100.前提として風の魔術師は
「で、やりすぎちまったと」
「面目ありません」
サーフから事の顛末を聞いたサトリは、ニヤリと笑った。
「フン。いい仕事したじゃないか」
狙い通り、二級クラスではちゃんと新風を吹かせ。
そして個人授業ではちゃんと負けた。
どうやら弟子の弟子は満点は仕事をやり遂げたらしい。
それでいい。
その結果で良かったのだ。
「あの小僧は勝つより負ける方が好きだからね。そっちの方が学ぶことが多いんだとさ」
「そう、ですか……」
二級クラスの実習が終わるなり、サーフはサトリの研究室にやってきた。
そして今、何があったかを説明したところだ。
少々大人げない戦い方をしたので、多少は小言を貰う覚悟をしていたが――
サトリは特に動じることはなかった。
むしろ喜んでいるように見える。
気を失ったクノンは、同期の聖女に預けてきた。
彼女は治癒魔術が使える。
傍目には擦り傷、切り傷しかなかったと思うが、実際のところは本人にしかわからない。
もし骨に異常があったり内臓にダメージを受けていた場合は、即座に治してもらうよう頼んできた。
そして、ジェニエはついさっき三級の授業を終えてここに戻ってきて、話を聞いて聖女の研究室へ行ってしまった。
クノンのことが心配になったようだ。
午前中の個人授業から少し時間が経っているので、そろそろ目覚めてもいい頃だとは思うが……
「あんたの真意にも気づいてると思うよ」
「……できた子ですね。私が十二、三歳の頃なんて、いかに力を誇示するかに躍起になってましたよ」
かつてのサーフも、特級クラスの生徒だった。
調子に乗りまくっていた昔のことは、あまり思い出したくない。
「で、二級クラスはどうだい?」
「まだなんとも。
一石は投じた。波風は立った。それで何が変わるかは、これからです」
クノンの存在が刺激になったとは思う。
だが、それで大きく変化が起こるかと言われれば、首肯できない。
何かは起こりそうだが、果たして……
「やっぱり大元かい?」
「そうですね。あの帝国の王子が動かない限り、二級クラスはずっと荒れたままかもしれません。
彼の卒業まで、少なくともあと二年はありますからね……気が重い話です」
本人が望む望まないに限らず、二級はあの狂炎王子が中心になっている。
今の環境は、教師側はやりづらくて仕方ない。
そして何より、二級の生徒たちのためにならない。
なんとか改善したいが、なかなか難しい。
目覚めるなりクノンは叫んだ。
「――あっ! 勝負!」
寝かされていたそこから飛び起きて、身構える。
なにがどうなって気を失ったか。
大丈夫。ちゃんと覚えている。
だからこそ、もし可能なら個人授業の続きを……と、真っ先に思ったのだが。
「終わりましたよ」
聞き覚えのある女性の声を聞き、クノンは理解した。
気を失っている間に、すべてが終わってしまったのだと。
「レイエス嬢?」
一瞬だけ「鏡眼」で周囲を確認すると、予想通りの場所だった。
ここは見慣れた聖女の研究室である。
聖女はいつもの定位置で、テーブルに着いて本を開いていた。
自分は彼女の仮眠用ベッドに横たえられていたようだ。
研究のために寝泊りするから、と。
部屋主のもっともな理由で運び込まれたものである。
植物の成長記録を付けているので、夜の観察も必要だと申請したのだ。
「聞かれる前に答えますね。
サーフ先生との個人授業で勝負をし、あなたは負けました。気を失っていたのでここに運び込まれました。ここにいるのは怪我をしていたからです。
で、今の調子はどうですか? 見える傷は治しましたが、他に異常は?」
すばらしい。
クノンが何から聞こうかと迷ったことすべてを、聞かれる前に教えてくれた。
「レイエス嬢の治癒魔術を当てにして、僕はここに連れてこられたんだね」
「ええ」
ならば納得だ。
「ありがとう。体調は悪くないよ。痛みもない」
だいたいいつも研究室に詰めている聖女は、今一番捕まえやすい光属性だ。
ついでに言うと、クノンともサーフとも面識がある。
サーフが連れてきたのなら、きっと誰よりも頼みやすかったからだろう。
「ちなみに付け加えると、ジェニエ先生も来ましたよ」
「え? ジェニエ先生?」
予想外の名前が出た。
「なぜ?」
「お見舞いでしょう。クノンがやられて気絶したと聞いて、心配して来たのです」
「あ、なるほど」
クノンとしては、魔術による怪我は歓迎しないまでも、拒否する気はあまりない。
