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195.幕間 ビジター・クォーツ






「――聞くに堪えんな」


「――申し訳ありません」


 帝国の空気は硬い。

 上位貴族の屋敷ともなれば、猶の事。


 アーシオン帝国において大きな領地を構えるクォーツ公爵家。

 その執務室には、二人の男がいた。


 一人は、つい先ほど魔術都市ディラシックより帰ってきたばかりの老執事。

 そしてもう一人は、クォーツ家の当主。 


 ただでさえ堅苦しい空気の漂うこの国、この屋敷であるが。


 今は堅苦しいに加えて、この上なく空気が重い。


「ルージン、おまえらしくもない失態じゃないか」


 クォーツ家当主ビジター・クォーツ。


 老いの渋みが増してきた五十過ぎ。

 恰好から態度から一部の隙もなく、そのせいか冷徹さを感じさせる男である。


 老執事を見つめる彼の目は、どこまでも冷たい。


「はっ。面目次第もありません」


 まだ旅装さえ解いていない老執事ルージンは、低頭するばかりだ。


 ――たった今。


 ルージンは主に向けて、ディラシックでの出来事を報告したところだ。


 先日まで、ルージンはクォーツ家の娘セララフィラに付き添い、魔術都市ディラシックにいた。


 無事、セララフィラは魔術学校に入学して。

 それも学部としては最高の特級クラスに所属が決まって。


 そこまでは、ルージンは手紙で報告していた。

 まるで我が娘か孫のことかのように、気持ちだけは自慢げに手紙に書いた。


 確かに、そこまでは、この上ないほど良い結果だった。

 可愛い娘か孫のように思っているセララフィラが世間に認められて、悪い気がするわけがない。


 そう、そこまでは良かったのだ。

 それからの一ヶ月が、ルージンにとっては生涯の汚点レベルでひどかっただけで。


 細かいものもあるが、やはり最大の問題は。


 二週間もの間、セララフィラの行方を見失ったことだ。


 どんな理由があれ、あれは護衛としてありえない。

 ビジターが「失態」と言うのも無理はない。


 その辺のことも、事前に手紙にて報告しようかとも思ったが――


「まあおまえの罰は後でいい。なぜ帰ってきた?」


 ――顔には出ていないが、ビジターは怪訝な心境である。


 護衛も兼ねているこの老執事が、使用人どもと帰ってきた。

 護衛対象を置いて。


 そう聞いて、何よりも驚きが勝っていた。

 失望や怒りといったものより先に、ただただ驚いたのだ。


 ただの判断ミスと断じるには、失態が過ぎる。

 長年クォーツ家に仕えてきた優秀な執事とは思えない愚行だ。


 ならば、相応の理由があるに違いない――と、考えている。

 

