六十九話:会談
「茶を淹れ直すのに少しばかりお時間をいただきます故、少々手持ちぶさたやもしれませぬがご容赦を。……して殿下、なにゆえヴィッセル嬢と共にこちらへ訪れたので?」
俺と殿下の座る椅子とは対面に腰掛け、アーレント伯は訊ねてくる。優しそうな笑みを浮かべているが、目はこちらを探るような鋭さがあった。
彼にしてみれば、この挨拶は俺と……ひいてはヴィッセル家と今後どう付き合っていくか判断する大きな材料になる。だからそういった姿勢になるのは当然の事なんだけど……。
先の事もあって、こちらの彼を見る目は険しくなる。
お茶に何か変なものを入れていたのでは、という疑惑は払拭されていないのだ。
確かに、彼の言う通り殿下が普段口にするものより質の悪いものだっただけという可能性もある。というより、毒を入れてまで問答無用にこちらを排除しようとしてくると言われても、首を傾げざるをえない。
もし俺が帰って来なければ、真っ先に疑われるのはアーレント伯その人だ。
あまりヴィッセル家をこころよく思っていない貴族が多いのは事実だけど、俺やお父様を支持してくれる人達も多い。かなりの敵を作りかねない事を、ここまであからさまに決行するだろうか?
……答えは否だ。その程度の計算も出来ない無能が、この大きな領地をつつがなく治められるとは思えない。アーレント伯領にも彼の政策にも問題は見当たらないと聞いているし、街の隆盛を見ても彼の手腕が優れているのは疑いようがないだろう。
優秀な部下達におんぶだっこという可能性もなくはないけど、それならこの場に彼単独で臨むとは考えづらいし。
でも、なら殿下の感覚をなんて判断すればいいのだろう?
それに、お茶を片付ける際の彼の物言いは明らかに俺を侮っているものだった。もしかしたら──
「……ヴィッセル嬢?」
「え、あ……はい。申し訳ありません、少し考え事をしておりました」
思考の海に沈みかけ、アーレント伯の声で我にかえる。
どうやら殿下への問いかけは終わったようだ。殿下がなんと答えたのかは聞いていなかったけど、それに対する反応は彼の表情からは読み取れない。
隣でにこやかに「僕の事は気にせず、当初の予定通り行うと良い」と殿下は笑っている。
「……では、お言葉に甘えさせていただきましょう。ヴィッセル嬢、君の噂は耳にしているとも。なんでも平和を愛する麗しの聖女様だとか」
アーレント伯は殿下を一瞥し、一瞬その真意を考えるように目を伏せ、すぐに切り替えて俺に顔を向けてきた。
「お恥ずかしい限りです。こうして実際の私と顔をあわせて、その噂と比べさぞかしがっかりした事でしょう。噂というのは尾ひれがつくものですから」
「いやいや、そんな事はないとも。噂通り、美麗なお嬢さんだ。前に遠くから見たが、近くで顔を合わせるとまた格段と美しい」
「ふふっ、お上手ですね」
ハハハ、うふふと二人で笑いあう。この屈託のない笑顔の裏で、こちらの腹を探るべく備えているに違いない。
尤も、それは俺も同じなのだけど。
俺は彼のヴィッセル家に対する姿勢やお茶の真相を探りたいし、彼としてはほとんど情報のない俺の色々な事を知りたい事だろう。
噂を知っていると言うけど、彼の知識が噂話の範疇に収まっているハズがない。絶対に独自に調査しているだろう。その為の時間は十分にあった。
そして、その調査の結果はあまり振るわなかったんじゃないかな?
