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第15話 飛ばし穴のツチノコ 1/4

 夕刻、揺木大学敷地内。工事中の体育館に併設された武道場の襖を開け、1人の男子学生が中へと進む。襖の内側には異様な光景が広がっていた。床に敷き詰められた白い畳の上に様々なサイズの岩石が散在し、さながら砂浜か日本庭園のような景観になっている。

 信じがたい事に、これらの岩石は数日前に突然室内に出現したらしい。更に荒唐無稽な話だが、この部屋に入った学生は中に棲みついた怪物とやらに全員追い出されてしまった。そのただならぬ様子から武道場の封鎖が決定され、使用再開の目処は立っていない。


「フン」

 男子学生は内部の様子を確認すると鼻を鳴らした。堂々たる体躯を持つこの男の名は塩沢、揺木大学柔道部の主将である。

 神聖な道場を荒らされたのも問題だが、それ以上に不愉快なのは他の部の連中だ。ただの野生動物に恐れをなして逃げ出すなど体連の名折れである。しかも合気道部の女主将に至っては、自分で調査しようともせずにあれこれ策を弄しているらしい。まあいい、ここで俺がそいつを退治すれば柔道部の体制は磐石になる。さっさと始めるか。


 塩沢は岩だらけの武道場内を闊歩し、部屋の中央へ到達した。そこから室内をぐるりと見渡す。三方に襖、残る一つの壁には床の間と掛け軸。足元以外はいつも通りの光景だ。

「!」

 不意に、視界の端で何かが動いた。視線を滑らせると、その方向にある岩と岩の間で光が瞬き、すぐに消える。何かが岩陰にいる。塩沢は気配を殺して岩へと忍び寄り、裏側を覗き込む。そこには風変わりな生物がいた。全長は50cm ほど。三角形の頭部。ずんぐりした胴体。きらきらと水色に輝くウロコ。最初はトカゲかと思ったが、手足が無いところを見るとヘビに違いない。思ったとおり、怪物の正体なんてこんなものだ。こんな小動物を恐れるとは情けない奴らめ。

 小ヘビは彼の視線に気付き、岩陰から飛び出すと身をくねらせて逃走を始めた。さっさと首根っこを捕まえて放り出しせば解決だ。だが、大股でヘビを追いかける塩沢の視界は突然傾いだ。

「!?」

 いつの間にか右膝を畳についているような姿勢になっている。右脚を持ち上げようとして気付く。彼の右膝から下は消えていた。正確に言うと、いつの間にか畳に黒い穴が空いており、塩沢はそこに片脚を突っ込んでいた。

「何い!?」

 脚を引き抜こうとするがまるで動かない。そもそも畳の下はすぐ床になっている筈なのに、何故こんなに深いのだ?もがく塩沢の足元で、穴は突然巨大化した。次の瞬間武道場から塩沢の姿は消え、彼の意識は異空間へと放り出された。



 午前11時、揺木大学敷地の隅。社会学部城崎研究室所属の森島辰真と稲川月美は、グラゴン事件の後片付けのため研究室を訪れていた。ちなみに先生は市役所に呼び出されたまま帰ってきていない。グラゴンが起こした地割れに巻き込まれ一時は地の底に消えたプレハブ小屋も、現在は無事に地上への帰還を果たしている。……ただし室内の荒れようは惨憺たるもので、元通りに整理するのに午前中いっぱいかかったのだが。


「ふぅ、やっと綺麗になりましたね!森島くんもお疲れさまです」

「じゃあ今日は、もういいよなこれで」

 そう言いながらすでに帰ろうとしている辰真を月美が呼び止める。

「あ、待ってください!これからお客さんが来るんですから」

「客?なんでこんな時期に?今は休み中だろ」

「なんでって、そりゃアベラント事件とか、その種の怪奇事件が起きたからに決まってます。今日来るのは合気道部の主将さんだそうですよ」

「おいおいちょっと待て。いつからここは学生のお悩み相談所になったんだ?そんなの学生課の仕事だろう」

「でも序盤の頃は街の人の事件相談がよく来てたじゃないですか。最近はあまり来てませんけど」

「序盤……?」

「とにかく、例によって先生はいないんですから、わたし達がなんとかするしかありません!」


 それから間もなくして、合気道部主将の里中藍子が研究室にやって来た。小柄で線も細く、一見すると運動部の主将には見えないが、月美によると市内最年少で段位を取得した記録を持つ実力者らしい。実際只者ではなく、あいさつを終えるなり無感情に部屋を見まわすと「傾いてますね」と感想を述べた。


