六十七話:演説
それは、とても静かな始まりだった。
子爵家の子女、そして聖女様の御披露目という言葉から推測されるような盛大さは欠片もない。ただそっと、ヴィッセル家の屋敷の門が開かれた。
俺とエイミィは、門の前で待ち構えていた人々の視線を一斉に浴びながら、ゆっくりと歩く。その最中に小さく微笑んで手を振ると、ほぅ、という小さなため息が人々の口から漏れた。「あの子が……」「綺麗……」などといった呟きも聞こえる。
いい兆候だ。領主の一族として、豊富な知識やカリスマ性など、なんらかの魅力が求められる。そうでないと、誰も付いてこない。
そして、その魅力は容姿でもかまわない。
だから、こうして見とれられるのは喜ばしい事だった。
見た目、第一印象は重要だ。よく「人間、重要なのは外見よりも中身だよ」という意見があるけれど、俺はそうだとは思わない。
もちろん、中身が重要なのは確か。でも、日頃から接する人ならともかく、あまり関わらない人だったら、その内面なんて分からない。ならば当然、その人を評価する材料は、外見がほとんどを占める。
だから少しでも良い印象を持たれるよう努力するのはとても大切な事。例えば、身だしなみを整え清潔にする、服をだらしなく崩したりしないできちんと着る、オシャレに気を使うとかだ。
そして、外見には顔の良し悪しも関係するし……俺のこの容姿は、大きな武器になる。
だって、悪人面した醜いおっさんより、笑顔の可愛い女の子の方が助ける気になるでしょ?
堂々と、優雅に。ばあやに叩き込まれた美しい歩き方で一歩一歩進むごとに、人垣が割れ道が出来る。
その道を通り、目指すのは広場。多くの人が集まれる場所。
俺の歩みを遮るものは、今のところはない。各地に散った騎士さん達にも新たに使い魔を作って託してあるし、何かあれば連絡が来る手筈になっている。バドラーの目もあるし、敵さんはまだ行動を起こしてないのだろう。
このまま平穏に終わってくれればいいんだけど。そううまくはいかないんだろうなぁ。
代々領主が何か重大な発表をするのに使われ、日ごろは子供の遊び場になっているという広場。その中心にて立ち止まると、徐々にあたりに人々が集まっていく。しかし、まるで気圧されたかのように俺との距離は離れていた。ぽっかりと、スペースが開いている。
……そろそろ良いかな。さぁ、始めよう。俺を見てるこの人達を騙せ。魅了しろ。信用させろ。能力のないただの少女を、聖女様に錯覚させろ。
すぅと、深く大きく息を吸って、
「──皆様、はじめまして」
スカートの裾を小さく摘まみ上げて一礼。顔を上げた時、浮かべるのはたおやかな笑み。
その一動作で、ざわざわとしていたのが瞬時に静まる。俺の……次代の領主候補、そして聖女様の言葉を、一言も聞き漏らしてはならないというように。
「私は先日、お父様……ロナルド・ヴィッセルの養子として迎えられました、ルーシー・ヴィッセルと申します」
けして大声を張り上げているわけではない。それでも、俺の声は広場全体を包み込むように響く。その不可思議は、さぞかし神聖なものに見える事だろう。
実際のところは、ちょっとズルをしているのだけど。
「皆様もご存知の事かもしれませんが……私は高貴な産まれという訳ではありません。貴族の子女として幼少より教え込まれるべきである領地経営の術や、皆様を引っ張っていき生活を良くする術を知りません。無力な一小娘でしかありません」
突然の卑下に戸惑う気配がする。それもそうだろう、領主の行動は自分達の生活に直結するのだ。にも関わらず、未来の領主が頼りない事を言えば不安にもなる。
でも、俺の言った事は紛れもない事実だ。俺は人をまとめるリーダーとしての経験もないし、政治もしらない。この世界ではもちろん、政治が比較的身近な民主主義国家である日本にいる時ですら、政策にまるで興味をもってなかった。景気が悪くなったからたいして知識もないのに政党を口だけで批判する、そういう事すらしていない。ただ、日々ゲームを楽しんでいただけだ。
俺の発言で再びざわめきだす人々を、「ですが」という一言で黙らせる。
「その分、皆様を知っています。皆様の生活を知っています。皆様が望んでいる事を推測出来ます」
これは嘘だ。この世界の常識なんて、一年と暮らしてない俺が知っている訳がない。お父様もノーヴェさんもエイミィも、とてもじゃないけど平凡な一般人とは言えないし、そういう人達と一緒にすごしていた事もあって常識知らずだ。
でも、こうして「私はあなた方の身近になれる」というのは、口説き文句としては強力だろう。格差のある世界だ、貴族には平民の気持ちが分からないと不満を持っている人も多い。
