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染色工房の女の子


「お、落ちたぞ! 馬が落ちたぞ!」


 誰かの大声で我に返った人々は橋の欄干に駆け寄り、馬と乗っていた女の子の姿を探した。程なく馬が水面で暴れ出したが女の子の姿がない。その中でも数人の男達がパニックを起こしている馬を岸に引いて行った。


「女の子はいたか?!」

「いや、見つからない!」


 多くの人々が川の両サイドにも集まってきていた。


「あ! あそこ! 女の子だ!」


 橋の上から見ていた人が対岸に近い川面を指差す。そこには溺れかけた王女の姿があった。その時近くに居た一人の青年が川に飛び込んだ。

 彼は王女の側まで泳いで行くと、しがみつく王女を抱え岸まで泳ぎ引き上げた。


「あんた、大丈夫か?」

「あ、助けてくださって……ありがとうございます……」


 王女は喘ぎながらどうにかお礼を口にしたが、言い終わるや大量の水を吐き出した。その様子を見ながらその男の人は、大きな溜息をつく。


「しょうがねえな……その様子じゃ暫く休んだ方が良さそうだ……」


 周りには人が集まっている。その取り囲まれた群衆の中からおばさんが一人、布を抱えて出てくるのが見えた。


「ほら、これ使いな」


 おばさんは布を広げ王女の身体を包み込むと、濡れた髪をゴシゴシと拭き始めた。


「あんたは女の子なんだから、無茶な事をするんじゃないよ! 暴れ馬に乗るなんてとんでもない!」


 王女はおばさんの力任せの優しさに抵抗出来ずされるがままになっていたが、程なくおばさんの手から解放されると周りを見廻した。数多くの好奇の目が王女に注がれている。王女がどうしたものかとニコッと笑うと、途端に好奇の目の主たちは口々に様々な事を言い出した。


「あんた、すごいダイビングだったね」

「あの馬を見た時にゃ肝を冷やしたよ!」

「そのまま馬と一緒に川に飛び込むなんて、あんた度胸あるよ」


 街の人達が次々と王女に言ってくる中、おばさんが街の人達を一喝した。


「いい加減にしておくれ! この子はずぶ濡れなんだから着替えさせなきゃいけないんだ! ほら! どいてどいて!」


 そして王女を立たせると、集まった人達をどかせて王女の肩を押しながら歩き出した。


「あ、あの……」


 王女がおばさんを見ると、おばさんはニッコリと笑う。


「心配しなくていいよ。私はべラティスって言うんだ。家に娘がいるから、この服が乾くまであの娘の服でも着ていればいいさ」


「……ありがとうございます」


 おばさんに促されながら歩き始めた王女はおかしな事になってしまったと、城を抜け出した事を少し後悔し始めていた。もう、父と兄を追うことは出来ないだろう。何のために城を抜けて来たのか……本末転倒とはこういう事を言うのだろうか?


 橋を渡って通りを横切り、建ち並ぶ建物の小さな路地を入った所で王女とおばさんは呼び止められた。


「おおい! ベラ! 待ってくれ!」


 呼び止めたのは先程川から助け出してくれた青年で、彼は王女の馬を引いてやって来た。改めて見ると茶色の髪に茶色の目の彼は上の兄アルカスと同じ位の年齢だろうか、人懐っこい笑顔を向けている。


