125.人形姫の帰郷
2022/3/23修正しました。
「――ご苦労様でした。しばしの休暇を楽しんでください」
レイエスはそう言って、迎えの神官とともに大神殿へと歩いていく。
そんな彼女の後ろ姿を見送るのは、侍女兼護衛のフィレアとジルニである。
「……ふう。肩の荷が下りたね」
「そうですね」
レイエスの背中が見えなくなると。
ジルニは肩から力を抜き、フィレアも小さく息を吐いた。
感情の薄い聖女は、自主性に乏しい。
だから言いつけはよく守るし、余計なことはしないし、予定にない場所へは行かない。
世話をするのに、これほどやりやすい相手はいない。
だが、楽ではあるが気を遣わないわけではない。
護衛である以上、レイエスの動向より、外敵への対処が求められるから。
警戒しないわけにはいかない。
給料はすこぶるいいが、気を遣う仕事なのである。
――ここは聖教国セントランス。
帰郷の旅は短かった。
風の魔術師であるフィレアの飛行で、三人はほんの数日でここまでやってきたのだ。
そして、ようやくレイエスを大神殿に帰したところである。
これからレイエスは大神殿で過ごす。
その間、護衛も世話も神官が行うので、フィレアとジルニは休暇となる。
まあ、手離しで仕事がなくなるわけではないが。
魔術都市で過ごすレイエスの報告義務もあるので、いずれお偉いさんに呼ばれるだろう。
もちろん魔術学校へ帰る時は、また同行することになる。
だから、この神都から離れることはできない。
だが、それでも休暇は休暇だ。
少々制限は付いているが、久々の長期休暇なのである。
今夜からしばらくジルニは浴びるように酒を呑むつもりだし、フィレアもいくつか自分の用事を済ませるつもりだ。
「じゃあ私行くね。なんかあったら連絡して」
「わかりました」
肩の荷を下ろしたジルニは、いそいそと神都の雑踏に消えていった。
「……」
フィレアはそれを見送り、彼女とは違う方向へと歩き出した。
――実はフィレアも聖教国の神官である。
ジルニには秘密にしている。
レイエスは知っているが、気にしないように言ってある。
いわゆるお目付け役である。
さすがに、聖教国に関係ない者だけが聖女の傍にいる、というのはまずい。
そして仕事を始めた当時、ジルニが信用に足るかどうかもわからなかった。
優秀な冒険者として、冒険者ギルドを通じて雇ったが。
それでも、どんな裏があるかはわからない。
今では信を置いているが――まあ、それはさておき。
「エズエ司教はいますか?」
彼女が足を向けたのは、大神殿の近くにある孤児院だった。
ここは、聖教国各地にある孤児院の中から優秀な子だけを集めたエリート養成所だ。
要するに、将来の高位神官たちを育てる施設である。
表向きは普通の孤児院だ。
語学や数学などの教育をしているが、それ以外の差はない。
「――はい。少々お待ちください」
通りかかったシスターに問い合わせを頼み、フィレアは待つ。
まだ報告義務には早いが。
しかし、まず伝えるべきことが一つある。
――レイエスの成長についてだ。
これに関してだけは、すぐにでも話しておかねばならない。
「――あ、人形姫が帰ってきたのね」
と、歩くレイエスの耳に誰かの声が届いた。
人形姫。
幼少から大神殿で過ごすレイエスは、使用人や神官にそう呼ばれることがあった。
感情のない操り人形。
言われたことしかやらない操り人形。
他者への気遣いができないただの人形。
そんな意味を持つ、決して褒められたものじゃないあだ名だ。
しかし。
それこそ本当に感情が乏しいレイエスには、そう言われたって何を思うこともなかった。
だから不快に思うこともないし、特段やめるよう言ったこともない。
まあ、それに関しては今も変わらないが。
そう呼ばれたってどうでもいい。
「どうぞ」
久しぶりの聖女の姿に少々注目を集めたが。
呼び止められることもなく、レイエスの部屋に到着した。
荷物を持って前を歩いていた若い女の神官が、ドアを開けてレイエスを促す。
「……」
――魔術学校へ旅立った時とまるで変わらない、質素な部屋だ。
いや。
少し小さく、狭く感じる。
机と、ベッドと、誕生日ごとに教皇や大司教から貰った飾り物が置かれているだけ。
そんな生活感の薄い部屋だ。
レイエスは思った。
――何だこの部屋は、と。
「あなたのお名前は?」
部屋に一歩踏み込んで立ち止まったレイエスは、ドアで控える神官を振り返る。
「あ、はい。リーラと申します」
実は初対面ではないのだが。
レイエスはリーラを認識していなかった。
聖女付きの神官は少ないので、二年くらいは世話もしてきたはずなのだが。
――だが、当のリーラも「あ、この人は私を認識していないな」と薄々思っていたので、そんなに意外ではないが。
意外なのは今この時だ。
名前を聞かれて。
ちゃんと顔を向けて。
目と目を合わせて、声を掛けてきたことだ。
人形姫。
そう呼ばれてもおかしくないと、リーラも思っていたくらいなのだから。
なのに。
半年以上も会わなかったレイエスは、前のレイエスにない言動をする。
「花でも雑草でもいいです。何か鉢植えを持ってきてください」
――こんな場所は耐えられない、とレイエスは思っていた。
ここには土がない。
緑がない。
生命を感じない。
部屋が狭いのは耐えられる。
空腹も耐えられるし、着る物が少ないのも耐えられる。
だが、鉢植えがないのは無理だ。
もう緑がない生活になんて戻れない。
鉢植えに結界をキメてやりたいのだ。今すぐに。
「は、鉢植え、ですか?」
「何でもいいです。野菜でもいいですし。野菜の種でもいいわ。野菜の種を数種類と鉢を持ってきてください」
「……えっと、野菜がいいんですね?」
「季節じゃない物でも構いません」
なんだかよくわからないし何でもいいわけでもなさそうだが、聖女のご所望である。
レイエスの動向は逐一報告の義務があるが。
このくらいなら、特別な許可はいらないだろう。
近くの孤児院には畑もあるので、すぐに調達はできる。
「では持ってきますので、聖女様はゆっくりお休みください」
「今すぐ持ってきますか? あ、鉢植えが荷物になるでしょう? 私も一緒に行きましょう。確か孤児院に畑がありましたよね?」
「え? ……えっ?」
「早く行きましょう――私の荷物などその辺に投げておけばいいのです。さあ、早く」
レイエスはリーラの手からバッグを奪い、ひょいとベッドへ投げた。
荷物自体は少なく、軽い。
中には着替えと、教皇や大司教へのお土産も入っているのだが――
今はそんなことはどうでも良かった。
「行きますよ」
――なんだこの押しの強さは。
――これは本当にあの人形姫なのか?
リーラは戸惑うばかりで、もはや先を行っているレイエスを追い駆けるのだった。





