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六十八話:予想外の来襲

 心配とは裏腹にその後は特にアクシデントはなく、御披露目は順調に進行していった。

 聴衆の反応を見つつ微調整はしたものの、似たような内容のスピーチをする事五回。小さな村は除いてある程度発展している町に限定したからこれだけで済んだ。流石にすべての村を回る事は出来ない。

 出来るだけ多く足を運んで支持者を増やしたかったのだけど、いつ来るか分からない殿下を迎える準備も必要だ。長引けば襲撃の危険性も高くなるし、今日一日で終わらすのは決まっていたから。


 また、領地を持たず、ヴィッセル領内に居を構える下級の貴族家への挨拶にも行った。彼らは既に俺の事を知っているのがほとんどだけど、それでも挨拶に行かないと失礼にあたるからね。

 表だって反抗はしないとはいえ、彼らはあまりお父様をこころよく思っていない。由緒ある高貴な血筋の我々がなぜ元平民ふぜいの下にいなければならないのかと、そう憤っているのだ。お父様を恐れているクセに。


 しょっぱいプライドだとは思うけど、馬鹿にしてはならない。おだて、微笑み、弱々しそうに頼ってみた。学のない私には貴方様の力が必要なのですと。

 けれど舐められはしないよう毅然と、さりげなく武力をちらつかせて脅しをかけたりもした。

 結果、すべての貴族家が俺を支持すると確約してくれたし、ここまでは上手くいっていると言えるだろう。


 そして今、最後の町での演説が終わった。止まない歓声と拍手を浴びながらホッと胸を撫で下ろす。

 ……さぁ、次が最後だ。今度の相手はこれまでとは違う。ヴィッセル家よりも格上だ。

 拳に力を入れ、気合いを入れ直す。



「……え?」



 心意気新たに馬車まで戻って、そこで見たものによって声が漏れた。

 馬車の前で立って待っていてくれているエイミィ。

 彼女がいかにも怪しい、フードを目深に被り顔を隠している、俺と同じくらいの背丈の不審者に絡まれていた。困ったように曖昧な笑みで固まっている。

 声は届かない距離だから何を話しているかは分からないけど、不審者が楽しそうに身ぶり手振りを交えながらまくし立てており、エイミィは時折相づちをうっているのが口の動きで分かった。


 スッと、目を細める。なんだあの男は。もしかしてナンパだろうか。

 そこそこに豪奢な馬車、その前にたたずむ可愛らしい服に身を包む少女。それだけである程度の財力を持つ家の関係者だと分かるだろう。更に俺の御披露目が行われている事を考慮すれば、この地の領主の関係者だと推測するのは難しい事じゃない。

 それにも気づいていないお間抜けさんなのか、気づいた上でナンパをしているのか。後者なら、にも関わらず話しかけるその勇気は認めてあげなくもないけど、エイミィには手を出させないよ。ロリコンめ。


