花束を持って
城に戻ると、いつもの様に廊下から入ろうとした時、その廊下をアルカス王子とその側近が歩いているのが見えた。王女は急いで駆け出して行く。
「いけません! お待ちください姫様!」
シリルの声が遠くなって行くのを気にも留めず、王女はアルカス目掛けて走った。
「アルカス兄様! ほら見てくださいませ! 花をこんなに摘んできたのです!」
入り口に差し掛かった時、王女は廊下の向こうから歩いて来るアルカス王子に声をかけた。しかし、アルカス王子は少し慌てた様子で急いで王女の傍へやって来ると、そっと窘めた。
「ソル、来客中だ……」
窘められると共に直ぐに兄の後ろから声が聞こえる。
「まるで花の妖精ですね」
ビックリしてアルカス王子の後ろを覗くと、花の間から王女の知らない数人の男達の顔が見えた。今の声はこの人達の中の誰かが発したらしい。しかし、さらにクスクスと笑う声がする。王女がもう少し覗き込むと、そこに、隣国のジークリフトが笑いながら立っているのを見つけた。王女は思わず息を呑んで真っ赤になった。
「し、失礼いたしました……」
慌てて脇に寄ると、王女は腕いっぱいの花束を抱きしめた。ジークリフトは数年前の少年の姿から背が伸び凛々しくなって見える。
「申し訳ありません、一番下の妹です。ソル、挨拶を……」
アルカス王子に促され、王女はお辞儀をしたがそれ以上は緊張して何も言えない。そんな妹の様子に苦笑しながらアルカス王子は尋ねた。
「お会いした事は……」
「ええ、母の葬儀の時、彼女とは話をさせて頂きましたが……その前にも五百年祭の時にお見かけしましたね」
声変わりをしたジークリフトは、三年前の少年の声とは違い落ち着いた響きをしていた。それもさることながら、王女は心臓が飛び出すのではないかと思うほど鼓動が早くなる。
ジークリフトの言った事は、ブルーナ王妃の植物園で迷子になって寝てしまった事以外に、初めて逢った時のカーテンの影から見ていた王女の事までも覚えているという事だ。
王女は大量の花の中に顔を埋めた。とてもじゃないが、恥ずかしくてジークリフトの顔を見る事など出来ない。
「お久し振りです……」
王女の前で、ジークリフトの声がする。
「……はい……ご無沙汰しております……」
どうにかそれだけを言いい、少し膝を曲げただけで王女は花束を抱きしめた。本来なら、挨拶の時に顔を見せないのは失礼にあたる。でも、今はこんなに沢山の花を抱えているのだから、許してもらおうと王女は動かなかった。自分の真っ赤になっているであろう顔を、ジークリフトの前に晒したくない。
「至らない妹で申し訳ない。では、行きましょう」
アルカス王子は恥ずかしさでいっぱいの妹の気持ちを察したのか、直ぐにそう言った。そして、王女にそっと小さく声をかける。
「すまぬ。やはり先ほどジークリフト殿が来られることを言うべきだった……」
そして、一行は何処かへ行ってしまった。
本当にそうだ。アルカス兄様はなぜ先程ジークリフトが来る事を教えてくれなかったのだ。花の中で顰め面をしてみたが自分の失態を思うと虚しくなる。
漸く追い付いたシリルが息を弾ませ王女の横に付いた。
「ですから、お待ちくださいと申し上げたのに……」
「……はい、反省しています」
王女は大きく息を吐いた。緊張が一気に緩む。
ジークリフトが王女の事をそこまで覚えているのは意外だった。自分の中の記憶を思い浮かべると、そこまで酷い事はしていないと思うが……何かよっぽど強烈な印象を与えてしまったのだろうと思う。王女は花を抱えながら大きな溜息を吐くしかない。
それから王女は少し気落ちしたまま母の元へ向かった。
アリシア王妃は王女の抱えてきた大きな花束を大層気に入り、部屋に入って来た王女を抱えている花束ごと抱きしめた。
「後でルナンがもっと届けて下さるそうです」
どうにかそれだけ報告すると、王女は花束をアリシア王妃の侍女に渡した。
「まぁ……こんな重い物を姫様は一人で抱えて来たのですか?」
アリシア王妃の侍女は驚いたが、王女は気にしなかった。
「はい、早くお母様にお見せしたくて……」
王女は腕を曲げたり伸ばしたりしながら笑う。
(それに、この花束に助けられたもの……)
心の中でつぶやいて、王女はジークリフトとの再会を思い出し、また大きく息を吐いた。
アリシア王妃の侍女が壺に花を生け、部屋中に飾ると二人はその中でお茶を飲んだ。アリシア王妃との時間を過ごしながらも、王女はジークリフトの事が気になった。
そわそわと落ち着きの無い王女に気が付いたアリシア妃は、娘の顔をじっと見つめている。
「ソル……何かありましたね」
王女は少し俯いてため息をついた後、母の顔を見た。
「お母様……今日ルガリアードのジークリフト様がお見えになる事をご存知でしたか?」
