第七話 大怪獣揺木市街にあらわる 3/4
第七話 「大怪獣揺木市街にあらわる」~鉱石怪獣オブロス登場~ 3/4
「おーい、月美ちゃーん!アシスタントくーん!ここを通すように言ってくれない?」
関係者以外の立ち入りが禁止されている対策本部の入り口で、どうにか中に押し入ろうとしつつ辰真達に手を振っている女性は、揺木日報の社会部記者・綾瀬川絵理だった。ちなみにアシスタント君というのは辰真のことを指しているようだ。
「通すようにって言われてもな……」
揺木市が怪獣対策本部を設置するのは今回が初めてな上、通信障害など予測不能な事態が続出していたため、対策本部は市内のマスコミの取材を許可していなかった。本部が騒乱に包まれている現状を鑑みればその判断は正しかったのかもしれないが、あっさりと引き下がるマスコミではない。彼らはあの手この手で本部内に潜入しようと試みていたが、絵理は城崎研究室とのコネを最大限に使用しての正面突破を図っていた。辰真達がまだ反応に困っている中、絵理の突破口は意外な所から開かれた。
「ん、月美の知り合いかね?入ってきたまえ」
たまたま様子を見ていた稲川陽造氏の鶴の一声で、絵理は本部内へ堂々と侵入を果たしたのだった。
「ありがとうございます!久し振りね。二人とも元気だった?」
「はい!絵理さんも城崎研究室の一員として来てくれたんですか?」
「いや、取材に来たんですよね?」
「ええ、そうよ」
やっぱり。
「でも、こんな状態じゃまともに取材なんて……」
月美が嵐吹き荒れる対策本部内を見回しながら言う横で、絵理は手早く室内の写真を何枚か撮る。
「ここの取材はこの写真をうまく使えばどうとでもなるわ。今大事なのは現場の取材よ」
「現場の?」
「そ、突撃取材」
突撃取材とは……?辰真達がその言葉の意味を深く考える前に、絵理は部屋の奥の先生を見つけ出して叫んでいた。
「先生!この子達借りてってもいいですよね?」
周囲から質問攻めに遭いその場を動けない城崎先生は、絵理の方を向くと無言でうなずく。それを確認するなり、絵理は辰真と月美を本部から連れ出してしまった。
「念のため聞きますけど、これからどこに行くんですか?」
学生2人は城崎教授のワンボックスカー内部にいた。辰真は助手席、月美は後部座席。綾瀬川記者が運転するワンボックスカーは市庁舎脇の小道を抜け、大通り(またの名を揺木街道)へ向かっている。
「もちろん今話題の怪獣……オブロスだっけ?に、会いに行くのよ」
「知らないと思うので教えますが、ついさっき俺達はそいつから必死に逃げてきたんですけど」
「そうなの?じゃ、案内できるわよね」
「まだ死にたくないんですが」
「何言ってるの、揺木市民がこの程度で死ぬわけないでしょ」
綾瀬川記者は揺木市民をスタントマンか何かと勘違いしてるんじゃなかろうか。
「案内はできますけど、揺木街道は警察の皆さんが閉鎖してるらしいんですよ。どうやって行くんです?」
「警察の封鎖ってのはね、関係者なら簡単に通過できるの。そのためにあなた達を連れてきたんだから」
話しているうちにワンボックスカーは揺木街道に乗り入れていた。この辺りはまだ交通規制がされておらず、普段と変わらない交通量だが、心なしか白バイの姿が多い気がする。車は街道上を軽快に走っていく。市の南部の繁華街から出発した揺木街道は東部の新興住宅街に繋がり、そこから更に北部へと続く。
揺木街道は言わば揺木の大動脈だ。大動脈は人間が生きていく上で非常に重要だが、ほとんどの人間はその重要性を常々考えながら生きていたりはしない。ある物の大切さを認識するのは、その恩恵を受けられなくなった時と相場が決まっている。例えば大動脈なら血栓ができた時、揺木街道なら怪獣に占拠された時だ。まあオブロスとしても、建物を蹴散らしながら進むよりは幅広の街道を通った方が楽だと思っているのかもしれないから、道としての機能を果たすという意味では変わっていないのかもしれないが。
辰真がそんな事をぼんやり考えている間にワンボックスカーは東部住宅街を通過し、北上を始めていた。街道沿いから民家が姿を消し、農地が広がり始めた辺りで、とうとう街道の封鎖地点に到着した。道を遮るように「立入禁止」と書かれた黄色い看板が並べられ、その近くに警官が集まっている。ワンボックスカーがスピードを緩めながら看板に近づいて行くと、警官が行く手を阻むように駆け寄って来た。