 周囲を確認すれば、人はまばらなもののいまだに俺に注目が集まっている事が分かる。これでは問答無用であの不審者に魔法を撃ち込む事は出来ない。

 警戒心をマックスにしたまま、足音を立てないようにして不審者の背後をとる。気づかれてはいない。



「その娘になんの用があるのですか?」



 ソッと、普段より低い声音で詰問する。不審者は突然の事に驚き肩を跳ねさせた。

 もし邪な意図があってエイミィに話しかけていたのなら容赦はしないよ。



「お、お待ちくださいお嬢様! この方は──」

「ああ、お疲れ様だねルーシー。君を待ってたよ」



 俺の殺気に気づいたエイミィが慌てて制止をかけ、不審者は振り向きながら喜色が混ざった声でねぎらいの言葉を送ってくる。

 ……まって、俺を呼び捨てで呼ぶって事はそういう事で、というか聞き覚えのあるこの声は──



「で、殿下……?」

「うん、僕だよ。四日ぶりだね。……うん、今日も綺麗だ」



 震えながら絞り出した声に、不審者……いや、王太子殿下がフードを軽くつまみ上げ、その笑顔を見せながら応える。


 なんで殿下がここに。どういう事なのかと、エイミィと殿下を交互に見やる。

 俺の混乱具合を見て、殿下は小さく笑った。フードの中で金の髪が揺れる。



「殿下、ルーシー様。ひとまずは馬車にお乗りください。注目を集めておられますよ」



 オロオロしていると、殿下と同じくフードを目深に被った背の高い男性が低く渋い声でそう促してきた。

 フードのせいで顔は見えないけど、たくましいその体はいかにも歴然の戦士といった感じだ。殿下に驚き過ぎて居るのに気づかなかったけど、多分護衛役の人だろう。

 言われるがままに馬車に乗り込む。広い車内は俺と殿下、エイミィが入ってもまだまだ余裕があった。

 護衛の人は乗らないのかと視線を送ると、必要ないとばかりに首を振る。そのまま扉を閉められた。


 少しして馬車が動き出す。

 ……問答無用で魔法を撃ち込まなくてよかったぁ。もし攻撃していたら……。罪悪感から殿下の顔が見れない。

 けどこのまま黙っている訳にはいかないだろう。体ごと殿下に向き直る。



「……あの、殿下」

「なんだい?」

「その、なぜこちらに?」

「前会った時に言っただろう? また今度って」



 殿下はフードを下し、その整った顔を晒して飄々と答える。

 確かに言われた。でも、こんな早くだなんて想定してない。もっと前もっていつ来るか通達があるものだと思っていたし、それにこんなひっそりと隠れるように来るなんて。

 困惑が顔に浮かんでいたのか、殿下はしてやったりといった感じで口元をゆがめ、続ける。



「僕が来ると言ってあったら、それにあわせて予定を組むだろう。僕は君が御披露目をする姿を見たかったからね、それじゃあ駄目だったんだ。……ああ、良い演説だったよ」

「あ、ありがとうございます」



 ……いわゆる気負ってない、素の姿を見たかったのだろうけど、こっちとしてはいい迷惑だ。準備ができていない状態だし、なにか失礼にあたいする事をおかしてしまいかねない。上のフットワークが軽すぎると下は辛いよ。

 そして最悪なのはこのタイミングだ。脅迫状が届いており、囮役でもある俺には護衛がいない。もし囮に犯人が食いついた場合、彼を守る余力があるだろうか。

 悪態をつきたくなったけど、そんな素振りを殿下に見せる訳にはいかない。おしとやかな『聖女様』の笑顔という仮面を張り付けて対応する。



「……突然来られても迷惑だ。そう思ってるでしょ?」



 だからこそ、殿下の告げたそれに一瞬反応が遅れた。



「……そんな事はありませんわ」



 その否定のなんて嘘くさい事か。なんとか取り繕ったけど、一瞬の間が雄弁に語っている。殿下の指摘が真実だと。

 ガラガラ揺れる車内に何とも言えない空気が流れる。エイミィはどうすればいいのか分からないのだろう、耳がペタンと垂れてしっぽがなんとも言えない軌道を描いていた。可愛い。

 ……いや、現実逃避をしている場合じゃないか。

 おずおずと殿下に視線を向ける。彼は噴き出した。



「いや、ごめんごめん。困らせるつもりはなかったんだ。突然の来客が面倒だって事は自覚しているからさ、僕がかってに訪れただけだから気を遣わなくていいと言いたかっただけなんだ。ここに人目はない、正直に文句を言っていいよ」



 そう言われても、一国の王子に面と向かって文句なんて言える訳がないでしょう。それが分かっていながら言ったのなら、かなり性格が悪い。

 ここで言質をとったとばかりに反抗出来る程豪胆だったら良かったけど、残念ながら俺は小心者。文句なんてとてもじゃないけど口には出せない。



「殿下、まことに申し訳ないのですが、私はこれよりアーレント伯へご挨拶へ向かわねばなりません。殿下におきましては先に我が屋敷へお向かいくださいませ」



 俺に出来るのは、貴方は邪魔だと暗に伝えるだけだ。

 アーレント伯はヴィッセル領を包み込むように接する領地を治める大貴族。先のノーベラルとの戦争で大きく消耗したらしいけど、それでもいまだに侮りがたい力を持っている。挨拶に出向かない訳にはいかない。



「ああ、大丈夫。僕もそれに同席するから」

「……え?」



 けど、俺のささやかな意趣返しは盛大なカウンターをくらう。

 まって、何を言っているの!?



「な、なぜですか!?」

「いろいろ理由はあるけど……一番は牽制の為かな」



 とても真面目な顔で殿下は告げる。正直その意味と殿下の真意は分からないけれど、俺が何を言っても無駄だという事だけは分かった。

 あはは、もうどーにでもなーれ。


 自らの下につく新入社員が挨拶に来たと思ったら社長のご子息を伴って来た、みたいな状況になるアーレント伯はどんな顔をするのだろう。気の毒になってきたよ、ごめんなさい。



「──おや、到着したみたいだよ」



 しばらくして馬車が止まり、殿下が声をあげる。その言葉通り扉が開かれ、冷たい空気が吹き込んできた。

 殿下が先に降り、手を差し出してくる。王子がする事ではないと思うけど、無視するのも失礼だと思い手をとり、彼に引かれながら降りた。

 今日これまで回ったところすべてより数段栄えている街並みと、眼前にそびえる大きな屋敷。とても豪華な馬車が二台もあるのが見える。これが本拠ではなく別荘だというのだから驚きだ。


