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七十話:モンスターテイマー

 

 アーレント伯との会談が終わると、殿下を残してエイミィと殿下の護衛だと思われる男性が控えていた部屋に案内された。

 最初は三人で和やかに殿下を待っていたかったのだけど、男性はそんな俺の姿を確認した後「私にはお構い無く」と告げ、ずっと無言で扉の前に立っている。寡黙な武人といった感じで、話しかけづらい雰囲気を醸し出していた。

 エイミィと二人の時はけっこう話していたらしいのだけど、俺が来てから仕事モードに入ったのかそうなったらしい。


 そのため彼と親交を深める事は一旦諦め、エイミィと二人談笑しながら待っていると、しばらくして部屋の扉が数回叩かれる。

 俺が無言で頷き、男性が扉を開けると、朗らかに笑っている殿下が立っていた。その殿下の後ろにはアーレント伯の姿も見える。



「すまない、待たせたね」



 敷居を跨ぐ跨ぐ事なく、その場で殿下は謝罪を口にした。

 男性とエイミィが殿下に礼をし、俺も椅子から立ち上がって笑みを浮かべる。



「お疲れ様です、殿下、アーレント伯。それで殿下、少し休まれていきますか?」

「いや、必要ないよ。もうすぐ日も暮れる、早く発とう」

「かしこまりました。既に馬車を走らせる準備は出来ております」

「うん。じゃあ、行こうか」



 部屋に入って来なかったのは、あらかじめすぐに発つ事を決めていたからだろうか。

 光源に乏しい夜に移動するのは危険だし、その判断に異存はない。部屋を出ようと足を進めれば、ぶつからないよう殿下は一歩身を引いて道を開けてくれる。


 廊下は広く、大所帯でも歩くのに問題はなかった。俺と殿下が並び、前をエイミィ、後ろを男性で挟んで歩く。見送ろうとしているのか、最後尾にはアーレント伯も付いてきていた。


 外に出ると、少し肌寒さを感じさせる微かな風が唯一露出している顔に当たり、赤く染まり始めた陽の光が目に入る。髪がなびき、眩しさに目を細めた。

 俺達を見て、馬車を門の前に移動させておいてくれていた御者さんがその扉を開ける。乗り込む前に、俺は振り返って頭を下げた。



「アーレント伯、本日の会談は有意義なものでした。今後も良き関係を築ける事を願っています」

「こちらこそ、そなた達との良い関係を望んでいる。ヴィッセル氏……そなたの父君にもよろしく伝えておいてくれたまえ」



 目尻を下げ、歯を見せながらアーレント伯は軽く腰を折る。

 これで挨拶はすんだと、踵を返そうとしたところで殿下が「そうだ」と声を上げた。



「カルステン。例の件、結果が出たらすぐに僕に伝えて欲しい」

「承りました。変化がなかった場合は?」

「うーん……。そうだね、じゃあその場合は舞踏会の時にでも。分からないという事が分かるのも重要だからね」



 確認といった感じで、殿下とアーレント伯は数度言葉を交わしあう。いったい何の話か、気にはなるけど詮索はしない。やぶ蛇をつつくのはごめんだからね。


 アーレント伯。彼の印象は、最初と大分変わった。

 エイミィとは別れさせられ、出されたお茶には何かが入っていると。もう警戒心バリバリだったし、何を言われるか不安だった。

 けど、ああやって殿下が気を許しているような、彼を信用しているような姿を見ては考えを変えざるを得ない。いや、殿下が悪人を重用するような悪どい人である可能性もあるけども、そこまで心配していても仕方がない。

 それにこれまで殿下と接してきて、彼は快活で朗らかな良い人だと思うし。


 まあ、アーレント伯が油断ならない人だという印象は変わらないけど。狸親父、という言葉が一番適しているように思う。


 ともあれ、殿下がアーレント伯と話をしているというのに一人馬車に乗り込むという訳にもいかず。手持ちぶさたに辺りを見渡していると、来た時には二台あった馬車が一台に減っている事に気づいた。