「早く着替えさせなきゃ風邪引いちまう……あんたもだよアントニオ」


 早口に言ったおばさんにアントニオと呼ばれた青年は、すぐに済むからと王女に向き合った。


「お嬢さん、あんたの馬の手綱、壊れてるよ。ほら、金具が取れた状態で馬に乗るなんてなぁ……馬に指示が伝わらねぇだろう」


 王女は手綱の端が外れているのを見せられて馬の行動をようやく理解した。


「まぁ……金具が外れているなんて気が付きませんでした」


 気落ちする王女にアントニオは呆れ顔でまた大きな溜息をつく。


「馬具の手入れは馬に乗る時の基本だろうに……まぁ、起きてしまったのは仕方ない、俺の知り合いに腕のいい鍛冶屋がいるから直しを頼んでおいてやるよ」


 アントニオの申し出に王女はホッとした顔をした。


「良いのですか?」


 その表情を見てアントニオは苦笑する。


「いいも何も、このままでは乗れないだろう? 治してもらう間、馬は休ませておけば良いしな」


 そして、手に持っていた手綱の端を振って見せた。そこへおばさんが割って入った。


「鍛冶屋はアダムの所だろう?」

「あぁ、あいつが一番腕がいいからな。手綱の金具くらいは簡単に作っちまうだろうし」

「じゃあ、着替えさせたらアダムの所へやるよ」

「わかった……アナベルによろしくな」


 アントニオはそのまま馬を引いて移動し始め、その後ろ姿におばさんが念を押すようにがなり声を上げた。


「あんたもちゃんと着替えてから行くんだよ!」


 アントニオは手綱の先っぽを振り回して返事をすると、そのまま橋を渡って行ってしまった。


「口は悪いし態度も悪いが、あれでも面倒見が良くていい子なんだよ」


 おばさんは笑いながらアントニオを見ていたが、王女に向き直った。


「さあ、お前さんは私の家へ行くとしようか」

「あ、はい」


 細い路地をそのまま行くと、突き当たりは路地より少し広い通りになっていた。


「もう少し歩くけど、寒くはないかい?」


 おばさんは右へ進路をとりながら、王女を気遣い声をかける。王女は頷きながら、辺りに目を配り兄の言葉を思い出していた。


『街は迷路のように入り組んでいて、居住区は特にわかりにくいんだ……』


 なるほど、兄が言っていたのはこういう事なのだ。至る所に小さな路地があり、それが何処へ抜けるのか見当もつかない。


「……あ、あの」


 後、どのくらい歩くのだろう。王女は不安になって、おばさんに声をかけた。


「ベラでいいよ」


 おばさんはそう言いながら王女を振り向いたが、その表情を見てニコッと笑う。


「不安そうな顔をしているね。この辺りは初めてかい?」


 王女が頷くと、ベラは声を上げて笑った。


「あんた良い所のお嬢さんみたいだしね。何処かに連れて行かれると思ってるのかい?」

「……そんなつもりは……」

「大丈夫だよ、ほらあそこに旗が立っている建物があるだろう? あそこが私の工房を兼ねた家なのさ」


 ベラの指差した建物には、入口の前に綺麗な緑味を帯びた黄色の布が旗状に揺らめいていた。


「さあついた。我が家兼工房へどうぞ」

「工房?」


 呟いた王女にベラが自慢げに笑った。


「そう、私等は染色の仕事をしていてね……糸や布を染めてるんだよ。旦那は奥の工房で染色の為の色作りをしているけれど、今日は出かけていてね……」


 旗のある建物の前に立つと門はアーチになっており、建物の下を通ってそのまま奥へ抜けるようになっていた。

 ベラは木の門を開けると振り向いて王女を中へ招いた。促されるままアーチの中に入ると、向こう側の出口にいろんな色の布ががヒラヒラと舞っているのが見える。

 アーチを抜けると、そこは建物で囲まれた中庭になっており、沢山の布が洗濯物のようにはためいていた。庭に置かれた吊るし棒だけではなく、窓から窓へ渡されたロープにも数多くの布や糸が干されている。赤や緑、黄色に紫、オレンジに青、黄緑にピンク、沢山のありとあらゆる色が青空の中で風に棚引き、夢の中にいるようだ。


