211.デート 4
「……困りますよね」
案の定考え込んでしまったクノンに、ミリカは苦笑する。
「誰が悪いという話ではないですからね。
クノン君の実績が原因ではありますが、クノン君が間違ったことをしたわけではありませんから。
これだけは絶対です。あなたは間違ってません」
むしろ誉れである。
むしろ魔術学校でちゃんと活動しているという証左である。
婚約者からすれば、社交界で自慢げな顔ができることである。
どうだ、私の婚約者はすごいだろう。
羨ましいだろう、羨ましいと言ってみろ、と。
……まあそこまで露骨に言うことはないが、少しばかり鼻が高くなってもいいだろう。
ただ、問題は。
――実績が過ぎる、ということだ。
ミリカの見立てでは、クノンを味方に付けられた兄姉が王位を継ぐかもしれない。
それくらいのことだと思っている。
何せ、まだ一年半だ。
魔術学校入学から一年半で、歴史に名を残す偉業を成し遂げている。
ならこの先はどうなるのか、という話だ。
クノンはまだ未熟な子供である。
なのにこの実績だ。
将来はどこまでの人になるのか……と。
ずっと一緒だったミリカでさえ、末恐ろしいと思っているのだ。
クノンをよく知らない者が実績だけで考えたら、きっと。
もっともっと得体の知れない人物に思えるはずだ。
「言おうかどうか迷いました。
言ったってクノン君を困らせるだけだと知っていました。
そもそも、お互いがやるべきことをやってきただけの結果です。
だから好いも悪いもないのです。
ただ……言わない方がクノン君は傷つくかな、と思ったから」
――今回、ミリカがクノンに会いに来た理由。
それは、クノンの気持ちを確かめるためだった。
距離が離れれば気持ちも離れる。
会えなくなったら気持ちも変わる。
よくあることだ。
毎日のように会っていても、人の心は変わることがあるのだから。
男女間のことなら、特に。
珍しくもないことだ。
クノンの魔術学校行きで、物理的に距離が離れた。
おいそれと会えない距離に、遠出ができない身分である。
数年は会えないものと覚悟した。
だが、クノンは頻繁に手紙をよこしてくれた。
会えない隙間を埋めるように、紙に綴った気持ちを送ってくれた。
嬉しかった。
だが、毎度のように手紙に女のことが書かれていた。
不安にならないわけがない。
だが、まあ、それはいいのだ。
いや全然よくはないが、この際目をつむるつもりだった。
最悪、ディラシックで恋人ができていても構わなかった。
六股くらいなら許容しようとも思っていた。
隠し子がいてもいい。
最悪三十歳くらいまでの女がいても、砂を吐く想いで飲み込んだだろう。
自分とクノンは、王命で結ばれた婚約者同士。
よほどのことがなければ破棄もできない。
――ただ。
もしクノンが、ミリカのことを忘れているなら。
ミリカのことなどどうでもいいと思っているなら。
心の底から好きな別の女ができていたなら。
その時は。
ミリカは現状を話さないつもりだった。
「クノン君、言っておきたいことがあります」
たとえクノンがアレであっても、ミリカの行動が変わるわけではない。
しかし、だ。
「この先、クノン君が私と結婚する気があるなら、あなたの協力がないと難しいのです」
きっとクノンはこれからも実績を重ねるだろう。
それに比例して、横槍はたくさん入ってくるだろう。
兄姉たちも本気になれば、どんな手段を講じてくるかわからない。
最悪、ミリカがいなくなれば。
そうすれば必然的にクノンの婚約者の座が空く……などと短絡的なことを考えかねない。
今はまだいいが、先はわからない。
いや、先に行くほど危険は増すはず。
――だからミリカは確かめに来た。
クノンの気持ちを。
「つまり、僕が学校をやめればいいんですね?
学校をやめてミリカ様の傍にいて、結婚できる年齢まで二人無事にいればいいんですね?」
即座の答えが、嬉しくてたまらなかった。
今ミリカは、クノンに、魔術より大切にされている。
ちょっとだけ頷きたい気持ちはあるが――ミリカは首を横に振った。
「いいえ。クノン君はこれまで通り、将来のために魔術の勉強をしてください。
開拓はクノン君の役割です。
将来あなたのものになる領地ですからね。
私は将来の妻として、今はあなたの代わりをしているだけ。
お互いやるべきことをしましょう。
その上で、もう少しだけ連携を取れたらいいなと思っています。……まあ私がクノン君を助けられることはきっとないですけど」
――再会したクノンは、別れた時と同じだった。
ほとんど変わっていなかった。
少しばかりミリカの知らない女の名が頻発するくらいで、それ以外はまるで変わっていない。
だから話した。
クノンはあの頃と同じように、ミリカのことが好きだと信じられたから。
その気持ちがあるなら。
きっとこの先、妨害や横槍が入っても、大丈夫だろう。
きっと。
その後、長い間相談をした。
これからどうするか。
どのように連携を取っていくか。
クノンが真剣であれば真剣であるほど、ミリカの胸は熱くなった。
そんなにも自分と結婚したいのか、と。
そして、この時ばかりはさすがに、ほかの女の名が出ないことも非常に嬉しかった。
ディラシックに到着してから、軽くクノンの身辺調査は行った。
何もなかった。
浮気もなかった。
恋人も愛人もいなかった。
隠し子も発覚しなかった。
それがわかっているとしても、気持ちのいいものではないから。
ほかの女の名など聞きたくもない。
まだ状況が見えないこと多いので、具体的な話はできなかったが。
折を見て、クノンは開拓地を見に行く、という話に落ち着いた。
決まったのはそれくらいだろうか。
――さて。
「ずいぶん遅くなってしまいましたね」
辺りはもう暗い。
夕陽はとっくに沈み、点在する街灯がラバカの小道を照らしている。
夜の帳が下りて、紅葉に差すおぼろげな街灯の光。
闇が滲む紅葉。
その光景は幻想的で、少し怖いくらいだ。
もっと言うと、カップルのイチャイチャが少々激しくなるくらい幻想的である。
自分たちもカップルだが。
思いのほか艶っぽい話にならなかったな――とミリカは思った。
全体を見れば、どうすれば結婚できるかって話なのだが。
それなりにときめきそうな話だったはずなのだが。
具体的な案を話し合っていたせいか、難しい課題の相談をしていた感があった。
「え? もう夜ですか?」
「ええ。そろそろ帰りましょうか」
――視界の端に侍女ローラがチラチラ入ってくるので、そろそろ時間らしい。
侍女に声を掛けられて連れ戻される。
そんなの興覚めもいいところだ。
帰りは恋人のように連れ添って帰るに決まっているのだから。
今は誰であろうと邪魔者だ。
「もう夜ですか……まだ行きたいところもあったんですけど」
と、クノンは立ち上がる。
さりげなく出してきた手を取り、ミリカも立ち上がる。
「どこへ? 時間が掛からないなら、少しくらいは寄れるかもしれませんよ」
「ほんとに?」
クノンの表情が輝いた。
「聖女の家です。秋鐘花が見頃だから見に来いって――いたたたたたっ」
「あ、ごめんなさい。ちょっと思わず力が入ってしまって」
ギリギリと。
取った手を握り締めてしまった。
――このタイミングでほかの女の、よりによって因縁深き聖女の名など、聞きたくなかった。





