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六十五話:祈り






 いつだったか、誰かが俺の事を聖女様と呼んだ。

 とんでもない事だと思う。この身は人より少し魔法が使えるだけの小娘でしかないし、俺の手は血で染まっている。真っ赤な両手は、ひどく醜い。

 確かに俺は人を救った。だけど、その反面沢山の人を殺した。

 それでも。例え俺自身がそうでないと思っていても、それでも俺は聖女様なんだ。


 聖女ジャンヌ・ダルク。後の世で聖人と認められたあのオルレアンの少女も、敵国イギリスにとっては魔女だった。あの希代の劇作家、シェイクスピアもその作中にてたびたび彼女の事を貶めている。


 彼女と一緒で、俺は沢山の人の命を奪った恐るべき魔女だ。そして同時に、沢山の人の命を救った麗しき聖女だ。

 俺の事を聖女様と崇める人が居る。そう信じる人が居る。

 なら俺は、その人達の為に、それに相応しく生きる義務がある。


 過去の過ちを消す事は出来ない。けれど今、そして未来で()くあろうとする事は出来る。

 だから俺は、この身を犠牲にしてでも人々に崇められる聖女様であり続けるんだ。

 そうすれば**に、私は貴方が言うような人間ではないと証明出来る。それに、そうしないと俺の犠牲になった“彼“や、俺が殺した人々に会わせる顔がない。

 ……あれ、**や“彼“って誰だっけ。いや、それは別に良いかな。大事なのは、俺が聖女様であろうと努力する事。



 ──お前にそれが出来るのか? すべてが自分本意のお前に!



 誰かが囁く。それは嘲りで、質問の体をなしていながらも、本質は『お前には出来っこない』という断定だった。



 ──出来る! いや、やらなければならないの!



 笑うなら笑えばいい。聖女様という名誉に固執していると思うならそう思っていればいい。

 俺の自己満足に過ぎない事は分かってる。それでも俺は、救える誰かを救いたい。


 そう、決意したんだ。



 ◇



「……どういう事ですか、お父様」



 あの後お風呂を出て、ばあやが用意してくれていたドレスを身にまとい朝食の席に座った。そして、食事をしながら交わしていた会話の最中、俺を見ないまま当然のように告げられたある事に、思わずフォークを持つ手を止める。

 カリカリに焼かれたパン。地球でのバタールに近いそれにバターを塗り、その上にレタスとチーズ、ハムとスライスされたゆで卵を乗せて、サンドイッチのように更に上からパンで挟み、お父様は豪快に口に含む。俺とお父様の二人だけだからか、お上品に振る舞うつもりはないらしい。

 モグモグと噛みしめて、ゴクリと飲み込んでからパンをお皿に下ろす。そして顔を上げて俺の目を見据え、口を開いた。



「どういう事もなにも、そのままの意味だ。今日のお前には、エイミィをつける」

「彼女は非常に優秀な、腕のたつ剣士です。そんな彼女を私につけるなんて、もったいなさすぎます」



 昨日決めた作戦はこう。作戦とは言っても、別に凄い策でもなんでもなくて、お父様の部下さん達を昨夜のうちに各地に送り込んでおき、警戒にあたらせるという至極単純なものなんだけど。テロの予告に対する当然の()()だ。

 にも関わらずばあやがあそこまで反対をした理由、そしてちょっと普通の対応とは違う所は、これまた単純。


 警護すべき要人、つまり今回の場合の俺には、まったく警備をつけないという事だ。


 あの脅迫状の『心優しき聖女様が悲しむ事になるだろう』という文面から、狙いは俺じゃないと推測できる。なら、わざわざ俺に貴重な人員を割く必要はない。その分を他に回せば、より犯行への対応が素早くなる。

 もし、警備が薄いという事で狙いを俺に変更したのなら、その時はその時。返り討ちにすればいいだけだよ。というより、俺が囮になって被害が抑えられるから、そっちの方が都合が良い。


 だから、俺は一人でよかったのに。



「体裁を整える為にも、流石にお前を一人で行かせる訳にはいかない。せめて一人は付き人役をつける必要がある」

「でしたら、エイミィでなくとも良いハズです。彼女程の戦力を遊ばせておくのは……」

「遊ばせておく訳じゃない。エイミィも外見からはとてもじゃないが実力者には見えないし、少女二人と侮ってくれれば良い囮になる。囮になるのはお前も望むところだろう? それにいざお前が襲われた場合、足手纏いになるようじゃ駄目だからな。エイミィならその心配はない」