 もしかして……。



「アーレント伯、私達が訪れる前にどなたかお客様がいらしたのですか?」



 二人の会話が終わった頃を見計らってそう訊ねる。

 深い意味があった訳じゃない。ちょっと気になった事を口にしただけ。

 けどその瞬間、アーレント伯は不快そうに口元を歪め眉をひそめた。すぐに微笑に戻したものの、確かな感情の発露。

 もしや触れてはいけない事だったのかと謝ろうとして、「気にする事はない」と手を振られた。



「ヴィッセル嬢の推測通り、客人が来ていたとも。ただ、こう言ってはなんだがその客人があまり好ましくない人物であってな。彼の事を思い出してついそれを顔に出してしまった。むしろ君と会う約束をしていたというのに、その前に人と会っていた私の方こそ君に謝らなくてはならない上、糾弾されても文句は言えんよ」

「い、いえそんな事。アーレント伯はお忙しい方ですから。私に時間を割いてくださった事をありがたく思う事はあれど、糾弾する事などございません」

「そう言ってくれると助かる。さて、あまり引き留めても良くない、ここらで切り上げよう。気をつけて帰りたまえ」

「はい、本日はありがとうございました」



 もう一度礼をして、今度こそ殿下と一緒に馬車に乗る。御者さんの腕が良いのか、馬がよく鍛えられているのか、はたまたその両方か。あっという間に動き出し、ぐんぐんスピードを上げていく。


 ……それにしても、最後にアーレント伯は顔をしかめたけど、あの経験豊富な人があんなあからさまに感情を表すだろうか。それほどお客さんが嫌な相手だったのかもしれないけど、それよりも何か理由があってわざと顔に出したと考えるべきかもしれない。

 ああ、その客人が誰か聞いておけば良かった。



「……殿下、殿下はアーレント伯がおっしゃっていたお客様がどなたか知っていますか?」

「……ゴメンね、心当たりはないよ」



 淡い期待を抱いて殿下に訊ねてみる。それに対し、殿下は思案するように少し間を開けて、言いづらそうに答えた。

 心当たりはないかぁ。そりゃそうだよね、殿下も俺と一緒に居たんだから。



「うーん、それにしても疲れたよ」



 アーレント伯の思惑はなんなのか首を捻っていると、隣からふわぁとあくびが聞こえてきた。視線を向けると、殿下は心底眠そうに目を擦っている。



「……大丈夫ですか? なんでしたら横になられます?」

「……その必要はないよ。ただ、ちょっと寝ようかな」



 ふう、と息を吐いて殿下は目を閉じた。宣言通り、すぐにすやすやと寝息が聞こえてくる。

 ……俺が側に居るのに、少し気を緩め過ぎじゃない?

 何かをするつもりはないけど、王太子ともあろう方が外でここまで無警戒で良いのかな。


 エイミィを見ると、彼女もどうすれば良いのか分からないようで苦笑している。風邪をひかないよう毛布か何かをかけた方が良いのだろうけど、馬車の中にそのような物はない。

 ただ、それでも殿下は心地よさそうに眠っている。


 街を抜けたのだろう、気付けば馬車を引く馬の蹄と車両の奏でる音が荒くなっているというのに、よくこんなにぐっすりと寝れるなぁ。それほど疲れているのかな。

 そういえば、殿下と合流した時、近くに馬車は見えなかった。馬に乗って走らせてきたのかもしれない。それか、歩いてきたのか。

 俺は馬には乗った事はないけど、馬車に揺られているより疲れるのは間違いないだろうし、歩いてきたのなら言うまでもない。


 ……ううん、殿下の寝顔を見てたら俺も眠くなってきた。俺も今日一日色々回ったし、気を張っていたし、疲れが溜まっていたのかもしれない。

 でも、脅迫状の事もあるし、帰るまで気を緩める訳には。


 ……でも駄目。うつらうつらとしつつも睡魔に抗っていたけど、だんだんと意識が……。



「ルーシー!」



 その時、警告するようなエイミィの声。肩を揺すられる。

 いったいなんだろう。目を開けると、真剣な表情で外を窺う彼女が。そして気づいたけど、馬車が揺れていない。止まっている。

 最初は屋敷についたのかな、と呑気な事を考えたけど、それだとエイミィの様子が説明出来ない。異常事態の雰囲気に、一気に目が覚める。殿下もまた、危険を察知したのかゆっくりと目を開けた。