 この老執事には信を置いている。

 取り返せない失敗だったりしないことを、内心願っている。


 顔には出さないが。


「傍に居られない事情ができたからです」


 ルージンは、特級クラスのルールを話した。


「そういえば、おまえからの手紙に書いてあったが……あれは本当なのか?」


 ――曰く、特級クラスの生徒は自力で生活費を稼がねばならない。


 一応そのことも手紙には書いてあった。


 だが、ビジターは如何せん上位貴族だ。

 何事も特例で生きてきたような人間である。


 そんなルール、金か権力でいかようにもなると思っていた。


 ―-実際、ルージンもそれができないかと少々探ったりもしたのだが……


「ディラシックは特殊すぎます。そこら辺を普通に王族や上位貴族が歩いていて、普通に庶民と言葉を交わし、そこに身分差はまるでない。

 王族も貴族もない地、とはよく言ったものです。まさにその通りでした。


 他の国の王侯貴族が魔術学校のやり方に従う以上、我らが家だけ特別扱いは……」


 どうにかできるかもしれない。

 こっそり仕送りをするのも、できるかもしれない。


 だが、ばれた時が危うい。

 絶対に体面が悪い。


 国内のことであればどうとでもなりそうだが、他国の者にまで知られると。

 それは確実にクォーツ家の瑕疵になる。


「護衛の影は残してあります。私は少々目立ちすぎましたので、残るのは難しいと判断しました」


 忌まわしい記憶を思い出しながら、ルージンは語る。


 ――セララフィラを探して街中走り回ったあの時の記憶は、忘れたくても忘れられない苦い思い出だ。


「では、セララがおまえやほかの使用人の給金が払えないから帰ってきた、と?」


「その通りです。

 内容も内容ですので、私が直接旦那様に報告した方がよいと思いまして。


 あの地ではクォーツ家の力は通用しません。

 それを告げるために戻ってまいりました。


 これからセララフィラお嬢様は、一人の魔術学校の生徒として、あの地で過ごすことになります。あの方もそれを受け入れております。

 ですから、今後この家からお嬢様のためにできることは、あまりないと思われます」


「……そうか」


 ビジターは納得した。


 娘に付けた使用人たちの給料をざっと計算して。

 それは払えんな、と。


 一ヶ月に三百万近くは掛かることになる。

 クォーツ家の娘であることを除けば、セララフィラはただの十二歳の子供。土魔術師の卵でしかない。


 どう頑張っても稼げない額である。


「セララは納得しているのか? 今はどうしている? 一人なのか?」


 ルージンは「納得しております」と答えつつ、彼女から預かってきた手紙を差し出す。


「旦那様に渡してほしいと、預かってきました。

 現在お嬢様は、学生用アパートメントの一室にて生活を。マイラだけ残り、身の回りの世話をしております」


「マイラが一緒か。ならばしばらくは大丈夫だな」


 老執事同様、使用人マイラも長い付き合いだ。

 ただの使用人としても、セララフィラの教育係としても、彼女は優秀である。信頼できる人物だ。


 ――だが、色々と気になることはある。


 今後セララフィラはどうやって金を稼ぐのか。

 月に三百万とは言わないが、せめて百万はないと使用人を入れられないだろう。


 マイラはもう高齢だ。

 使用人の仕事を全部一人でこなすのは、少々つらいだろう。


 それにセララフィラの気持ちも気になる。


 これまで広い家に広い庭、使用人は多数、厳しくも優しい大好きな父親もいて、何一つ困らない。

 そんな生活から一転して、ディラシックへ移住。


 更には、狭いアパートメントに詰められて、自ら明日の食費を稼ぐ必要に迫られている。


 そんな生活に耐えられるのか?

 ルージンは「納得している」と言ったが、果たして本当なのか? 


「わかった。詳しくは後日聞く。おまえはもう休め」


「はっ」


 数日掛けて移動してきたのだ、疲れていないわけがない。

 気遣うセリフこそないが、ビジターはルージンをさっさと下がらせた。


 もう必要なことは聞いたから、と。


 決して娘からの手紙をすぐ開けたい、すぐ読みたいと思ったからではない。









親愛なるお父様へ 


 秋にひそむ物悲しさは、夏の陽気を連れ去ってしまったのです。

 季節の移り変わりを確かに感じられる今日この頃、いかがお過ごしですか?


 お父様のことだから、きっとルージンより報告を聞いた後に、一人になってからこの手紙を読んでいるかと思います。

 それを前提に書きますね。


 だってお父様、顔に似合わず過保護だし、言葉にしないだけで割と甘いのだもの。


 だからルージンには、報告の後に手紙を渡すよう頼んでおきました。

 私から手紙を受け取ったら、きっとすぐ中を検めたいと、人払いをしたはずです。


 当たっていますか?



 お話に聞いた通り、現在私は、魔術学校の洗礼とも言うべき環境の変化の只中にいます。

 

 その中で最も大きな問題は、生活費を稼ぐこと。

 魔術学校の先輩方に聞いたところによると、特級クラスとは、それができないとやっていけないそうです。


 つまり、それができないなら特級クラスにいる資格がない、ということになるそうです。


 私は今、必死で残留を目指して努力をしています。

 悔しいことに、私にはまだ、特級クラスに相応しい実力がないのです。


 ここでは貴族も庶民も関係ない。

 ここでは誰もクォーツ家の娘として扱わない。

 ここではどこまでも実力が問われます。


 とてもやり甲斐を感じます。

 魔術とは、本当はこんなにも深いものだったのですね。


 私はクォーツ家の娘として、恥じない魔術師となって見せます。


 ああ、早く先輩方に追いつきたい。


 美しく凛々しい派閥のリーダーに、麗しきお姉さま。早くあの方々と一緒に胸が熱くなるような魔術の実験をしてみたい。そうそう、ラディアお姉さまにも会いましたよ。相変わらず豪奢な巻き毛でした。同じアパートメントに住んでいるリムさんも可愛いし、素敵なお姉さま方ばかりで目移りしてしまいます。

 あ、ジオ様にも会いました。イルヒさんも元気そうで安心しました。



 少々長くなってしまいました。

 あまり自覚はないのですが、私にも郷愁の念があるのかもしれません。


 またお手紙を書きます。

 夜は冷え込みますので、どうかお身体にお気をつけて。


  あなたを愛するあなたの娘セララフィラより




追伸

 ジオ様の伝手で、一つ年上の素敵な紳士の先輩が、熱心に私の面倒を見てくれるそうです。

 どうか安心してくださいね。









「……ルージン! 誰かルージンを呼べ!」


 ビジターは叫んだ。

 何度も手紙に目を通した後に、声の限り叫んだ。


 今すぐ詳細を、事細かな娘の状況を知らねば、何も手につきそうにない。




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― 新着の感想 ―
文面まで似て来てるw
いつもいらん言葉を並べ立てるエセ紳士淑女は 大事なところで言葉が足らんw
追伸 そのたった二文字が悪気なく引き起こす嵐の凄まじさ 好きな作品である
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