青の祭りの始まりに
昼食を終え出かける準備を終えたオルガは、ハズからの連絡を待つだけとなった。髪は母さんが整えてくれた。長い髪を少し巻いて後ろで束ねて横へ流す。大人になったようで気恥ずかしい気持ちもあるが、鏡に写る自分の姿に心が躍る。
ワンピースを着てミランダが飾り付けてくれた靴を履き、小さなバッグと薄手のコートを手に持ってオルガはリビングに降りた。
「準備は出来たのね」
「うん、後はハズからの連絡待ち」
母さんが声をかけそれに答えた時、オルガはリビングのカウンターに父さんのデザイン帳が置いたままなのに気付いた。
デザイン帳は全て目を通した。よくよく思い返してみると、オルガが小さい頃に父さんはよくガラスの竜を作っていた。あの竜のモチーフはソル王女のペンダントのフィールとソラだったのだろう。
今の内にデザイン帳は返しておこう。バッグとコートをソファーに置くと、オルガはデザイン帳を手に取りリビングを出た。階段を下りると工房に父さんが居た。
「父さん、これありがとう。面白かった」
「一冊目は全部見たのか?」
「うん見たよ。竜のペンダントとガラスのハウスが良かった」
父さんは笑った。オルガはデザイン帳を渡しながら尋ねた。
「父さんは大学時代、工学部に居たんでしょう? それなのにどうしてガラス職人になろうと思ったの?」
「……うん、色々と理由はあるんだけどね……」
父さんは少し考えオルガを見た後、机の引き出しを開けた。その中から小さい箱を取り出すと蓋を開け、中から小さな何かを取り出した。
「オルガ、手を出して……」
父さんは取り出したそれをオルガの手のひらに載せる。冷んやりした感触のそれは青くつるんとした佇まいで、ちんまりとオルガの手のひらに収まっている。
「……青い宝石?」
「うん、そう思うんだけどね……原石としては輝き過ぎていて。加工されているにしては傷がついている。形は何かの一部のようにも見えるし……」
「これは何?」
「父さんにもわからないんだ」
父さんは青い石を見つめている。
「父さんが幼い頃、十歳前後だったと思うんだけどな……クリスの家の持つ別荘の山の小屋へ、泊まり込みでハイキングへ行った事があったんだ……その時に見つけた。初めはガラスだと思っていてね。でもある時ガラスではない事がわかったんだ」
「……」
オルガは自分の手のひらにある青い石を見つめた。
「ちょっと貸してごらん」
父さんはそう言ってオルガからその石を受け取ると、立ち上がって手を高い位置に持ち上げた。そして少し弾みをつけて手を離す。
「え?!」
父さんの手から離れた青い石はコンクリートの床に落ち、そのまま乾いた音を立てて転がっていった。
「な? 割れないし、この位では傷も付かない」
父さんは転がっていった青い石を拾い、デスクライトの明かりに翳した。
「ガラスのように見えるんだけどなぁ、違うんだよこれは……ここにね、深い傷があるんだ。でも割れはしない……面白いだろう?」
父さんが指差す場所には線のような傷があった。
「……父さんはこんなガラスを作りたいと思ったの?」
「まぁね、とても惹かれるのは事実だね」
オルガはそれが何なのかわかるような気がした。
『蒼き夢』……ソル王女の時代はそう言われていた宝石。きっと父さんの持つあの欠けらは、その『青き夢』だと思う。間違いないだろう。
『蒼き夢』は今現在、世間には出回っていないのだろうか? 宝石として世の中に存在するなら父さんが知らない事はないだろうから……。オルガは黙ってそれを見ていた。
「……オルガ、オルガの言っていた大学生の青年の事なんだけどね」
『蒼き夢』を見ながら、急に父さんが話し出した。ドキンと心臓が音を立て、オルガの頬が少し高揚した。
「彼と連絡が取れたんだ……彼はね……」
父さんがそこまで言った時、二階から母さんの呼ぶ声がした。
「オルガ! ハズちゃんから電話よ〜!」
「あ……」
父さんが苦笑した。
「行っておいで、帰ったら話そう」
オルガは深く頷いた。あのお兄さんと連絡が取れた。それはオルガの気持ちを浮き立たせた。両親は本当にあの人を知っていたのだ。オルガは高揚した気持ちのまま二階へ駆け上がり、電話を取った。電話口でどうしても声が弾んでしまう。これは『青の祭り』だからだと自分に言い聞かせ、オルガはハズと話をした。
「ハズ?」
「オルガごめんね。遅くなった……今からうちに来る事出来る?」
「すぐ行けるよ」
「良かった! じゃあ来てね」
中央広場の近くにあるハズの家はレストランの裏手にある。サーカスを見るなら、ハズの家から中央広場へ行く方がはるかに割が良い。電話を切るとオルガはバッグの中身を確認しコートを取った。
「何だか大人になっちゃったみたい……」
ちょっと複雑な表情で母さんがオルガに声を掛けた。
「何それ、大人じゃないのは母さんが一番よくわかってるじゃない」
「……そうだけど、巣立って行く雛を見送る気分よ。まぁ、服は似合っているけどね」
母さんは顔を顰め、オルガはそれを笑った。
「訳わかんない。先に行くけど待ち合わせはどうする?」
「サーカステントの入口前に午後五時はどう? その位ならサーカスの裏側も見ること出来て、友達と語らう時間も取れるんじゃない?」
「うん、わかった。午後五時にサーカステントの入口前ね」
そう言ってリビングを出ようとしたオルガに母さんが慌てて声をかけた。
「あぁ! オルガ、これサーカスの人達に持って行って」
