恐喝
◇◇◇
「…………」
「ちょ、待って下さいって!」
「……んだよ」
「どうして逃げたんですか!? いくら相手が異形種のガチ勢って言っても、俺たち二人がかりでやれば……!」
一心不乱に走り続ける剣持ちに、強めの口調で訴える弓持ちの男。
その手には未だ弓が構えられていて、しきりに後ろを振り返っていた。
そんな弓持ちに舌打ちをこぼした剣持ちは、足を動かすスピードをゆるめながら言う。
「馬鹿野郎。状況見てわかんねぇのか。あの野郎、“隠密してた”って言ったろ。今だってミニマップにはアイツの表示が出てねぇ。その意味を考えろよ」
「ど、どういうことですか」
「隠密の効果が出てるってことは、少なくとも70越え、最悪80以上ってことだろうが」
視界に映るミニマップを見つめながら、忌々しそうに呟く剣持ち。
『忍者』が持つ《葉隠れ》や『盗賊』《スニーキング》等、他プレイヤーのミニマップ探知から逃れることを可能とする隠密系統スキル。
それらはスキルの種類によって多様な副次効果があるが、すべてに必ず『一定以上レベルが上であること』という発動条件がある。
そしてそれは基本的に、5や10程度の差ではない。
最低20、スキルによっては30もの差が条件となっている場合もあるのだ。
そんなレベル差を必要とする隠密効果が有効になっていた。
それはすなわちあの茶色い人外マフィアが、サーバー全体でも上位に入る自分たちの『54レベル』よりも、はるかに高レベルだということに他ならない。
信じがたいごとではあるが、そうでなくては説明がつかないのだ。
「は、はちじゅうて……そんなん聞いたことないですよ」
「そこまでの高レベルで、なおかつ名前も顔も知られてねぇガチ勢っつったら……もう間違いねぇ。さっきのヤツは『ああああ』だ」
「うわ、マジですか。『ああああ』って言ったら、オンゲーしか趣味のない陰キャクズの集団ですよね?」
「…………」
「俺、どっかで見ましたよ。平均レベルランキング以外でランカーになれる知能も力量も持ってないから、毎日レベル上げと格下PKばっかりしてる低プレイヤースキル(PS)集団がガチ勢共だって」
「……おい、やめとけ」
「それなら尚更殺しに行きましょうよ!『ああああ』のひとりを殺したとなったら、俺らの名前も売れまくりで一躍有名人ですよ! 80越えのジャイアントキリングと行きましょうよ!」
弓持ちがはしゃいで戦意を燃やす。
その聞きかじりの知識は、それでいてこの世界のプレイヤーが持つ『ああああ』の認識そのものだった。
ダンジョン踏破ランキング、領域守護者討伐数ランキング。
生産品流通率ランキング、総資産ランキング、支配領域数ランキング。
このLiving Heartsに存在する様々なランキングは、公式ホームページ上で常時更新がされる、明確な『トッププレイヤー』を決定づけるものだ。
そこにランクインすれば名前と顔が売れに売れ、道を歩けば尊敬の羨望の眼差しを受けられる。
それで『二つ名』などが貰えれば特別なスキルも開放されるし、何より公式からランカーへの報奨金のような現金の支給まであり、Living Heartsプレイヤーなら誰もが当たり前に憧れるものだ。
そんなランキングの中のひとつ。
『クランメンバー平均レベルランキング』で1位を独占し続けているガチ勢クラン『ああああ』の名は、他のランキングではまったく目にすることがない。
ボス討伐もダンジョンの踏破も、『ああああ』は成していないのだ。
金銭、権力、栄誉、名声。すべてが手に入るランキング入り。
そこを目指すためには十分とも言える『サーバー内での最高レベル』のガチ勢たちは、そんなに高レベルだというにも関わらず、ランキング入りがまったくできていない。
それを見たプレイヤーたちは、ごくごく自然な答えを出した。
“『ああああ』にはそれができないのだろう”と。
そんな認識が浸透した世界になれば、『クランメンバー平均レベルランキング1位』という栄えある地位が、かえってマイナスイメージに変わる。
そこまで平均レベルが高いというのに、攻略という面では何の活躍もできない者たちだとされ、たちまち悪評が流れ出した。
その結果、ガチ勢クラン『ああああ』は、レベル上げと弱いものいじめばかりが得意の低プレイヤースキル集団だと言われるようになっていた。
