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第十二話 繭衛門の金塊 前編

                          ~巨大蚕ココム登場~


蚕神堂…絹村大通りの片隅に佇む小さな祠。揺木における養蚕の創始者である金山繭衛門が建てたと言い伝えられている。商売の守り神とされ密かな参拝者も多い。

(出典:YRK製作「揺木の名所百選」15)


 明け方、絹村大通り。絹村は揺木市でも屈指の高級住宅地であり、路地の両側には手入れの行き届いた広い庭に囲まれた豪勢な屋敷が立ち並んでいる。

 まだ多くの住民が眠りについている中、一つの屋敷から一人の老年女性が路地に出てきていた。彼女はまっすぐ大通りの隅、歩道からやや引っ込んだ場所へと向かっていく。狭い草地を通り抜け、見えてきたのは小さな木製の祠。絹村には似合わないほど質素で古びたこの祠こそが知る人ぞ知る蚕神堂だ。

 老女は祠の屋根の埃を払い、周囲の落ち葉を掃いた。毎朝の蚕神堂の掃除と参拝が彼女の日課である。彼女の家が経済的成功を収めたのは、ここに祀られた蚕神様のお陰なのだから。


 そう、蚕神様は商売の守り神なのである。かの実業家・鐘山繭衛門も、蚕神様の導きによって揺木の開拓者となった。彼女の年代では常識である。しかし、その言い伝えを覚えている者も今では少なくなり、参拝に来るのも年配者ばかり。

 このまま蚕神様へのお参りが減り続ければ、そのうち祠も無くなってしまうのかしら。それは寂しい。最近では熱心にやって来る若い学生もいるのだけど……参拝しながらそんな事を考えていると、祠の中に一瞬光が見えた気がした。お堂の中を覗き込む。内部に祀られているのは銅色の毛玉のような物体で、蚕神様の繭と言い伝えられている。老女の目の前で繭がわずかに揺れ、一瞬だけ輝いた。

「!?」

 彼女は老眼鏡を拭き、もう一度繭を凝視する。しかし、繭は二度と動かなかった。きっと気のせいだ。老女は蚕神堂から立ち去る。人気がなくなった祠の中で、残された繭は再び光を放った……


 夕方、角見商店街。喫茶店「スモーラー」内でYRK(揺木大学歴史研究会)の会合が開かれていた。毎週か隔週に一度開かれるこの会合では各々が進める歴史研究の中間発表やサークル活動の打合せ、その他市内で起きた出来事などが報告される。本日の議題は、夏休みの合宿検討・学園祭の展示内容・差し迫った期末試験の予想・日によって変わるコーヒーの風味等々。ちなみに参加者は現代表の白麦玲と城崎研究室生でもある稲川月美・森島辰真の計3名である。


