103.これが噂の美人局というやつか、とクノンは思った
要は時間帯だったのだろう。
時間に頓着しないクノンに、朝も昼も夜も関係ない。
基本は見えないのだから、明るい暗いが作業を阻害することはない。
腹が減ったら食べる。
眠くなったら寝る。
侍女を始めとした周りの人が指摘しない限り、クノンは時間ではなく、身体の要求に従う。
そして、それが今日。
いろんな偶然が重なって、たまたま都合がかみ合ってしまったのだろう。
「――失礼します!!」
「はい?」
食堂のコックに持ち運び用のサンドイッチを注文するクノンは、背後から声を掛けられた。
「貴殿は特級クラスの水の魔術師クノン殿とお見受けします!」
「……あ、はい」
名指しで呼ばれて思わず返事をする、が。
相手は知らない女性である。
もしかしたら記憶にないだけで、どこかで会ったことはあるのかも――
「自分は二級クラス火の教室三年生のイルヒ・ボーライルと申します!!」
「……はい」
知らないはずだ。
会ったこともないし、名前も知らない相手だった。
しかも声の勢いがすごすぎて、ちょっと圧倒されている。
いつもの軽口が咄嗟に出ないくらいに。
「これから昼食でありましょうか!? ぜひ自分とご一緒していただきたい!! 初対面で不躾ですがどうぞお頼み申します!!」
「……はい」
圧倒されてはいるが。
女性に誘われた以上、クノンの返事は一つである。
「――嬢ちゃん、声がでかい。びっくりしてるだろ」
サンドイッチを出してくれた若いコックが見かねて注意すると、イルヒは咳ばらいして「申し訳ない」と洩らした。
「自分の実家は軍属の家系でして……挨拶は大声ではっきりと、というのが家訓なのです。場を弁えず失礼しました」
軍属。
道理で声が、佇まいが凛々しいはずである。
後ろで手を組み胸を張り堂々と立つその姿は、まさに軍人のようである。
「軍人先輩?」
「将来的にはそうなるでしょう。しかし今はただの魔術師見習いであります。……して、返答はいかに?」
「あ、もちろん。女性の誘いを断る言葉は知りませんので」
さっき思わず返事した形になったが、今度は正式に返答を求められた。
それでもクノンの返事は変わらない。
「ありがとうございます!! それでは自分についてきてください!! あっサンドイッチ持たせていただきます!!」
コックから受け取ったサンドイッチはイルヒの手に渡り、クノンは彼女の後を付いていく。
女性との食事である。
楽しみで仕方ない。
わざわざ面識のない自分に声を掛けてくるのだ。
きっと何か用事があるのだろう。
魔術師絡みの用事なら、厄介事でも楽しみだ。
女性との食事。
しかも魔術絡みの用事。
二重に嬉しいこの状況、嫌でも期待してしまう。
だが、そんなクノンの期待は、裏切られてしまう。
クノンは連れていかれた。
――男たちのもとへ。
食堂の奥には個室がある。
クノンはいつも持ち運びのサンドイッチを注文するので、食堂を利用したことはない。
だが、個室がある、という話は聞いていた。
「……これが噂の美人局ってやつかぁ」
昼をだいぶ過ぎているこの時間、食堂のテーブルはがらがらだ。
そのテーブルを無視して奥へ向かったので、個室に案内しようとしているのはわかっていたが。
イルヒに案内された個室には、先客がいた。
――扉の前で「イルヒ・ボーライルです!! 客人を連れて参りました!!」と挨拶した辺りで、中に誰かいるのはわかった。
「入れ」の返事が男で。
まさか中に男ばかりが五人もいるとは思わなかった。
都会。
怖い。
いつかリーヤが言っていた言葉が脳裏を過ぎった。
騙された。
これがハニートラップか。都会は怖い。
クノンも都会の怖さを知ってしまった。
「あ、僕用事を思い出し」
「さあどうぞ中へどうぞ!! ずずいっと中へどうぞ!!」
逃走失敗。
踵を返す前にイルヒに腕を掴まれ、肩を抱かれ、ずずいっと中へ導かれた。
強引なナンパが強引に女子を店に連れ込むかのように。
「――クノンか」
男たちの目が一斉にクノンに集まり――その中の一人がお褒めの言葉を口にした。
「よくぞ連れてきた、イルヒ」
「はっ! 光栄であります!」
言葉だけで察するなら、クノンはイルヒに誘われたのではない。
今しゃべった彼に誘われていたようだ。
いよいよ美人局感が強くなってきた。
というか、これはハニートラップという認識で間違いなさそうだ。
少々系統は違うかもしれないが、やっていることはまさにそれである。
「君は特級クラス一年のクノンだな? 水の魔術師の」
「はあ、えっと……美人局?」
「……? つつ? ん?」
彼は聞き慣れない言葉にピンと来なかったようだが、ピンと来た他の男二人が吹き出した。
そう。
女に声を掛けられてほいほい付いてきた男、そして行った先には男たちが待っていた。
構図だけで言えば、これはまさにそれだ。
「小僧。美人局ってのは美人がやるものと相場が決まってるんだ」
「そうそう。イルヒは違うな」
「むっ。失礼でありますな」
イルヒは腹を立てた。
クノンもとりあえず言っておいた。
「そうですよ。彼女は僕が付いていきたいと思うほどの魅力的な女性ですよ」
「ほら。クノン殿もこう言っております! 諸兄らの見る目がないのでは!? 自慢ではありませんが自分は『いいケツしてるじゃん!』と何度も言われたことが――」
「――なんかよくわからんが、俺を置いて話を進めるな」
一瞬放置された形になった男が、場を納める。
「クノン」
「はい……美人局?」
「違う。前々からイルヒや他の者に俺から頼んでおいたんだ。
君と話がしたい、見かけたら連れてきてほしいとな」
「はあ、話を……」
やはりイルヒに誘われたというより、彼に誘われたという認識で正解のようだ。
汚いやり方である。
女性に誘わせるなんて。
男に誘われていたらたぶん来ていないのに。
「俺はジオエリオンだ」
――いや、来ていたかもしれない。
ジオエリオン。
その名前はクノンも知っていた。
「……まさか、狂炎王子……?」
ジオエリオン・フ・ルヴァン・アーシオン。
アーシオン帝国第二皇子の名前だ。
噂だけは何度も聞いた。
だが、これまで特に縁がなかった者だ。
「鏡眼」を使って、一瞬だけ彼の相手を見る。
冴え冴えとした黒髪に青い瞳を持つ、やや線の細い少年だ。
クノンより一つ二つは年上だろうか。
非常に端正な顔立ちに、厳しそうに結んだ口元がよく似合っていた。
皇族としての威厳を感じた。
まさに支配者階級という印象である。
「…………」
だが、クノンが見たかったのは、彼の後ろにいる者だ。
正直皇子はどうでもいい。
――すごかった。
これまで見てきた憑いているものは、火属性なら火の粉や炎の何か、赤い生物が通例だった。
狂炎王子ジオエリオンには、炎でできた大きな狼が憑いていた。
眩い灼熱の身体を持つ狼。
ずっと見ていると吸い込まれそうなほど、炎が深い。
美しい炎だ。
ずっと見ていたいし、その炎の奥底を覗いてみたいとさえ思う。
実体はないはずだが、一瞬見ただけでも熱く感じられた。
むろん、熱を感じるはずはないのだが。
それだけ存在感が強い生物だということだ。
ほかの火属性より格が上に感じられた。
恐らくは三ツ星。
もしかしたら四ツ星だろうか。
「俺を知っているのか。……そうか、有名になったものだ。そんな気はなかったんだがな」