「ちょっと、ここから先は見ての通り通行禁止だよ。北部行きたいならあっちから回ってくれ」
打ち合わせ通り、後部窓から顔を出した月美がにこやかに応対する。
「すみません、私達オブロス対策本部から来たんです。城崎研究室に所属しているんですけど」
月美が学生証を見せると、警官は「確認してくるからちょっと待ってて」と言い残して車から離れていった。
「無事に通れそうですね!」
「ええ。でも、これで満足してるようじゃ詰めが甘いわね」
「どういう意味ですか?」
「世の中にはタイムイズマネーという言葉があるのよ」
絵理は辰真の質問に謎めいた答えを返しながら、ゆっくりと車をバックさせ始めた。そのまま10mほど後退し、次いで大きくハンドルを切りながら再発進する。
「!?」
警官が気付いた時には、ワンボックスカーは緩やかなカーブを描いて道路の端、柵が途切れている箇所に向けて突っ込んでいた。
「お、おい君達!止まりなさい!」
警官が慌てて駆け寄ってくるが、時既に遅し。ワンボックスカーは柵を無理やりこじ開け封鎖区域内に侵入、そのまま走り去っていった。
「あはは、一度やってみたかったのよねー」
「一体何をしてるんですか……」
「どうせ通れるんだから問題ないの。こういう緊急事態では時間の方が大事なのよ」
「なるほど、参考になります!」
「いや、しなくていいから」
辰真達の確認が取れたのか、それとも人手が足りないのか、警官が追跡してくる様子はなかった。ここで絵理が撮影準備のため辰真と運転を交代。辰真としてはそのまま回れ右しても良かったのだが、戻ったら戻ったで捕まりそうなので仕方なく北へ進むことにした。
ワンボックスカーは人気のない揺木街道をひた走る。やがて、真っ黒い岩山のようなものが道路前方に覆い被さっているのが見えてきた。言うまでもなくオブロスだ。辰真が絵理の指示で車を減速させる。
「このままゆっくり近寄って行って」
「撮影は私たちに任せてください!」
後部座席の月美はデジタルカメラを握りしめ、助手席に陣取る絵理は既に窓から顔を出してビデオカメラを構えている。
ワンボックスカーは速度をできる限り抑えながらも前進を続け、岩山の方も緩慢にではあるがこちらに向かって歩んでいる。結果として両者の距離はどんどん縮まり、オブロスの姿が約100m程の近さまで迫ってきた。そして、今車がいるのは長い坂道の上の方であり、下方にいる怪獣を観察するには絶好のポイントだった。
「一旦ここで止まって」
絵理の声を受けて辰真がブレーキを踏もうとする。
その時何が起きたのか、当時運転席にいた辰真にはっきりとした記憶は無い。しかし、周囲の状況や同乗者の証言から、以下のようなことがあったのではないかと推測されている。
辰真がブレーキを踏もうとしたその時、地響きにより道路が大きく揺れ動いた。揺れ自体はオブロスに近付くにつれ何度も感じてはいたが、今回の揺れは一際大きく、ワンボックスカーが一瞬宙に浮き上がるほどだった。月美によると、この直前にオブロスが尻尾のトゲ鉄球を地面に叩きつけていたらしい。車が着地すると同時に辰真の足がレバーを深く踏んだ。不運なことに、彼が踏んだのはブレーキではなくアクセルだった。結果として、車は急発進し坂道を駆け下り始める。辰真達が気付いた時には、車はどんどん速度を上げながら怪獣へ向けて突っ込んでいくところだった__
辰真達が乗るワンボックスカーは、ジェットコースターのように周囲の景色を高速で後ろに吹き飛ばしながら怪獣目指して疾走していく。
「ちょっと、は、早く止めなさいったら!」
助手席の絵理が悲鳴に近い声を出す。先ほどとは立場が逆転しているが、取り乱していてもビデオカメラの構えは崩さない。後ろに座る月美も、前の座席にしがみついているがデジタルカメラは持ち上げたままだ。見上げた根性である。だが、運転席の辰真はどうしていいか分からず硬直していた。無理もない。自動車の運転に慣れている絵理や城崎教授ならともかく、彼は数ヶ月前に免許を取ったばかりなのだ。彼らの視界の中で怪獣の黒い鉱山のような姿が急速に拡大されていく。ワンボックスカーは坂道を下り終えると同時に山の麓へ突進した。
「止めてええぇぇ!!」