特にこのヴィッセル領は平民出のお父様が治める地、そういう人達が移民として多く流れてきたと聞いている。そこを突く。
「また、皆様をまとめる領主として、私は今後精進していきます。まだまだ未熟な私ですが、いずれはお父様のように……。お父様が私を見込んでくださった事が、間違いでなかったと証明します」
そして、今度はお父様の名を利用する。
実際にはお父様はほとんど領地の経営に口を出していない。それらを主に行っているのは昔からヴィッセル家に仕える文官だったり、強引に引っ張ってきたらしいお父様が軍人であった時の有能な部下さん達で、お父様は最終決定するだけだ。
だから別にお父様は名君という訳ではないし、そもそもヴィッセル領の在り方はお父様が領主となる以前とほとんど変わってないらしい。
だけどそんな事を領民が知る由もないし、国をあげての戦後復興の波を受けて戦時中より生活がよくなっている事もあって、いまのところお父様に不満の声はない。
逆にお父様にあるのは、武神としての高名、将としての尊敬、英雄としての称賛。
領主としてのプラス評価はない。けれどマイナス評価もなければ、後はロナルドという人間への評価のみ。
そしてその評価は、非常に高い。
そんな人物が見込んだ少女……否応なく期待は高まる。
そして期待があれば、仲間や援助が増える。もちろん大きすぎれば裏切ってしまった時の反動も大きいけど、今後俺が矢面が出るのはお父様が隠居した後。その時までに力をつければ良い。
それに、私は未熟だって予防線も張ったしね。
「先ほども申しましたが、私はまだ未熟です。不甲斐ないところも数多くあるでしょう。……ですから、皆様に助けていただきたいのです。至らぬ私を支えてください。成長させてください。……お願いします」
最後は懇願。頭を下げ、今度の表情は気弱そうな真顔。一瞬目を伏せて、すぐに視線を前に向ける。
プレッシャーに押し潰されそうな、でもそれを耐えて前に進もうとしている。そんな風に、庇護欲を誘うように。
俺のこの容姿は武器になる。美少女に頼られて嫌な男は少ないだろう。
それに、彼らは『聖女様』の噂を知っている。多大な脚色がされたそれを。
まだ幼いと言える少女、けれどその少女は人々を救おうと立ち上がり、結果聖女様と呼ばれるようになり、貴族の養女となった。
重圧もあるだろう。悲しい事もあるだろう。けれど心優しき少女は挫けない。自分達の為に努力している。なら、こちらもそれに応えなければなるまい。……そう、思い込んでくれる。
実際の俺はそんなたいそうな人間じゃないけれど、今俺の宣言を聞いている人々は、俺を聖女様として見ている。
そんな立派な少女に頼られれば、自分も立派な人間になった気にもなるだろう。
「皆様、私からは以上です。……これからよろしくお願いしますね」
そう締めくくり、満面の笑顔を振り撒く。
一瞬間が空いて、その後大きな拍手と歓声が沸き上がった。
歓声を浴びながら広場を去る。今日一日は各地でこの公演を繰り返すのだ。ヴィッセル領は広大な面積を持つ訳ではないけれど、それでも急がなければ日が暮れてしまう程度の広さはある。
あらかじめ用意してあった馬車に乗り、ホッと一息ついた。やっぱり慣れない事は疲れるね。
「お疲れ様。上出来じゃない。はい、これ」
「うん。ありがとう」
隣に座るエイミィが笑いかけながら水筒を手渡してくる。そのタイミングで馬車は進みだし、舗装されてない道路なのもあって揺れるけど、座席のクッションが柔らかいからお尻が痛くなる事はない。
こぼさないように注意しながら水筒を傾ける。冷たい水が喉を潤していった。
「ん……こく、こく……ふぅ」
水を飲むまで気付かなかったけど、どうやら緊張で凄く喉が渇いていたらしい。一気にかなりの量を飲んじゃった。
いったん口から離し、また飲もうとしたところでそこまでねーとエイミィに取り上げられる。あうう……。
「あまり飲み過ぎると動けなくなるわよ。それに水にも限りがあるんだから」
「……なくなったら足せばいいじゃない。次の所に井戸とかあるでしょ?」
「あるけど。追加する程水を飲む娘だと思われたいの? それに、そんなに飲んだらおしっこが近くなるわ。話してる最中や、今みたいな移動中にトイレに行きたくなったらどうするの。漏らしたりしたら大変よ?」
「漏らさないよ!?」
なら良いけど、とエイミィは頬を緩める。ふざけた口調は、緊張をほぐそうとしてくれてるのだろう。その配慮はありがたく受け取っておく。