「綺麗……」


 王女はそれらの布を見上げて思わず感嘆の声を上げた。中庭には数人の女性の姿も見えた。みんな布を絞ったり、乾き具合を確かめたりしている。


「綺麗だろう? これらの布は沢山の人の洋服やカーテンや布団や……他にもあらゆるいろんなものになるんだよ」


 ベラは王女の驚く姿を嬉しそうに眺めた。


「ベラ、布は届けたのかい?」


 中庭で作業をしていた女の人達がベラに声をかけた。


「あぁ! 今回も色味は合格だよ!」

「そりゃぁよかった! これが続くとやり甲斐になるね」

「本当にね。これからもバンバン働かなきゃね」

「所で、そのお嬢ちゃんはどうしたんだい? 濡れてないかい?」

「あぁ、ちょっとね。この娘を着替えさせなきゃ行けないから、話は後でね」


 ベラが働いている人達と話をしていると、上の方から声が聞こえた。


「母さん! お帰り!」


 そちらに目を向けると、三階の窓から色白の女の子が手を振っていた。歳は王女と同じか少し年上だろうか。


「ただいま! アナベル! お客さんだよ!」


 ベラが答えながら王女を指差すと、アナベルは嬉しそうに笑った。その笑顔は屈託がなく、思わず王女も笑顔になった。


「こんにちは!」


 アナベルは身を乗り出し手を振っている。


「ねぇ! 早く上がって来なよ!」

「その前に着替えさせなきゃ。このお嬢さん、川に落ちちゃったんだよ。アナベル、あんたの服を借りるよ」


 アナベルの言葉を遮りベラが言うと、途端にアナベルは丸い目を更に丸くし、捲し立てた。


「川へ? どうして? 何があったの? 大丈夫?」


 ベラは賑やかに笑った。


「心配ないよ! 着替えたらあんたの部屋に連れて行くから、待ってておくれ!」


 それから、王女の背を押して建物の中に入って行った。


「あの子はアナベル。私の娘だよ。歳は十五歳なんだけどね、あまり外に出ないから生っ白いだろう?」


 王女は濡れた服を着たままだったせいで体温が奪われ、寒さを感じ始めていた。何より今は着替えるのが先決だろう。

 階段を上がり、幾つかある部屋を過ぎ一つの部屋の前に立つとベラが扉に手をかけた。


「さあ、ここだよ」


 そのまま付いて行くと、二階のひと部屋を開け王女に手招きをした。王女がその部屋を覗くと、そこには数え切れない程の服が下げられていた。女性用のドレスのみならず、男性用のシャツや上着、人が着るあらゆる物がかけてある。


「まあ……」

「ここにある物は、確認のための物でね。布によって張りやギャザーの入れ方やダーツの取り方、他にも色々あるけど……全部それぞれが違うんだよ。だから細部を確認する為に一度、実際に作ってみるんだ。ほら、これなんか同じリネンでも糸の()り方でこんなに違う」


 ベラが示した服は一つはストンとした形で、もう一つはフワッとした形をしている。でも同じ様に袖の所に(ひだ)があり色も同じだ。


「この二つは同じ物なのですか?」

「あぁそうだよ。糸の撚り方以外は形も全て同じさ」


 その二つの服は色以外は余りにも違うもののようで王女はただ驚いた。目を丸くさせている王女にベラは笑いながら言う。


「奥の方に小さいサイズの娘の物があるから、好きな物を選んでいいよ」


 ベラはその辺りに山積みになっている布を横に退けながら、鏡の前のスペースを空けた。


「濡れた物は隅に丸めておきな、後で洗濯しておいてあげるから、後、下着はここに置いておくよ……じゃあ、着替えたら声をかけておくれ」


 ベラはそう言うと部屋を出て行った。

 王女は少し戸惑った。今まで一人で着替えをしたことはなかったのだ。だが、このままでは風邪を引く。少し身をよじったり背中に手を回したりしながら、王女はどうにか自分の着ていた服を脱ぐと、濡れたシュミーズは全部脱ぎ、置いてあったシュミーズに手を伸ばした。さて、いつも侍女達はどんな風に服を着せてくれていただろう。いつまでも裸のままではいられないし、ベラが上がってくる様子もない。仕方ないので適当にシュミーズを着た。