「……なにが、あったの?」

「……最悪な事が」



 エイミィは二本の剣を取りだし、馬車を降りる。俺は乗車口から身を乗り出して外の様子を確認し、異常事態の正体を知った。



「エイミィ、これは引き返すべきじゃない?」

「出来ればそうしたかったけど……あいにく、後ろも塞がれてるの」

「あらら……」



 前方が、大量の獣により塞がれている。まだ距離はけっこうあるけど、数多の獣が、獰猛に牙を、爪を、角を。己の武器をこちらへと向けて待ち構えている。

 今朝襲ってきたパーピリオンをはじめとして、沢山の種類の生き物が何匹も何体も。そしてそれは後ろも同じで。

 しかも種類が異なるというのに、草食動物も肉食動物も入り交じっているのに、争う事なく統率がとられていた。


 ……明らかに、人為的な物があるね、これは。敵はモンスターテイマーかぁ。

 まさかここまでしてくるとは思ってなかったよ。十中八九、脅迫状の主の差し金だろうけど……。というか、あんな膨大な数が街道近くに迫り来ている事に、なんで誰も気付かなかったの。

 出来れば戦わず逃げたいところだけど、道を外れたら地面はゴツゴツしている上、少ししたら木が生い茂ってる。馬車は使えないし、徒歩ではとてもじゃないけど逃げ切れない。


 戦うしかないわけだけど、敵の数は数えきれないほど沢山。対してこちらは五人。戦闘要員は、殿下を除いて四人。


 エイミィは剣を、馬車を操っていた御者さんは馬から降りて槍を構えている。凄く危険な状況なのに体に緊張も恐怖による強ばりもない。流石はお父様に鍛えられた精鋭の二人だね。

 殿下の護衛の男性は、馬車に並走してきた時のまま馬に跨がって、いったいどこにしまっていたのか長い棒を右手に持っている。刃はついていないし、単純な鈍器だろうか。


 ともあれ、皆戦いに備え気概は十分そうだ。かなりキツイものがあるだろうけど、仕方ない。

 ただ、その前に。後ろも気にしつつ、前を睨む護衛さんに声をかける。



「護衛さん。殿下を乗せて馬であの囲いを突破し、街まで逃げる事は出来ますか?」

「……厳しいでしょうな。殿下を凶刃から守る事は出来るでしょうが、おそらく馬がもたない。途中で落ちるか、抜けた先で走れなくなって追い付かれるのが関の山かと。また、背後から射たれる可能性もございます」

「そうですか……」



 なにがなんでも殿下だけは逃がさなきゃならない。でも、一点突破は無理。魔法で強引に穴を穿つ事も考えたけど、敵は数が多い上に人が操っているだろうから、すぐに修復される可能性が高い。

 ……なら仕方ない。最後の手段にとっておきたかったんだけど。



「殿下、これを」

「……ルーシー、それはいったい?」



 懐から一枚の紙を取り出す。転移魔法のマジックスクロール。

 これで全員逃げられれば良かったけど、そうもいかない。転移魔法は凄く魔力を持っていく。俺の魔力量じゃ二人を飛ばすだけの門を作るのが精一杯だ。

 バドラーと二人で飛んだ時は彼の魔力も借りたからある程度余裕もあったし、マジックスクロールを使えば魔法の構築や制御は必要なく魔力を込めるだけ、しかも通常より遥かに少ない量すんで楽なんだけど、とかく転移魔法は燃費が悪すぎる。それだけ高度な大魔法という事なんだろうけど。



