おやすみのキスと眠れない夜
レイヴンは夜分遅く、自室でナイトウェアに着替えて、机の前に座っていた。
今まで貯めていた書類を確認し終わり、大きく伸びをする。
机のランプを消し、眠るためにベッドに入る。シーツを肩までかけた時、控えめに扉がノックされた。
「……入れ」
使用人の誰かだろうか。喉も乾いていたし、水でも持ってきてもらおうと、レイヴンは扉の向こうの人物に声をかけた。
「……夜分に失礼します。レイヴン様」
「っ……マリア!? どうしたんだこんな時間に……」
扉が控えめに開き、マリアがおずおずと入ってきた。レイヴンはまさかマリアが自室に来るとは思っておらず、上体を起こしマリアを凝視する。珍しく動揺してしまった。
「すみません、レイヴン様……私、レイヴン様にキスがしたくてここに来ました」
「っな…………!」
長旅の疲れで幻聴でもしたのだろうか? しかしマリアは恥ずかしそうに、視線を逸らしている。
聞き間違いではなさそうだ。
マリアが自分を夜這いしに来たのだろうか? 奥手のマリアがそんな事をする訳がないと、心の奥底で感じ取ってはいるが、この幸運を逃す手はない。
「……僕はもう寝るんだ。キスがしたければベッドの側に来いよ」
「……わかりました」
「っ――――……」
レイヴンの夜の誘いに、マリアは迷うそぶりもなく頷く。
レイヴンは自分の心臓が早鐘を打っているのに気付いたが、どうする事もできない。
そうこう考えているうちに、マリアはレイヴンのベッドの側にやってきた。
そしてレイヴンの肩に手をかけ、レイヴンをベッドに押し倒した。
「マ、マリア……!」
月明かりに照らされて、マリアの少し困ったような顔が、レイヴンを見下ろしている。
レイヴンは部屋に灯をつけていなくて本当によかったと思った。
でなければ自分の真っ赤な顔でうろたえる情けない表情を、マリアに見られていただろうから。
「レイヴン様……目を、閉じて頂けますか?」
「……わかった」
レイヴンは大人しく目を閉じた。このような行為は本来なら自分の方からしたかったが、マリアに恥をかかせるわけにはいかない。婚約者の気持ちをくみ取ってやるのも、大切な仕事だ。
ぐるぐる考えるレイヴンに、マリアはそっと唇を落とす。
そしてすぐに、マリアは上体を起こした。
しばらくレイヴンは目を閉じていたが、不機嫌そうな表情で、体を起こした。
「おい…………なんだ今のは?」
「ふふ、おやすみのキスですよレイヴン様。私も小さい頃お父様やお母様におでこにキスをしてもらったんです。こうしてもらうと安心して眠れるんです」
「………………それを僕にする理由は?」
「私、レイヴン様と家族のようになりたいんです。レイヴン様にとって、私を母親や姉のように感じて頂ければと思って……」
そう言ってニコニコ笑うマリアを見て、レイヴンは頭を抱え、大きなため息をついた。
そして次の瞬間マリアの腕を取り、マリアをベッドに押し倒した。
「レイヴン様……! ん……!」
「ん……マリア……んぅ……」
驚くマリアにレイヴンは唇にキスをした。唇と唇を軽く触れ合わせたかと思うと、深く押し付ける。
その行為を交互に繰り返し、最後にマリアの唇をレイヴンの舌が舐めとるように這わせ、そして顔を上げた。
マリアはしばらくレイヴンの下で、呆然としていたが、正気に戻ったのか顔をこれ以上ないほど赤く染め、ベッドから転げ落ちるように逃げ出した。
「~~~~~~~~~~っ!! レ、レイヴン様! な、何をするんですか!?」
涙目で睨み付けてきたマリアを、レイヴンは鼻で笑った。
「は? 誘ってきたのはお前のほうだろ。成人しているくせに、夜中に男の部屋に来て、何もされないと思ったのか? 僕だって男なんだよ……」
そう言って、レイヴンはベッドから出てきて、マリアに手を伸ばした。
マリアは何かされるかと思ったのか、ビクッと体を震わせ、脱兎のごとくレイヴンの部屋から逃げ出した。
「し、失礼しました~~~!!」
遠ざかるマリアの声を聞き終えると、レイヴンは盛大にため息を吐き、自分のベッドに戻った。
シーツを被りながら少し後悔をする。
マリアを怖がらせてしまっただろうか? マリアがおやすみのキスをしてくれたのは本当に嬉しかったのに。
けれど自分を子ども扱いして、男として見られないのは我慢がならなかった。それなら怖がってくれる方が幾分かマシだ。
母親や姉の代わりなど冗談じゃない。
マリアは自分を覚えていない。それどころかマリアはマリア自身がした約束すら忘れているようだ。
焦るな……もうマリアは僕の婚約者だ。僕の傍にずっといるんだ。誰にも渡さない。
レイヴンはそう自分を安心させながら、眠ろうとするが、先ほどのマリアの温もりを思い出し、体が火照っていくのを感じた。
「っくそ! あのバカ……!」
自身の熱を持て余しながら、レイヴンは能天気な自分の婚約者を恨めしく思った。
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