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108.焦らされている





「――あ、クノン君いるじゃん」


 久しぶりに聞いた声だった。


「お久しぶりです、カシス先輩。今日のコーディネートのポイントは胸元に添えた乙女心ですか?」


「いや意味わかんないんだけど」


 商売の方で教師の研究室に呼ばれたクノン。

 仕事を終えて帰る途中、校舎を出ようとしたところで、「合理の派閥」のカシスと遭遇した。


 彼女はあまりクノンにいい印象はないらしく、少々当たりが強い。

 声も不機嫌そうに低い。


 だがそんなことはクノンには関係ない。

 女性なら女性として扱う、ただそれだけだ。


「会うのはあの合同研究以来ですね」


「やめて」


 一段と声が低くなった。


「もうけ損なった話はもうやめて」


 ――以前、クノンを含めた水の魔術師たちのチームで行った難破船の探索である。


 なんだかんだあって最初の研究テーマから大きくずれ、最終的には難破船を探索して。

 そこで無事、宝石などの金品の引き上げに成功した。


 そこまでは良かったが。


 結局大人の事情で、金品は元の持ち主……船の所有国に持って行かれた。

 その結果、見込んだ収入が大きく目減りしたのである。


 クノンとしては、元々お金にならない研究だと思っていただけに、嬉しいことの方が多かったが。


 単位も取れたし、お金も得られたし。

 何より「合理」代表ルルォメットの闇魔術を見られたのは大収穫だ。まあ見てはいないのだが。


「……あれで全部予定が狂った。いい男連れて豪遊するつもりだったのに……」


 あれから何ヵ月か経っているが、カシスはまだ根に持っているようだ。


「いい男かぁ。僕じゃダメですか?」


「私そういうこと簡単に言う男って好きじゃないのよね」


「そうですか?」


「だって誰にでも言うでしょ?」


 確かに言う、とクノンは思った。


「もう挨拶みたいなノリで言うでしょ?」


 確かにそんなノリで言う、とクノンは思った。

 だが、そう返したら怒りそうだから、心の中だけに留めておく。


「私は私だけにそう言ってくれるいい男を探すのよ」


 だそうだ。


「見つかるといいですね」


 偶然会っただけなので、特に話すべきこともない。

 そんな簡単な会話をして二人は別れた。


「――あ、クノン君待って!」


 いや、カシスが追いかけてきた。


「聞いたよ! 最近狂炎王子と仲がいいんでしょ!?」


 狂炎王子。

 どこかでクノンとジオエリオンの噂を聞いたようだ。


「紹介してよ! お願い!」


「あ、無理ですね」


「なんで即答なのよ。何? イジワルしてるの?」


 意地悪。

 女の子に言われたせいか、少し胸がときめいた。


 女子力のこもったいい言葉だった。


「あの人もあの人の周辺も、そういう感じじゃないからです。浮ついてないというか、軽くないというか。

 気軽に誰かを紹介できる人じゃないし、誰かに紹介もできないです。

 なんとなくわかるでしょ? だからカシス先輩は自分から声を掛けられないんじゃないですか?」


「……悔しいけどちょっとわかる」


 ――確かに女を紹介するとかいう感じじゃない、とカシスは思った。


 常に護衛が傍にいるし、彼の皇子がその辺にいる十代前半の若者のように友達と楽しく過ごしている様子、なんてものを見たこともない。


 そう、要するに、お堅い雰囲気なのだ。


 わざとそうしているのか、自然とそうなるのかはわからないが。

 あの雰囲気は近寄りがたい。


「……フン。まあいいわ。あの人は観賞用ってことにするから」


 何やらカシスの中で整理がついたようだ。

 これまでと同じでいい、と。


「それでさ、期末試験っていつだっけ? もうすぐだよね?」


「試験? 特級クラスなのに?」


「特級には試験も授業もないでしょ。二級のよ。あいつら二学期の終わりに対抗戦があるじゃない」


 そういえばそう言っていたな、とクノンも思い出した。


 三級の教室で授業を受けた時も、ジェニエが「もうすぐ試験だから試験問題を作る」とかなんとか言っていた。

 サーフからも聞いたし、二級の教室でもそう聞いたし、ジオエリオンからも聞いた。


 特級クラスだから関係ないと思っていたのだが……


「二級の試験がどうかしました?」


「あれ? クノン君は見学に行かないの?」


「え? 行っていいんですか?」


 初耳だ。

 特級には関係ない、みたいな話を聞いた気がするが。


「あ、そうか。あんた一年か。じゃあ知らないか。

 これ内緒なんだけど、希望者はこっそり見に行けるのよ。もちろん試験やってる向こうからはバレないようにね。

 だから表向きはできないことになってる、はず、だったような……」


 なんと。

 最後が少々曖昧だが、大事なのはそこじゃない。


 大事なのは、見学することができる、という事実である。


「じゃあ僕も見学を?」


「できると思うよ。狂炎王子の戦い、まだ見たことない?

 どうして狂炎王子と呼ばれるようになったか、見ればわかると思うけど」


 そんなことを言われたら、見に行かないわけにはいかない。


 ――と、言いたいところだが。


「そういうことなら、僕は今回は遠慮します」


 クノンは遠慮することにした。


 断腸の想いだ。

 本音を言えば見に行きたいに決まっている。

 今すぐやると聞けば、予定をキャンセルしてでも見学に行きたい。


 だが、クノンは今はまずいのだ。


「へ? あっそー。じゃあ別にいいけど」


 クノンが激しく食い付くと思っていたカシスは、拍子抜けした。

 そして今度こそ行ってしまった。


「……今はまずいよなぁ」


 行きたい。

 見学に行きたい。

 今すぐ駆け出してカシスを捕まえて「一緒に行きたい」と告げてしまいたい。


 でも、今は。

 今だけはダメなのだ。


 今は、ジオエリオンと戦う時まで、焦らされているところだ。

 実験だの研究だのをする気持ちになれず、ただひたすらその時を待っている状況である。


 そんな心境の中。

 もし戦う前に彼の魔術を見てしまったら。

 あるいは知ってしまったら。


 きっと後悔する。


 勝敗を気にしない、とは言わない。

 しかし勝敗の行方より、フェアじゃない戦いをしたくない。


 礼を失することも、敬意を欠くことも、自分が有利になる情報を仕入れるのも。

 すべてを避けたい。


 彼とはできるだけ対等でありたいから。





 それから数日後。

 二級三級クラスは無事試験が終わり、二学期が終わったそうだ。


 ジオエリオンと会う日は、きっと近い。




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― 新着の感想 ―
クノンは、観戦厳しいのでは? ①鏡眼を飛ばす 視覚からの情報に慣れていないので、連続使用が出来ない。 そもそも音が聞こえないと、見るタイミングも得られない。 ②席に座って観戦 水球で景色を曲げて姿…
[一言] なんかクノンが終生のライバルとの戦いを心待ちにしている主人公してる!(主人公です)
[一言] クノンなら水球に目玉付けれそうなんだが
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