「ダンジョン踏破もボス狩りもできないような、斜に構えて人外使ってるイキりガチ勢の奴らなんて、俺ら2人でかかれば余裕ですよ!!」
普通のプレイヤー視点で考えれば、ランキング入りは目指して当然。
だからそれをあえて避けているなんて思いもしない。
しかし一部のトップクラン、特に掲示板のボス情報スレッドに出入りするような者たちは、彼らの真実を知っている。
彼らガチ勢はただ目立ちたくないだけであるという、真実を。
そしてまた、この剣持ちのPKも真実を知る者のひとりだった。
知っているから、弓持ちの浅はかな言葉には、ひどく焦りを見せていた。
「おい! やめろっつってんだよ! もしそんなセリフを『ああああ』に聞かれたら……」
先程のガチ勢『EAK』がここで狩りをしていたと仮定するのであれば、この周囲にパーティメンバーがいる可能性が高い。
それにこんな舐めた暴言を聞かれてしまったら。
必ず目をつけられて、杖持ちと同じような目に遭わされるだろう。
そうした最悪を想定し、弓持ちを制止する剣持ちの男。
だが。
「……ア゛ァ~?」
「え」
すでに最悪は、その場にあった。
◇◇◇
「なンだなンだァ~?『ああああ』のガチ勢がどうしたってェ?」
上半身は筋肉質な裸をむき出しに、その下半身には黒い毛皮のズボン。
頭は黒いヤギの顔をした異形種アバターのプレイヤー、『椎茸強盗』。
それが地面に座り込みながら、闇の中で眼孔を赤く光らせ、問う。
「なンかよォ、ガチ勢はイキりだのクズだのって言ってんのがよォ、俺の耳に聞こえた気がすンだよなァ~?」
「あ、いや……あの」
いくらガチ勢相手に戦意を滾らせていたとは言え、ここで鉢合わせるのは想定外。
そのうえ相手の異様な風体に、弓持ちは焦る。
「えっと……」
「…………チッ」
しどろもどろになりながら、ちらりと剣持ちを見る弓持ちの男。
しかし肝心の剣持ちは、苦々しい顔をしながら舌打ちをし、視線を横に逸らすばかりだ。
それと合わせてじりじりと後ずさりする様子を見れば、ここで戦う意思がないことは明らかだった。
「なァ、そうだろ? さっきそンなこと言ってたよなァ~?」
ゆるりと緩慢な動作で体を起こすヤギ面の男。
弓持ちはその数秒にも満たない時間で頭を回し、意を決して弓を持つ手に力を込める。
あのヤギ面・は自分と十歩以上も離れている。
それは狩人である自分の距離だ。
先制で移動不可効果のあるスキル《ピアッシング・アンクル》を射ち込めば、この優位な距離を維持したまま戦うことができる。
雑魚狩りしかできない効率厨とそんな形で戦えたなら、万に一つも負けはない。
そう考えて矢を引き絞ろうとし……
「言ってたよなって聞いてンだけど?」
「――えっ!? はぁっ!? な、なんで……!?」
……しかし狙いの先にヤギ面は見当たらず、その声が自身の真横に移動していることをようやく知る。
瞬きをした覚えもなく、刹那も気を緩めていない。
そうだというのに、まるで知覚もできないまま、自分の隣に移動していたヤギ面。
弓持ちはそれだけですっぱりと理解した。
コレは自分の敵う相手ではない、と。
「『ああああ』がクズ? イキり陰キャの腐れキモオタだってェ?」
「い、いや、あの」
馴れ馴れしくも肩に腕を回してくる、黒い毛色のヤギ頭。
自分の顔と横並びで話すヤギのアゴから、語尾に母音がねっとり残る声が鳴る。
肩に乗せられたゴツゴツした手はいやに重く、それでいて噛み付いているようにしっかりと掴まれて。
悪魔じみた化け物が出す剣呑な気配に、弓持ちの男が息を呑む。
「あ、あの……さ、さっきのは誤解というか……その……」
「まったくテメェは本当に――――本当によォくわかってるなッ! えらいぞ!」
「えっ」
意外な反応。
ヤギ面はなぜか友好的で、嬉しそうに弓持ちの肩をバンバン叩く。
「ガチ勢がクズ? イキったゴミ共だって? そりゃあもうマジモンの真実だ。ガチ勢ってのはリアル捨ててる腐れ廃人でしかねェし、それが集まる『ああああ』だって当然ヤベェ。あのクソクランはイカれたクズ野郎しかいねェ、ゴミ溜めみてェなところなんだよなァ~」
「いや、まぁ……えっと……はは……」
「そうだからこのオレは、毎日毎日ほとほと呆れ果ててんだぜェ。“こんなクズ共が生きてていいのか”って具合でなァ。わかるだろ? わかってくれるよなァ? クズ溜まりに身を置くってのは、中々にツラいところがあンのよォ」