「……して、ヴィッセル嬢。実りのない挨拶はこれくらいにしておこう。少し、問いを投げ掛けてみてもいいかね?」
「はい、どうぞ。私に答えられる事ならば、なんでも答えましょう」
「そなたはこの国をどう思う? ザッカニアを……ひいては、王家を、諸貴族を、民を」
アーレント伯はそう言って、片目を瞑る。横目で殿下を見やり、今は言いにくいやもしれんがね、とも続けた。
その表情から笑顔は消え、真剣な眼差しが俺を射抜く。
……ちょっと予想外の質問だね。
「そうですね……」
そう矢継ぎ早に問われても困ります、と頬に軽く右手を当てつつ考える。この質問の意図するところはいったいなんだろう。
思い付くものとしては、三つ。
一つ目は、俺を他国の間者だと疑っており、実際どうなのかを確かめる為。
俺の容姿と魔法の才能は非凡なものだと、そう断言できる。そんな少女が生まれてから表舞台に立つまでの間、まったく噂にならないとは考えづらい。
けれど俺は異世界から迷いこんだ存在だ。俺がこの世界に来てからたった半年程度しか経っていない。だからこそ、彼の調査網にもほとんど引っ掛からなかったハズ。
たぐいまれな魔法の素養と美貌を持つ、過去も出自もはっきりしないぽっと出の自称学のない平民。我ながら怪しすぎると思う。
二つ目は、彼が現在のザッカニアに不満を持っており、反乱を起こそうと計画している可能性。俺の返答によっては仲間に引き入れようと考えている。
ここは国境近くで王都とは距離があるからそういった計画を練るには適しているし、大領地を治めるだけあって反乱を考慮する程度の力もあるだろう。
殿下が言っていた「牽制の為」というのも、それを察したからとすれば納得がゆく。
……でも、反乱の計画を殿下の前で匂わせるとは思えないし、この可能性はほとんどないかな。
最後に三つ目。単純に俺が貴族として今後どう活動していくのか、どのような展望を持っているかを知りたいから。
何も考えていない頭の中がお花畑の小娘では協力するに値しないだろうし、とる方針によっては彼の利益に反する事もありうる。
だからそれを確かめるのは、彼にとって必須事項だろう。
もちろん俺が思い付かない理由があるかもしれないし、複数の理由があるのかもしれない。
確かなのは、うかつな事は言えないという事だ。
「……この国は、とても良い国だと思います。私の知る限りではありますが圧政も見られず、人々に活気がありますし、優しい方も多いです。優しいという事は余裕があるという事ですし、転じて比較的裕福であるとも言えます。これは民をどう思うかにも繋がりますね」
じっくり考えたいけど、あまり長考しすぎる訳にもいかない。言葉を選んで、そっと切り出す。
「王家……陛下や殿下に関しては、恥ずかしながら何か意見を述べられる程存じておりません。それほど高貴な方々と関わる事なんて、これまでありませんでしたから、雲の上の存在だと思っておりました。そしてそれはお父様の養子となった今でも変わりません」
「えっ」
隣で驚いている気配がする。僕の事は気にしないで、と言っていたから気にしない。
爵位を得て、多少なりとも王家との距離は近づいたし、今後接する機会は何度かあるとは思う。けどそれはあくまで主君と臣下の間柄だし、この国は男爵程度でも血筋に誇りを持っている封権国家。
殿下も元平民と積極的に関わりたいとは思ってないだろう。今回の来訪の目的も、俺じゃなくてアーレント伯だろうし。
「ですが、人々に活気があるのは、国の柱たる王家がしっかりしているからだと。故に尊敬しておりますし、今や私も貴族のはしくれ。臣下として努力する所存でございます」
「ふむ。臣下として、か」
「はい。臣下として」
アーレント伯の確認のような呟きに、おうむ返しのように繰り返す。
私には王家に背いたり、並び立とうとする野心などございません。あくまで忠実な臣下ですと、そういった意思表示だ。
「……なるほど」
