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32.それぞれのその後





「……はぁ~~……やだ、もうやだぁ……」


「おい、鬱陶し――いてっ」


 ゼオンリーから暴言が出掛かったところで、正面に座るダリオに蹴られた。


 ――クノンに魔術学校へ行くことを通達した、帰りの馬車である。


 ミリカはひどく落ち込んでいた。

 泣き言が止まらない。

 というかちゃんと泣いている。


 もうこれ以上ないほど気合いを入れて、「こんなのなんてことないでしょ」という顔をして魔術学校へ行くよう勧めたつもりだ。


 ……実際は、いつ膝から崩れてもおかしくないほど辛かった。


 魔術で視界を得る。

 クノンは日々の慌ただしさに忙殺されていたが、ミリカは忘れていなかった。

 

 そして、その先を考えていた。


 もしクノンが見えるようになったら、と。


 果たして自分たちは今のままでいられるのだろうか。

 ただでさえクノンはミリカより先を行っているのに、目が見えるようになったら、わざわざミリカを選ぶ理由があるのか。


 もしかしたら、ミリカ以外の女性を見るのではないか。

 第九王女とかいう、かろうじて王族みたいな微妙な地位と権力の女より、公爵家の娘辺りに婿養子として入った方が、よっぽど立派な地位と後ろ盾を得られるだろう。


 今のクノンは、望めばきっと手に入れられるのだ。


 ――ゼオンリーとの関わりが知られないようにしているが、近年ゼオンリーが魔技師として大躍進した裏には、クノンがいる。


 この二年間のゼオンリーの実績はすごい。

 新たな魔道具開発だけで七つ、魔術の新説論文が五つ、魔術実験・実証を効率よく行うためのマニュアル作りなど、もはやヒューグリア王国だけではなく世界に名が轟く時の人である。以前にも増してモテるようになった。


