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第四話 百畳湖の怪物 中編

 第四話 「百畳湖の怪物」 ~揺木水獣ヒャクゾウ登場~ 中編


 揺木中央公園は、揺木市の北東に位置する市内最大の自然公園である。背後に聳える旭山から続く森林地帯をくり抜くように作られた広大な敷地内に、運動場やアスレチック施設、市民プールなどが散在している。そして、公園の東側を占めるのが問題の百畳湖だった。市内では最大の水源地で、その面積は百畳(約165.62㎡)どころではない。百畳という名前は大きさを分かりやすく表現する為に付けられたのだろうというのが歴史学者達の定説だった。その百畳湖の湖畔では、荷物で膨れ上がった巨大な登山用バッグを担ぎ、そのままジャングルに潜伏できそうな迷彩服に身を包んだ男、すなわち米澤法二郎が他の三人に向かって演説をぶっていた。

「さて諸君、我々は艱難辛苦の果てに神秘の百畳湖の畔へと辿り着いた。濃霧に潜む湖の主ヒャクゾウは果たして我々の前に姿を現してくれるのであろうか?」

「いや、言うほど苦労してないです」

 辰真が冷静にツッコミを入れる。事実、揺木市北西に位置する揺木大学からこの湖までは徒歩でもニ十分かからない。

「細かい事は気にしないことだよ森島君」

「そうそう、百聞は一見に如かずですよ!ところで、今日はなんだか人が多くないですか?」

「そうね。……どこから聞きつけてきたのやら」

 週末は釣り人や家族連れで賑わう百畳湖だが、平日の昼間は閑散としている。しかし月美の言う通り、今日は日中から妙に来客が多い。早くもヒャクゾウの情報が拡散し、暇人や野次馬が集まり始めているようだ。

「なに、この程度の人数なら調査に影響はない……もう数日もすれば更に増えるだろうがね。いずれにせよ、今までのデータによるとヒャクゾウが目撃されるのは基本的に夕方以降だ。諸君、それまでの間にこの周辺で調査・観察に適した場所を見繕っておいてくれたまえ。では一旦解散!」


 十分後。辰真は湖畔に置いてあるベンチの一つに座ってぼんやりと湖を眺めていた。彼に言わせれば、これは決して探索が面倒なのでサボっているのではない。このベンチは見晴らしが非常に良いので、誰かに座られないように陣取っているのである。ふと隣を見ると玲が近くにいた。

「ここ、いいかしら」

「どうぞ」

 彼女がベンチの端に腰掛ける。

「探索の首尾は?」

「全然。手掛かりなしよ」

 玲は頭に乗せた麦藁帽子を直しながら疲れた様子で答える。

「そもそもヒャクゾウなんてのが実在するとは思えないけど、仮にいたとして、こんなに騒々しい岸辺に近づくとは思えないわ。だいたいこの公園、湖の外周の約四分の一にしか面してないから湖面の三割くらいしか視認できないじゃない。ここでどれだけ調査しても時間の無駄だと思う」

「ま、それは同感だ」

 思考経路は違っても結論は辰真と同じだったらしい。二人して湖の方を見やる。

「……前から思ってたんだけど、どうして揺木の人達ってこういうのによく集まるのかしら」

 玲の視線の先には、水辺に群がる野次馬達の姿があった。公園の敷地と湖を区切る柵の横には、誰が置いたのかヒャクゾウらしきシルエットが書かれた看板(色の劣化具合から見て70年代に作られたものと思われる)が鎮座し、人々はそこで記念撮影をしていた。

「まあ、揺木出身者はこの手の言い伝えに慣れてるからな」

 大抵の揺木市民は、豊富な怪奇伝承を湯水のように浴びて成長する。そのためか、怪奇現象についても特に抵抗なく受け入れている人が多い。辰真が考えるに、一般的な揺木市民が怪獣に遭遇したとしても、野生動物騒ぎの大型版くらいにしか感じないだろう。現に辰真自身がそうなのだから。もっとも城崎教授に言わせればその感覚は揺木特有のものらしく、玲のような他地域出身者には奇妙に感じられるようだ。