 殿下に先行されながら、屋敷の門へと向かう。俺の来訪を聞いていたのだろう、二人の門番達は門を開いて、けれど通ろうとしたら長槍で遮ってきた。



「これより先はヴィッセル様と使用人は別れろとアーレント様が仰せです。失礼ながら、先にヴィッセル様だけご案内いたします」



 その門番の言葉に、エイミィと殿下の護衛の男性が顔をしかめる。まずい。

 きっと彼らは何も知らず、ただ主に言われた通り職務をまっとうしているだけなのだろう。

 けれど、彼らは俺と使用人は別れろと言い、そして俺だけを案内すると言った。

 それはつまり、恐れ多くも王太子殿下を使用人扱いしたという事になる。



「……へぇ」



 殿下が小さく呟いて、俺は焦る。下手すれば王族を侮辱したとして、この門番達が処刑されてしまってもおかしくない。そこまで殿下の気が短くない事を祈りながら、彼の前に回り込んだ。



「お待ちください殿下! 彼らは無知だっただけなのです」

「大丈夫だよ、こんな些細な事で怒りはしないさ。……君達、通してくれないかな?」



 俺の言葉で自分達がどれだけ失礼な事を言ったのか察して真っ青になり震えている二人に、殿下が笑いかける。殿下が本物かどうかは彼らには判断つかないだろうけど、だからと言って押し留めて後に本当だった場合どれだけの罰を受けるか。彼らが申し訳ありません! と大声で謝りながら槍の門を上げたのは仕方のない事だろう。

 二人で門番達の横を通り抜けてから振り返り、エイミィ達に視線を向ける。彼女はそれに対し、先に行けとばかりに頷いた。殿下の護衛の男性も同様だ。


 それを確認して俺達は門番の一人に連れられて屋敷の中に入り、そこで門番と入れ替わりに初老の男性にきらびやかな部屋に案内される。アーレント伯はもう少ししたら来るとの事で、年若いメイドさんがお茶を置いた後退室し、部屋には俺と殿下だけになった。

 柔らかなソファに隣り合って腰かけながらアーレント伯が来るのを静かに待つが、なかなか来ない。


 殿下はティーカップを持ち上げて、匂いを嗅ぐ体勢のまま難しい顔で固まっている。する事もないから俺も紅茶を飲もうとカップを手に取り、



「待って」



 その手を殿下に掴まれた。



「殿下?」

「……これ、少し匂いがおかしい」



 そう忠告して、殿下は揺れる水面を睨む。

 んー? 特にそんな変な匂いは感じないけどなぁ。

 でも、俺よりも殿下の方が紅茶の匂いは知っているだろうし、暗殺を防ぐ為にも怪しい薬とかの教育を受けている。俺の感覚よりも正確だろう。


 匂いがおかしいって、もしかして毒……? でも俺に毒を盛ったとして、アーレント伯になんの意味があるのだろう?


 考えていると、殿下はおもむろにカップを傾ける。自分で何かおかしいと言ったのにも関わらず、何をしているのか。

 俺が驚いて殿下の手を掴もうとしたその時、



「遅れてしまって申し訳ない! ……おや?」



 部屋の扉が開き、ウェーブがかかったくすんだ金の長髪を揺らしながら、細身の男性が入ってきた。

 年はお父様より上だろう。垂れた目が気弱そうな印象を与えてくる。

 この人が、アーレント伯か。



「これはこれは、殿下ではないですか。まさかヴィッセル嬢と一緒に来られるとは、わたくし思いもよりませんでしたよ」

「やあ、アーレント伯。報告は受けていなかったのかい?」

「客人が来たらここへお通しするように命じていただけですからな。来客の報は受けても、それが誰かは聞いていなかった故」



 そう答えてにっこりと笑うアーレント伯。

 ……上手く誤魔化しているけど、彼の息が上がっている。きっと、かなり急いできたのだろう。

 格下である俺の為に走ってくるとは思えないし、殿下の存在は知らされていたと思うのだけど。なぜそれを隠すのか。



「そうかい。ところで、このお茶がなんか変な匂いがするんだけど」

「おお、これは失礼した! 殿下の口に合う程質の良い茶は、王都から離れたこの地で生活する我々にはなかなかに貴重な代物でしてな。ヴィッセル嬢へ殿下が満足出来るだけの茶は出せなかったのです。殿下が居られるのでしたら、すぐさま取り替えさせましょう。……これ、茶を入れ直せ!」



 アーレント伯が手を叩くと、俺達を案内した初老の男性がやって来て、疑惑のお茶を手早く持っていく。俺にはそれが証拠隠滅のように思えて。


 ……この人、かなりの曲者かもしれない。


 俺は、アーレント伯に対する警戒度を急上昇させた。







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