 それから王女は美しい服の間を奥へ進んだ。小さいサイズはすぐに分かったが、その中から選ぶのも一苦労だった。目を奪われた物に袖を通すと、美しい布の(ひだ)に心が浮き立った。別な物にも袖を通し、いつかお披露目するであろう晩餐会を夢見た。だが、すぐに王女は今おかれている状況を思い出し、美しい服を脱ぐ。今選ぶべきは、町娘の着ている様な質素な物だ。

 王女はその中から、染色されていないゴワゴワとしたリネンのワンピースを手に取った。これなら、自分も街の一部として馴染むだろう。着替えようとしている所へ、ベラが入って来た。


「どうだい? 着替えたかい?」


 そうして、王女の選んだ服を見るなり渋い顔をした。


「だめだめ、そんな物。もっとあんたに似合う物があるはずだよ」

「わたくしはこれが良いのですが……」

「わかっているのかい? それは、農婦の作業服だよ。太いリネンの糸で織った布は丈夫だからいくら洗っても破けにくいんだ。それを最大限に活用したものさ」

「作業服……」

「そうさ、土作業はどうしても汚れちまうだろ? だから、わざと色を付けない。その代わり作業中の女性達はスカーフでお洒落するのさ」


 王女はベラの話す事を興味深そうに聞いた。


「まぁ……リネンの良い所は、丈夫である事と洗う内に柔らかくなってくるって所だけど……それはあんたに似合わないね」

「その内柔らかくなるのですか?」 

「そう、何度も洗う内にね」

「わたくし、やはりこれを着てみたいです」

「作業服を着せるわけにはいかないよ」

「作業服だろうと何だろうと、街の人達みんなが着ている様な物が良いのです」


 王女は言い張った。王女は服に用途がある事を知らなかった。作業服であるという事は、作業しやすく作られているという事だろう。


 物には、道理がある。その事を漠然とだが理解した。


「何んだってまぁ、お嬢様の言うことは理解し難いね……せめて、同じリネンでも糸の細い色付きにしてくれないかね」


 ベラはそう言って、その先にある白地に緑色のラインの入った服を見せた。


「これもリネンだよ。こっちは細い糸で織りあげた布だ。街の娘達が着ている物はこういう物さ。農家の奥さん方も街へ出る時は糸の細い服に着替えてお洒落をするもんだ。さぁ、リネンなんだからこれでいいだろう?」


 ベラの言い分も尤もだと思われた。作業服を着てみたい気持ちもまだあるが、王女は渋々承諾する。

 白地に緑のラインの入ったアナベルの服に袖を通す時は少しドキドキした。スカートの膨らみは王女の普段の服に比べて殆どなく、下地のスカートを着てしまうとどうも収まりが悪い。だが楽に着ることが出来た。

 身支度を整えた王女は自分を見下ろした。長めのシュミーズだけでは脚にまとわりつく布がくすぐったく感じる。だが、ベラの勧める通りなかなか素敵に見える。どこから見ても町娘だ。王女は一人微笑んだ。


 それから王女は濡れた髪はリボンを外しほぐした後に、しっかりと乾くまでそのままにしておくことにし、部屋を出た。

 着替えを済ませ、建物の外へ出るとベラが王女の着ていた服を洗濯しているところだった。


「ほうら、やっぱりその方があんたには似合っているよ」


 ベラは王女を見るとニコニコと笑う。


「じゃあ髪が乾くまでの間、アナベルの部屋へ行ってみるかい?」

「あ……良いのでしょうか?」

「良いも何も、あの娘は待ちくたびれているだろうよ」


 ベラはさらに階段を上って行った。王女は少し緊張していた。今まで、自分と同じくらいの年齢の女の子と接した事がなかったのだ。

 王女の前に現れる女の子達は、家臣達の娘で、みな一様に澄ましていて、一言二言話せば王女の前から下がって行く。その中に心を割って話せる相手などいないに等しかった。心を割って話せるのは兄達と二匹の竜くらいなものだろうか。