「皆がこの調子なら城崎先生の研究もさぞかし順調でしょうね」

「いや、調査を手伝うほどの物好きは少ないぞ。末端はいつだって人手不足だよ……」

 湖畔ではマイクを持った女性がインタビュー相手を探していた。腕章を見るに、地元の新聞社「揺木日報」の記者のようだ。

「野次馬もだけど、ああいう人も必ず現れるわよね」

「そうそう。で、ああいうのに喜んで出る奴が必ずいるんだよ、揺木市民には」

 二人が話している間にレポーターは相手を見つけたらしく、人影にマイクを向ける。

「ヒャクゾウの噂を聞いて来たんですか?」

「当然ですとも!」

 自信満々に答えたのは迷彩服姿の男だった。その後ろでは山ガールのようなファッションの女子学生が目を輝かせている。

「ヒャクゾウの謎の解明は揺木市民の義務であるからして……」

 YRKには揺木市民の極致とでもいうべき人材が二人もいたことをうっかり忘れていた辰真と玲は、インタビューから視線を逸らし、他人のふりをすることに決めた。


「さて諸君、そろそろ頃合いだ」

 公園の敷地内が夕陽に包まれる頃、YRKの四人は再集合した。時刻は既に18時近く、大勢いた野次馬も数を減らしている。

「それで、これからどうするんです?このままじゃ私達も追い出されますよ」

「分かっている。いいから着いてきたまえ」

 米澤は三人を連れて公園の隅の方へ歩き始めた。歩道を横切り、柵を越え、生垣に囲まれた敷地の中へ足を踏み入れる。一見不法侵入のようだが、そうとは思えないほど堂々とした態度である。更に岸沿いに進み、木々の隙間に開けた芝生へと到着した。バッグを下ろし、中からブルーシートとタープを取り出して広げ始める。驚くべき躊躇の無さと手際のよさだ。

「何を見ているんだ、君たちも手伝いたまえよ」

「……念のため聞きますけど、ここで何をする気ですか?」

「言うまでもなかろう。ここを陣地にヒャクゾウを見張るのだ」

 米澤が湖の方を指さす。この場所は通行エリアから遠く離れているだけあって湖の監視には絶好のポイントだ。三方を木々に囲まれているので見つかる心配も少ない。

「ここ、侵入禁止なのは分かってますよね?」

「時間が無いのだ」

 米澤は湖を眺めながら言った。

「昼間の人だかりを見ただろう。この調子では明日にはもっと野次馬が来るに違いない。するとどうなる?ヒャクゾウの正体を探る、などと言って公園に忍び込む不埒な輩が現れるに決まっている。そうなれば公園の警備は厳しくなり、我々の調査に支障が生じるのではないか!実に迷惑な話だ」

「…………」

 辰真が口を挟もうとするが、黙って首を振る玲と目が合って口を閉じる。

「最悪の事態を未然に防ぐには、他の者に先駆けて調査を敢行するしかあるまい。そのために日中にこの場所を見つけておいたというわけだ」

「先んずれば人を制す、ということですね!流石は米さん、発想が違います!」

「月美、褒めなくていいから」

 渋い顔をしていた玲だが結局ヒャクゾウへの興味は捨てきれなかったらしく、四人全員がこの場に残った。米澤と辰真が迷彩柄のタープを張り、ブルーシートを広げて即席の調査本部が完成。だが未だ湖に霧は発生せず、メンバーは湖畔で待機することとなった。辰真は芝生に寝転がり、月美は携帯電話でヒャクゾウの情報をチェックする。玲は持参した歴史書を読んでいる。その間中米澤はずっと双眼鏡で湖を見張り続けていた。


 太陽が西の空に沈み、海底のような薄紫色の闇が空を覆い尽くした頃、銅像のように固まっていた米澤が急に動き始め、興奮した様子で三人を呼び寄せた。

「ほら、見たまえ」

 三人が双眼鏡を覗くまでもなく、はっきりと視認できた。湖の中心あたりに白っぽい霧が発生している。いや、それだけではない。霧の内側に何か……巨大な影がおぼろげに見える。

「もはや議論の余地はない!ヒャクゾウが我々の前に姿を現したのだ」

「待ってください。誰かが遠隔操作しているのかもしれないじゃないですか。ラジコンとかで」

「いや、それは違うと思いますよ」

 月美が携帯電話の画面を見せてくる。アンテナが表示されるべき場所に圏外の文字。

「霧も出てるし、アベラント事件なのは間違いないな」

「というわけだよ、白麦君」

「……まだ決まったわけではありません。実際に見るまでは信じませんから」

「勿論そうだ。では早速確認に行こうか」

「行くって言いますけど、そもそもどうやってヒャクゾウに近づくつもりなんですか?確かここはボートとかは置いてなかったと思いますけど」

「あ、そうですよね!私、今日は泳ぐ準備はして来なかったんですよ」

「……準備して来たら泳いだのか?」

「そりゃまあ」

「いやいや、泳ぐ必要はない。この時のためにこれを持ってきたのだよ」

 米澤は巨大なバッグから再び何かを引っ張り出した。折りたたまれた黄色い布のような物体だ。

「これは……ゴムボート、ですよね」

「釣りサークルの連中から特別に貸してもらったものだ。少々狭いが四人ならば乗れるだろう」

「流石は米さん、何という用意周到さでしょうか!泳ごうとした私が恥ずかしいです」

「うん、まあ、それは俺も同感だけどな」

「手放しで褒めたくはないわね」


 四人を乗せた黄色いゴムボートが、夜の百畳湖の中を静かに出航した。上空は一面の星空、下を見れば水面に映りこんだ月が揺れている。周囲は薄暗いが、湖の中央部では濃霧が神秘的な光を放ち、その奥に巨大な影が見え隠れする。時折山の斜面を強風が吹き降り、木々と湖面をざわめかせる。静謐な空間の中を、ボートは滑らかに進んで……いなかった。