……ただ、馬車を運転してくれている御者の人も居るから、そういう話題は恥ずかしいから止めてほしいかなぁ。
酷い始まりだったけど、そこから会話を弾ませていく。とりとめのない会話だけど、移動時間がずっと無言よりも楽しい方が良いよね。
「……それで、感想はどう?」
その会話の途中、ふと訊ねられた。俺は答えに一瞬詰まり、チラッと御者さんに目線を向け、彼に聞こえないよう小さな声で返す。
「……あまり気分は良くないよ」
今回の俺の行動が、詐欺師まがいの事だとは自覚している。必要な事とはいえ、人を騙すのは心苦しい。
でも、今さら引く事は出来ないし、しない。聖女様を貫くと決めたんだ、信じている人達を騙し抜くよ。
「そう。でも、それを表に出さないようにしてるのね」
「そりゃあ……。さっきの宣言は、全部私の本音という事にしなきゃいけないんだもの。嘘をついて心苦しくなってるなんて、知られちゃ駄目だから」
「そうだけど。……無理はしないでね」
「それ、お父様にもバドラーにも言われたよ」
思わず苦笑する。どれだけ俺は心配されているんだろう。年的には俺の方がお姉さんなのに、そんなに頼りないかな。
まあ、一人で暴走したあげく誘拐された前科があるからなぁ。
「む、ロナルドはともかくバドラーにも先を越されてたか。もっと早く言えばよかった……」
「いったい何を競ってるの……」
真剣な表情で呟かれた事にツッコミを入れる。
そんな風に、楽しい雰囲気のまま次の所に到着出来ればよかったんだけど。
「──止まって!」
突然エイミィが大きく制止の声をあげる。御者さんはそれに素早く反応し、急ブレーキがかけられた。体を持っていきかけられ、なんとか耐える。
何か、と問うまでもない。エイミィが臨戦体勢になっている事もそうだし、なにより止まっていなかったら馬が居たであろう場所に、鋭い針が刺さっていた。
もしエイミィが止めなければ、針が馬を貫いていただろう。
……まさか直接俺を狙うとはね。警備が薄い事から予定を変えたのか、元よりこのつもりだったのか。分からないけど、大歓迎だよ!
エイミィが馬車を下り、俺もそれに続く。貴女は戦わなくて良い、みたいな目で見られたけど、一人隠れて震えているなんて性にあわない。
手を差し出すと、彼女はため息をついてレイピアを渡してくれる。ありがと、とそれを右手に持ち、ブーストを俺とエイミィ、そして御者さんにかけた。
剣を構え、辺りを見渡す。けれど針を発射したと思われる人物は見当たらない。
いったいどこから……それを考えたところで、頭上から不穏な気配を感じた。
その感覚を信じて真上を見上げれば一本の白い針。それは俺が立っている所を目掛けてかなりの速度で飛来してくる。いや、重力に従って落ちてくると言った方が良いかもしれない。
真上からの攻撃という予想外で、反応が遅れてしまっていた。弓矢とかにしても曲線で飛ぶ物だし、敵が空を飛んで頭上に位置しているなんて、普通は想像出来ない。
空を飛ぶ魔法なんてあったかなぁ……?
それはともかく。迫り来る針をレイピアで防ぐのは無理、パリィする為のダガーは持ってなく、かといって避けるには気付くのが遅すぎた。このままではあの針は俺を貫くだろう。
「エルウィンド!」
そう判断して、その悲惨な未来を回避すべく魔法を発動、大量の空気の弾丸を作り出し射出した。
とっさに発動した魔法だから細かい狙いはつけられない。それを補う為に、物量で圧倒する。
弾丸の一つが白針を弾く。次いで数多の弾丸が襲い掛かり、遠くへと吹き飛ばした。
尤も、魔法を使わなくても俺に針が当たる事はなかったかもしれない。視界の隅で、御者さんが針を打ち落とそうと槍を振りかぶって、けれど俺が魔法を発動したのを見て緊急停止していた。頼りになる事です。
そして、白針に当たらなかった残り弾丸は、空を飛んでいた白針を放ったであろう容疑者へと降り注ぐ。が、容疑者はヒラヒラと移動してそれらを避けた。
期待はしていなかった、というより考えていなかった副次効果だったから、あっさりと避けられても不満はない。けど、俺はその容疑者を見て首を傾げた。
「蝶々……?」
飛んでいたのは一匹の蝶らしき生物。羽も含めれば俺の両手を広げたのとちょうど同じくらいの体長をほこる大きな虫。
小さければまだ良かったけど、このサイズとなると細部がはっきり見えて、正直気持ち悪い。そして怖い。
黒豆のような眼は大きくてテカテカしているし、六本の脚がうごめいてる。
……どうやら脅迫状の主の襲撃ではないみたい。それは喜ぶべきか、残念がるべきか。
というか、なんでこの巨大蝶々はこんなところに居るの? なんで襲ってくるの?
