故郷にさよならを
エドワードが去った後、マリアは安堵のため息を吐いた。緊張のせいか、まだ少し体が震える。
「マリア嬢は意外と大胆ですね」
レイヴンの声が下から聞こえてきたかと思うと、マリアはギョッとした。
エドワードの牽制の為に、レイヴンを抱きしめていたマリアだったが、力が強すぎたせいか、レイヴンの頭を自分の胸に押し当てていたからだ。
「え……、あ、きゃあ! す、すみません!」
「いえ、お気になさらず。貴方に触れられて悪い気はしませんよ」
すぐにレイヴンを離し、顔を真っ赤にしながら謝るマリアを、レイヴンはにっこり笑って許す。
その時、今まで事の経緯を見守っていたリシャールがレイヴンに頭を下げた。
「レイヴン様、いくら演技とはいえ、娘の為に偽りの婚約までして下さってありがとうございました」
「いえ、リシャール殿のお力になれたなら本望です。ですがマリア嬢はなるべく早くここを離れた方がいいでしょう。また転移魔法ですぐに僕の屋敷にお連れします」
「ありがとうございます。ではすぐにでも――――」
「ちょ、ちょっと待って下さい二人とも! 嘘の婚約って、何が一体どうなって……!」
レイヴンとリシャールの会話に、マリアは慌てて言葉を挟んだ。
マリアを蚊帳の外に話が進んでいるが、マリアはそもそも最初から事態を把握できていないのだ。
どういう経緯でこのような状況になったのか、説明して欲しい。
困惑しきっている娘に、リシャールは一瞬戸惑いの表情を見せたが、レイヴンに促され、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……数日前に私が強盗に合った後、首都でエドワード・ストラトスが私に話しかけてきてね。お前を自分の妻にしてくれるなら、盗まれた宝石の賠償を代わりに請け負うと言ってきたんだ。私はすぐに断ったよ。
いつもお前はエドワードの話題が出ると震えあがっていたからね。恐れていると言ってもいい」
「っ! お父様それは――――」
マリアはエドワードにされた仕打ちを今まで誰にも話したことがなかった。
人に話したいと思えるような内容ではなかったし、それが父親ならなおさらだ。
言葉に詰まったマリアを、リシャールは手を上げて制した。
「無理に話さなくてもいいんだ。お前が嫌がっている。それだけで十分だ。エドワードはその場では諦めて引き下がったが、彼は蛇のように執念深い男だと聞いている。それからはさっき話した通りだ。レイヴン様が相談に乗って下さり、お前を守るために嘘の婚約までして頂いた。」
「で、でも婚約なんてしてもらわなくても……レイヴン様に悪いです」
嘘の婚約と言えど、大貴族のレイヴンにとっては、スキャンダルになってしまうかもしれない。
そうまでしてもらう価値が自分にはないと、マリアは思った。
しかしレイヴンは何も問題はないというふうに、微笑んだ。
「気にすることはありません。エドワードは執念深い男です。これぐらいしなければ、牽制にはならないでしょう。それに以前からリシャール殿には宝石選びに、助言を頂いている恩があります。なによりマリア嬢には僕の魔法研究の手伝いをしてもらいたいのですよ。この国にはもう、魔法を使える人間はほとんどいません。それだけで、僕があなたを迎え入れる充分な理由になります。……何か不満でもありますか?」
「と、とんでもありません! よろしくお願い致します……!」
レイヴンの最後の言葉から、少し不穏な空気を感じ取ったマリアは、慌てて頭を下げた。
「……マリアお姉ちゃん、どっか行っちゃうの……? 俺やだよ。そんなの……」
「ロビン……」
今までマリアたちの会話を聞いていたロビンが、心細そうにマリアのスカートを握る。
そのいじらしさに、マリアがロビンを抱きしめようとした時、それを遮るようにレイヴンがロビンの前に立った。
「ロビン君と言ったっけ? ここはストラトス家の領地で、危険なんだ。奴がどんな手を使うかわからない以上、一刻も早くマリア嬢を僕が住む首都に連れて行きたい。マリア嬢を大切に思うなら、どうか彼女を僕に預けてくれないか?」
「……わかった。皆寂しがると思うけど、俺、ちゃんと説明するよ。あんな悪い奴に、お姉ちゃんを好き勝手にされてたまるもんか」
ロビンはレイヴンの話を聞いて、泣きそうになるのを堪えて、しっかり頷いた。
レイヴンはロビンにお礼を言い、マリアに向かって手を差し出した。
「さぁ、マリア嬢、僕の手を取って下さい。今から空間転移の魔法を行います。すぐに僕の屋敷に着きますよ」
「っ! ちょっと待ってください!」
「……何ですか? 身支度ならしなくてもいいのですよ。僕が首都で貴方の為に何でも揃えましょう。貴方は身一つで来ればいい」
「そうじゃありません! 私はレイヴン様のお体が心配なんです!」
「!」
レイヴンは虚を突かれたように、マリアを見た。マリアはレイヴンの両肩に手を置く。
「いくらレイヴン様が強大な力を持つ魔法使いと言えど、既に二回も空間転移をされています。これ以上はいくら触媒を使っても、身体に負担がかかります。……時間はかかりますが、馬車や蒸気機関車を使って、首都に行きましょう。そうでなければ、私はここを動きません」
そう言い切ったマリアに、レイヴンはしばらくマリアを見つめた後、少し俯いて誰にも聞こえないように独り言を呟いた。
「お前って、ほんとに……」
しかしすぐにレイヴンは顔を上げ、リシャールに馬車の手配を頼んだ。
馬車を手配している間、マリアはロビンとリシャールに別れの挨拶をした。リシャールは研究のため、しばらく国を出るらしい。
馬車はすぐにマリアの家に到着し、マリアとレイヴンの二人を乗せ、首都に向かい夕闇の中を走る。
マリアは心の中でそっと、生まれ故郷に別れを告げた。