「気を付けたまえ、また進行方向がズレているぞ。もう少し右だよ右」

「ちょ、ちょっと待ってください……」

 ゴムボートの中央に陣取ってオールを漕いでいるのは辰真だった。オールに慣れないため操作はぎこちなく、ボートの進行は先ほどからジグザグだった。他の三人はボートの前や後ろに座っているが、空間に余裕がなく鮨詰め状態である。ちなみに全員ライフジャケットを着用している。

「……これ船外機とか付いてないんですか?」

「貸してくれなかったのだよ。まあそんな物付けたら音で誰かに気付かれるかもしれんが」

「米さん、森島くんだけに漕がせるのは可哀想ですよ」

「そうです、ご自分で持ってきたんだからご自分で漕いだらどうなんですか?」

「そうしたいのは山々なのだが、こうも狭いと交代するために立ち上がるだけで危険なのでね」

 フラフラと蛇行しながらもゴムボートは着実に湖の中央に近づいて行く。霧まであと10mほどの地点で、米澤が急に辰真にボートを止めさせ、一同に息を潜めるように言った。

「え?何かあるんですか?」

「静かに、耳を澄ませるのだ。遠くから何かが聞こえてこないかね?」

 怪訝な顔をしていた三人もすぐに気付いた。確かにどこかから、獣の唸り声のような低音が聞こえてくる。その音は次第に大きくなり、こちらに近づいてくるようで__

「来るぞ!」

 直後、透明な電車が目の前を駆け抜けたかのような衝撃と振動が四人を襲った。ボートが激しく揺れ、全員がとっさに体を縮める。幸いボートが転覆することはなかったが、米澤以外の三人はしばらく体を動かせなかった。低音は既に遥か背後に去っている。

「米さん、今のは一体……?」

 ようやく顔を上げた月美が米澤に尋ねる。

「うむ、湖上に突風が吹いているようだ。以前の目撃報告でもヒャクゾウの周囲に風が吹いていて近付けないという情報は何件かあったから、その類だろう」

「……どうして最初に言わなかったのですか?」

 玲も恨めしそうな顔で言う。

「正直デマだと思っていたのだよ。それにどうやら一定のルートを辿っているようだし、直撃を受けなければ問題ないだろう。さあ、次の風が来るまでに進もう」

 以降辰真のオール捌きはより慎重になったが、強風は米澤の見立て通り一定の円周上を巡回しているらしく、襲撃を受けることはなかった。やがてボートは湖の中心に到着する。四人の目の前に漂う濃霧はオーロラのような薄い虹色の光を水面に反射させ、幻想的な光景を作りだしている。その内奥に見えるのは巨大生物の影。この距離ならばシルエットまでもはっきりと見える。水上に姿を見せた部分だけでも全長3mはある。コブが二つ生えた丸っこい胴体。細長い首の先端、頭部らしき部分には一本の角が生えている。想像図で描かれたヒャクゾウ像そのものだ。オールで霧を掻き分けゆっくりと進む。視界が晴れて遂に見えてきたのは、待ちに待った本物のヒャクゾウ……ではなく、湖面に屹立する全長5mほどの水の壁だった。どうやらヒャクゾウを囲むように四方に立っているらしく、ヒャクゾウの姿は水壁の向こうにシルエットとして見えるだけだった。

「米さん、これも目撃報告にあったのですか?」

「いや、こんなのは初耳だ。何しろヒャクゾウにここまで近付けた報告自体が無い。どうやらヒャクゾウは随分警戒心が強いようだね。この大きさなら外敵などないだろうに。まあいい。森島君、水の壁の厚さを調べてみてくれ」

 ボートを壁に横付けするように停止させる。内部のヒャクゾウは首を反対側に向けており、四人の接近に気付いていないようだ。辰真としてはこれ以上手を出すのは気が進まなかったのだが、ここまで来たからにはどの道同じかもしれない。恐る恐る水壁にオールを挿し込んでみる。すると、壁の表面を循環しているらしい水の流れによってすぐに弾かれてしまった。何度も入れてみるが弾かれる。ただ、感触からすると壁の厚みはそれほどでもないようだ。

「駄目ですね、弾かれます」

「そうか、では仕方がない。この手はなるべく使いたくなかったんだが……」

 台詞とは裏腹に楽しそうな表情の米澤は、辰真からオールを受け取るとゆっくりと立ち上がった。そして、

「てぇいっ!」

 壁に向かってオールを思いっきり叩きつけた。水壁の正面に波紋が広がり、内側のヒャクゾウがビクッとこちらを振り向く。次の瞬間水の柱は崩壊し、行き場を失った大量の水が湖面とその上のボート、そして四人の上に降りかかった。

 派手な水しぶきの後、湖上からは霧もヒャクゾウの姿も消え、百畳湖は普段の平穏さを取り戻していた。後には濡れ鼠と化した辰真達だけが残された。




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