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231.幕間 老執事は引っ越しを求める





「ただいま帰りました――あら。来たのね、ルージン」


 その日。

 セララフィラが家に帰ると、見覚えのある老執事がテーブルに着いていた。


「お嬢様、お久しぶりです。お変わりなさそうで何よりです」


 セララフィラの持っていた鞄を受け取る老執事。


 立ち上がり、歩みより、受け取る。

 一つの無駄もない動きで、自然で、素早く。


 ルージン・ガヴァント。

 細身で長身で、どこかナイフを思わせる鋭い雰囲気を持つ、クォーツ家に長く仕える使用人である。


「大袈裟ね。別れてからそんなに時間は経っていないじゃない」


 セララフィラは苦笑し、巻いていたマフラーをほどきつつ――ふと思う。


 ルージンが帝国の実家に帰って、また戻ってきた。

 時間はそんなに経っていない。


 しかし、季節はめぐっていた。


 ルージンと別れた時は、マフラーなんて必要なかったのだから。


 ――久しぶりでいいのかもしれない。


 ここのところ時間の経過が早く感じる。

 とても忙しかったからだ。


 だから、あまり時間が経ったとは思っていなかったが。


 時間は流れている。

 セララフィラが体感したより、早く。とても早く。





 ――「こんな狭い家で使用人も何もないでしょう」と。


 セララフィラのそんな言葉で、三人は同じテーブルに着いた。


 クォーツ家の娘セララフィラ。

 唯一傍にいた使用人マイラ。

 そして、戻ってきた老執事ルージン。


 使用人として、セララフィラと同席など考えられないことだが。


 部屋数も少なく広さもないこの住居。

 ここでは確かに、使用人云々の振る舞いなど、却って邪魔だろう。


「いつ着いたの?」


「つい先ほどです。マイラから例の件の詳細を聞いておりました」


「魔建具のことね」


「ええ。旦那様も気にしておりましたよ」


 ――魔建具。


 つい最近、セララフィラが開発した魔道具である。


 これができたおかげで、ルージンは再びディラシックへ戻ってくることができたのだ。


 正確には、収入源になったから。


「お父様の判断を仰ぐことも考えたのだけれど、共同開発だったから。どうしても秘密裏にどうこうはできなかったの」


 魔建具をどうするか、という話である。


 変に契約をしないで全部家に渡すべきではないか。

 クォーツ家の者として、セララフィラはそれを考えたのだが。


 あの魔道具の開発は、自分一人の成果じゃなかった。

 だからそれはできなかった。


 ……というか、相手がセララフィラを共同開発者に(・・・・・・)してくれた(・・・・・)のだ。


 あれ以上を求めるなどできるわけがない。

 厚顔無恥にも程がある。


「ついでに言うわ。ルージン、クノン先輩から権利を買い取ろうとなんてしないでね」


 それをすれば、確かに魔建具の権利はすべてセララフィラのものになる。


「……なぜか理由を聞いても?」


 ――ルージンはそのつもりだった。


 なんならクォーツ家当主からも、それとなく命じられているくらいだ。


 魔建具は、きっとこれから大いに流行する。

 世界中に広まるだろう。


 今完全に権利を握っておけば。


 いずれ、莫大な富となるはずだ。


 ならないにしても、いくらでも使い道は思い浮かぶ。

 秘匿し独占するだけでも利はある。


 ルージンが命じられたということは。

 何がなんでも手に入れろ、という意味だ。


 権利のためなら、強引な手段を取ることも辞さない。

 その覚悟はできている。


 絶対にやりたくはないが。


「ここはね、そういう政治的な動向が似合わない街なのよ。とても似合わないの」


 セララフィラはルージンの葛藤を理解している。


 だからこそ、先に言っておこうと思った。


「皇族や高位貴族が平気でその辺を歩いているし、誰もそれを気にしない。無駄に主張もしない。


 ――だからこそ、もしやったら、目立つわよ。それこそクォーツ家の名に傷がつくくらいに。世界中から非難の目を向けられるくらいに」


「……」


 それはなんとなくルージンもわかる。


 魔術都市ディラシック。

 ここは確かに、貴族や皇族といった権力が使いづらい場所である。使えば悪目立ちしそうだ。


「しかし、旦那様の命令でして……」


 使用人からすれば、拒否権がないのである。


 ルージンだってやりたいわけではない。


 魔建具の権利の半分を握っている、クノン・グリオン。

 彼には恩があるし、借りもあると思っている。


 入学から数えて、かの少年はセララフィラの面倒をよく見てくれた。

 己の不在時もだ。


 そのクノンに、恩を仇で返すような真似をしたいなんて、思わない。


「ならわたくしからお父様に具申しますので、その返答が来るまでは待ってちょうだい」


「わかりました」


 ――ルージンはほっとした。


 セララフィラが止めるのであれば、やる理由はなくなる。


 それと同時に。


 随分しっかりしたことを言うようになったな、と感心した。


 子供の成長は早い。





