六十六話:出発前
「ドレス……よし」
「髪飾り……よし」
「化粧……よし!」
これで完璧だわ、という確信するような声を聞いて、俺は姿見の前でくるりと一回転。そうすると、スカートと髪がふわりと揺れ、部屋の中がわっと盛り上がる。達成感や満足感、そして興奮が、その歓声に含まれる感情のほとんどを占めていた。
この場に居る年若い三人のメイドさん達全員の視線を受けながら、表面上は笑顔を取り繕って、内心ため息を吐く。
俺が外から屋敷に戻ると、すぐさま俺を探していたらしいメイドさんに見つかり、そのまま今居るこの部屋に連れてかれた。そして三人がかりによるメイクアップ、ドレスの着付けなどを受け、今に至る。
それらの身支度により、今の俺は自分も見惚れるくらい、可愛く綺麗になっていた。
ドレスは青を基調としたシンプルなもの。ピッタリと体に張り付く事はなく、動きを阻害しないようにふんわりとしている。男装時に履いていたスラックスよりは動きづらいけれど、スカートの部分を踏んだり、足を広げられないという事はない。
胸元にあしらわれた真珠が華やかさを醸し出しているけれど、それ以外はとことん華美さと露出を抑えて清楚な仕上がりになっている。白い手袋もはめており、外気に触れているのは首から上だけだ。また、動き回っても下着が見えないよう、レギンスでガードしている。
生地が美しさを意識したものである為、光沢はあるものの強度はさして高くない。もし荒事になった時にそれではマズイという事で、胸と肘、膝と手首にはドレスの下に防具を身に付けている。ドレスがふんわりとしているのは、出来るだけそれらが目立たないようにする為でもあるのだと言われた。胸部装甲だけは流石に隠しきれず、ちょっと胸を盛った形になってたけど。
髪はまとめ上げられ、ハーフアップに。銀の髪と対比するように、蝶のような形の金色の髪飾りで止められている。しっかりと固定されているから、派手に動いてもそうそう解けないとの事だ。
お化粧は、しているとは気づかないくらいごく僅か。元々肌は白く、目も大きいから下手な化粧は逆に美しさを損ねる、とメイドさんの一人が熱弁していた。正直よく分からないから、そうなのですかとしか言えない。日本ほど化粧品が発達していないというのも、化粧を控えた理由にあるのかな。
結局は唇に少し紅をさした程度で、それもほんの少しだけ。なのに塗ったり落としたり、また塗ったりでけっこうな時間がかかった。バランスがどうのこうのとか、自分の事でもないのに、ちょっと拘りすぎじゃない?
こうして徹底的に着飾るのは、今回で二度目。一度目は陛下に謁見したあの時だ。以前の経験を踏まえて事前に気合いを入れる事は出来たけど、前回は準備期間が足りなくて満足いく出来じゃなかったと言われて、準備も含めれば前回の倍近い時間がかけられた。俺が関わる事だけでそれだから、影ではもっとかもしれない。
とにかく。昨日もドレスの着せ替えやどんな化粧や髪型が良いかさんざん試して、これ、というやつを決めたのに。「今日の顔色や髪の艶を見て微調整します」って、そこまでする意味が分からない。しかも「先日のお嬢様を見てインスピレーションがわきました」と三人全員が徹夜して作ったドレスを試着させられ。
なぜかメイドさん達は凄く楽しそうだったけど、着せ替え人形になる身にもなってください。どっと疲れたよ。
……まあ、そのおかげで、とても可愛くなれたし。たまにはこういうのも悪くはないと思うけど。
姿見に写る自分の姿を見ながら、体を捻ったり傾けたりしてみる。軽く手を振ってみたりもした。昨日はあまりの長さに、終わる頃には眠くなっていて、どんな感じだったかよく見ていなかったのだ。一応、おめかしをした姿を確認しておかないといけないよね、うん。
キリッとした真顔、次に少し気を緩めて自然体。更に小さく微笑んでみたり、にっこりと笑ってみたり、逆にちょっと拗ねるように頬を膨らせてみたり──
「ふふっ。満足していただけたようですね」
「……はっ!」