「え?」

「よほど大きな衝撃を受けたのか、柱というか建物全体が30度ほど傾いてます。まだ建ってるのが不思議なくらい」

「ま、まあ色々あったんで。気にしないでください」

「大丈夫だと思いますよ。うちの道場は傾いてる上に怪物まで住んでますから。あと、これから話す事は体連の沽券に関わる事でもあるので、くれぐれも内密にお願いします」

 そう言って里中は事件の説明を始めた。合気道部を含む複数の部が共同で使用している大学付属の武道場に、数日前に突然怪物が出現。不思議な力で内部を岩まみれにして占領してしまった。腕自慢の部員たちが追い出しにかかるも、不思議な力で武道場から叩き出されてしまい全滅。つい先日は大学最強と名高い柔道部主将も敗れ、体連側は手詰まりになってしまったらしい。


「それでわたし達の所に来たんですね?」

「ええ。ここではそういう胡散臭い事件を専門に研究してるって聞きましたから」

「胡散臭い事件か……」

「ただでさえ体育館が使用不能だというのに、このまま武道場の封鎖が長引けば、夏期練習ができない事による損害は計り知れません。体連を助けると思って、どうか」

 まっすぐな瞳で訴えかける里中主将。ここだけの話、体育館の件については辰真達も関わっているので断りにくい。

そんな中元気よく返事をしたのは、いつものように月美だった。

「わたし達に任せてください!」


「で、どうするんだよ」

 辰真と月美は昼食兼打ち合わせのため、学食の片隅に移動していた。里中主将はすぐにでも武道場に来てほしい様子だったが、城崎教授の教えによれば何より重要なのは腹ごしらえである。普段は満席御礼の学食内も夏休み中ということで空席が目立つが、それでも部活動やサークル活動で少なくない数の学生が集まっている。


「どうするって、何がです?」

「武道場の件だ。二つ返事で請け負ったけど、似たような話を知ってるのか?」

「いえ、知らないです!」

「そうか……」

「でもさっきの話を聞いてると、怪物に心当たりあるような気がするんですよね」

「心当たり?」

「はい。森島くんだって知ってると思いますよ。怪物の特徴をもう一回確認しましょう。小型のヘビのような見た目、ずんぐりした胴、三角形の頭。何かを思い出しませんか?」

「何かって、そうだな……ずんぐりしたヘビといったらあれだ、ツチノコぐらいしか心当たりがない」

「正解!そう、ツチノコですよ。日本のUMAでも一、二を争うくらい有名ですよね。ツチノコの情報を集めてみましょう。本当なら専門家にも意見を聞きたいんですが」

「専門家って米さんの事か?でもあの人今海外に_」

「僕に何か用かね?」

 突然頭上から聴き覚えのある声が降ってきた。

「「!?」」

 いつの間にか二人の横に立っていたのは、ボサボサの髪に汚れた迷彩服を着た不審人物。すなわち、YRK(揺木大学歴史研究会)前代表にしてUMA研究家の米澤法二郎だった。


「米さん?」

「いつの間に帰ってきたんですか?」

「うむ。UMA捕獲のためのアメリカ遠征からちょうど帰ってきたところだ。今回も実に充実した旅だったよ。テキサスでの一週間以上に渡るチュパカブラ追跡劇!ニュージャージーでのジャージーデビル捕獲作戦!結局捕獲に至れなかったのは残念ではあるが……だが土産話は後だ!今さっき諸君は「ツチノコ」と言ったね?帰国早々新たなUMA情報を掴めるとは実に運がいい!詳しい話を聞こうじゃないか」

 目を爛々と輝かせて身を乗り出す米澤の姿は、長旅の疲れを微塵も感じさせなかった。うん、実に頼もしい。


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