 ベラは三階の奥の部屋の前で止まると、ドアをノックした。王女はドキドキする気持ちを抑えつつ、今までの自分の立場と逆のような気がして可笑しくなった。一人でに笑みが出そうになった時、ベラがドアを開けた。


「いらっしゃい! 待ってたよ!」


 その途端元気のいい歓迎の言葉と共に、満面の笑みのアナベルが部屋の真ん中にある肘掛椅子に座っているのが見えた。


「ね、川へ落ちたって? どうしてそんな事になったの?」


 アナベルは王女の返事も待たずに知りたくて仕方ない事を捲し立てた。


「あ、あの……」

「ほらほら、そんなに立て続けに話しては、お嬢さんが困ってしまうだろう?」


 ベラが間に割って入った。


「だって母さん、川へ落ちたんだよ! そんな事そうそうないでしょ? ね、川へ落ちた時、どんな気持ちだった?」


 アナベルは椅子から身を乗り出して王女に尋ねる。

 王女はこの時初めてアナベルの様子が普通と違うのに気付いた。好奇心で一杯の瞳も、屈託のない笑顔も、よく通る声もその現実を覆い隠しているが、アナベルは明らかに人とは違った。


 膝の上のひざ掛けは綺麗なブルーとオレンジのチェックでアナベルによく似合っている。


「ごめんねお嬢さん、アナベルは足が悪くてあまり外へは出ないんだよ。だから外の出来事を聞きたくてね。元気があり過ぎて、いつもこんな有様さ」


 ベラは王女に椅子をすすめながら笑顔で言う。その椅子は木材で出来ているが、何も飾りのない質素な物だった。王女はそっと腰掛けた。


「あたしのお喋りに気を悪くしたら、直接あたしに言って」


 アナベルは朗らかに笑った。


「いいえ、気を悪くする事はないと思います」


 アナベルの笑顔に引き込まれる様に王女は笑って答えた。ベラはその様子を確認してから、王女の濡れた服を干してくると出て行った。


「あの……はじめの質問は何だったかしら?」


 王女が椅子に座ってアナベルに言うと、アナベルはすぐさま答えた。


「なぜ川に落ちたか!」

「そうでした……わたし家の敷地で乗馬をしていたのですが……その……馬の馬具が壊れていたらしくて、馬が言うことを聞いてくれなくなりまして、通りへ出てしまったのです」


 本当の中に少しの嘘を交えながら王女が話し出すと、アナベルは身を乗り出した。


「それで?」

「それで、馬の行く方向に任せてたのですが……さすがに川の柵を目の前にした時はもう駄目だと思いました」

「そのままぶつかったの?」

「いいえ、飛んだのです。馬が柵を乗り越えて川を飛び越えようとして……でもその川は、越えられる程の狭さではなかったのです。それで、そのまま川へ落ちてしまいました」


 アナベルは目を丸くした。


「水は? 冷たく無かった?」

「……正直覚えていないの、水面に出るのに必死で……気が付いたら、男の人に助けられていました」


 アナベルは感心した様に王女を見た。


「あんたお嬢様なのにやるね……馬って怖くない?」

「いいえ、彼等はちゃんと感情を持っているのです。だから、無理強いしなければいい友達になれるのですよ」


 王女は言いながら、自分でも意外な程、感情を隠さず気持ち良く話せているのに驚いていた。


「友達ね……馬と友達になるなんて、アントニオも同じ様な事を言ってたなぁ」


 王女はアナベルの言ったその名前に反応した。


「あら……わたしを助けてくれた方、そのような名前でした……そう言えばあなたによろしくと言われていました」

「そう? アントニオがやりそうなことだね。あの人、困っている人を助けずにはいられない人だから。私が小さい頃通りで遊んでいた時からそうだよ」

「通りで遊んでいたのですか?」

「そう、あたしの足は事故でこうなってしまったけど、それまでは普通に歩いたり走ったりしていたんだ」


 明るく話すアナベルは何処にも無理している様な気配はなかった。本当になんでもない物として自分の運命を受け入れているのだろうか。三年ほどの年の違いとはこうも違うものなのだろうか。そんな事が出来るのだろうか。