「殿下は魔法を使う事が出来ますか?」



 殿下の質問には答えず、逆に訊ねる。それでも殿下は気を悪くする事はなく、小さく首を振って「残念なんだけど」と答えた。

 その答えを聞いて、普通に起動するよりも魔力を少し多めに込める。そして、すぐに魔法が発動しないようにロックをかけた。

 描かれた魔法陣を構成する土台が俺の魔力じゃないから、時間が経つと反発して少しずつ漏れてしまうけど、これだけ魔力を込めておけば問題ない。


 魔力が込められた事により仄かに光りだしたマジックスクロール。それを、初めて見たのか目を丸くしている殿下の手に握らせる。



「いざという時、これを持って私の屋敷の……いえ、王都のお城の殿下の部屋を思い浮かべながら、『転移』と唱えてください」



 殿下の手を両手で包んでそう言った。この事態をお父様に伝えてもらいたかったけど、殿下がうちの屋敷の正確な位置を把握しているか分からないし、もしかしたら屋敷も襲撃にあっているかもしれない。王都が一番安全なのだ。

 俺の言葉で渡された物の効果に気付いたのだろう、殿下が息を飲む。


 問答無用で転移魔法を発動して殿下だけ逃がしても良かったけど、最後の決断は任せた方が良いと思う。他人を犠牲にする辛さは俺も知っているし、きっと自分の意思で置いていく決断をした方が切り替えられる。

 まあ、この状況を切り抜ける事を諦めた訳じゃないし、皆を死なせるつもりもない。あくまで念のための備えだ。


 手を離し、立ち上がる。エイミィが置いていってくれたレイピアを手に取り、馬車を降りようとしたところで、



「……君はこれを用意するほど今が切羽詰まった状況だと考えているのかい?」



 殿下が俺の腕を掴み、低い声で訊ねてくる。真剣な表情で、咎めるような声色で。

 どうしてそんな事を言われたのか分からなかったのだけど、それを察した殿下が続けてくれた。



「僕は君達の力なら切り抜けられると思ってるんだけどね。僕の見込みは甘いかな?」



 ニヤリと、その甘いマスクで色っぽい笑みを形作る。

 あまりに高い信頼に驚いて、その後強引に、けれど優しくその手を振り払う。そして首だけ回して、にっこりと笑った。

 ……そこまで言われちゃ、期待に応えない訳にはいかないよね。



「あくまでいざという時ですよ。大丈夫です、殿下の期待通り、この程度は軽く蹴散らして来ますから」



 俺の答えに満足したように殿下は頷く。そして彼の「行ってらっしゃい」とという声援を受けて馬車を飛び降りる。ふわりとスカートが膨れ上がり、着地して萎んだ。

 魔力の残量は……うん、問題なさそう。


 あーあ、敵さんも少しくらい休ませてくれたって良いじゃない。眠たかったのにぃ。まったく人気者は辛いよ。

 それにしても、なんですぐに襲い掛かってこないんだろう。わざわざこちらに準備する時間を与えてくれるなんて、意外と紳士的なのかな?


 ふざけた事を心の中で嘯きつつ、俺は護衛さん達に背を向けた。



「皆さんは前方の獣の対処をお願いします。後方は私に任せてください」

「それは……大丈夫ですか?」

「はい。危なくなったら声をかけますが、おそらく大丈夫です」



 残念ながら殿下と違って自信満々に断言する事は出来なかったけど、多分これが最善だと思う。混戦になるとフレンドリーファイアも怖いし。

 それになんたって、こういう一対多の状況でこそ魔法使いは輝くんだから。


 ……さて、こちらの準備は終わった。でも、獣達は動く気配はない。

 なら、先手必勝。



「……我欲するは障害を蹂躙する弾丸。その弾丸に触れし者に区別はなく。皆揃って灰塵に帰す粉砕の魔弾」



 呪文を唱えると、沢山の火の玉が俺の前に産み出される。二、四、八、十六、俺のイメージにあわせてどんどん増えていく。

 この時になって慌てたように獣達が駆け出して来たけど、もう遅い。



「その散弾は止まない雨。砲台より無数に降り注ぎ、敵を殲滅する。──弾丸の雨(バレットシャワー)