辰真は巨大な神殿の中にいた。白い天井に、黒曜石で作られたかのような黒い柱。いや、神殿などあるはずはない。いったいあれは何だ……?再び誰かにスロー再生をかけられたような緩慢な世界の中で辰真は思考する。頭上で何かが擦れたような音が聞こえ、車が小さく揺れる。……そうか、ここはオブロスの腹の下、あの柱は怪獣の脚だ。正解にたどり着いた瞬間に世界の動きが正常に戻る。柱に衝突する寸前で彼は大きくハンドルを切った。車が急カーブし、間一髪衝突を回避する。辰真は更にハンドルを切り返し、迫り来る二本目の柱(後ろ脚)を、そして振り子のように動く尻尾とトゲ鉄球をS字を描くような動きで見事に回避した。
「よしっ」
「やりましたね!」
「いいから止まりなさい!前見て前っ!」
「……あ」
その代償としてワンボックスカーは揺木街道から飛び出し、道路沿いの畑に突っ込んでようやく停止したのだった。
一方オブロス対策本部内では未だに侃侃諤諤の、いや喧々囂々の議論が続いていた。
「オブロスの進撃、止まりません!」
「まだ外部と連絡つかないのか!」
「もう少し待ってください!現在職員を市外に向かわせています」
「市民からの問い合わせが殺到していますが……」
「これで倒れた電柱は7本目。はい、今年度の予算尽きました」
「来年度は無いかもしれないがな」
「おい、今オブロスの下を何か走っていかなかったか?」
「ええい、上の判断なんざ待ってられるか!今から出動だ!」
この状況に業を煮やし、混沌の中心で一際大きく吼えたのは警備課長の冷田警部である。
「警部まずいですよ、勝手に出動したらまた謹慎に……」
「うるさい!市民を守るのは俺達の義務だろうが!お前等さっさと着いてこい!」
味原警部補の静止を遮り、強面の警部は部下を率いて本部を飛び出して行ってしまった。
「どうすればいいんでしょう」
大混乱の本部を見ながら安庭副市長が力なく呟く。彼を含め、冷静さを失っていない極一部のメンバーは未だに着席していたが、場を収めることはできなかった。
「市外との連絡はできず、怪獣に対抗する術も見当たらない。頼みの警察は勝手に出て行ってしまうし…」
「一つだけ、対抗策があります」
「へ?」
突如出てきた意外な発言を受け、副市長が呆気に取られた顔をする。発言の主は例の消防官らしき男だ。彼も着席している一人である。
「どういう意味ですか……?」
「現状、主な問題点は2つあります。1つは通信の不調で市の外部と連絡が取れない点。もう1つはオブロスに対抗する手段が見当たらない点です」
着席している全員が、落ち着き払った男の説明に聞き入る。
「1つめの問題点で主に困るのは、活動に市外の承認が必要な組織が動けないところです。都道府県単位で組織されている警察はあの状態ですし、自衛隊にしたところで、出動許可が下りるまでにどれだけ時間がかかるか分かりません。しかし、市町村単位で組織されているところなら、この場で市長に承認を貰えれば出動できますよね?」
「つ、つまり、消防ならすぐに動けるということですか。しかしですね、あなたの言う2つめの問題点はどうなるんです?消防にしたって怪獣に対抗できない点では警察と同じでは?」
男は、副市長の的確な指摘にも一切の動揺なく応答する。
「その点は問題ありません。実は揺木消防署では、そちらにいらっしゃる城崎教授のご協力もあって異次元生物対策用装置の試験的な導入を始めているのです」
「城崎教授が?」
「はい」
いつの間にか机に座っていた城崎教授が笑みを浮かべながら答える。
「消防庁に勤務する知り合いに頼まれて、揺木消防署と異次元中央研究所との協力体制を整えました。異中研の方でも異次元装置の試験運用先を探していたところだったので」
「正式発表と運用する開始はもう少し後の予定でしたが、今現在でも出動は可能です」
「うーん……卯川課長、条例上の問題は?」
副市長の問いかけに、防災課長が今度は即答する。
「さ、災害対応の範囲内であれば問題はないと思います。承認に必要な書類及び人員もここに揃っています」
「では市長、ご判断を」
その場にいる全員の視線が一番奥の席へと集まった。そこに座る霧島市長の年齢は54歳、明治時代の文豪のような口髭を持ち、必要最低限の言葉しか発しないことで有名である。彼は対策本部が結成されてから現在まで沈黙を貫き、状況を見守り続けてきたが、この時初めて重々しく口を開いた。
「行け」
「了解。揺木消防、出動します!」
男は堂々とした振る舞いのまま対策本部を出て行った。後に残された一人である味原警部補が誰に言うでもなく呟いた。
「そうだ、思い出した……あの人が、最近東京から来たっていう駒井消防司令か」