「えぇ、聞いていますよ。何故です?」
「わたくし知らなくて……先程廊下で鉢合わせてしまったのですが……失礼な事をしてしまいました」
「何をしたのです?」
優しく尋ねる母に王女は先程の事を話した。
「あらまあ、花束で隠して対面せずに挨拶してしまったのですか?」
「突然でしたので驚いてしまったのです」
「そう、ならばちゃんと謝らなければなりませんね。今日の夕食にジークリフト様を招いています。その席でお話しなさい」
「はい」
母は優しい。これが父ならば淑女たる者のすることでは無いと叱られる所だ。母に話した事で王女の気持ちは少しだけ軽くなる。
シリルは端の方で小さくなっていた。
「お母様、聞いてくださってありがとうございます」
「これから幾らでも突然の出来事はあります。これを機会に対応できる心を養うのですよ。それから、シリル、此方へ」
シリルに声を掛けると母は何かを耳打ちした。
「この子は暫くわたくしの部屋でお茶を致しますから、よろしくお願いできますか?」
「はい……承知致しました」
シリルはチラリと王女を見ると、深々と礼をし部屋を出て行った。
「……お母様? シリルはどうしたのですか?」
「気にしなくても良いですよ。わたくしの用事をお願いしたのです。そうですね……あら? ソラですね……」
王女と会話の途中で、アリシア王妃が窓の外を見て言うのを聞いて、慌てて王女は立ち上がった。
「忘れておりました! 私ソラにおやつを持っていく約束をしていたのです」
「あらまぁ……それなら急がなければね……でも、今日はお客様がいらしているから、宮廷料理人も時間をさけないでしょう」
そして、アリシア王妃は目の前のテーブルにある大きなケーキに目をつけると、王女ににっこりと笑いながら指差した。
「これをお持ちなさい」
王女が戸惑っていると、アリシア王妃はお皿ごとケーキを持ち上げ確認している。
「これならあなたも持つ事が出来るでしょう。馬には人参が一番のように、竜にはケーキがいいわ」
「……本当ですか?」
「えぇ、わたくしが初めてリングレントを訪れた時に実証済みです。さあ、お持ちなさい」
いつもは宮廷料理人と一緒に肉や野菜や果物をカゴいっぱいに持って行くのだが、今日は王女一人で持って行くのだから仕方ない。
「ソラに食べさせたら、直ぐまた此処へ戻ってらっしゃい。良いですね」
「はい。では……これをいただいて行きます。お母様、ありがとうございます」
ケーキを食べる竜など聞いた事はないが、母が実証済みだと言うのだから大丈夫だろう。王女は皿ごとケーキを受け取るとアリシア王妃の部屋を出た。廊下の窓から、庭に居るソラが見えている。王女はその方向に向かった。ソラは、出口からそう離れていない場所にいた。
「ソラ! 約束のおやつを持って来ましたよ!」
王女が声をかけると、ソラは王女に顔を向け、頭を下げると嬉しそうに挨拶をした。王女はそのままおやつをあげていいか確認しようと兵士の姿を探したが、その傍にいつも居るはずのソラ付きの若い兵士の姿がない。
「いつもの方は居ないのですか?」
王女は手に持っていたケーキの皿をソラに見せた。
「今日はお客様がいらしていて、たくさん持って来ることが出来なかったの……これで許してくれますか?」
ソラは王女のかざしたケーキを見ると、顔を近づけ匂いを嗅ぎ、大きな舌でケーキをすくう様に一気に口の中へ入れた。それからソラは大きく鼻から息を出す。
王女はその様子を見て笑った。それは、ソラが気に入ったものを口にする時の癖だった。
「良かった、気に入ったのね。それでは、きっとフィールも気に入ってくれるわね」
王女の言葉にソラは(勿論です)と返事をする様に、大きく翼を広げすぐに閉じた。
「では、貴方が家に帰る前にフィールの分を用意しておきます」
そして空になった皿を近くの茂みに置くと、王女はソラを抱きしめようと手を伸ばす。ソラは嬉しそうに王女に向けて首を下ろしかけたが、急にそれを止めると少しだけ首を戻し王女の後ろの方を見つめた。
「ソラ?」
いつもの様に王女の側まで顔を下ろしてくれると思っていた王女は、ソラの様子に振り向いた。
「ジークリフト様……」
振り向いた先には、ジークリフトが立っていた。彼は目を見開いて真っ直ぐにソラを見つめている。何処かでソラを見かけ、きっとここまで走って来たのだろう。ジークリフトの呼吸が乱れている。
王女は突然のジークリフトの出現に酷く緊張を覚えた。
先程の失態を今此処で謝る方が良いのでは無いだろうか。
シリルは何処へ?
王女の失態を止められなかったと余りに落ち込んでいるので、アリシア王妃は自分がいるからいいと休憩に出しました。
でも、やらかすのが王女です。