 宙に浮いていた火の玉が一斉に破裂する。一つ一つの火の玉から分かれたいくつもの細かい炎の弾丸が獣達を撃ち抜いていった。

 炎弾は勢いのまま一体ずつ獣達を細切れにし、燃やし尽くす。死に際の悲鳴を上げる暇さえ与えない。



「相変わらず、エッグいわね……」



 そんな光景を見ていたのか、後ろから呆れるような声が聞こえた。弾丸の雨をくぐり抜けられそうな獣は居ない事を確認して、魔法が途切れないよう維持しながら体はそのままで後ろに視線を移す。

 剣を構えるでもなく、まるで自分の家に居るようにリラックスしているエイミィが苦笑していた。最初の緊張感が微塵もなくて、思わず首を傾げる。



「……なんか、余裕そうだね?」

「いやね……。なんか気を張るのが馬鹿らしくなっちゃって」

「どういう事?」

「あの人があんな化け物だとは思わなかったって事」



 彼女が指を指す方を見てみれば、馬に乗って駆け回る護衛さんの姿。彼がどうしたのか目をこらすと、次の瞬間、彼の腕が掻き消える。そして、さっきまで彼が居た場所の近くに居た獣達の首が飛んでいた。



「え!?」



 何がおきたの。いや、多分棒を振るったんだろうけど、それが見えなかった。いくら距離があるとはいえ、どれだけの速度で振るったというの。

 それに、あんな棒で綺麗に首を切断するなんて……いや違う。棒の先に、魔力で出来た刃がついている。それを薙刀のように使って首を切り落としているのだ。

 馬も常識的には考えられない程の速度。多分俺の使うブーストに似た魔法を使っている。よくもまあ振り落とされないものだ。


 縦横無尽に駆け回り、引いたり押したり巧みに馬を操りつつ獣達の軍を切り崩している。あちらはもはや統率がとれてなく、狼狽えたところを更に刈り取られていた。

 なんというか、敵が可哀想になる程の無双っぷりだ。

 彼を無視してこちらに来ようとする獣も居るけど、その道中で回り込まれる。ボロボロになりながらなんとか抜けても御者さんに始末される。


 これは酷い。


 彼が居たからこそ、殿下はあれほどの自信だったのか。エイミィと顔を見合わせて、同時に乾いた笑みを浮かべる。



「……まぁ、任せっきりなのもあれだし、ルーシーに負けたくないし、私も行ってくるね」

「頑張って。張り合って無理して怪我しないようにね」

「そんなマヌケな事しないわよ。……ちょっと出ますので、こちらはよろしくお願いします」

「ああ、殿下とお嬢様を絶対に危険な目にはあわせないさ、任せてくれ。……エイミィが一匹たりともこっちに通さなければ、俺も楽が出来るんだが」

「あー、はい、頑張ります。それじゃ、と」



 話は終わったと、エイミィは体をほぐすように首を回して、剣を回して、膝を曲げ腰を落とす。

 そして溜めた力を一気に解放し、弾丸のごときスピードで駆け出した。



「……あの護衛さんだけでも十二分な戦力なのに、そこにエイミィまで加わったら話にならないんじゃないかなぁ……」



 彼女が獣達を切り刻んでいるのを横目にそっと呟いて、馬車で進もうとしていた方向とは逆の方向に体を向ける。俺は俺の仕事をまっとうしないとね。

 さて、エイミィと話している間、自動的に弾を撃つようにしていたけど、どうなったのかな。


 結論から言えば、獣達は半分くらいしか倒せてなかった。一瞬で仲間が灰になった事で反省したのか、生き残っていた獣達は魔法が届かない場所まで退いていたのだ。

 届かなかった魔弾が地面を抉るのを見ながら、ギリギリの所で並んで待機している。雨が止んだらすぐに襲い掛かれるように身構えながら。


 ……うーん、どうしよう。もう少し射程が長い魔法に変更しようか。でも、切り替えている間に突っ込んできそうなんだよねぇ。

 別にそうされてもここまで到達させる気はさらさらないけど、どうやっても魔法が当たる場所は近くなるし、そうなると魔法が当たった時の衝撃や爆風が馬車を傷付けてしまうかも。万全を帰すならなるべく遠くで倒したい。

