142.仕分けた。そして再び地獄へ。
「――魔術で仕分けるのか?」
三回ほどビリッとやられたが。
ようやくシロトは、クノンの主張を聞いてくれた。
「理論上はできるはずです」
かすかに煙を漂わせるクノンには、勝算があった。
「しかし今更じゃないか? あと二日もあれば終わると思うが」
「それはいいじゃないですか! いくら厳しさと優しさを持ち合わせた素敵なレディでも言っていいことと悪いことがありますよ!」
「そ、そうか……」
クノンは一刻も早く、この囚役を終えることしか考えてこなかった。
それを否定するなんてとんでもない!
残りの作業量なんて見ない。知らない。
なんなら半日早くなるだけでも飛び付く心境だ。
「まあまあシロト。ここは一つ――いてぇななんでだよ!?」
揉めている、というほどでもないが。
仲裁に入ったベイルが、反射的にビリッとやられた。
「あ、すまん」
シロトは謝った。
どうも彼女は、仕事をしていない者を見たら即座にビリッとやるのが習慣になってしまったようだ。
無駄話もそれに含まれるから、単純に声に反応したのだろう。
救いは、衝撃は大きいが痛みはそれほどでもないことか。
ちゃんと雷の力は抑えているのだ。
まあ、だからこそ連発されていると思うと、なんとも言えない気持ちになるが。
「だがおまえは仕分けを続けろ。クノンの話は私が聞く」
「……」
シロトの監視はゆるまない。
ベイルは寂しそうに作業に戻っていった。
クノンはかわいそうだな、と思った。
でも今は構っていられない。
「……それで? なんだって?」
「仕分けの方法を思いついたので、試してみたいんです」
「しかしおまえの魔術は水だろう。水で仕分けるのか? 相手は紙だぞ? それとも水以外か?」
「あ、僕の水は浸透力も調整できますから」
粘度を調整すれば、クノンの水は紙に染み込まない。
それに、物質に染み込んだ水分を抜くのも簡単だ。
少しばかりしめり気は残るが。
乾いたインクが相手なら問題ないだろう。
「そんなことができるのか。本当に器用だな」
シロトは思案気に腕を組み、言った。
「よし、やってみろ」
シロトの号令に従い、一旦全員が教室を出た。
仮初の自由だった。
彼女がやってきてから、秩序と規則が生まれた。
具体的に言うと、朝やってきてから夕方までは、基本的に教室から出ることはできなかった。
食事もここで済ませるし、トイレ休憩も決まった休憩時間にだけ行くことを許されていた。
もちろん脱走など許されなかった。
夜こそ帰れるが、だからなんだという話だ。
明日も、明後日も、仕分けが済むまで。
大好きな魔術学校で、大嫌いな片付けをするという地獄が続くのだ。
クノンだけではなく。
ここに集う生徒のほとんどがそう思っていた。特に脱走癖のある二人は強く思っていた。
今は仮初の自由だ。
シャバの空気のなんと澄んでいることか。
自由の風のなんと心地よいことか。
あの教室には、淀みと諦念と雷しかない。
だが、仮初ではなくなるかもしれない。
それがクノンがこれから試すことである。
――否が応でも、周囲の期待は高まっている。
「じゃあやりますね。……あ、先に言っておきますが、大丈夫だから止めないでくださいね」
クノンの忠告の意味はわからなかったが、誰も何も言わなかった。
いいからやれ、と。
無言の圧が掛かるばかりだ。
「では、いきます」
クノンは廊下側から、ドアの空いた教室に向かって手を向ける。
と――一瞬で教室に水が満ちた。
丁度腰くらいの高さだろうか。
魔力操作で生み出した張力で、ドアからこぼれることはないが。
まごうことなく、教室の床は水で満ちた。
「……びっちょびちょ……」
誰かが呟いた。
忠告の意味はわかったが。
わかったところで、なかなか心臓に悪い光景だった。
何しろ、ここにある書類の一枚一枚が大切なものなのだ。
必死になって書いた、誰かにとっての努力の結晶なのだ。
状況的に、足の踏み場もなかったので踏み荒らすことにはなってしまったが。
それでも手荒に扱えるものではなかった。
それが今、すべて、水の底に沈んだところだ。
「――揺らします」
水が揺れた。
沈んでいる書類が、水の動きに併せて揺れ動く。
すると。
数枚の紙が、水上に浮かび上がってきた。
たまたま水流に乗っただけのものかと思ったが――
「はい、どうぞ」
その数枚は水上から漂うようにして流れてきて、ドアまで来て、クノンに回収されて。
一人の男子生徒に差し出された。
「え? ……あっ! 全部俺の!?」
水で触り。
紙面にある文字の形をなぞり。
該当する書類だけをピックアップした。
理屈だけで言えば、魔力視でもできるはずだ。
だがしかし、これだけの枚数と規模を魔力だけで探るには、操作が難しすぎる。
だからこその水の補助だ。
水に「特定の形を探る」という効果を付与すれば、この通りである。
「探す文字」を指定してしまえば、あとは水が勝手にやってくれる。
まあ、制御は必要だが。
これを失えば、本当に浸水してしまうから。
「数枚だけか?」
シロトが問うと、彼は「俺のレポートはそもそも少ないから。これで全部かも」と答えた。
どうやら彼のレポートは、ここまでの囚役でだいたい仕分けが済んでいたようだ。
「紙は……うん、少ししめっている程度だな。傷むような魔術ではなさそうだ。
よく思いついたな、クノン。
残りはこれを使って一気に仕分けてしまおうか」
わっと囚人たちは湧いた。
シロトが認めたなら、この方法は採用だ。
――ただ、喜びながらもクノンは一つだけ懸念があった。
「……字が綺麗すぎると仕分けられないんだよなぁ……」
字はいつも同じではない。
少し歪んだり、大きさが違ったり、斜めになったり点が少し離れたり。
書いた人が同じであっても、同じ形の文字にはならない。
それは癖字であってもだ。
今回は、癖のある一文字だけを認識した。
その際、ある程度の差異は認めるよう、幅を持たせて指定した。
少し歪んでいたり大きさが違ったりしても、「指定の形」と認識するために。
ここで問題となるのが、やはり、字の癖だ。
要は、癖がなさすぎる文字だと区別がつけられないのだ。
綺麗なら、あるいは似ていたら。
このやり方では仕分けすることができない。
「問題ないだろ」
と、そんな懸念を説明すると、ベイルが断言した。
「それでも大まかな仕分けはできるし、一文字じゃなくて特定の言葉で分けることもできるだろ?
それこそ内容で仕分ければいい。
俺たちなら一号だの二号だのって文字だな。その辺はほかの生徒のレポートでは使ってなかったはずだ」
クノンは衝撃を受けた。
「あなたは天才か」
「それはどっちかって言うとおまえだ」
残り二日で終わる作業量しか残っていなかったものの。
それでも、ここからの仕分けは劇的な速度で進行し。
その日の内に、書類の海は綺麗に片付いたのだった。
そして――
「――お、終わったみたいだな。じゃあ次は私物の仕分けか。大変だな」
ちょうど作業が終わった頃。
様子を見に来た教師サーフに、再び地獄に突き落とされた。
「ついでだ。私も付き合おう」
シロト看守の続投も決まった。
囚人たちの監獄生活は、もう少しだけ続く。