「そ……そうですか。た、大変ですね…………それじゃあ俺はこの辺で……」
力、スピード、存在感。
すべてにおいて格の違いを見せつけられた弓持ちは、一刻も早く逃げ出すべく話を切り上げようとする。
だが、ヤギ面の手は肩に乗ったままだ。
そのうえその押さえつける力は、みるみるうちに増していく。
「まァ待てよ。……『ああああ』がクズだってのは、確かに事実だ。それに関しちゃあお前は何ひとつも間違ってねェ。だからまァ、それはいいンだ。それはな。あいつらを悪く言うのは、な~ンも問題ねェんだよ」
「ええと、はは……そ、そうっすよね」
「アァ、そうだぜェ…………でもなァ?」
「え?」
「……このオレが悪く言われるのだけは、どうにも聞き捨てなんねェンだよなァァ~~!?」
唐突。
弓持ちの眼前に地面が勢いよく迫り、そのまま激しく衝突をする。
「“ガチ勢の奴ら”、ってのはよォ~ッ!? このオレも含めて言ってンだよなァ~ッ!? ア゛ァ!? そうだよなァ!? テメェはオレのことも引っくるめてケチをつけてンだよなァァァ~~~ッッ!?」
「ぎゃ……っ!」
「ア゛ァッ!? このオレが何だってェ!? テメェはオレを何つったァ!? もういっぺん言ってくンねェかなァ~!? 今ッ! ここでェ! オレの目を見ながらよォォ~~ッ!?」
「ぐべぇっ!」
頭を掴み起こされて、もう一度地面に向かって振り下ろされる。
再び引き起こした耳元に怒鳴りつけ、また地面に叩きつける。
弓持ちが何かを言いかけた途中で、その口は地面に塞がれる。
「ゴ、ゴメ――――ぶっ」
「ア゛ァ~? 聞こえねェなァ? 今何つったァ~? ちゃんと馬鹿で低PSの脳死モブ狩りガチ勢にもわかるように言ってくンねェかなァァ~~ッ!?」
「……や、やべろっで……あやまるがらぁ……っ!」
「オォ、今のはわかったぜェ。“やめろ”っつったんだろ? わかるわかるゥ、わかりみ深しィ~――……って誰に物言ってんだテメェはよォォ~~~!?」
「ぐぎッ!?」
「“やめろ”ォ!? “やめろ”だァッ!? 浮かれてンじゃねェぞゴミカスがァッ!!」
「ゴッ……メ゛ェッ……!」
「誰がァッ! 誰にィッ! 偉そうな口をォッ! きいてくれてんだよこの腐れボケがァッ!!」
「ガ……ッ! ぐぅ……! ごあぉっ」
ヤギ面の化け物が狂ったように叫びながら、鷲掴みにした頭を繰り返し地面に打ち付ける。
誤作動を起こした機械のように、同じ動きで何度も、何度も、何度も。
それを見続ける剣持ちの男は、その場から一歩も動けない。
幾度のPKをも重ねてきた彼であっても、その光景には足をすくめて背筋を凍らせていた。
「……よォ、テメェもオレをディスったかァ?」
「う……ぁ……」
「…………っ!」
唐突にぴたりと動きを止めたヤギ面が、ぐるんとその顔を回して剣持ちを見る。
体は向こうを向いているというのに、顔は真後ろにすっかり振り返った姿は、改めてソレが人外の存在であるとわからされる異様さだ。
そのおぞましい姿と合わせて、土と血と涙でにぐちゃぐちゃになった仲間の顔を片手で持ち上げる様子に、剣持ちは恐怖を抑えきれずに逃げ出した。
「アレェ? 逃げちまったなァ? 仲間がこンなに大変なのに、あっさり見捨ててスタコラとよォ」
「……ぁ…………っ」
「まァどうでもいいかァ。名前とツラは覚えたし。……それよりテメェの始末が先だ、なァ?」
「ひ……っ! な、何を……っ!?」
「ア゛ァ? ンなモン決まってんだろ。テメェのケツに花ぶっ刺して記念撮影すンだよ」
「な……なんでそんなこと!?」
「クカカ、テメェは名前を売りてェんだろォ? だったらオレが手伝ってやるっつってンだよォ~」
「そんな……や、やめ……!」
「ケツ花ダブルピースをネットに晒せば、テメェは一躍有名人だぜェ~? 存分にはしゃげよゴミカスゥ~」
HPを失い力を出せなくなった体で、必死に這って逃げようとする弓持ちの男。
その地に伏せた背中を踏み付け、防具破壊のスキルでどんどん裸に剥いていくヤギ面の男。
「や、やめろよぉ……っ!」
「やめて下さい、だろォ?」
「やっ! やめてくださいっ! お願いしますっ!」
「ア゛ァ~? いやですけどォォ~?」
力で組み伏せられてやりたい放題される、弓持ちのPK。
カラリコロリと乾いた音が、おぞましいヤギ面のどこかから鳴り、深い森の遠くまで響き続けていた。
◇◇◇