一度殿下に目を向けて、アーレント伯は鷹揚に頷いた。殿下を見た時の目になぜか同情するような色が含まれていたような気がして、俺も隣を見るけど、殿下の様子におかしなところはない。
うーん、なんだろう。まあ、問題はなさそうだし、気にしないで良いかな。
頭を切り替えて再びアーレント伯に視線を戻したその時、扉が数回叩かれ、アーレント伯が入室の許可を出すとあの初老の男性が入ってきた。淹れ直したお茶を持ってきたらしい。三人の前にそれぞれティーカップを置き、紅茶を注いでいく。
毒など入っていない事を示す為か、真っ先にアーレント伯がそれを口にする。それを見て、俺も匙二杯分の砂糖を溶かして飲んだ。
流石にこの状況で毒を入れる訳がないのか、体に異常はない。殿下が飲む前に毒味のつもりでもあったのだけど、普通に美味しかった。
「……最後に貴族の方々に関してですが……。残念ながら、あまり私の事をこころよく思われていない方々がいらっしゃるのは存じ上げています。そういった方々にも認めていただく、それが私の課題だと、そう考えております」
コトリとカップを置き、話を戻して質問に答える。なるべく無難な事を言ったつもりだけど、反応はどうか。
もし、具体的にどうするつもりなのかを問われれば、口を濁すしかない。
ヴィッセル家を疎ましく思っている彼らが無視出来ない程の財力や影響力を持てば認められるかと言えば、決してそうではないと思う。むしろ「成り上がりの平民風情が、調子に乗るな」と陰口を叩かれる未来しか見えない。問題は彼らのプライドなのだから。
まあ、それは置いておこう。
反応を待っていると、アーレント伯は再びお茶を飲んで、一つ息を吐く。そして大仰に手を広げ、にんまりと破顔した。
「ふむ、なかなか興味深い回答だった」
「小娘の浅見でしたが、お気に召されたようでなによりです」
「そういうのはいい。それにしても、奴等に認めてもらう……か。難しいな」
そのまま広げていた手を前で合わせ、身を乗り出して肘をテーブルにつける。その時の彼の表情は、先ほどまでとは一転して憂うような、俺を気にかけるようなものだった。
とてもじゃないけどお茶に何かを入れるような人物がするようなものではなく、戸惑いから言葉に詰まる。
「忠告しておこう。認めてもらう、というのは諦めるべきだ。ほぼ不可能であり、かつ時間の無駄だと言える」
無駄、と断定したアーレント伯の表情はとても真剣で。
彼は俺を侮っているハズ、毒を仕込んだハズの人なのに。
彼という人間が掴めない。いったい何を考えているの。
「……では、私はどうすれば良いのでしょうか。同じ国、同じ主君に仕えている間柄でいがみ合っていては、内紛の元になってしまいます」
それを確かめる為に問う。私にその意思はなくとも、あちらから突っ掛かって来られる事もありますよと。一瞬お茶に視線を向け、貴方のように、と言外に含ませて。
「ふむ。いや、言葉が足りなかったな。認めてもらうのではない、認めさせるのだよ」
俺が彼を警戒しているために生じている微妙な緊張感の中、突き付けられた質問に対して、アーレント伯は芝居がかった口調でそう答えた。
「人間をおもねらせるのに手っ取り早いのは、そうすれば自らに利益があると思わせる事。次点で逆らったら勝ち目がないと武力をもって示す事」
無言で耳を傾ける俺を一瞥して、ゆっくりと組んでいた指を離し、カップを持ち上げながらアーレント伯はそう続ける。そのままお茶を口に含み、目を細めた。
「前者は難しいだろう。そなた達の領地は資源も技術も足りない。これから経済的に発展させるのなら、国境に接しているのを生かしての貿易というのが最善だろうが……あいにくそれは私と被る。そうされては、こちらとしても商売敵は見過ごせないの故、潰させてもらう他にない」
申し訳ないがね、と手を振りつつ、アーレント伯は的確にこちらの痛いところを突いてくる。
彼の言う通り、プライドを曲げさせて味方に引き入れられる程の財力や影響力を得る事がどれだけ大変な事か。