 王女は自分の事を思った。もし、これが自分なら、こんなに明るく人に接する事なんてきっと出来ない。きっと、誰にも会いたくないに違いない。王女はアナベルを見つめた。この人は、なぜこんなにも明るいのだろう。


「……そう……それからはずっとここに?」

「そんな顔しないでよ、この部屋の中からでもいろんな事わかるんだよ」


 アナベルは笑った。


「たまに、翼のある竜のソラが挨拶がわりにこの上を飛んでくれたりもするしね」


 アナベルの言葉に王女は驚いた。


「ソラが?……」

「そう! あのソラが! だからあたしの部屋を最上階にして貰ったんだ」


 王女は自分の知らないソラの行動を不思議な想いで聞いていた。一番の友達だと思っていたソラとフィール、彼等にも自分の生活があるのだ。


「あたしが怪我をしたのが、ソラの飛行を間近で見たのが原因でね。大きな身体で自由に空を飛んでいるのを見て、余りにも感動しちゃって……それまでは遠くに見えていただけだったのに、その日は一気に手が届きそうなくらい近くを飛んだんだよ」


 アナベルは目を閉じた。


「今でも、あの時の感動は忘れないよ……ソラがこの辺りを飛ぶことはあまりなかったからさ……でも、あの時は突然大きな竜が飛んで来て驚いた……そのまま海の方へ行ったから、追いかけたんだ。その途中で馬車に轢かれちゃった」


 アナベルはなんでもない事の様に舌を出した。王女はただアナベルを見つめた。


「……それはいつの事ですか?」

「事故?……五年前の出来事だよ」

「五年前……」

「でも、それからはソラがこの上を飛んでくれるようになったのさ。たまには何度も旋回してくれたりするんだよ」


 王女は笑うアナベルの顔を見つめながら、ホッと胸をなでおろした。と同時に言いようのない気持ちになった。王女が初めてソラの背に乗ったのは三年前の夏だ。初めて空を飛んだあの日、隣国のジークリフト王子と供に海を目指した。アナベルの事故が五年前ならあの日ではない。しかし、もしかしたらアナベルの様に事故にあった人がいたりするのかもしれない。

 もしそうだとすれば……王女にとっての掛け替えのないあの日は、誰かにとっては呪うべき日となる。王女はアナベルを見つめたまま何を言えばいいのかわからなくなった。

 そんな王女の気持ちに知る筈もなく、アナベルはハッとしたように口を開いた。


「ね……そう言えば、あたし、あんたの名前も聞いていない。あたしはアナベル、あんたは?」


 王女は一瞬付いて行けずにアタフタと答えた。


「あ……わたしは……シ……ソルです」


 一瞬シリルの名を騙ろうとした王女は、自分の兄が別名を名乗ったために陥った窮地を思い出し、慌てて言った。ミドルネームならあまり知られていないだろう。所がアナベルは顔を輝かせた。


