第21話 白昼霧の遊霊 1/4
(依頼)
揺木総合病院応接室は緊迫した空気に包まれていた。辰真と月美が座るテーブルの反対側に座り、深刻そうな表情で腕で台形を作っているのは、月美の兄にして総合病院の研修医、稲川一樹である。
「よく来てくれた。今日お前達を呼んだのは、他でもない……」
「…………」
「…………」
「勿体ぶらずに早く教えてください!」
「はは悪い悪い。なに、また院内で妙な噂が流れてるから、この前みたいにささっと解決してほしいと思ってな」
「妙な噂……ひょっとしてまた異次元生物が出たんですか?」
テクスチュラの件を思い出したのか、期待と不安が入り混じった表情で尋ねる月美。
「いやもっと単純な話だ。幽霊だよ幽霊」
「幽霊?……この前も最初は幽霊だって騒いでませんでした?」
「いやいや、今度のは本当に幽霊らしいんだよこれが」
そう言うと一樹は説明を始めた。
「一週間くらい前から、第4病棟にいる職員や入院患者の間で突然噂が広がり始めたんだよ。夜中になると誰もいない廊下から足音がするとか、実際に半透明の人影が歩いているのを見たとかな。勿論噂が広がる前に病棟は閉鎖済みだが」
「まーた第4病棟ですか……改装するんじゃなかったんですか?」
「予算とか色々あって延期になったんだよ。大丈夫だって、お前達が事件解決したら今度こそ改装するから」
「でも幽霊なんですよね?わたし達の専門はアベラント事件なんですけど」
「幽霊でも異次元生物でもそんな変わらないだろ」
「違いますー!異次元社会学と民俗学をごっちゃにしないでください」
「変な噂が流れたら困るのはどっちでも同じだ。それともあれか、月美は幽霊が苦手なんだっけか?あ、それで思い出した。聞きたまえよ少年、ここにいる月美君が昔遊園地のお化け屋敷に行った時に__」
「森島くんに変なこと吹き込むのはやめてください!兄様こそ、わたし達に何か隠してないですか?本当に幽霊が出たんなら、院内で後ろめたいことでもあったのかなって思っちゃいますけど」
「おいおい。お前も知ってのとおり、うちは設立時から医療事故なんて一度もない優良病院だぜ?やましい事なんぞ全く無いね。……設立前のことは知らないけどな」
「設立前……というのは?」
一樹の妙な言い回しに辰真が切り込む。
「ああ、この病院は俺達の祖父さんの代に旧市立病院の建物を買い取って開業したんだよ。今はほとんど建て替えてしまったんだが、第4病棟だけ古い建物をそのまま使ってるんだな。つまり、昔そこで何かあった可能性はある」
「うーむ」
「森島くん、兄様の言うこと真に受けなくていいですからね」
「とにかく、困ってるのは確かなんだから頼むよ。月美、病院の評判が落ちたらお前だって困るだろ?」
「ふう、しょうがないですね」
口振りとは裏腹に、月美は妙に嬉しそうな様子である。
「アベラント事件のことなら、わたし達に任せてください!」
研修医として多忙な一樹は、「じゃ、詳しい話は実際に見た人達に聞いてくれ」と言い残して応接室を去っていった。
「で、どう思う?」
学生2人が残された応接室で、辰真が月美に尋ねる。
「どう思うって、何がです?」
「この騒ぎについてだよ。本当に幽霊の仕業だと思うか?」
「やだなぁ、兄様に毒されすぎですよ。第4病棟は前回も異次元生物が出てますからね。目撃証言からしても異次元生物、中でも異次元人の仕業と考える方が自然です。そりゃ、幽霊の可能性もゼロじゃないかもですが……」
異次元絡みであることを半ば確信している月美からは、恐怖の感情は殆ど感じられない。以前幽霊屋敷、もとい異次元屋敷を探検した時の反応からして、幽霊が怖いという意識も多少はあるようだが、それ以上にアベラント事件への好奇心が優っているらしい。