うちは肩書きこそ子爵だけど、領地は狭く、国境線に接する辺境に位置して、鉱脈や特産品がある訳でもない。領主の名声により人口は面積と比べて多いものの、人口が多い事は良い事ばかりではなく問題もあるし。
現代知識チートとかが使えれば良かったのだけど、残念ながらそんな知識も発想力も俺にはなかった。
ならばやはり隣国、ノーベラルとの貿易だけど、これも難しい。
ノーベラルとのいさかいが収まった後のアーレント伯の動きは迅速で、貿易を一手に引き受けた。ノーベラル以外の国とも以前から関わりを持っている大領地だし、そういった交渉のノウハウは蓄積されている事だろう。ヴィッセル家にはそれがない。
そして、これまた彼の言った通り。無理してノーベラルとのパイプを繋いだとして、それを看過するアーレント伯じゃないだろう。
ノーベラルはよくザッカニアと渡り合えたと思える程の小国だけど、ウェルディの力か、高い技術力を持っており、貿易の旨みが大きいのだから。
否定できないこちらの弱みを指摘され、思わず拳を強く握る。
金銭面では味方につけられない。俺達は援助を乞う側だ。
なら、次点。
「では、後者の方はどうか。私が言うまでもないだろうが、そなたらの武力は申し分ない。数という点では見劣りするものの、質は高い。そしてなにより、二人の英雄が居る。そうであろう? 聖女様」
ひどく冷徹な、感情を窺う事の出来ない眼差しでアーレント伯は嗤う。
「だがしかし。残念な事に、その武力を知らない、信じない、甘く見ている輩も多い。故に、武力を誇示する必要がある。問題は、それを行う事の出来る場面が今や少ない事かね」
まだ戦争が続いているのなら良かったのだが、と目の前の為政者は残念そうにため息を吐いた。その態度に一瞬怒鳴りかけて、すんでのところでなんとか抑える。
彼とて、戦争を望んでいる訳ではないだろう。きっと戦争が終わった今だからこそ言える冗談のようなものだ。
そう自分に言い聞かせる。小さく深呼吸。
けれど、
「それにしても、そなたにとってはあの戦争は福音であったろうな。おかげで平民から貴族に成り上がり、良い暮らしが出来るようになったのだから」
その発言は看過出来なかった。
悪気はなかったと思う。結果的に俺は戦争によって身を立てたのだから、客観的にはそう思われるのかもしれない。
それでも。
「っ……!」
衝動的に机に拳を叩き付けたくなる。ふざけないで、と声を荒げたい。
……俺は直接戦った訳じゃない。戦場に居た期間は凄く短いし、遠くから魔法を撃っただけで命の危険を感じる事もなく、実際に戦争に携わった人々にとっては鼻で笑われる程度しか知らない。
けれど、俺が多くの人の命を奪ったのは紛れもない事実で、その人達の屍の上に立って「貴方達のおかげで貴族になれました」と胸を張る事なんて出来る訳がない。
……駄目、抑えて。落ち着いて。気を鎮めないと。
ドレスのスカートを掴み、わなわなと震える。怪訝そうな顔を向けてくるアーレント伯に、なんとか取り繕った笑顔を向けた。
……落ち着いてきた。もう大丈夫。
「……では、やはり私が認められるのは不可能なのですか?」
「そうさね。まあ、今でも力を示す術もなくはない。……魔薬、というものを知っているかね?」
悲観を口にして、返された答えに思わず身動ぎをする。
魔薬。ここでもその名前を聞くなんて。
「なら、最近王都で魔薬が流行っているのは知っているだろう。あれを撒き散らしていると疑いがある商家や貴族家を潰せばいい。抵抗されれば、武力を示せる良い機会となる。正統性はあるが故に批判は退けられる上、その家の富を強奪する事も可能だ」
俺の反応から知っていると察したのか、アーレント伯は悪どい笑みを浮かべて言った。合法的な略奪だと。
目に困惑を宿して、殿下に視線を向ける。アーレント伯が言ったような事を、本当に行って良いのかと。
殿下の返答は……無言での首肯。
まさか、本当に構わないというの!?