ほほえましいものを見るような、優しい声で我に帰る。ポージングを止めてロボットのようにゆっくりと振り返ると、メイドさん達がニヤニヤと口角をつり上げていた。彼女達の瞳には、嗜虐の色が混じっている。膨らませていた頬が、急速に萎んでいった。
「いやぁ、口調こそ丁寧なものの、女の子らしくある事を拒んでいたお嬢様が」
「ええ。こっちの方が楽だと言って殿方のお召し物を好んでいたお嬢様が」
「私達は常々もったいないと思っていたのですよ。ああ、これでお洒落に目覚めていただけたのなら……」
「とても可愛らしいですよ、お嬢様」
愉しそうに、チクチク刺すように畳み掛けられる。それが凄く気恥ずかしくて、視線から逃れるように顔を前に向けると、眼の前には姿見が。それに写る俺の白い肌は、羞恥の朱に染まっていた。それを認識して、更に茹で上がる。
「べ、別にお洒落が楽しいだなんて思っていません! 疲れますし、時間もけっこう使いますし。姿見を見ていたのは、ただ、変なところがないか確認していただけと言いますか……」
気づけば、そんな事を口に出していた。
言ってから、しまった、と思う。これじゃあ「貴女達の行いはありがた迷惑で、しかもその腕を信用していません」と言うようなものだ。あまりにも失礼過ぎる。
せっかく俺の為に時間をさいてくれたというのに、気分を悪くさせてしまったんじゃないか。
「あ、いえ、その、今のは言葉の綾と言いますか……。けっして嫌だった訳ではなく、自分自身に見とれてしまったのが少し恥ずかしくて、ついあんな事を言ってしまっただけなのです」
このままじゃ駄目だと、慌てて前言を撤回し、しどろもどろになりながらも、悪意はなかったのだと弁明をする。自分の迂闊さ、馬鹿さを恨みながら。
この不安定な情勢の中、仕えている人達の不興を買うなんてあってはならない。裏切り、離反の原因となってしまう。いや、そうでなくとも、尽くしてくれている人達の努力を否定するなんて最低の事なのに。
聖女様たらんと決意して、にも関わらずすぐにこんな失態を犯す。つくづく俺は人の上に立つべき人間じゃないと思う。
「と、とにかく! 皆さん、ありがとうございました。そして、失礼な事を言ってごめんなさい」
それでも、挽回する努力は止めちゃ駄目だ。
頭が良くない俺には、これ以上は言うべき謝罪の言葉が見つからないけれど。謝罪が伝わってくれていれば、許してもらえればと思いながら頭を下げる。
「……あの、この手はなんでしょうか」
「あ、お嬢様、申し訳ありません。つい……」
その下げていた頭を、何故かこの三人の中でリーダー格の女性が撫でてきた。いや、本当になんで。
申し訳ありません、と言いつつ手を離す気配はない。理由が分からないからされるがままにしていたら、彼女はプルプル震えて言葉にならない声を漏らして、突然俺の頭を抱き抱えてきた。
「むぐぅ!?」
「お嬢様は卑怯です! ずるいです! こんなに可愛いなんて!」
身長差のせいで、顔が彼女の柔らかい胸に埋まる。羨らやましがられる事かもしれないけど、正直言って息苦しい。
ここに至って、さっきまでが『素直になれない女の子が、嬉しいものの恥ずかしくて思わず暴言を吐いてしまい、それに気づいて慌てて謝った』という状況だったのだと気づいた。いわゆるツンデレに近しい行動を、俺はしていたのだ。彼女はそれに萌えた……のだろう。
けれど、個人的にツンデレキャラはあまり好きじゃない。やっぱり、素直な娘の方が可愛いと思うのだ。好意を誤魔化しても、勘違いやもどかしさしか生まないんじゃないかな。
そんな俺の好みは置いといて、この状況をなんとかしないと。俺に不満を抱いてはいないのは良いとして、このまま抱き抱えられていたら、せっかく整えた髪が乱れそうだし。
そんな俺の思いが通じたのか、残っていた二人のメイドさんが引き離してくれた。これで助かっ──
「ちょっと、貴女だけずるいわ!」
「そうよ、私もお嬢様をお抱きしたり、なで回したりしたいのに!」
……貴女達もですかぁ!?
