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第21話 白昼霧の遊霊 4/4

 〜浮遊霊人カゲビト登場?〜


その部屋の扉は周囲と比べても一際古く黒ずんでいて、表面には引っ掻き傷のような痕が残っていた。鍵はかかっていなかったので、2人は扉をそっと開き、隙間から中の様子を窺う。細長い視界の中に、淡い光に照らされた室内の景色が少しずつ映し出される。やがて視界が部屋の中央に届き、2人は遂に発見した。

(あれ、あれ!)

 月美に袖を引っ張られなくても分かる。部屋の中央にひっそりとたたずむ朧ろな人影。その周囲には複数の人魂が飛び交い、人影ともども青白い光を放っている。

 宇沢の証言通り着物のような白い服を着ていて、長い髪で顔が隠れているようだ。しかし辰真達は宇沢よりも更にその人物に近い位置にいたので、より詳しく観察ができた。断言は出来ないが、雰囲気からするとその人物は女性であり、背格好を加味すると少女くらいの年代のようだ。そして彼女の白い着物には、よく見ると何本もの黒い線が薄く引かれている。


(やっぱりあの異次元人が人魂を操っていたんですよ!どうします、捕まえますか?)

(本気で捕まえるつもりなのか?どう見ても関わらない方が良さそうだが)

 とはいえ、もし本当に彼女が人魂を操っていたのであれば、こちらの存在に気付いていないとは考えにくい。このまま大人しく帰るというのは難しそうだった。

(じゃあこうしましょう!二手に分かれて、塩を左右から同時に撒くんです。さっき読んだんですけど、カゲビトは塩を撒かれると逃げ出すことが多いらしいですよ)

 そう言うと月美は、ポケットから塩の入った小袋を取り出す。

(それ、お清め用の塩なのか?)

(え、給湯室にあった普通のお塩ですけど、何か問題でも?)

(いや、気にしないでくれ)

 突っ込むのを放棄して塩を受け取り、月美と別方向に動き出そうとした辰真だったが、移動を始める直前、ポケットの中で携帯が振動を始めた。


(ん、着信……?)

(玲からですよ!)

 画面を見ると、確かに白麦玲からの電話だった。いつもはこういう状況では電波が遮断されている事が多いため、着信があること自体に戸惑ってしまうが、とにかく通話に出る。

「もしもし、白麦か?」

「森島君!旧市立病院の件、面白い事実が分かったわよ」

 玲の口調は明らかに興奮している。聞いているこちらは逆に不安になってくるが。

「今病院だから小声で頼む。で、何が分かったんだ?」

「病院のどこにいるの?第四病棟?何階?」

「何階って、一応4階に来てるけど」

「4階!まさか「傷のついた扉」の部屋じゃないわよね?」

「いや、そ、その部屋で何かあったのか?」

「もちろん、そこで起きたのよ。痛ましい事件がね」

 相変わらず興奮した口調で、玲は説明を始めた。


「あなた達も知ってると思うけど、その第四病棟は元々揺木市の市立病院だったの。この市立病院は昭和の初めくらいから建ってたんだけど、事件が起きたのは第二次大戦中ね。戦時中、揺木は空襲の範囲外だったけど、戦争の影響は大なり小なり受けていたわ。市立病院もそうだった。

 ある日のこと、揺木街道を走っていた大型トラックが事故を起こしたの。そのトラックには、建設資材が山のように積まれていた。当時はどこも資材が足りなかったから、多少無理してでも多めに運びたかったのね。幸い地上で事故に巻き込まれた人はいなかったけど、被害者はいた。木材の一つが、街道の横に建っていた市立病院の窓の一つに突き刺さったの。

 その時その病室には窓際にベッドが一つだけ置いてあって、難病の少女がそこで寝ていた。そして、看護婦さん達が現場に駆けつけた時、少女は既に息絶えていた。全身にガラスが突き刺さった状態でね」


 玲は一呼吸置いて話を続ける。

「噂が流れ始めたのは、戦争が終わってから2、3年経った頃のようね。患者さん達がその病室を使うのを嫌がり始めた。夜になると血まみれの少女の霊を見たとか、人魂に追いかけられたっていうような話が広まり始めたの。中には少女に襲われて、手足にガラスで切られたような傷ができた人もいたみたい。あと、その病室の扉にも、夜間になると同じような傷痕が浮かび上がったそうよ。

 そうなると当然、助けてもらえなかった少女の怨みだとか、病室に泊まった人を同じような目に遭わせて殺すつもりだとか、噂にどんどん尾ひれがつき始めた。市立病院の人達も噂が広がるのは嫌だったから、その病室を封鎖して、噂を徹底的に封じた。封鎖以降少女の霊は出なくなって、噂も沈静化したらしいわ」