「わぉ!……太陽って意味だね?」

「そうです」

「太陽かぁ……」


 アナベルは屈託のない笑顔を向けた。


「あんたの周りの人はみんなあんたが大好きなんだと思うよ。あたしもあんたの事、ソルって呼んでもいい?」


 その笑顔は心の中が明るい色に染まるような気持ちがした。王女は嬉しくなった。家族にしか呼ばれないソルというミドルネームを笑顔の素敵なアナベルが呼んでくれるのだ。


「えぇ! ではわたしもアナベルと呼んでも良いかしら?」

「勿論、いいよ!」


  その笑顔を見ながら王女は、事故の後の事をアナベルに尋ねたくなった。話してくれるか如何かはわからない。王女はゆっくりとアナベルを見た。


「アナベル……あなたはソラを恨んでいないのかしら?」

「なんで?」

「多分、ソラの背に人が乗っていたと思うのです……その人共々恨まないのですか?」


 王女の真剣な瞳にアナベルの笑顔が消えた。しかし、その次の瞬間優しく微笑んだ。


「正直に言うと後悔したよ……ソラを追うんじゃ無かったって……もう立てないとわかった時は毎日泣いていたしさ……でも、そんな時だった……ソラがあたしの様子を見に来る様にこの上を何度も旋回したんだよ。信じられる? ソラはあたしの事故のことを知っていたのよ!」


 アナベルは窓の向こうの空を見上げた。


「あたしは王族じゃないのに、元気付ける様に何度も来たんだよ。ソラのその行動を見て、悲嘆していた気持ちが元気にならないわけないじゃない。それから、本当の友達がどういうものか、家族の愛情がどういうものか、少しずつ分かって来たんだ……あたしが笑っているとね、みんな機嫌がいいんだよ。それって不思議じゃない? みんなが元気だとそれがあたしにも伝染するんだ。足で立つ事が出来なくても、あたしは大丈夫だって気が付いたよ」


 アナベルは王女を見た。


「今はあの事故は誰のせいでもない、自分の不注意で巻き起こした物だとわかっているよ……後悔はしてる。でも誰も恨んだりしない」


 その真っ直ぐな瞳は王女を捕らえ、心に温かい物を灯した。そんな風に思えるアナベルはきっと神様に愛されているのだろうとすら思う。


「あなたはとても強いのですね」

「強くはないよ、でも何だかあんたに話してスッキリしちゃった」


 アナベルはそう言うと王女を見つめた。


「ソル……あんたはの周りの人と違うね。本当のことを言うとね……あたしの周りの人は事故直後のあたしを知っているから、こんな話をしたがらないんだ。あのアントニオでさえ事故の事は無視するんだ。立てないことに変わりはないのにさ。でも、話すと不思議だけど気が楽になるんだね」


