第17話 ハワイアン・イリュージョン 1/3
8月。夏季休暇中のため、揺木大学キャンパス内にいる学生数も通常の7割減という状態が続いている。だが残念な事に、城崎研究室所属の学生は度重なるアベラント事件のレポート執筆のために連日大学に通っていた。自分が3割の方にいるって1年前の自分に言っても信じないだろうな、と研究室所属の森島辰真は嘆息しつつ考える。
そんな辰真は現在、第一校舎にある学生課事務室を訪れていた。休暇中も事務室は一応開いているが、使用する学生数が極めて少ないため職員も一人だけが交代で出勤、応対しているのである。彼が事務室に入った時には、眠そうな目をした女性職員が一人窓口に座っているだけだった。辰真の姿を見て職員が立ち上がり手を振る。
「はーい、いらっしゃーい」
声も雰囲気ものんびりとしている彼女こそ、揺木大学職員にして辰真の従姉・森島祭香である。
「相変わらず暇そうだな」
「そんなことないよー。いつ悩める学生が駆け込んで来てもいいように準備してるんだから。タツ君はまだレポート書いてるの?」
「まあな。あと二千字で終わるけど」
「偉い偉い。そうやって立派な社会人になって、お金を稼いで、大学にバンバン寄付しちゃってねー」
「遠慮させてもらう。で、祭姉、今日は何の用だ?」
祭香は、職員の立場で辰真を急に呼び出しては業務を手伝わせる事が時々ある。以前は辰真も暇だったので応じていたが、研究室に入ってからはあまり時間が取れないため、面倒事は極力回避しておきたいところだ。
「そうそう、用事があったんだった。あのね、さっき気付いたんだけど、今日というか最近って、大学にほとんど誰もいないでしょ?」
「そりゃ休み中だからだろ。それで?」
「うん。実は海外から留学生が来てるから、案内役をクラスメイトの子に頼もうと思ってたんだけど、誰も大学に来てないの。だから代わりに案内してあげてほしいと思って」
予想以上に面倒そうな案件だった。
「留学生……って、一体どこから?」
「ハワイだよ。素敵でしょ?」
「素敵でしょじゃなくてな。俺はネイティブと話すほどの英語力は無いぞ」
「そこは大丈夫だよ、クォーターの子だから日本語けっこう喋れるって」
「そうは言ってもな」
「ねえお願い。タツ君の履修記録改竄して単位一個サービスしちゃうから」
「さらっと恐ろしい事言うなよ……」
「ここだけの話、最近怪獣とかそういう事件についてのクレームが増えてるのよね。もちろん城崎研究室が悪いわけじゃないけど、この前体育館が壊れた時も誤魔化すのが大変で_」
「あーもう分かった、簡単な案内だけならやってもいい」
「さっすがタツ君!それじゃ早速来てもらうから、ホールで待ってて」
第一校舎入り口の玄関ホール。普段は多数の学生が行き来するこの場所も、休み期間中は一気に往来が減り、なんとも寂しい空気になる。がらんとしたホール内で辰真が一人待っていると、外からこちらに向かって真っ直ぐ歩いてくる人影が見えた。
彼女が入ってきた瞬間、ホールに南国の風が吹いたような気がした。健康的な褐色の肌。水色の地に白い花模様をあしらったワンピース。腰まで伸びた黒髪と、頭部を彩る真っ赤な花の髪飾り。あどけなさの残る顔立ちに人懐こい笑みを浮かべて彼女は言った。
「アロハ!ワタシの名前はメリア・ミサ・マヒナウリ。メリアって呼んでくださいネ」
「じゃあメリアは経済学を学びに日本に来たんだな」
「ハイ。ヤーパナ(日本)はワタシのクプナ、つまりお祖父さんのコキョウでもあります。ヤーパナに来るのを前から楽しみにしてたですヨ」
一通り構内を回った後、二人は食堂のテラス席で休憩を取っていた。普段は満員御礼のテラス席も今は貸切に近い状態だ。照りつける日光を遮るパラソルの下で椅子に腰かけるメリアの姿は、ここが日本だという事を思わず忘れるほど似合っていた。
「でもどうして揺木に?」
「クプナが揺木生まれなのですヨ。今はキエレ叔父さんがケイエイしてる料理のお店にステイしてます。「SDAHL」って名前の」
「料理屋か……ってSDAHL!?」
「知ってるですカ?」
「ああ、友達とよく行く」
「イオ ホイ(本当)?ひょっとして、キエレの作るクレイジーなデビルスープをいつも注文する大学生ってタツマの事だったですカ?」
「いや、それは違う」
でもそいつの事ならよく知っている。
メリアは周囲のがらんとしたテーブル席を見回して言った。
「今はお休み中で、皆さんバカンスに出かけてると聞いてます。タツマはどうして大学に来てるですカ?」
「そうだな、簡単に言うと研究のレポートを書くためなんだが……」
アベラント事件のことをどう説明すればいいのか未だによく分からない。どうも世間一般の認知度は低いらしいし、ましてやメリアは外国人だ。何かないかと辰真が鞄の中を探していると、それを見ていたメリアが突然身体をずいっと寄せてきた。
「タツマ、それは何ですカ?」
「えっ」
うーん、近い。南洋民族のためか、人との距離感もこちらとは少々違うようだ。しかしメリアの興味は鞄の中の物体にあるようだった。
「こ、これか?」
「アエ(はい)」
辰真が取り出したのは金色の繭玉である。揺木の伝承に伝わる巨大蚕ココムの絹糸で編まれたもので、持ち主に幸運をもたらすと言われているアイテムだ。前学期に繭衛門の金塊を探す冒険の結果手に入れたものだが、今の今まで鞄の中にしまいっぱなしだった。
「これ、強いマナを感じますネ」
ときおり光る繭玉を受け取り手のひらに乗せたメリアが呟く。
「何を感じるって?」
「マナ。あらゆるモノに宿る不思議な力です。ワタシのコキョウでは昔、魔術とかいろいろなコトに使われてたらしいですヨ」
「はあ」
異次元エネルギーみたいなものだろうか。そう言えば白麦も「この繭には幸運が宿ってる」みたいなこと言ってたけど。
「これ、島でも見ない強さのマナ……タツマもアウマクアの加護を受けてるですカ?」
「アウマクア??いや、これも研究のついでに偶然手に入れた物なんだが––」
辰真が説明しようとしたその時、彼の携帯が振動を始めた。研究室仲間の稲川月美からの着信だ。メリアに断って電話に出ると、興奮気味の声が耳に飛び込んできた。
「もしもし森島くん?今大学ですかっ?たった今大学上空で未確認生物の目撃情報があったんですけど空に何か見えます?わたしもこれから向かいますから_」
最後の方は音声がノイズになり、間もなく通話が切れてしまう。携帯の画面は圏外。嫌な予感がする。
「タツマ!」
振り返ると、周囲を警戒するように見回しながらメリアが叫んだ。
「すごく強いマナを持ったモノが近付いてます!」
次の瞬間には、接近は終わっていた。上空に突然凧のような形の影が出現したかと思うと、二人に向かって急降下してきたのである。




