395.聖女、揉まれる
「ようやく戻ってこられましたね」
――クノンらがロジー邸から解散した、ちょうどその頃。
聖教国セントランスから、聖女レイエスと侍女たちが、ディラシックの自宅に辿り着いていた。
もう少し到着が遅ければ。
もしかしたら、道端でクノンと遭遇していたかもしれない。
レイエスらの借家は、ロジー邸に近いのだ。
まあ、距離はあるが。
高級住宅街なので、家も大きいし庭も広いから。
「少し休憩してから活動しましょう。ジルニ、お茶を」
家に入ったところで、フィレアが指示を出す。
「はいはいただいまー」
背負っていた荷物を降ろして、ジルニは奥へ。
「レイエス様、ひとまず応接室へどうぞ。私は荷物を運びますので」
「その前に庭を一回りしてきます。すぐに戻ります」
レイエスはまず、庭の植物の状態を確認することにした。
旅の疲れがあろうが関係ない。
一番の気掛かりを、今すぐ解消したかった。
一ヵ月以上不在だった家だが。
あまり変化はない。
輝女神キラレイラの信者に、家の維持を頼んでいたから。
定期的に風を入れ、掃除も丁寧にしてくれている。
これなら今すぐベッドも使えるだろう。
問題があるとすれば。
出立前に食糧庫も保冷庫も空にして行ったので、食べ物がないことくらいだ。
あるとすれば、庭の果物くらいか。
「――想定より長く掛かりましたね」
庭を回って応接室にやってきたレイエスは、侍女たちとテーブルを囲む。
ひとまず休憩だ。
移動に際して飛んでくれた風魔術師フィレア。
大量の荷物を担いでいたジルニ。
レイエスはともかく、二人は疲れていて当然だ。
まだ陽は高いので、やることもあるが。
今は一息入れるべきだろう。
「そうですね。
ただでさえ遠征期間も長かったし、その上大神殿でも捕まりましたからね」
ディラシックを発って、二ヵ月以上が経過している。
ヒューグリアの辺境へ行き。
それからセントランスへ行った。
どちらも……いや。
セントランスでの滞在が、予想外すぎた。
フィレアが返事する横で――その話だ、とばかりにジルニは口を挟んだ
「ねえフィレア、実際何があったの?」
セントランスでの滞在が、少し長引いた。
その間、ジルニは市井でレイエスらの出発を待っていたのだ。
酒を飲みながら。
まあ、神の酒樽――「酒を捧げよ、神の渇きを癒せ」は、手元になかったが。
借り物の貴重品である。
さすがにジルニに貸し出す、なんてことが許されるはずもない。
号泣しても貸してくれなかった。さすがに。
「私も詳しくは……」
――フィレアは神官だが、その辺は隠している。
もちろん詳細は知っているが、大っぴらには言えないのだ。
「そうなの? じゃあレイエス様、何があったんですか?」
ジルニの視線がレイエスに向く。
「大司教様の個人的な頼み事をこなしていました」
と、レイエスは答えた。
そう、大司教クレフィナンスだ。
あのけしからん肉体を持つ、熟した女だ。
彼女の肉体に興味を抱いたことで、レイエスの予定は大きく変わったのである。
「個人的な頼み事?」
「内容は実感していると思いますが」
「え? ……ああ! アレですか!」
そう、アレだ。
「いずれセントランスから売り出すことになりますので、内密にお願いしますね」
旅の疲れもあり、その日は早めに就寝。
翌日の午前中から、これからの生活の準備に追われた。
レイエスの場合は、秘密の地下温室に、新たな種を植えるところからだ。
遠征に向けて、一旦全部撤去したのである。
ここは秘密にせねばならない。
注文依頼で育てる植物類は、どれも貴重なものになる。
セントランスからの注文も多い。
育てている薬草などの傾向から、誰かの持病だなんだという、漏れてはならない個人情報まで漏れかねない。
だから、家の面倒を見てくれる者にも、教えられなかった。
まあ、元々そういうつもりで作られた部屋だ。
なので、特に問題はない。
むしろ真っ新な空間に新しい植物を育てられる。
なんだかとても心がはずんだ。
ちなみに、温室の維持・管理を頼んでいる後輩セララフィラは。
レイエスらが不在の時も、ちゃんと仕事をこなしてくれていたらしい。
信じて鍵を託して行ったのだ。
信じてよかった。
フィレアとジルニは、外出している。
ご近所に帰ってきたことの挨拶周りをし。