俺の内心のツッコミを知るよしもなく、メイドさん達は頭上で楽しそうにきゃいきゃいと話している。なんなのもぉ……。
彼女達のこんなにテンションが高い姿を見たのは初めてだ。今までこんな素振りなど見せず、おしとやかで上品な、綺麗で頼りになるお姉さん達といった印象だったのに。
でも、意外かどうかと問われれば、実はそうでもなかったりする。
元々、ヴィッセル家の使用人はばあやと初老の執事さんしか居なかったらしい。これはお父様が自分の事は自分でする習慣があった事も大きく、屋敷の維持をする最低限しか雇っていなかった。
けど、俺を養女に迎え入れた事で事情は変わる。男であるお父様はともかく、女の俺は他の貴族に侮られないよう美しく隙を見せないようにしなければならない。その為に使用人が必要となり、その使用人には身の回りの世話を任せられるよう女性であり、そして親しみやすいようなるべく若くある事が求められた。
ただ、俺が元平民とはいえ……いや、だからこそと言うべきか。子爵家の令嬢の使用人としてふさわしい、かつ俺のフォローも出来る程の教養を持つ女性は多くない。というより、少ない。
だから人員探しは当然のように難航。ヴィッセル家の台頭を快く思っていない他の貴族家に頼って恩を売るのも、後々面倒になりそうで出来る事なら避けたい。
そんな時に声をかけてきたのが、ヴェルディだった。
『ルーシーさんを浚ったりしたお詫びです。出来る限りの手助けはさせていただきますよ』
そう笑った彼に頼るのも、正直に言えば嫌だった。けど他に手立てはなく、彼の方から「これは貴女方への借りの返済ですよ」と言われた事もあり、受け入れたのだ。
そうして彼が、というよりも、俺が軟禁されていた屋敷に居たあのメイドさんが選び連れてきたのがこの三人。洗練された所作と優れた家事能力を持った彼女達を断る理由もなく、ヴィッセル家は三人を雇い入れた。
これがなぜ意外ではない理由に繋がるのかと言えば、あの百合と薔薇どちらも大好物なメイドさんの推薦である上に、あの人と凄く仲良さそうにしていたからだ。
今まで彼女達が変態性をひた隠しにしていたから、その事を忘れていたけど。
結局は当初の懸念通り。やっぱり、あのメイドさんは自分の同類を送り込んでいたらしい。
……でも、やっぱり彼女達が凄いのは間違いない。今も話しながら、抱き抱えた事で少し乱れた俺の髪を瞬時に整え直している。
「お嬢様の髪はやはり美しいですねぇ。もう少し伸ばしてポニーテールにしませんか?」
「なにを言ってるの、お嬢様に似合うのはツインテールでヒラヒラした可愛らしい格好でしょう」
「いえいえ、髪はお団子にまとめて、服は以前バウアー様が作っていらした『すくうるみずぎ』を……」
「「それよ!」」
……例え、もう変態性を隠すつもりもないのか、堂々と語り合っていても。というかヴェルディ、貴方はいったいなにを作っている。それとスク水は服じゃないから。とてもじゃないけど、あんな格好で外になんて出れないから。
職務をしっかりとこなしている彼女達だし、今日のところは趣味に走る事はないと思う。もう十分趣味の範疇かもしれないけど、少なくとも暴走はしていない。
けど、このままこの場に居るのは精神的にも肉体的にも疲れそうだから、早めに退散しよう。
髪が丁寧に整えられた事を確認して、俺は戦闘時のような本気の身のこなしで彼女達の腕から逃れる。そのまま部屋を出ようとしたところで、コンコンコンと扉がノックされた。
本来ならメイドさんが俺の意思を確認し、了承を得てから入室の許可をだすのが正しいというか、マナーだ。けれど俺は扉の前に立っており、着替え時のように見られて困る事もなかったから、そのまま俺がドアノブを回す。その結果、
「あが!」
「あ、ごめん。大丈夫?」
自分で開こうとしていたのだろう、扉のすぐ近くに立っていた人物──バドラーの顔を強打した。
強打した、といってもそんなに勢いよく開けた訳でもなく、バドラーの頑丈さも相まってダメージは大した事なさそうだ。軽く鼻をさすっているもののその表情に苦痛の色はなく、彼は問題ないと手をヒラヒラと振る。けど次の瞬間、サッと顔を青ざめた。
「……この事はロナルド様には言わないでくれ。『この程度を避けられなくてどうする』って言われてしごかれるから」
「……ぷっ、あはは。了解。それで、どうしたの?」
身震いしながらの懇願を受け入れ、かわりに問い掛ける。バドラーはああ、と呟いた後、突然頬を引きつらせながら答えた。
「い、いや、な。ロナルド様が呼んでいるから、それを伝えに。そろそろ出立する時間だそうだ」
「あ、そうなの。……それじゃあ皆さん、ありがとうございました」
振り返り、スカートの裾を持ち上げながら一礼。ニッコリ笑って感謝の意を示した後、引き留められる前に部屋を出て扉を閉める。一枚隔てた先では、数秒の間を経てからわちゃわちゃと動きだす音がし始めた。多分、色々と片付けをしているのだろう。
その音を耳にしてから、バドラーの顔を見上げて微笑み、歩きだした。笑みを向けられたバドラーは肩をすくめ、そっと後ろをついてくる。
「バドラー、ナイスタイミング。おかげで自然に抜け出せた」
「ああ……」
「……どうしたの?」
なぜかバドラーの覇気がない。疲れているのかな?