驚き、考えて……違和感を覚えた。
「……待ってくださいませ。魔薬を密売している疑いがある御家を潰す、とおっしゃいましたが、その御家が魔薬を密売しているという確証はあるのでしょうか? 既に証拠は出ているのでしょうか?」
俺の質問にアーレント伯は答えない。それは殿下も同じ。
その反応に確信を抱き、続ける。
「確証がないにも関わらず、言い掛かりをかけるどころか実力行使までするというは……もし証拠がなければ、批判は凄まじい事になります。仮に確証が得られていたとして、それならばなぜ手柄を私に譲るのでしょうか」
そう、問題は証拠だ。それがなければ大義名分も意味をなさない。
だからこそ、ウェルディから魔薬を広めている商店を聞いたにも関わらず手をだしていないのだ。
疑いがある。だけど証拠はない。しかし早めに解決しておきたい。
なら、その疑いのある家を潰させ、証拠が出れば良し、出なければ……潰した人間を切り捨てれば良い。
つまりは、捨て駒だ。
そんなのはごめんだと、睨むようにキツイ目付きでアーレント伯を見つめる。
しばらく無言で見つめあい、彼はおもむろに手を叩いた。パチパチパチと、目尻を下げ、表情を緩めながら。
「その通り。殿下の後押しがあっても、それを盲信せず、疑い、よく思考した、ヴィッセル嬢」
悪意など一欠片もないような笑顔で称賛される。
そして、俺はすべてを理解して、思わず全身の力が抜けた。緊張の糸が切れる。
何言い訳をしているの、と一瞬思ったけど、殿下も頷いたのだ。殿下も共犯という事を考慮したら、ある推測が浮かんでくる。
俺は試されていたのだという推測が。
きっと、最初に殿下がお茶に何か入っていると言ったのも嘘なのだろう。そうした理由は分からないけど……警戒する相手にどんな対応をするのか、とかを見ていたのかな。
ネタばらしをしたという事は、合格出来たのだろう。小さく息を吐いて、お茶を飲む。もう冷めていたけど、溶けた砂糖の甘さが広がった。
「騙すような事をした事を謝罪しよう。償いとして、私は君を全力で支援する」
「ありがとうございます」
……それにしても、もし殿下の太鼓判を貰ったからと愚直に信じていたらどうなったんだろう。
◇
カルステン・アーレントとルーシー・ヴィッセル、それにレオポルト・フォン・ザッカニアを交えての会談が終わると、少女は退室して部屋には少年と男性が残された。
送らせるというカルステンの提案を遠慮したルーシーは今別室に控えている。レオポルトを待っているのだ。
「殿下、申し訳ありません。そしてありがとうございました」
二人きりになって開口一番、カルステンはそう言って頭を下げた。
「下手人は誰だか分かっているのかな?」
「はい。おそらく、ワークナーだと思われます」
彼らが話しているのは、異物を混入させたお茶をルーシーとレオポルトに出した人物について。
そう。ルーシーは演技だったと勘違いしたが、お茶には確かに何かが入っていた。
「ワークナー伯爵? ……なるほど、彼の対応におわれて、君は僕達のところに来るのが遅れたのか」
カルステンの証言を、レオポルトはあっさりと信じて頭を抱える。
そもそも、レオポルトは最初からカルステンが何かを入れたとは思っていなかった。
王太子という立場上、どこでも暗殺の危険性が彼には付きまとう。故に、護衛を離すなど本来ならばあり得ない。
にも関わらず、今回護衛を置いてきた事こそが、彼がカルステンを信用している何よりの証左だった。
「その通りでございます。奴は事前の連絡もなく、突然やって来まして。奴との会談中、ヴィッセル嬢と、何故か殿下も来られた事、そして私はそのような指示をだしていないというのにメイドがお茶を出したという報告を受けて、急いで向かいました。その際、奴めの妨害で時間をくいましたが」
警戒を怠った私のミスですと、忌々しそうに、ここにはいない醜い貴族の顔を思い浮かべて吐き捨てる。民の事を考えず、私腹を肥やす事しか考えていないあの豚を、カルステンは心底嫌っていた。
「それで、お茶に何が入っていたのか分かったのかい?」
「……残念ながら。獄に繋いでいる咎人に飲ませましたが、なんら異常はありませんでした。遅効性の毒やもしれませぬが……こればかりは経過を観察するしか。また、それとは別に調査に当たらせてもいますが、こちらもあまり芳しくありません」
「……そうかい。とりあえず、要警戒だね」
重い雰囲気になり、レオポルトが話を変えよう、と手を叩く。
「それで、君の目から見て、彼女はどうだった?」
「なかなかに聡明な、良い娘だと思いますよ。いささか正直すぎるきらいがありますがね」
カルステンは会談中、その一挙手一投足を余すとこなく観察していた。その結果が、その評価だ。
彼は聖女様と呼ばれる偶像に懐疑的だった。事前に調査して、ろくな情報が得られなかった上に、数少ないその中に『ノーベラルへの深い憎しみが見えた』『桁外れの魔法を操り、それによりノーベラル軍を壊滅させた』というものがあったからだ。
もし、彼女が好戦的な性格で、その力を自らに向けられたら?