 それに、また新たに魔法を構築するよりこのまま撃ち続けた方が魔力消費は少なくてすむんだよね。


 ……よし、決めた。ギリギリで待機しているという事は、俺が一歩歩けば射程内に入るという事だし、このまま撃ち続けながら進もう。

 でもゆっくり進んで逃げられても仕方ない。ここは一気に距離を詰める必要がある。


 息を吸って、吐いて。

 全力で地面を蹴った。


 彼我の距離が縮まった事により、魔弾の射程内に前の方の獣達が入る。届いた魔弾は生き残っていた獣達をあっさりと消し飛ばしていった。

 前方が魔弾の餌食になった事を受けて獣達は慌てて退こうとするけど、後ろが邪魔になるあちらより俺が進む方が速いよ。



「んなっ……! お嬢様、深追いは危険です!」



 後で御者さんが何か言っていたけど、今更止まれない。

 あっという間に、俺の前に居た獣達はその全てが灰になった。

 足を止め、息を吐く。


 なるべく血を見なくても良いような魔法を選んだから、精神的な疲れは普通よりも少ない。それでも、俺は一般的に惨殺と呼ばれる行為をしたのだ。罪悪感は当然ある。

 今更こちらを攻撃しようとしてくる相手を殺す事を躊躇いはしないけど、命を奪う事に慣れてはいないし、それは慣れてはいけない事だと思う。


 ……とりあえず戻って皆と合流しよう。

 そう考えて腕を下ろし、馬車の方に体を向け直す。

 その時、



「ルーシー、危ない!」



 警告が、聞こえた。

 いつの間にか馬車を降りていた殿下が大口を開けて叫んでいるのが見える。御者さんが慌ててこちらに向かってきている。

 二人の必死そうな顔を見て、体に緊張が走った。警戒心が沸き上がり、全身の感覚が研ぎ澄まされる。

 耳が風切り音を捉えた。

 音のした方に顔を向ける。視界に入るのは、風景と同化するような迷彩柄の服を着た、ローブで顔を隠している人物と、俺目掛けて迫りくる一本の矢。

 避けようとしたけど、気も緩んでいたし、力を抜いていたせいでとっさには体が動かない。魔法で防ごうにも、詠唱をしている時間はもちろんの事、魔法をイメージして構築する時間すらない。


 あ、これ避けられないや。


 やけにスローモーションで見える矢を見ながらそう察する。

 あの矢の当たり所によっては死ぬかもしれない。不思議とその事に対する恐怖はなくて、けれど思わず目をつむった。


 瞼に閉ざされて真っ暗闇な視界。そうしていると走馬灯のように思い出が頭の中を駆け巡る、という事もなく。左肩に衝撃が襲ってきて、覚悟していた程の痛みは伴わなかったものの、俺はあっさりと地面に転がった。

 肩に感じるのは、矢が刺さっているというより、押されているような圧迫感。矢を受けるのは初めてだけど、こんな感じなんだ。当たった場所が良かったのか、あまり痛くない。

 ともかくこれなら大丈夫そう。第二矢を喰らう前に、早く体勢を立て直さないと。



「……え?」

「……良かった、間に合った」



 そう思って目を開けると、目の前には覆い被さる殿下の顔。目が合うと、彼は温和そうで整ったその相好をにっこりと崩す。

 射られたと思った左肩の衝撃は、殿下に押されて、押し倒されただけらしい。

 ……いや、〝だけ〟じゃないよ!?



「で、殿下!?」

「何をそんなに……。ああ、こんな所で女の子を押し倒すなんて失礼だね、ごめん。ただ、これは君を助ける為だから許して欲しいな」

「わ、分かりましたから! 早く私の上から退いてください!」



 叫ぶと、殿下は気のせいか少し悲しそうな顔をして俺の上から退いてくれた。そしてさっと立ち上がり、手を差し出してくる。



「……ありがとうございます。おかげで助かりました」

「うん、君が無事で良かったよ」



 差し出された手のひらに指を引っ掻けると、優しく握られて引っ張り上げられた。失礼しますと殿下から一歩離れ、地面に触れたお尻や背中の部分をパンパンとはらう。

 ……本当にビックリした。まだ心臓がバクバクしてる。



「……はぁ。お嬢様、殿下。お二人は護られる立場の御方です。あまり無理はなさらないでください。特にお嬢様、私やエイミィの側を離れませぬよう」



 目を開けた時にはもう俺に追い付いて、矢が来た方向から俺を庇うように槍を構えていた御者さんが、かしこまった口調で小言を言ってきた。その声には呆れのようなものが多分に含まれていて、少し気恥ずかしくなる。