「森島君はどう?」

 女子学生二人が報告から脱線して世間話を続けている間、テーブルの隅で一人コーヒーを味わっていた辰真は、玲から突然問いを投げかけられた。

「え?今日も酸っぱいと思う」

「コーヒーの話はもう終わったの。学園祭で発表する研究はどうなってるのかって話よ」

「ああ、悪いが余裕がないんで、研究室用のレポートを流用する予定だ」

「わたしもアベラント事件の研究を発表したいと思ってます!問題ないですよね?」

「まあいいけど、ちゃんと証拠を揃えて発表してよね。去年は米さんが仕切ったせいでオカルト大会みたいな酷い有様になっちゃったし……」

 玲が遠い目をする。なおYRK前代表の米さんこと米澤法二郎は、一足先に自主的に夏休みに入り海外へUMA探索に行ってしまった。

「レイは何を研究してるんですか?」

「それなんだけど、二人に手伝ってほしい事があるの」

 玲はそう言うと、自分の鞄から古びた書物を丁寧に取り出した。二人にも見覚えのある物だ。

「それって前に百畳湖で買った奴だよな」

 一月以上前の話になるが、百畳湖にヒャクゾウの調査に行った時、玲は角見神社倉庫に眠る骨董品をまとめて買い付け、連休中はそこに紛れていた古文書の解読に没頭していた。

「ということは、とうとう解読できたんですね?」

「おかげ様でね」

 玲が得意そうな表情で答える

「それで、どんな内容だったんだ?」

「最初から予想はしてたんだけど、これは金山繭衛門の手によるものよ」


「金山繭衛門……」

 YRKに所属していながら揺木史にあまり詳しくない辰真でも、玲がよく口にするその名前は憶えていた。

「確か江戸時代の実業家か何かだったよな?」

「そう!」

 玲の口調が急に熱を帯びる。

「揺木で初めて養蚕業を手掛けて大成功し、後の高級住宅地である絹村を生み出した実業家。そして揺木街道を開いた人物でもあるわ!」

「そして、玲のご先祖様だったりもします!」

「ふーん…………ん?ご先祖様?」

「そうよ。繭衛門は私の五代前の先祖。色々あって今は苗字が違うけど」

 話が意外な方向に転がり始めた。

「繭衛門は揺木市民の間では有名人だったらしくて、今でも揺木のお年寄りの間では数々の逸話が伝わってるわ。揺木街道を一夜にして開拓したとか、落盤事故に巻き込まれても傷一つ負わなかったとか。かなり誇張されてると思うけどね。でも記録も物証もほとんど残ってないから、市の公式な記録上では繭衛門の功績の多くは認められてない。私がこの土地に来て骨董品を探し始めたきっかけも、ご先祖様の事を知ったからってわけ」

「そうなんです!歴史博物館に繭衛門の資料を寄贈して教科書を変えるのがレイの夢なんですよ!」

「なるほど、そうだったのか」

 辰真の知らなかった玲の真実が次々と明かされていくが、不思議と驚きは少なかった。考えてみれば、揺木市出身ではない玲がYRKの代表を務めているのには相応の理由があって当然だ。土地に歴史があるように、人にもそれぞれの歴史がある。


「それで、文書の中身なんだけど」

 玲が話を戻す。

「今日はどこに行って何をした、みたいな断片的な文章が延々と書かれてる。繭衛門の日記というか備忘録のような物だと思うわ。勿論これだけでも凄い価値があるんだけど、少し気になる記述があってね」

 彼女は文書を開き、そこに書かれた一節を読み上げた。

「「霧の洞穴の奥底 金色の繭玉祀りし祭壇眠る」。そして、「蚕神の祠 朝陽差す場所に 霧の洞穴への道示す」。どういう意味か分かる?」

「いや、さっぱり分からん」

「もう。月美は分かるわよね?」

「はい!多分ですけど、金塊の話だと思います」

「そう。繭衛門の逸話の一つに、隠し財産である金塊を揺木のどこかに隠したっていうのがあるの。どうやって金塊を手に入れたのか、いつの話だったのかには色々パターンがあるんだけど、肝心の隠し場所はどこかの洞窟ってことしか分かってなくて、昔から多くの人が探してるんだけど未だに発見されないまま。最近じゃ金塊探しをしてる人もほとんど見なくなったわ。米さんを除いてだけど。そんな中出てきたのがこの文章なのよ」


「なるほど。つまり洞窟の奥の繭玉うんぬんってのは、繭衛門がそこに金塊を隠したことを暗示してるわけか」

「そういうこと。そして霧の洞穴の場所のヒントは第2の文章を見れば分かるわ」

「でもこの蚕神の祠ってやつの場所が分からないと意味ないんじゃないか?」

「それは問題ない。繭衛門が建てた蚕神堂っていう小さな祠が絹村に残ってるの。祠というのはそこで間違いないはず」


 そう言うと玲はまた別の古紙を取り出した。一見すると地図のようだが、何やら小さい記号が大量に書き込まれている。

「それは?」

「さっきの文章が書かれたページに挟まってたの。おそらく霧の洞穴の位置を示す地図だと思うんだけど、意図的に曖昧に描かれてるみたい。多分この地図のどこかに蚕神堂もあって、それが洞窟の場所のヒントになってるんじゃないかしら」


「ふうむ。ところで蚕神ってなんだ?」

「読んで字のごとく、蚕の神様よ。昔の人が蚕のことを「お蚕さま」とか「おしら様」とか呼んで神格化してたのは知ってるでしょ?同じような信仰がここにもあった。しかも揺木の場合は実業家として成功した繭衛門の影響が大きかったから、蚕神様は商売の神としての性格もあるのよ。お年寄りの中には、今でも商売繁盛を祈って祠に参拝に来る人も多いわ」

「ちなみに揺木には大きな蚕の妖怪もいるんですよ!ココムっていう名前の」

「そうね。繭衛門が養蚕を始めたのは巨大な蚕を見たのがきっかけっていう説があるから、そこから派生したんでしょうけど、そういう形の噂の方が広まりやすいのは揺木らしいと言えるかも」

 玲にとって妖怪話は興味が薄いらしく、さらっと流して話を続ける。

「そういうわけで、これから祠の調査に行こうと思うんだけど、よければ二人にも手伝ってもらえないかしら?」

「もちろん手伝いますっ!わたし達はいつでも準備万端ですよ!」

 辰真が口を開く前に月美が二人分の返事を即答していた。


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