……そんな事、考えたくもない。だが、思考する必要性が彼にはある。
尤も、会談の中での彼女の様子からして、必要がなければむやみやたらに自らの力を奮う事をあまり好んでおらず、争いを避ける傾向がありそうだが。
正直すぎる、というのも、人間としては美徳だろう。故に、カルステンはルーシーという少女を好意的に見る。
彼女の受け答えの如何によれば、こうはならなかっただろう。
欲を言うのなら、彼女がもう少し本心や感情を悟られないように出来ていれば。表情や声色には出さないよう気を付けてはいたが、視線や指先の微かな動きや身体の力の入り具合にまでは気が回っていなかった。それが出来ていれば最高評価を与えるのもやぶさかではなかったのだが。
尤も、そうだった場合には好評価よりも警戒心の方が上回ったかもしれないが。
「ふふん、そうだろう?」
「何故殿下が誇るのですか」
「いやなに、自分の目が正しいと自信を持てたからね」
「はぁ。それにしても、彼女と共に殿下がいらっしゃると聞いた時は至極驚きましたよ。尤も、そのおかげで助かったのですが」
「牽制の為さ。君の事だ、場合によっては彼女に自分の息子を婿入りさせる事も考慮していただろう?」
レオポルトの指摘に対し、カルステンは答えない。だがレオポルトは、それだけで自らの考えが正しいと確信した。 そして、それは真実だった。
カルステン・アーレントという男は良くも悪くもひどく貴族然とした男だ。領地を繁栄させる為ならなんでも行う。たとえバレれば後ろ指を指されるような事でも、利益があるのなら一切の躊躇いもなく。
もしルーシーが自称通り魔法が使えるだけの、頭の回らない小娘であったのなら、上手く騙して傀儡にするつもりだった。
彼女の名声、そして武力は馬鹿に出来ない。上手く扱えれば、大きな力になる。
平民出だとか、過去が不明だとかなんてどうでも良い。利用出来るものは利用し尽くすのが最善。そういう考え方をするのが、カルステンだ。
血統にまったく重きを置かない事も合わせれば、貴族というより商人に近いとも言えるかもしれない。
「……彼女には手を出させないよ」
底冷えするような、朗らかなその雰囲気からは想像もつかないような声で、レオポルトは警告する。
カルステンは苦笑し、手を振った。
「分かってますよ。貴方がこうして足を運ぶ程だ、よっぽど“お気に入り“なんでしょう?」
「うん、まあ、そうだね」
そう言って少し赤くなった頬を掻く姿は年相応で。
カルステンは自らの仰ぐ主、その息子のそんな姿を見て肩をすくめる。
「私は気にしませんが……周りがうるさいですよ」
「そんな事は百も承知さ。黙らせるよ、なんとしてでも。それよりも問題は、彼女本人なんだよね」
「おや、彼女の意思も考慮するんですか」
「当然だろう? 無理強いなんてしたくないからね」
そう言って、ザッカニアの王子は太陽のような笑顔を浮かべた。
だが、彼の腹の内の黒さを知っている臣下は苦笑し、そして彼の“お気に入り“の少女との会談を思い起こす。
「それにしても……」
人の多くは侮られる事を嫌がる。だが、彼女はいくら侮蔑の意を示したところで平然としていた。
それだけならば貴族の下に居る事に慣れきった立派な平民根性の持ち主であると言えるが、カルステンの発言に反抗心を抱いているであろう瞬間があった。つまり、そうではないという事になる。
そして気にかかるのは、彼女にとってはカルステンは毒を飲まそうとした敵、自分の命を狙っている人物のハズ。だというのに、カルステンへの警戒心や何故毒を仕込んだのか理由を考えるような気配はあったものの、彼への敵意はまったくもって見られなかった。
まるで、自分の事など意に介さないかのように。自分がどうなろうが構わないとでも言わんばかりに。
「いったいどんな経験をすれば、あんな娘になるのかねぇ」
ボソッと、誰の耳にも入らない程の小さな声で、カルステンは呟いた。




