176.クラヴィス先生は女性?
「――ありがとう。ちょっと油断していたよ」
「水球」に閉じ込められ、宙に浮く花。
クラヴィスは特に動じた様子もなく、その「水球」の上に光る膜をかぶせた。
「…っ!?」
クノンは驚いた。
今、花が放った閃光にクノン以外が驚いたが。
今度はクノンだけが驚いた。
まさか。
嘘だろう。
どういうことだ。
そんな疑問が頭の中をぐるぐる回る。
だが、決して口に出すことはなかった。
そう。
ありえないのだ。
絶対に。
――クラヴィスが今使っている光の膜が、聖女の「結界」であるわけがない。
どんなにそっくりでも。
どんなに似ているように感じても。
「結界」は聖女固有の魔術。
光属性の女性であり、しかも聖女でないと使えない魔術だ。
たとえ同じ光属性でも、男のクラヴィスが使用できるはずがない。
まさかクラヴィスが女性ということはないだろう。
しかも聖女である、というわけもないだろう。
一瞬疑ったが、さすがにそれはない。
彼はかなりの美形だが、それでも女性らしさはないから。
では、なんなんだ。
この「結界」にしか思えない魔術は、なんなんだ。
聖女とは同期であり商売上も付き合いがある。
それだけに、「結界」は毎日のように見て、感じてきた魔術だ。
遜色がない、というか。
違いがわからない。
それくらい酷似している。
「やられた。まだ目の奥が眩しい」
「光ることは知っていたのに、対策を忘れていましたね」
サーフとルルォメットの視界が戻ってきたようだ。
「……見たことあるような、ないような」
まだ目がチカチカしているが、それでもすでに花の観察を再開しているキーブン。
そして――
「随分早く終わったね。遅めのランチになら間に合いそうだ」
何事もなかったように佇むクラヴィス。
彼の反応の薄さは、目くらましを回避していたとしか思えないくらいだ。
きっとクノンが動かなくても、クラヴィスが押さえていただろう。
「これが神花ですか?」
「このホタルのような小さな光は……」
サーフとルルォメットも観察に入った。
しかし今のクノンは、どうしても、その外枠の方が気になってしまう。
「……クラヴィス先生、あの、」
「帰ろうか、クノン。私たちを運んでくれ」
誤魔化すように。
あるいは、話す気はないと突き放すように。
おずおずと声を掛けたクノンに、クラヴィスは追及を許さなかった。
――なんとなく、クノンは納得した。
教える気はないが見せてやる。
せいぜい頑張って、これが何なのか解明してみろ。
そう言われたような気がした。
これは言わば、教師クラヴィスが生徒に出した課題なのだ。
いつか答えがわかった時。
その時こそ、ちゃんと聞いてみよう。
「これが神花か……」
ダンジョンの入り口近くまで戻ってきた。
具体的には、地下二階まで。
ここからはガラクタが散乱するので、徒歩での移動となる。
氷を敷いて滑れないから。
少し休憩を入れることになり。
ようやくクノンは、問題の花をじっくり見ることができた。
「水球」はもう解除してあるので、花は「結界」らしき光膜に包まれ、中央に浮かんでいる。
淡く朱を帯びた白い花だ。
ピンクと言うには白いし、白と言うにはかすかに赤みがかっている。
特に大きくもないし、何より元気がなさそうだ。
花弁はお辞儀し、葉も俯いている。
もしどこかに植わっていたとしても、目を引かず素通りしてしまうかもしれない。
特別な力も感じない。
本当に神花なのだろうかと思ってしまう。
それと、その近くを漂う小さな光。
大きさは指先の半分くらいだろうか。
クラヴィスが言うには、それは光の精霊らしい。
そう聞くと俄然興味が湧くが……こうして観察する限りでは、ただの小さな光にしか見えない。
これもまた、特に何も感じない存在だった。
まあ、要するに。
拍子抜けするほど普通の花、という感じである。
「力を使い果たしているからね。花も精霊も。まだどちらも生まれたての子供なんだよ」
クラヴィスはそう言うが。
神花も精霊もよく知らないだけに、何とも返答しづらい。
「クラヴィス先生、この花はどうするおつもりですか? もしまだ決まっていないなら、ぜひ俺に預けてほしいのですが」
キーブンは神花の観察を続けたいようだが、クラヴィスは首を横に振った。
「神花は普通の植物じゃないから、君には面倒を見切れないと思う。君に預けてもまた精霊と意思疎通して逃げ出すだろうね」
今回のように、またどこかへ移動するかもしれない、と。
「では、聖女レイエスに預けるとか? もしくは森に返す?」
「今代聖女は神花のことをよく知らないようだし、森に返しても同じことが繰り返されるだけだろうね。
この花は生まれたばかりで、まだ人に慣れていない。人に慣れるまでは私が面倒を見ようと思っているよ」
人に慣れる花。
まるで犬猫のようだ。
クラヴィスはだいぶおかしなことを言っている。
しかし、事実なのだろう。
現に神花はここまで逃げてきているのだから。
「どんな風に慣れさせるんですか? 僕も知りたいです」
クノンは言った。
ダメで元々、という気持ちで。
「光属性にしかできない方法だから、知っても仕方ないよ」
「でも神花の情報って全部貴重でしょう? 人に慣らす方法なんて早々知る機会もないでしょう? 後学のためにも知りたいなぁ」
「ふむ」
クラヴィスは腕を組んだ。
「――まだ早い。……と言えば、君にはわかるかな?」
やはりか、とクノンは思った。
ダメで元々だったので、断られるのはわかっていた。
今神花を包んでいる「結界」らしき魔術と同じだ、と。
そう言いたいのだろう。
時期尚早。
学ぶには下地が足りない。
だから、もっと魔術を学び、もっと魔術を磨け、と。
「……ちなみにクラヴィス先生って女性じゃないですよね?」
「は?」
始終穏やかで余裕だったクラヴィスだったが、この質問にはさすがに感情が乱れた。
周囲の男たちも乱れた。
こいつ何言っているんだ、何言い出した、と。
「だって……ねぇ?」
こうして「結界」使ってるし、と。
言うと周りが騒ぎそうなのでぼかすが、クラヴィスにはこれで伝わるだろう。
「私は男だよ。ついてるけど確認する?」
「あーいいですいいです! 僕の素敵な女性センサーにも引っかからないから絶対違うと思ってました! 僕は素敵な女性は一発でわかるんです! 訓練したから!」
太腿が眩しいあのカシスを、一目で男性だと見抜いたクノンである。まあ見えないが。
その辺の判断力には自信がある。
訓練もしたから。
しかし。
ただ、そう。
そうだとすれば辻褄が合って答えが導き出せる、というだけの話だ。
クラヴィスは男である。
聖女じゃないのに「結界」を、あるいはそれに酷似した魔術を使える。
それはなぜか。
「――まあ、頑張って考えなさい」
突拍子もないことを言い出したと思えば、今度は思案に耽る。
そんなクノンを、クラヴィスは面白そうに眺めていた。





