第32話 オーロラエッグ・スクランブル 5/5
数十分後。輸送ヘリが着陸中の校庭では、イェルナ達が極光卵孵化観察の準備を完了させていた。校庭の中央に運び込まれた机の上に、開いた状態のアタッシュケースが置かれ、ケース内部の丸い窪みに支えられるようにしてアウガルバが直立している。更にその机を囲むようにして四方にカメラが設置されていた。
「Well, そろそろ時間かしら」
イェルナはカメラの後ろに置かれたもう一つの机の上に腰掛け、ミックスナッツの袋を開けた所だった。卵がいつ孵化しても問題ない、万全の体制が整っている。念のため、校庭の周囲に黒服達を見張りに立たせているが、例の学生達が乱入してくる気配も特になかった。少し拍子抜けだが、あの中の何人かはどうせ後で確保するし、今はアウガルバの孵化を撮影する方が優先だろう。イェルナがナッツを口に放り込もうとした、その時だった。
突然校門の方角でどよめきが起き、校庭に散らばっていた黒服達が集まっていく。学生達が突入しようと足掻いているのかもしれない。どう考えても無謀なのに、根性だけは大したものだ。まだ孵化まで少しかかりそうだし、向こうの様子を見学に行こうか。そう考え、机から飛び降りて歩き出そうとするイェルナ。そんな彼女の視線の先で、黒いジャケットで構成された人垣がいきなり二つに割れた。そして、衝撃的な光景が飛び込んできた。
「総員、突撃ーっ!」
全身にヘビを巻きつけ、ジャングルからの帰還兵のような風貌となった米さんを先頭に、黒服達を蹴散らしながら学生達が進撃してくる。辰真はマムシの入った酒瓶を、絵理はヘビ革の鞄をそれぞれ抱え、しんがりの月美は世界保健機関の旗(ヘビの巻きついた杖のマークが中央に描かれている)を振り回している。そして、彼らに接近された黒服達は例外なく目眩に襲われ、地面に伏せっていた。
「ふはは!流石は綾瀬川記者、完璧な作戦だ!」
先頭を走る米さんが上機嫌に叫ぶと、絵理が得意げに返事をする。
「当然でしょ?これが揺木日報の情報網よ」
彼らが持っている蛇グッズは、いずれも揺木市東部の商店で入手したものだ。米さんが巻きつけているヘビの剥製は骨董品店「竜宮屋」の店頭に飾ってあるのを借りてきたもので、マムシ酒は酒屋「ゴロー」、鞄と旗は雑貨屋「ルパーツ」でそれぞれ購入している。いずれも絵理の取材先であり、短時間でこれだけの量を揃えられたのは彼女の采配がなくては不可能だった。そしてこれらの蛇アイテムは、イェルナの「第3の眼」による暗示を多かれ少なかれ受けている黒服達の意識を混乱させるのに充分な効果を発揮していた。
「What the hell !?」
ナッツを取り落として唖然とするイェルナを尻目に、学生達は速度を落とさずに校庭の中心へと雪崩れ込む。そして、旗を手早く畳んだ月美が机に駆け寄り、アタッシュケースを閉じるとそのまま持ち去っていく。勿論、ケースの中には極光卵が入ったままだ。
「いいぞ稲川君!総員、このまま退避だー!」
米さんの掛け声と共に反転して出口へと向かう一行。それを見送った後でようやく正気に戻ったイェルナは、地面に伏せていた黒服を数人叩き起こして暗示をかけ直した。
「Harry up!! あいつらを追いかけるのよ!」
辰真達4人は、再び絵理の小型バンに乗り込んで逃走準備をしていた。
「うまく行きましたね!」
「ええ、今度は市外まで逃げちゃいましょ」
そう言うと絵理はエンジンを吹かせてバンを発進させるが、10mも進まないうちに、ガクンという音と共に車両は大きく揺れた。
「!?」
「ちょっと停止してください」
辰真がドアを開けて車両下部を確認すると、前方左側のタイヤが明らかに凹んでいる。偶然なのか故意なのかは不明だが、パンクしてしまったようだ。
「な、何でこんな時に!」
「スペアタイヤあります?急いで交換すれば__」
だが、彼らにはそんな余裕も残されていなかった。数人の黒服を引き連れたイェルナが、後方から走って追いかけてきている。
「Hey, 待ちなさーい!」
「みんな、車から降りて逃げるのよ!」
4人はバンから脱出して走り出す。だが体力の差か、黒服達との距離はどんどん縮まっていく。
「止むを得ん、僕が足止めする隙に諸君は逃げろ!」
米さんがそう叫ぶなり、逆走して黒服達にタックルを仕掛ける。避けられなかった黒服達を巻き込んで地面に転がる米さん。それでも起き上がろうとする黒服達を妨害するため、辰真も米さんに加勢して人間の壁となった。
「米さん、森島くん……」
残るは絵理と、アタッシュケースを抱えた月美のみ。そしてイェルナがただ一人、人間の壁を飛び越えて追跡を続けていた。
「あ……!」
突然月美の姿勢が崩れる。小石に躓いたことで、前のめりに転倒したのだ。アタッシュケースは彼女の手を離れ、歩道の上を滑っていく。
「Get now!」
ケースに狙いを定めたイェルナの前に絵理が立ちはだかり、取っ組み合いになる。
「離しなさい!アウガルバはアトランティスの物よ!」
「いいえ、あれは揺木市民の物。あなた達には渡さない!」
揺木街道の脇で、壮絶な立ち回りを演じる一同。そんな中、唯一ケースに注目していた月美が驚きの声をあげた。
「あ、卵が!」
一同が争いを止め、その視線がケースに集まる。そして彼らは目撃した。地面に倒れたケースの隙間から、虹色の光が漏れているのを。そして虹色の粒子は、重力に逆らうかのように天空へと上昇していく。
「まさか、もう孵化を……?」
月美が姿勢を起こして駆け寄り、ケースのかけ留めを外す。勢いよく開いたケースの中から、虹色の塊が飛び出て上空へと撃ち上げられ、そのままゆっくりと大気の中へ溶けていく。地上に置き去りにされたケースの中には、何も残っていなかった。
「ふう、今回もダメだったわね」
いち早く立ち上がったイェルナが、特に未練も無さそうに言う。
「今回は引き分けって事にしといてあげる。それじゃお兄さんたち、また会いましょ。See you!」
彼女は辰真にウィンクすると、黒服と共にあっさりと身を翻し、その場を去っていった。
「……どうやら、アウガルバの謎は解けなかったようだな」
「残念だけど仕方ないわ。短い動画一本くらいなら作れそうだしね。それより車をどうにかしないと」
「僕は剥製を龍宮屋に返してくるとしよう」
「このマムシ酒はどうするかな……」
「部室に置いておきます?怪我によく効くってお祖父様が言ってましたよ」
辰真たちも前向きに思考を切り替え、それぞれ解散していった。
こうしてアウガルバ孵化の謎は、今回も謎のままで終わってしまったのだが、輸送ヘリに戻ったイェルナの表情は妙に満足げだった。確かに極光卵のネタを逃したのは残念だが、今回のメインはそっちではない。アトランティスが揺木に来訪したのは更に希少な異次元物質入手のため。今日のは参考人との軽い顔合わせに過ぎない。そう、異世界煌石メギストロン確保のための。
「Everyone, 次回をお楽しみに♪」