「お嬢様は強力な魔法が使えて剣の腕もたちますから、大概の敵は軽くあしらえるでしょう。私も、お嬢様と正々堂々、一対一で真っ正面から戦った場合、恥ずかしながら負けてしまうかもしれません」



 槍が届く間合いで、お嬢様が魔法が構築し終わる前に倒せるかの五分、それ以上離れたら魔法で蜂の巣ですよ。そう自嘲して、ですが、と続ける。



「お嬢様はいかんせん経験が足りなすぎます。真っ正面から戦って勝てないとなれば、敵は悪辣な手段をもって貴女を害しようとしてきます。命の取り合いの場では正々堂々なんて事はあり得ませんし、手段を選ばなければやりようはいくらでもあります。今回の相手のやり口は、まだまだ序の口ですよ」



 俺と視線は合わせず、さらなる敵の攻撃を警戒しつつ叱責をする。

 ……御者さんの言う通りだ。俺は調子にのって突貫して、敵の罠にはまって危うく死んでしまうところだった。ウェルディのような性格の悪い相手は見てきたのに、なんで学んでないの。



「……ま、まぁお嬢様は本来戦う必要はありませんし、こんな血なまぐさい事を知る必要もないのですが。ですからお気になさらず、我らがしっかりと護りますから」

「偉そうにご高説を述べているところ悪いのですが」



 俯く俺を、御者さんはフォローしようと首を回して微笑みかけてくる。その時、いつの間にか横に来ていたエイミィが話に割り込んできた。



「おや、あっちは片付いたのかい?」

「はい、殿下。間もなくあの方が馬車を連れてきます。……それで」



 にっこりと、満面の笑みと言えるような表情で、エイミィは御者さんを見つめる。けれど、その笑顔には微妙な違和感があった。

 ……あ、これ、エイミィが獲物を見つけた時の表情だ。



「お嬢様を叱ってましたけど、そのお嬢様から目を離して、引き離された貴方にも責任があるんじゃ?」

「そ、それは……」

「私が出る時、かっこよく任せてくれって言ってましたけど、護衛対象に振り切られるって……一人では無理ならそう言ってくだされば、私も残りましたのに。あちらは正直、彼一人でもなんとかなりそうでしたし」

「あの、その……」

「我らがしっかり護りますから! ……あれ、護れていませんよ? あ、貴方が言ったのは我〝ら〟で、複数系ですものね! 一人じゃ無理だと自覚していたのですね!」



 ニヤニヤしながら、あえて敬語で御者さんをいじめるエイミィ。凄く楽しそうだけど、もう止めてあげて! 御者さん、プルプル振るえているから!

 俺の心の声が聞こえたのか、エイミィは御者さんから視線を外し、俺と殿下に向き直る。



「……とりあえず、いじめるのはこれくらいにして。殿下、お嬢様、馬車へお戻りください」

「ルーシーに矢を放った者はどうなったんだい?」

「恐らくあちらの森に潜んでいたのだと思われますが、矢を外した後に退いた気配がありました。失敗したと判断して逃げたのだと」

「そう。なら、早めに安全な所に移動した方が良いね」



 話は決まったと殿下は歩きだした。これ以上の失態は犯したくないと、御者さんはぴったりとついていく。

 俺はちょっとゆっくり歩いて、御者さんから少し離れたところでエイミィに小声で話し掛けた。



「ちょっと、さすがにあんなに言ったら可哀想だよ……。間違った事は言ってないし、私が悪かったんだから……」

「ああ、良いの良いの。前に彼が自分で言ってたんだけど、罵られるのが好きなんだって」

「……あ、そうなの」



 御者さんの評価が、少し下がった。




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