 そして、少し身を乗り出すと王女の顔を覗き込んだ。


「ね、ソル。あたしと友達になれない?」


 その言葉を聞いた王女は、一瞬アナベルを見つめ満面の笑みを向けた。


「もう既にわたし達、友達ではないかしら?」


 王女の言葉にアナベルはパッと日が差すような笑顔を見せた。


「わたしは初めての人とこんなに話した事ないの。あなたは不思議な人ねアナベル」

「あたしも同じような事考えてたよ。自分の思うことを素直に話したの初めてさ」


 二人は顔を見合わせフフッと笑い合った。


「また来てくれる?」

「えぇ! ただ……家を抜け出した時に限りますけど……それは内緒よ」


 王女は口元に人差し指を当てた。アナベルはくすくす笑う。


「その代わり、手紙を書くわ」

「手紙?……あたし、字は読めないよ」


 途端にアナベルは少し肩を落とした。


「あら、大丈夫よ。字が読めなくても楽しくなるような手紙を書きますもの。それに、簡単な言葉を少し付ければ読む練習になるのではなくて?」


「嬉しい! ソルからの手紙待ってるよ!」


 喜ぶアナベルを見ながら王女はそっと立ち上がった。


「わたしはもう行かなければならないと思うの」

「え?……だって服がまだ乾いていないでしょ?」

「……わたしが着ていた服はあなたに上げる、その代わりこの服をいただくわ?」


 アナベルは少し驚いて笑った。


「そんな服でよければ構わないよ」

「ありがとう」


 王女は部屋の扉を開けながらもう一度アナベルを見た。アナベルは至極残念そうに視線を寄せていたが、王女は手紙を書く事を固く誓い部屋を出た。

 外には意外な程近い場所にベラが立っていた。


「あ……わたし、そろそろ行きますね」


 王女が声を掛けるとベラは目尻を拭いて笑った。


「あぁ……またおいで……」


 そう言ったベラの目が涙で濡れているのに気付くと、王女はベラを覗き込んだ。


「ベラさん?」


 ベラは優しく笑う。


「あぁ……そうだ髪を整えてあげようね」


 下へ降りるとテーブルと椅子の置いてある場所へ行き、ベラは王女の髪を丁寧にほぐし、ふんわりとした三つ編みを編んでくれた。髪を編みあげるとベラは満足そうに言った。


「さあ出来た! アダムの鍛冶屋は鍛冶屋街の中程だよ。分からなくなったら、その辺りで聞けばいい。みんな、知っているから教えてくれるだろうよ。あんたの服は、帰るまでには乾いているだろうから、また寄りな」

「あの、その事なんですが……この服と交換してくださいませんか?」

「またあんたは……あんたの服は、そんな物よりずっと質のいい物だ。交換する気が知れないね」

「良いのです。今日のお礼にアナベルに差し上げて下さい。アナベルにもお話ししてありますから。その様な物で良いのなら……ですが」

「そんな物って……」


 ベラは呆れた様に王女を見ていたが、やがて笑い出した。


「全く、お嬢さんってのには参っちまうね。じゃあ、今日の記念に貰っておくよ。きっとアナベルも喜んで着るだろうから」


 外へ出ると女の人が一人待っていた。


「迷子にならないようにさっきの橋の所までこの子に連れて行って貰いな。よろしく頼むよ」


 ベラの配慮だった。


「何から何まで、ありがとうございました」


 王女は丁寧にお礼をした。


「いいんだよ。またおいで、アナベルが喜ぶから……」

「はい! 是非!」


 上を見るとアナベルが手を振っていた。


「手紙! 待ってるね!」


 王女は手を振って応えベラの元を離れた。門を出る際に振り向くと工房の布は風に舞いはためいている。この美しい光景は、アナベルの心の様だと思いながら王女は工房を後にした。


「あたしは配達があるから橋の所までしか行かないけど、あんた大丈夫かい?」


 工房を一緒に出てくれた女工は王女に聞いてきた。


「はい、後は人に聞きながら向かいますから」


 川から工房への道を今度は逆に歩きながら、女工が色々と聞いてくる。


「あんたどの辺りの家の子なんだい?」

「あ……大通りを少し行った所です」


 誤魔化しながら王女はドキドキしていた。バレたら厄介な事になる。だが女工はそれ以上は気にしないのか橋の袂まで送ると王女に笑顔を向けた。


「じゃあね、また遊びにおいで、アダムの所は有名だから迷わないと思うけど気をつけて行くんだよ」

「はい、ありがとうございます」


 丁寧にお礼を言うと王女は教えてもらった通りに橋を渡り、アントニオの向かった方へ歩き始めた。




いつもの倍の長さになってしまいました・・・。

読み難い場合は申し訳ないです。

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― 新着の感想 ―
[一言] シリ……ソルお嬢様、中々大胆。 ベラティスさんも、アナベルちゃんもいい人達ですね。 本編より過去の話ではありますけど、街の人達のいい人ぶりから王様の治世は素晴らしいものだったのかな? という…
[良い点] ソルにアナベルというお友達ができましたね。 最初、ジークと一緒にソラの背中に乗った日に!?と焦りましたが、違うと分かってホッとすると共に、そんなツライ境遇でも、明るいアナベルの様子に胸が温…
[一言] アナベルが、すっごくいい子ですね! 不幸な事故で歩け無くなっても、明るく生きていく強さは素晴らしい! 感動で涙!
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