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151.脱兎の如く





「あれは危険な人ですわ」


 ジオエリオンからの質問に、セララフィラはそう答えた。


 ――クノンとは会えたか?


 ジオエリオンとの夕食のテーブル。

 あえて寮住まいをはずし近所に家を借りたセララフィラは、今日は彼の従兄の家に来ていた。


 彼に勧められ、彼の友人であるクノン・グリオンに会いに行った。

 その報告をするためにやってきたのだ。


 クノンとは無事会えた。

 会うことはできた。

 短時間だが、ちゃんと向き合って話もできた。


 だが、あれは……。


「あの方、わたくしを魔術色に染めてやると言って、無理やり……」


 あの目を思い出すだけで背筋が寒くなる。


 いや、目は出していなかったが。

 だが彼の強い意識と視線が向いていることは、確実に伝わってきた。


「無理やり?」


「あの手この手の興味深い話を始めたのです。

 わたくしはやめて、もう聞きたくないと懇願したのに。一切やめないで。自分勝手に欲望のままに我儘に。

 まるでケダモノですわね、あれは」


 吐き捨てるようにケダモノと言ったところで、同席しているイルヒ・ボーライルが吹き出した。


「わかる気がするであります。あの人は魔術の話になるとそんな感じであります」


 その言葉から「私としては」と継いだのは、同じくガスイース・ガダンサースである。


「セララ様が走って逃げたという部分が面白かった」


 ――そう、セララフィラは逃げた。


 立ち上がり。

 カーテシーをし。

 スカートの裾を持ったまま。


 脱兎と化して、クノンの教室から逃げ出した。

 全速力で走って逃げた。


 優雅に礼をした後、スカートを少したくし上げて。

 本気で走る淑女然とした子供。


 もはや淑女としても礼儀としてもギリギリである。


「笑い事ではありませんわ。

 わたくし、あんなに本気で走ったのは久しぶりですわよ?

 あんなに語り出すなんて……逃げないと危なかったわ。染まってしまうところだった……」


 染まってしまうところだった。

 その言葉が出る時点で、すでに染まっている気がするのだが。


 ――さすがはクノンだな、とジオエリオンは思った。


 こんなにも早く。

 というか一度会っただけで。


 冷静で大人ぶった従妹の心を、ここまで乱してみせた。


「別に染まっても良いんじゃないか? 君が入学したのは魔術学校だぞ」


 魔術に染まることに、何の問題があるのか。

 せっかくの機会なのだから、本気で学べばいいだろうに。


「段階があるわ、ジオお兄様」


「段階?」


「いずれそうなることは、なんとなくわかっているの。

 きっとわたくしが知らない土魔術が存在するのでしょう。そしてわたくしはそれに興味を抱くとも思います」


 というか、すでに……

 クノンが語ったあれらに、すでに興味が――


 いや、しかしだ。


「でも、入学早々は早すぎます。


 わたくしはそこまで簡単な女ではありませんの。クォーツ家の女として、ちょろい女だなんて思われたくないわ」


 ――ジオエリオンにはよくわからない理屈だった。


 早い方が時間の無駄もなくていいだろう、としか思わないのだが。


 しかし、イルヒが「乙女心でありますなぁ」と言っている。

 そういうものなのかもしれない。


 ……いや、どうだろう。


 イルヒも大概変わり者なので、彼女の語る乙女心が正しいのかどうか。


「クノンは何の話をしたんだ?」


「それが聞いてくださいよお兄様。あの方はまず――」


 と、セララフィラは話し出した。


 とても楽しそうに。

 やはりもう染まっているとしか思えなかった。









「――すごかった……」


 クノンは呆然としていた。


 今、セララフィラが逃げ出した。

 見事なまでの逃げ足だった。


 急に立ち上がったと思ったら一礼して、走って出ていった。

 女性の全力疾走なんて初めて見た。見えないが。


「ふむ……」


 クノンは考える。


 ついさっきまで体面にいたセララフィラは、もういない。

 逃げられた。


 つまり――そう。


「次は逃げられないようにしないといけないわけか」


 さてどうしよう。


 クノンとしては、土魔術の魅力を語っていただけに過ぎない。

 なんだか彼女がちょっとぐずっていたが、構わず語り続けただけに過ぎない。


 土魔術は、文字通り土に関する魔術だ。

 だが一言で土と言っても、その幅は非常に広い。


 簡単に言えば、鉱石も当てはまるのだ。

 熟練の土魔術師は、土だけではなく鉱石――金属をも扱う。

 

 クノンにはとても馴染みのある属性である。


 魔技師ゼオンリーを師に持つクノンだけに、長年身近で見てきたものだ。

 もし自分が水属性じゃなければ、土属性がいいと思うくらいだ。


「魔術を入れる箱」を開発していた時もだ。


「実力」代表ベイル、「調和」のエルヴァ、「合理」のラディオ。

 そんな土属性の実力者の腕も確と見た。


 だからこそ、語れることはたくさんある。

 もし自分が土属性ならと想定して、試したいこともたくさんある。


 それは叶わない。

 だからこそ、語れることもあるのだ。

 

 そんな情熱溢れる紳士の語りを、セララフィラは受け止めず、逃げた。

 次は逃がさない。


「……結局あれだよなぁ」


 クノンが叶わない夢物語を語るより。

 本職が現実的な夢を語った方が、よっぽど効果的なはずだ。


「――よし、エルヴァ嬢に相談してみよう」


 彼女ならきっと。

 セララフィラと同じ女性として、女性目線で土魔術の魅力を語れるだろう。


 たぶん丸一日以上は。

 余裕で。




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― 新着の感想 ―
[一言] ツッコミ不在の恐怖よ(いいぞもっとやれ
[一言] 土属性で家名がクォーツでスタンドが水晶の塊ってことはホムンクルスの分野があるならケイ素生物作れるんじゃない?
[一言] 時既に遅し。
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