意識は巨大蝶々から外さず、ぐるりと辺りを見渡す。この辺りはある程度整備された馬車道、近くに巣はなさそうだけど……。
「キュピァア!」
考える間もなく、奇怪な鳴き声をあげながらストローのような口から糸を出し、それを針の形に紡いでいく巨大蝶々。今度は逃がさないよう、しっかりと狙って魔法を撃とうとして、すぐにその必要がない事を察する。
巨大蝶々の両羽を、空を裂きながら舞っていた二振りの剣がそれぞれ切り落とした。弧を描く剣を、落下地点を予想して移動していたエイミィが掴み取る。
剣の投擲。非常に単純な、けれどかなり高度な技だった。飛んでいる巨大蝶々の動きが止まった隙に、その羽を斬るよう正確に投げるなんて、普通は出来ないよ。しかも二本同時だなんて。
「キュイィィイ!?」
羽がもげてしまえば翔べるハズもなく、哀れ巨大蝶々は地に墜ちる。それでも諦めずにもがくけど、背中から墜ちて体勢が悪いうえに、細い足ではその体を起こせない。
せめてもの情けか、それともまだ何か仕掛けてくる可能性も恐れたのか。御者さんが槍で蝶々の頭を潰し、とどめをさす。青い体液が飛び散り地面を染めた。
……うん、ものスッゴく気持ち悪い。やっぱり虫は駄目だ。悲鳴を漏らさなかった自分を褒めたい。
「お二人とも、お見事でした。私の出番はありませんでしたね」
「ありがとうございます、お嬢様」
「出番がなくて良いのです。お守りする方に出番があるようでは、護衛失格ですから」
御者さんに恭しく一礼され、御付き役として猫を被っているエイミィには言外にお前はじっとしていろと釘を刺される。笑顔だけど、目が笑ってない。
あ、圧力には屈しないよ!
「……とりあえず、早くこの場を離れましょう。ないとは思いますが、別の個体があの体液に引き寄せられてこないとも限りません」
エイミィから目を反らすと、彼女はため息をついた後でそう進言してきた。
特に反対する理由もないので、また馬車に乗り込む。その際、エイミィは馬の前方の地面に刺さっていた針を引っこ抜いてきた。
いったん止まった車を再び動かすのは大変らしく、馬の蹄の音が聞こえつつも中々進まない。御者さんは馬に向かって、そら、頑張れよ、仕事が終わればニンジンやるからな、と馬へ優しい声をかけて励ましている。
「……それ、どうするの?」
少ししてようやくカラカラと動きだした馬車に揺られながら、難しい顔で白針を睨む同乗者に問い掛ける。彼女はああ、と呟いて、白針を手中でもてあそびながら答えた。
「ちょっと気になる事があってね、調べてもらおうかなって。あいつ……パーピリオンって言うんだけど、パーピリオンがこんな物作るの見た事ないから」
てい、という掛け声と共に白針が俺の右腕にゆっくりと突き出される。鋭い先端が白い肌を押し、皮膚を突き破って朱に染める前に離れていった。
針の中心に手を移動させてくるりと回す。
「それに本来パーピリオンは人を襲う事なんてないし、そもそも普通ならこんな所まで出てこないわ」
……どうやらエイミィも俺と同じ疑問を感じていたみたいだ。
ああいった生物は人と生息圏が重ならないように調整されているハズ。危険な生物が活動している場所の周辺には村はもちろん道も作っていない。
そのせいで人が暮らせる範囲は限られているけど、無理して開拓して住む所を失った獣達の襲撃を受ければ大変な事になる。
それを防ぐ為にも人と獣達の住み分けは徹底されているのに、あの巨大蝶々──パーピリオンが人の活動域に現れて襲ってくるという異常事態。
そりゃあ、たまには群れを追い出された個体が逃げてきたり、数が増えすぎて溢れ、人の世界に出て来る事もある。
けどそれを防ぐ為に定期的に冒険者が調査に行くし、増えすぎていれば間引かれるからめったにない。今回の事がその珍しい一例だという可能性もなくはないけど、追い出されたにしては傷がなかったし、溢れたのなら単独というのが不可解だ。
「……なんか嫌な予感がする」
エイミィが額にシワを寄せて呟いた懸念を、杞憂だと笑い飛ばす事は出来なかった。




