている。


 いなくなってから改めて気づいた。


 ベーコンへの気持ちを。

 ベーコンへの想いを。


 ベーコンのいない生活なんて、耐えられない!


「わかった。調達してくるね」


 この薄切りベーコンは、己への戒め。

 今日はこれで我慢するしかない。


 ――薄切りでも美味しかった。





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クノンの1日の元気の源はベーコンだったのか……。
クノン君の想いの強さは 魔術>ベーコン>ミリカ なんじゃないか…?
 甘酸っぱい青春の風景から、こてこてのベーコンにチェンジしてて草
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