魔術で負った傷も痛みも、また検証事案であるからだ。
だから、心配されると恐縮してしまう。
「……で、先生は?」
「あなたの服を調達しに行きました」
「服? ……あれ?」
ぺたぺたと自分を触って、はじめて気づいた。
服を着ていなかった。
上半身裸だった。
下は少々ボロボロだが、ズボンを穿いている。
クノンはゆっくりと両手で胸を隠した。
「……セクシーでごめんね」
見せつけてしまった。
裸を。
女性に。
よりによって聖女に。
セクシーで紳士はまだ早い。
常々そう思っているクノンは、己が裸を恥じた。そして最大限の隠す努力をした。
「お気になさらず。子供の裸は見慣れていますので。
……誤解がないように言っておきますが、幼少から孤児院の手伝いに通っているからですよ?」
風呂に入れたり着替えを手伝ったりと、小さな子の世話をよくしていたそうだ。
「それよりクノン。あなたがやられた経緯が気になりますね」
――クノンを抱えてきたサーフは、多くを語らなかった。
別に秘密にしたいわけではなさそうだった。
実習を抜けてきた、と言っていたので、ただ単に時間がなかったのだろう。
だからクノンに聞くのは構わないはずだ。
「経緯か……」
クノンは、先の個人授業を思い出す。
サトリやジェニエ、あるいはサーフ本人に。
一刻も早く、彼女らと語らい、勝負の検証をしたいところだが……
いや。
焦ることはないか。
どの道、服がないとこの部屋から出ることはできない。
紳士として。
「サーフ先生が個人授業で戦ってくれたんだ。それで僕は負けたんだよ」
「そのようですね。ぜひ内容を聞きたいのですが」
「内容を語る前に、前提を知っておく必要があるんだ」
「前提?」
これを思い返すと、やはり、魔術学校の教師はすごいのだと思う。
現時点の自分とどれくらいの差があるのか、少しだけわかった気がする。
少なくとも、恐ろしく掛け離れている、ということが、ちゃんとわかった。
「可哀想なくらいサーフ先生が不利な状況だったし、おまけに場所も悪かったんだ。
風の魔術師の基本情報は?」
「いえ、わかりません」
「風の魔術師ってね、だいたい速度を主体にするんだ。
高速移動による翻弄と、高速で飛ばす魔術。この二つが軸になるらしいよ。
サーフ先生くらいになると、遠距離で戦うのが得意だと思う。あの人なら一気に間を詰められるからね。
それこそ、相手の魔術が届かないような遠くからね。
その前提があって、今回の勝負だけど。
場所は室内。第六実験室。
地面は特殊な壊れない床。壁も天井も壊れない。
サーフ先生は本来の力の半分も出せなかったと思う」
その上で、サーフはクノンに勝ったのだ。
何があろうと、何が起ころうと、結果は結果である。
「風って何かを巻き込むことで、威力が段違いになるからね。ただの突風でも砂や砂利を含むだけで強くなるから」
「なるほど。だから壊れない場所というのは不利だと」
「その上、使用する魔術を初級のみに縛っていたみたいだし」
今回はあくまでも個人授業、教材としての側面があった。
だからこその縛りだろう。
きっとサーフなら、クノンが手も足も出ないような大技だって、持っているはずだ。
でも、それを使えないとしたら。
きっとサーフは、決定打を使えない状況にあった――と、予想した。
だからクノンは読み勝ったのだ。
長期戦は不利と判断し、直接仕掛けてくるだろう、と。
増え続ける「水球」にいずれ捕まると考えるサーフは、「水球」で対処できない方法で攻めてくる。
そう呼んだ上で、仕掛けてくるのを待ったのだ。
「――っていうのが前提なんだけどね。どう? 内容が気になるでしょ? サーフ先生がどんなにすごいことしたか気になるでしょ? すごく楽しかったよ」
魔術の話をする時は、クノンはいつだって笑っている。
我が事のようにニヤニヤしながら、サーフのことを話したくて仕方ないようだ。
「そんなところで胸を隠していないでこちらに来たらどうですか? 薬草茶を淹れますから」
聖女が着いているテーブルと、ベッド脇にいるクノンは、微妙に距離がある。
――やられた理由は気になるが、勝負事には然程興味はない。
だが、彼が話したいなら聞こうか。
「今僕は驚くほどセクシーだけど……そっちに行っていいの?」
「どうぞお気になさらず」
クノンは胸を隠しながら、聖女の向かいに座った。