「いや……。さっき俺が部屋に入った瞬間、あのメイドさん達が親の仇を見るような鬼の形相で睨んできてな……」
「そ、そっか。あー……」
どうやら彼女達はバドラーをこころよく思ってないらしい。理由に心当たりはあるけれど。
単純にお楽しみを邪魔されたのもあるし、バドラーの俺への態度が騎士のものではないと、前々から憤慨していたのだ。
バドラーは、俺がヴィッセル家の養女に迎え入れられると同時に、本人の希望もあって騎士として登用され、俺を守護する騎士団の団長となった。ヴィッセル家というより俺個人に仕えるという形であり、叙任式では俺が彼の肩を剣で叩いたよ。
騎士団、と言っても馬に乗って戦場を駆けるそれじゃない。騎士の称号を与えられたバドラーがトップなだけで、他はお父様の兵の中から十人が割り振られただけの小さな隊だ。それでも全員がお父様に鍛え上げられた精鋭、有事の際には優秀な戦力となる。
まあ、今日は皆ヴィッセル領の各地で待機してもらってるけどね。
そんな訳で、今のバドラーは唯一聖女様に仕える誉れある騎士。にも関わらず、主たる俺への口調がなってないと、生粋の使用人である彼女達はお怒りなのだ。
でも、軽口を叩きあっていた彼に今さら畏まられるのもむず痒い。公の場ではともかく、屋敷の中ではこれまで通りでも全然気にしないんだけど。
主が許可しているのだからメイドさん達のお怒りは筋違いではあるんだけど、それでも納得出来ないらしい。
……バドラーが男らしい体つきである事も、原因の一つかもしれないけど。痩身の美少年だったらセーフだった可能性は少なくない。
俺としては、バドラーも頼りになって格好いいと思うけどね。
「……そうだバドラー、シマはちゃんと一緒にいる?」
ふと気になり、話題を変える。
シマ、小鳥型の俺の使い魔。考えがあって、昨日のうちにあの子を預けていた。
「前を向いて歩け、危ないぞ。……ああ、ちゃんとここにいるぞ」
「なら後ろじゃなくて隣を歩いてよ。……なら良かった」
俺の質問を受け、バドラーはズボンのポケットの中から小鳥の粘土人形を取り出した。命ない無機物にも関わらず、その人形──シマはチチッと可愛らしく首を傾げる。
シマを見て、緩めていた頬が自然と引き締まるのを感じた。空気が変わったのを感じたのか、バドラーも緊張をはらむ。
「バドラー、今日は頼んだよ。何かあればシマを通して呼ぶから、転移魔法で来て。バドラーの治癒魔法が必要な事態になるかもしれないから」
視線を前に戻し、歩を進めながら切り出した。もちろん、そうならないよう頑張るけど、と付け加える。
前を向いているから、バドラーの表情は分からない。それでも、背後で彼が小さく頷く気配を感じた。
今日、バドラーも俺とは別行動。彼には領内最高の高台に行ってもらい、領地を全体的に見張ってもらう。どこかで火の手が上がったり異変が生じれば、あと少しだけ残っている転移魔法のマジックスクロールを使ってでも素早く対応する係だ。
マジックスクロールは貴重だけど、こういう時に使わないのなら宝の持ち腐れ、意味がない。
お父様の部屋の前に着き、バドラーは立ち止まる。振り向いて「お願いね」と笑うと、彼は色々な感情がごちゃ混ぜになった、複雑な顔をしていた。
「……無理だけはするなよ」
そう、小さく呟いて、バドラーは背を向ける。大きく、頼もしいハズのその背中が、何故か小さく、脆そうに思えた。
遠ざかって行く程に、その感覚はより強く、強く──
頭を振ってその感覚を追い払う。バドラーは強い。俺なんかより、ずっと。
そうだ、何を不安がる必要がある。今日を終えて帰ってくれば、バドラーは笑顔で待っていてくれるハズだ。
バドラーを見送り、彼の背中が見えなくなったところでお父様の部屋に入る。
そこには完全武装のお父様と、それとは対照的に女の子らしい格好のエイミィが待っていた。
「来たか。そろそろ出発の時間だ。準備は出来ているな?」
「はい、お父様」
そっと胸に手を当て、意識的に口元を吊り上げた。