更に言えば前回のように虫型生物ではなく人型が相手なのも安心ポイントのようだ。
「それより、目撃者の皆さんに詳しい話を聞き込みに行きましょう!」
(証言1 梅原京子)
まず2人が向かったのは、第3病棟のナースステーションである。控え室に入ると、休憩中の看護師が2人を出迎えてくれた。彼女の名前は梅原京子。月美の昔なじみであり、辰真もテクスチュラの事件でお世話になっている。相変わらず第4病棟の担当だったため、またしても事件の目撃者になってしまったらしい。
「京子さんお疲れ様!はい、差し入れです」
コンビニの新作アイスとドライアイスが詰まったビニール袋を月美が手渡す。
「ありがと。でもあなた達、また調査に来てるわけ?お休み中じゃないの?」
「最近はアベラント事件が多いですから、休んでる暇なんてありません!兄様もわたし達に頼ってきますし、父様や姉様も一目置いてくれてるんですよ」
「月美ちゃん、立派になったわね。少し前まではあんなに小さかったのに、いつの間にか彼氏まで作っちゃって」
「も、森島くんは研究室仲間ですから!ですよね?」
「え?ああ、まあ」
「まだそんな曖昧な状態なの?そろそろ態度決めた方がいいんじゃない」
話が妙な方向に転がり始めたので、辰真が軌道修正を図る。
「それより稲川、あまり時間もないんだし、早く話を聞いた方が良くないか?」
「そ、そうです。京子さん幽霊の情報を教えてください!」
「仕方ないわね。今回のは正直、参考になるか分からないけど」
そういって梅原看護師は証言を始めた。
「あれは宇沢さんに夜食を運んだ後だから、夜の12時過ぎくらいだと思うけど、廊下を歩いていたら奥の方から変な物音が聞こえたの。お皿が割れるようなね。そっちにあるのは小さな物置部屋だけなんだけど、音が出るとしたらその部屋の中しか考えられないから、そこに入ってみたのよ」
「え、一人で行ったんですか?」
「度胸ありますね」
「あの時は何故か恐怖とかあまり感じなかったのよね。で、ドアを少しだけ開けて中を覗いてみたんだけど、中の様子に特に変わった所は見当たらなかったの。でも、どこかに違和感があった。何が変なのかすぐには分からなかったから、そのままドアを閉めようとしたんだけど、閉める直前、違和感の正体に気付いてしまったのよ」
京子の声色がどんどん暗くなっていき、比例して月美達は話に引き込まれていく。
「違和感……」
「そう。床の上には、変わった物はなにも落ちてなかった。お皿やガラス片みたいな、さっきの音の原因になりそうな物は何も。そしてもう一つ」
京子は一旦言葉を切り、深呼吸して続けた。
「そもそもその部屋、入った時点でぼんやり明るかったの。誰かが電気を消し忘れたのかなと思って天井を見上げたら、そこで……見たのよ」
「み、見たって……?」
「青白く燃える火の玉。昔の怪談で、お墓とかに出てくるようなのが、天井近くに浮いてたの。ビックリして動けないでいたら火の玉の方が動きだして、私の頭の上を通って後ろの壁の中に消えて行ったわ。しばらくしたら動けるようになったからナースステーションに急いで帰ったけど、それ以降は何も起こらなかった。これで話は終わり」
目撃証言は意外にあっさり終わった。
「そんなことがあったんですね。でも、怪我とかなくて良かったです!」
「透明な怪物に襲われたのに比べれば全然平気よ」
「他に、何か気付いた事は?」
「ん〜、そうねえ」
京子はビニール袋から取り出した「東京氷河期」なる新作アイスにスプーンを立てながら思案する。
「そういえば火の玉が近付いてきた時、熱さはまったく感じなかったかな。むしろ冷気を感じたわね」