「……その後は?」

「月美のお祖父さんが市立病院を買い取ったのは、その事件から20年くらい後のことだから、稲川家の人達は事件のことを知らない可能性が高いわね。それ以降霊が出たって話は聞かないから、もう成仏したのか、まだ病室が封鎖されているのかのどちらかだと思う。私は幽霊には詳しくないからはっきりとは言えないけど、もし病室の封鎖が解かれたんだとしたら……その子の霊が再び……ザザザザザ」

「おーい白麦?」

 間の悪いことに、そこで電波が途切れてしまい携帯からは雑音しか聞こえなくなった。だが玲の情報は、現在の状況を説明するのに充分すぎるくらいだった。横で話を全て聞いていた月美も、今や顔面蒼白になっている。


「えっと、じゃあつまり、あれは異次元人じゃなくて……幽霊……?」

 異次元人の可能性が否定されたことで、にわかに恐怖に襲われたようだ。そしてその時、今まで2人を無視して立ち続けていた少女の霊が、突然彼らの方を向いた。長い黒髪の下の底無し沼のような眼に見つめられると、2人は金縛りに遭ったように動けなくなる。


 一歩、また一歩。少女はこちらに近付いてくる。周囲の人魂は赤色に変わり、部屋全体が禍々しい赤色の光に包まれていた。そして一歩進むごとに彼女の白い服、そして肌に刻まれた線も濃くなり、やがて線の端々から黒い液体が滴り始める。

「だ、駄目っ!」

 強い恐怖のためか金縛り状態を脱出した月美が、持っていた塩の小袋を投げつける。袋は少女にぶつかり、わずかな間動きを止めたようだったが、一瞬後には体をすり抜け床に落下、少女は平然と進んでくる。


「やっぱり、い、異次元人じゃありません!どうすれば?ねえ、どうすればいいんですか?」

 月美はとうとう錯乱し始めた。一方の辰真はまだ動けなかったが、月美の様子を見たことで逆に落ち着きを取り戻し、自分でも驚くほど冷静に現状を俯瞰していた。

 稲川がこんな状態になるのは珍しい。以前大蜘蛛テクスチュラに遭遇した時も近い状態になったことはあるが、同じ恐怖による錯乱でも、今回のはまた方向性が違う。人間は未知の存在に恐怖を抱くものだ。稲川にとって異次元人は身近な存在であるために恐怖心は薄かったが、それが否定されて未知の存在である幽霊に変わったために恐怖が増幅したのだろう。

 だが、別に幽霊だろうが異次元人だろうがよく分からないのは同じだし、むしろ異次元人の方が知らない事が多い気がする。幽霊が怖くて異次元人が怖くないというのは矛盾してないか?恐怖ってのは一体何なんだ?辰真の思考は次第に迷走し始めた。


 だが、そんな思索にかまけている余裕はなかった。気付けば少女はあと数歩の所まで近付いてきている。そうだ、正体が何かなんて今はどうでもいい。重要なのはこの場を切り抜けることだ。考えろ。さっき塩を投げられた時、あいつは一瞬動きを止めた。だったら、これならどうだ?

 辰真は懐から紙の包みを取り出し、表面を破いて迫り来る幽霊、又はカゲビトに放り投げた。包みは空中で開き、中から白い粉があふれて彼女に降りかかる。その途端、少女は顔を俯け体を大きく折り曲げた。


「え……?」

「稲川、ここを出るぞ!」

 その機を逃さず辰真は身を翻し、背後の扉をこじ開けると、月美を連れて赤い病室から脱出し扉を思いきり閉める。

 第4病棟の廊下は相変わらず闇に包まれていたが、病室に比べれば深海のように穏やかだった。2人は壁沿いに座ってしばらく息を整えていたが、やがて月美が尋ねる。

「ふぅ、助かりました。森島くん、あの包みには一体何が入ってたんですか?」

 辰真がにやりと笑って答える。

「お前が投げたのと同じ、塩だよ」

「え?でもさっきのは効果無かったのに……何が違ったんでしょう」

「違うとすれば、持ってきた場所かな。あれは霊安室から貰ってきたんだ」


(追記事項)


 その後、2人はまっすぐ第1病棟に駆け込み、第4病棟の一刻も早い改装を一樹に訴えた。数日後には病棟の横に慰霊碑が設置され、少女の霊が完全に出なくなったことを確認してから工事が始まった。


 あの少女が幽霊だったのか、異次元人だったのかについての結論は今も出ていない。昔から幽霊の目撃が多い場所では、不思議なほど他の異次元生物の目撃情報も多いことが後に分かった。しかし、少なくとも第4病棟の件についてはこれ以上調査を行わず、そっとしておきたいというのが辰真と月美の共通見解だった。


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