「――しかしお嬢様」


 しばらく世間話をした後、ルージンは言った。


「このような狭い家では何かと不便でしょう? 確か魔術学校特級クラスは、家賃は学校が負担するシステムでしたな?」


「わたくしは不便はないけれど、マイラがね」


 ここはアパートメントの三階だ。

 よく魔術学校の生徒が利用する住居で、立地条件はともかく、手狭ではある。


 まあ、老いた使用人と子供の二人暮らしなら、特に不便はないが。

 これくらいの規模なら、マイラでも管理できるのだ。


 ただ。


「ここ三階でしょう? 階段の昇り降りが大変みたいでね」


 だから食材などの買い物は、セララフィラがしているくらいだ。


 どうせほぼ毎日学校へ行く。

 ついでに帰りに買ってくるだけだ。


 そして、同じアパートメントに住む学生たち。

 彼らが非常によくしてくれるので、マイラが困ることは滅多にない。


「金銭に余裕があるなら引っ越しをいたしませんか? ……ここだと私の部屋もありませんので」


「あ、またルージンはわたくしに付いてくれるの?」


 ルージンは有能な執事である。


 クォーツ家での信頼も篤い彼である。

 正直、実家にいた方がいいのではないかとセララフィラは思っているのだが。


「もちろんですよ」


 それも命令されていることだが。


 しかし、気持ちとしてはルージンの意思でもある。

 セララフィラが大事なのだ。


「マイラはどう思う? お引っ越ししたい?」


 黙って話を聞いていたマイラは、「お嬢様が決めてください」と答えた。


「使用人に気を遣わなくていいのですよ、お嬢様。

 お嬢様はどうしたいのですか?」


 返す言葉でやってきた問いに、セララフィラは悩む。


「そうねぇ……わたくし自身は本当に不便はないのよね。マイラに何かあればすぐにわかる距離だし」


「ありがとうございます、お嬢様。でも使用人に気を遣わないでください」


「水臭いことを言わないでよ。狭い家で一緒に暮らして、同じテーブルで食事をして。なのにただの使用人みたいな顔をしないで。

 マイラは生まれた時から面倒を見てくれているのよ? わたくしにとってはお祖母さまみたいなものだわ」


「そんな、もったいないお言葉を……」


 マイラは涙ぐむ。


 実家にいた頃から、小さな頃から。

 昔から優しかったセララフィラは、今も健在だ。


 ――そしてルージンは思った。


 その論で言うなら自分も祖父的なものになるのだろうか、と。


 なってもならなくてもいい。


 ただ、使用人も思いやれる高位貴族の娘。

 セララフィラは自分たちが育てた自慢の子だと、誇らしく思うだけだ。









 ――コンコン。


 なんだかしんみりしたその時。


 無粋なノックが、その空気を打ち払った。


「誰か来たわね」


 邪魔者がやってきたようだ。


 ――今じゃなくてもいいだろうが。


 ルージンは内心舌打ちし、使用人として立ち上がろうとして――


「セララー? いるー?」


「リムさん!?」


 ドアの向こうから聞こえた声に、セララフィラは激しく反応した。


 立ち上がって移動していたルージンを追い越し。

 セララフィラはドアを開けた。


 そこにいたのは、一人の少女だ。


「あ、いたいた。こんにちは――あ、はいはい。うん。こんにちは」


 出会い頭にセララフィラに手を握られて、少々戸惑いつつ。


「時間ある? 市場の野菜売り場がタイムセールするんだって。一緒に」


「行きますわ! リムさんとならどこへでも!」


「あ、うん。市場にしか行かないけどね」


「手を繋いで行きましょう? 寒いから寄り添ってくださいね?」


「あ、うん。……じゃあ行こうか――マイラさんちょっと行ってきます。すぐ戻りますので」


 ――パタン。


「……え?」


 しばし呆然としていたルージンは、ドアの閉まった音で我に返った。


 その時には、もうとっくにセララフィラの姿はなかった。


「……マイラ?」


 今のはなんだ。

 誰だ。


 というか……なんだ。


 言葉にならない老執事の質問に、マイラは微笑みながら答えた。


「うふふ。お嬢様にお友達ができたのよ。同じアパートの子なの」


「い、今の少女が?」


「ええ」


「同じアパートに?」


「ええ」


「……そうか」


 ――ルージンは心に決めた。


 一刻も早く引っ越しをしないと、と。


 特に理由はないけど、あの少女とは物理的な距離を取った方がいいと判断したから。


 特に理由はないけど。


 特に理由はないけど、大変なことになる前に、距離を取った方がいいと。





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― 新着の感想 ―
クノンはあくまでポーズだけども セララちゃんはマジもんだし、節操なしだからなぁ。 相手がなびいたら躊躇なく食いそうで怖いわぁw
手を挙げろ!百合警察だ!
[一言] クノンは婚約者に一途だから言動から受ける印象ほど危険じゃないんだよな。こっちは特定の相手がいない分危険度が高い……
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