そのまま、日用品の買い出しに行っているはずだ。
「――レイエス様ー、昼食の準備ができましたよー」
上階から声が掛かった。
フィレアたちはとっくに帰ってきているようだ。
一時作業を中断し、地下から地上へ戻る。
昼食を食べたら、また温室へ。
一通り整えた頃には、昼を大きくすぎていた。
なんなら、もうすぐ夕方に差し掛かる時間である。
「学校へ行ってきます」
庭と地下温室は、大丈夫だ。
家にあるレイエスの大切な植物たちは、これで問題ない。
あとは学校にあるものの様子を見たい。
教師キーブンや教師スレヤに頼んだ植物も、早く引き取らないと。
「今日はいいんじゃないですか? もうすぐ陽が暮れますよ?」
「そういうわけにもいきませんので」
止めるジルニにそう返し、レイエスは家を出ようとした。
「あ、レイエス様。行くんですか?」
どうやら二人の声が聞こえたらしく、フィレアが近づいてくる。
「はい、行きます。門限までには帰りますので」
「そうですか。それじゃあ、覚悟して行ってきてくださいね」
「はい」
こうしてレイエスは家を出た。
そして、ふと気になる。
「覚悟して」とはなんだ、と。
「こんにちは。お久しぶりです」
「あ、はい――え!?」
魔術学校の受付に学生証を見せ、素通りしようとしたが。
「ちょっとちょっと! レイエスさん!? レイエスさんよね!?」
「はい?」
受付嬢に止められた。
確か、ルーベラという女性だ。
特に知る気もなかったが、いつだったか同期クノンが「あの人の名前は――」などとぺらぺらしゃべっていたのが記憶にある。
「えっ、と……」
立ち止まるレイエスの前に立ち。
受付嬢はまじまじと、レイエスの顔を見る。
見詰める。
じろじろと角度を変えて見る。
「さ、触っていい……?」
「触る? ……どうぞ」
教皇アーチルドから「男に触れられるのは極力避けなさい」と言われている。
だが、女性に触れられるのは避けなさい、とは言われていない。
「お、お、おおぉ……何これ……」
両手で頬を触られた。
撫でられた。
もちもちされた。
「何か問題でも?」
「問題しかないでしょ!? 何これ!? 何付けたらこんなツヤツヤのモチモチになるの!? 化粧……じゃ、ないよね!? なんか輝きが違うんだけど!」
「輝き……」
そう言われて、理解した。
そうだった。
しばらく間を置いて会ったジルニにも、似たような反応をされたではないか。
これが実感だ。
あまり自覚がないし、もっと言うとレイエスにはよくわからないのだが。
これが実感なのだ。
「申し訳ありません。これに関しては、まだ話せません」
大司教クレフィナンスからの個人的な頼み事。
それは、お肌の状態を整え若返らせる魔術水の開発、だった。
とにかく肌にいい、美容にいいと言われる薬草類を育てて。
成分を抽出したりしなかったりして。
加工したりしなかったりして。
その結果、ひとまずサンプルができたのだ。
さすがにそろそろ学校に戻らないとまずい。
だからそこで一区切りつけて。
あとは使い心地の経過を見ながら改良していこう、ということになって、ようやく解放されたのである。
レイエスを始め。
フィレアとジルニにもサンプルを渡して試してもらっている。
その結果が、これだ。
「完成したら絶対教えて絶対教えて! 絶対だからね」と、しつこく念押しされて受付を通過する。
……なんだかちょっと疲れたが、本番はここからだ。
早く教室へ行かねば。
キーブンとスレヤの研究室にも行かねば。
調べ物もしたい、図書館へ行く時間はあるだろうか。
「――あ、聖女だ。おかえりー……あれ?」
「――レイエスだー久しぶりー……ん?」
「――おーい聖女ー。ちょっと腰痛いんだけど治癒魔術頼んで……えっ!?」
普段は挨拶だけして素通りするような、特級生たち。
とりわけ女性が、レイエスに近づいてくる。
遠くにいても走ってやってくる。
皆、レイエスの顔面をしげしげ見る。
それはそれは至近距離でじっと見る。
気が付けば取り囲まれていた。
「ちょっと触っていい?」
「急いでいるのですが」
「ちょっとだけ! ちょっとだけでいいから! ね!? 優しくするから!」
「……では、どうぞ」
あとどれくらい顔を揉まれるのだろう。
教室までが、遠い。