渡された紙袋には母さんの作った沢山のお菓子が入っていた。
「わぁ! ありがとう! 喜んでくれると思う!」
オルガは紙袋を受け取ると「行って来ます!」と元気な声で言いリビングを出た。階下に行き、父さんにも声を掛け店の外へ出る。
今日もいい天気だが、日中の外気は前日に比べ一気に下がっていた。これはさすがにコート無しでは寒いだろう。そう思いながらもオルガはウキウキとハズの家へ急いだ。
通りは沢山の人が居た。みんなお洒落をしている。中央広場に近くなると人の波が増え、広場の中は既に人で一杯だった。
サーカステントを中心に土産物や食べ物やゲームの露店が並び、まだ開催時間ではないのに大人から子供まで沢山の人が歩いていた。その脇を通り過ぎオルガはハズの家へ向かう。広場から脇道に逸れようと足を進めた所で、反対からも同じように脇道に入ろうとする人物が居た。
「あ……」
「……」
そこに立つのは濃いデニムのパンツにパーカーを合わせ、チェックのジャケットを着たテッドだった。彼もそれなりにお洒落をして来ている。
テッドの顔を見て、すっかり忘れていた学校の帰り道のあの気まずい空気を思い出し、オルガは思わず身構えた。
「……よう、お前も今?」
「うん……」
そう言ったままテッドはジロジロとオルガを眺めた。
「何?」
「……いや、それ馬子にも衣装って奴?」
テッドの言葉につい今し方までの、浮き立つオルガの気持ちが薄れて行く。
「……喧嘩売ってるの?」
「違う……」
気分を害したオルガの声色に、テッドは焦ったようにオルガを見たがすぐに俯いた。そしてくぐもった声で言った。
「……悪かった。この前……俺、何かむしゃくしゃしてた」
素直に謝るテッドの表情はとても素直だとは言い切れないが、それでもオルガは意外な気がした。
「素直に謝るなんて、今日は雨降るね」
照れ臭さもありオルガも素直に応じられない。でもテッドは少しホッとしたように見えた。
「……お前の今日の服、似合っていない訳じゃない……」
彼の精一杯の褒め言葉なのだろう。オルガは苦笑した。
「わかったよ。ほら、行こう」
二人は奥に歩き始めた。この通りは素敵なカフェやレストランが立ち並ぶ食堂街になっている。その中でもハズの家のレストランは美味いと評判だ。
ハズの父はその昔、フランスのパリで修行をしたらしい。そのパリで培った腕を使い、ここの街の郷土料理をアレンジしたオリジナルの料理が人気なのだ。
「店には誰も居ないな……」
「裏に回ろうよ」
二人はレストランを覗き誰も居ないのを確認すると、裏手に廻りハズの家のブザーを押した。
「ごめん! 手が離せなくて! 勝手に入って〜」
奥からハズの声がし、二人は顔を見合わせた。
「手が離せないって、何だ?」
「さぁ……」
扉を開けて中に入ると、何か美味しそうな良い匂いがする。二人はそのまま奥に入った。
「良かった来てくれて! サーカスの人達への差し入れをね、今日は私が作りたくて朝からやってるんだけど、まだ終わらないの。手伝って!」
ハズは二人の顔を見ると心から安堵した顔を向けた。テーブルの上に具材が数多く挟まったご馳走サンドイッチと何やらおかずが山盛りあり、ハズが大きな箱にそれらを詰めていた。
「これは凄いね……ハズが作ったの?」
「そう、第一弾は家族に持って行ってもらったんだけど、これで最後」
オルガは手を洗うのにキッチンへ入った。テッドもその後に続く。手を洗いテーブルの傍に戻って来た二人にハズは指示を出した。
「そこに箱があるでしょう? それにここから順にサンドイッチとここにあるおかずを詰めて」
普段ののほほんとしたハズからすると、今日は考えられない程テキパキとしている。
「しょうがねぇな、やるか」
「うん」
二人はご馳走サンドイッチを箱に詰めて行った。
それから黙々と三人で作業をし、五箱分の大きなご馳走パックが出来上がるとハズが二人にお茶を入れた。エプロンを取ったハズは可愛いワンピースを着ていた。
「ありがとう。もう間に合わないかと思った。これ飲んだら行こうか」
いかにも一息ついた体でいるが椅子に座る様子はない。飲んだらすぐにサーカステントへ向かわなければならない。
「毎年こんな事をしてたの?」
お茶のカップを手に取りながら、オルガはハズに尋ねた。
「今までは、お父さんがしていたんだけどね。今年はほら、サーカスのバックヤードを見に行くでしょう……だから自分でやろうと思って」
ハズは笑った。それをオルガとテッドは済まなそうに見た。
「言ってくれたらもっと早い時間に来たのに」
「あはは、だってお父さんを見てたら簡単に作っちゃうから、私にも出来るんじゃないかって思ったの。でも、無理だった〜〜やっぱりお父さんはプロだ〜〜」
ハズは楽しそうに笑った。確信のある誇らしい笑顔だ。その笑顔を見るオルガとテッドの二人は、苦笑しながらも清々しい気持ちになった。ハズは自分の父親の凄さを実感したのだろう。ハズの嬉しい気持ちが伝わってくる。自分の親を躊躇いなく尊敬出来る。これ程幸せな事はないのではないか。
「じゃあ行こうか」
ハズは三人分の紅茶のカップをキッチンへ運ぶと箱を持った。
「あぁ、俺が三つ持つよ。お前ら一つづつ持てよ」
言葉は乱暴だが今日はテッドが紳士的で頼もしい。オルガとハズは顔を見合わせこっそり笑い合った。
外に出ると人は更に増えていた。三人は逸れないように気を付けながらサーカステントへと移動した。