 そんなゼオンリーの片腕としてずっと動いていたクノンが、評価されないわけがない。


 つまり、もう実績は充分なのだ。

 成果を公表すれば、クノン自身が爵位だって貰えるほどに、多大な貢献をしている。


 二年前、ゼオンリーが教えてくれた通りのことが、すでに起こりつつあるのだ。


 どうせ魔術学校でも実績を積むだろう。

 周りの女の子もきっと放ってはおかないだろう。


 クノンは見えない以外は完璧だ。

 軽薄に見えるのはそう見せているからだ。

 実際はとても真面目な人だとミリカは知っている。そうじゃなければゼオンリーの押し付ける書類仕事なんてとっくに投げ出していたはずだ。


 これ以上クノンが先に行ってしまうと、もうミリカでは追いつけないかもしれない。


「ダリオ様……」


「はい」


「このままクノン君が見えなければいいって、どうしても思ってしまいます……私はあさましい女です……」


「ああ、あんたはあさましいおんっ……! いてぇなおい!」


 二発目をくれたダリオの目はどこまでも冷ややかだ。


「自主的に黙っているか私が黙らせた方がいいか選べ」


 本気である。

 ゼオンリーは舌打ちして窓の外に目を向けた。


「――いいんですよ、殿下。人の心には光も闇もあるのです。闇を否定しないでください。光だけを求めないでください。でも、どちらにも呑まれないでください。

 あなたが二年間鍛えてきたのは、身体だけではないはずだ。

 どんなに迷い、醜い考えが過ぎろうとも、あなたは正しい道を選べます。大丈夫、考えるだけならただの予想でしかない」


 クノンにとってのジェニエやゼオンリーのように。

 今やミリカにとっては、武芸の師とも呼べるダリオである。


 立場や身分上、師弟などとは決して言えないが、気持ちとしてはよく似ている。


 そして、それをゼオンリーは知っている。


「おまえ甘すぎねぇ?」


「私はおまえが厳しすぎるんだと思っている」


 師の数だけ弟子がいる。

 そして師弟関係も人間付き合いである。


 人間付き合いに正解などないので、二人の主張は平行線である。お互い自分が正しいと思っているから。


「それよりゼオン、おまえは前に言っていたよな? クノン様の視界を得る方法に心当たりはない、と」


「ああ、言ったな」


「……できるのか? クノン様は見ることができるようになるのか?」


「――知らねぇ」


 この投げやりな返答にイラッとしたのは、ダリオだけではない。


「まさか適当を言ったのですか?」


 むしろミリカの怒りの方が強い。想いの分だけ強い。


 ついさっき「見えない方がいいと思ってしまう」などと嘆いていたくせに、いざとなるとこうして怒る。

 確かに、芯は歪んでいないのだろう。


「俺だって聞いたことがねぇケースだ、知るわけねぇだろ。調べてみたがそれっぽい逸話もなかったしな。

 だから、ここから先は本当にクノン次第なんだよ」


 再び窓の外を見るゼオンリー。


「結局何が必要なのか、あいつ自身がどういう状態なのか、それを正確に知るのは本人だけだ。

 元々、外野が首を突っ込める問題じゃねぇんだよ」


 語る横顔は真剣そのものだ。


「俺ができることは全部やった。目玉の造り方なんざわかんねぇ、目玉を造る参考(・・)になりそうな魔道具の造り方と理屈を教えることしかできなかった。

 ま、なるようになるだろ。

 本人を差し置いて周囲が深刻になってても意味がねぇからな」


 三人の中、そう言うゼオンリーが一番深刻な顔をしているのだが、本人は気づいていない。





「――イコです」


 その日の夜、侍女イコは報告のために、グリオン家本館に来ていた。

 グリオン家当主たるアーソンの執務室をノックし、許可を得てドアを開けた。


「久しぶりだな」


「そうですね」


 ここ二年……クノンがゼオンリーと師弟関係になってから、イコはアーソンに報告に来ることがめっきり減っていた。


 クノンに大した動きがなかったからだ。


 毎日書類仕事をして、身体を鍛えて魔術の訓練をして。

 週一でやってくるミリカとお茶して、ゼオンリーと魔道具開発をして。


 本当にその繰り返ししかなかった。

 

「――聞こう」


 手許にあった書類を片付けたアーソンが、机越しに佇むイコを見る。


「ゼオンリー様より、魔術学校へ行くよう指示が出ました。クノン様はこれを受け入れ、来年度の魔術学校入学を目指すとのことです」


「決めたのか」


 実は、じりじりしていたアーソンである。


 せっかく魔術師として成功しそうだったクノンが、ゼオンリーの下についてからは、彼の仕事に付きっきりになっていた。

 己のことなど二の次になり、ただひたすら師に尽くしていたように見えた。実際その認識で間違ってはいない。


 よもやこのまま今の生活を続けて魔術学校へ行かないのではないか、と。

 そんな心配をしていたのだ。


 ――それはそれで成功の一つではあるのだが、父親としては、優秀ならば王宮魔術師を目指してほしいと願っていた。


 そんなアーソンにとっては、まさに吉報だった。


「では準備をしないとな。すでに資料は用意してあるんだ」


 じりじりして待っていた間に、アーソンはアーソンで準備だけはしていた。

 いずれクノンに資料を見せてみようとは思っていたが、行くと決めたのであれば話は早い。


 来年の夏までに現地に行く必要があるので、余裕があるのはこれから半年くらいだろうか。


 半年なんて、やることがあるならあっという間だ。

 早めに資料を見せても問題ないだろう。


「旦那様、もう一つ報告が」


「何かね」


 いそいそと引き出しから魔術学校に関する資料を出し、まとめるアーソンに、イコは言った。


「そろそろ目玉を造るそうです」


 アーソンの手が止まる。


「……何? できるのか?」


 クノンが魔術に傾倒していった理由は知っている。


 二年前、王宮魔術師に会わせることで解決しないかと淡い期待を持っていたが、それは無理だったようだ。

 それ以来、あまり考えないようにしてきたが……


「私にはなんとも言えませんが、ゼオンリー様はできるんじゃないかと言っていました。

 それで、クノン様はしばらく目玉造りに専念したいから、私に離れているようにと……ああっ、クノン様が私から離れて大人になっていく……!」


 イコの嘘泣きはともかくだ。


「もう離れても大丈夫か?」


「はいとっくに。今のクノン様なら何の問題もありません」


 ――魔術に没頭する前のクノンを知っている二人は、決してクノンを一人にしてはいけないと判断していた。


 一人にしたら、自ら命を絶つのではないか。

 あの頃のクノンには、そんな危うさがあったから。


「……長く苦労をさせたね、イコ」


「ここ二、三年は毎日楽しかったですよ。ふふ、私も自分の子供が欲しくなりました」


「結婚相手の宛ては?」


「いませんねぇ」


「紹介してもいいかね? 王城の兵士で、引き抜いてうちの門番にしようと思っている男がいる。今後は夫婦でグリオン家を支えてほしい」


「うーん……顔次第とルックスと給料と性格次第?」


 なかなか高望みをする侍女である。





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― 新着の感想 ―
ここまで読むと、性格にここまで影響を及ぼしたイコとの付き合いがあっても、魔術を学ぶまだは絶望していたクノンって状況は親なら感慨深いものがあるよね
[一言] ああ、イコが寝盗られる。 なんかの間違いで主人公のこと好きになってくれんかな。 まあ今の関係値が1番いいのは分かってるけど。
[一言] そうか……ぜオンリーは落とせなかったか。シカタナイネー
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