「ですが……」



 俺の意思をくみつつも、お父様は自らの意思を通そうとしてくる。

 そもそもお父様は、昨日この策を決めた時にばあやと同じく反対していた。俺が押しきって、しぶしぶ妥協してくれたのだ。その上更にわがままを言うのは気が引ける。

 けれど、ここで引く訳にはいかない。反論をしようとして、



「なーに? 私と一緒じゃ嫌なの?」



 後ろから、鈴の鳴るような声がかけられた。


 気配はまったくなかったのに。突然の事に驚いて、ナイフを取り落としてしまう。それが床に落ちる前に、エイミィは上手く持ち手の部分を掴んで、にぱっと笑った。



「え、エイミィ……? え、いつの間に?」

「えへへー。私の事、優秀な剣士だなんて。ありがとね」



 無邪気な笑顔で言ってきたその言葉から察するに、けっこう前から居たらしい。まだ成長途上の、年相応にささやかな胸を張る。

 頬を染める彼女は、普段にも増して可愛らしかった。貴族の子女の付き人という役を演じる為か、動きやすさを重視しつつもフリルがふんだんに使われた、女の子らしい服を着ているのもそれを助長している。首を傾げると同時に、ピクピクと青の猫耳が上下に揺れた。

 俺が戸惑っている間に、エイミィはナイフをテーブルに置く。そして笑みを消して、ずいっと詰め寄ってきた。



「……ねぇ、私の事、嫌い?」



 ボソッと、耳元で囁かれる。その目は、涙を堪えるように潤んでいた。



「そ、そんな事ないよ。私、エイミィの事大好きだよ?」

「ホント? じゃあ、私と一緒に行きましょうよ」

「え、で、でも……」

「……駄目?」



 呟くと同時に、エイミィの瞳から涙が一筋溢れる。慌てて彼女の顔を見ないように首を回すけど、エイミィは先回りして視界から出ていかない。まだ幼い女の子の、悲しそうな顔がはっきりと目に入る。

 ……ず、ズルい。女の子に泣かれたら勝てないじゃない。



「……駄目、じゃないよ」

「つまり?」

「一緒に行きましょうか、エイミィ」



 観念してそうこたえると、エイミィはニコッと笑って「はい、決まりね!」と宣言した。

 うう、自分の意思の弱さが情けない。ばあやの時は彼女を見ないようにして誤魔化したけど、実際に悲しそうにしている姿を見ると、我を通すのを躊躇ってしまう。エイミィの涙、それが嘘泣きだと分かっていたのに。


 事実、軽く彼女を睨むと悪びれるようにペロッと舌を出す。いかにエイミィとはいえお父様に気付かれずに部屋に侵入出来るとは思えないし、俺を説得する為に二人で共謀していたんだろう。


 一つため息をつく。自分で言った事だし、撤回するつもりはない。どうせ強固に反対しても勝手についてくるだろうし、一見人畜無害でひ弱な幼い女の子に見えるエイミィなら油断を誘えるかもしれないし。ただ、彼女はお父様の弟子としていささか以上に有名だけど……。

 ま、まあ武術に縁のない相手なら知らないだろうし、問題ないよね、うん。別に絵や写真が出回ってる訳でもないし。まだ幼い、猫の獣人のとても可愛い女の子という特徴しか広まってないらしいし。エイミィに直結はしないよね、きっと。

 ……普通にバレそうだなぁ。



「どうした、手が止まってるぞ。今日は色々と大変だろうから、しっかり食べておけ。それとも、ダイエットでもしているのか?」

「いえ、ダイエットはしてません……。そうだ、ねぇエイミィ。貴女は朝ごはんはもう食べたの?」

「うん、食べたわ。私は今すぐにでも出発する準備が出来てる」

「そう。ならよかった」



 エイミィの分の食事を用意してもらうかどうかという質問に、彼女は必要ないと答える。「それじゃ、また後でねー」とエイミィは部屋を出ていき、部屋の中には俺とお父様だけになった。


 今日の予定は変わって、エイミィと一緒に領地を回る事に。決まった事は仕方ないと頭を切り替えて、パンをスープに浸した。スープを吸ってしっとりとしたそれを、汁がこぼれないように注意しながらそっと口に運ぶ。硬かったパンが食べやすい柔らかさになっている上に、噛むごとにスープの味が出てきてなかなかに美味しい。


 さっきまでとは違い、会話をする事なく黙々と手と口を動かしていく。他に音がないからか、かなり小さな咀嚼する音や、ナイフやフォークとお皿が触れる音が響いていた。何か話そうかとも思ったけど、何の話題を出せば良いのか分からなかったから、食べる事に集中する。



「……なあ、ルーシー」



 そしてエイミィが出ていってから二十分程経ち、ようやく食べ終わった頃。俺が口元を拭っていると、お父様はおもむろに立ち上がり、そう切り出してきた。



「なんでしょうか」

「……お前は何でもかんでも一人で背負いすぎだ。もっと持つべき荷物を選べ。捨てたり、俺達に預けたりしても構わない。身軽になって、気楽に生きる事も覚えるんだ。そのままじゃ、いつか押し潰されるぞ」



 淡々と、俺に背中を向け、歩きながら忠告をしてくる。そして扉を開けて食器を片付けるよう誰かに声をかけてから、首を回して俺の目を捉えた。



「まあ、冴えない中年親父の言う事だ、あまり真に受けなくても良い。だが、お前の抱える苦しみが、お前だけのものではないという事は、ちゃんと覚えておけ」



 そう言い切って、お父様にしては珍しく、優しい笑みを浮かべる。そして俺の返事を待つ事なく退室していった。

 それと同時にメイドさんが二人部屋に入ってきて、テキパキと食器を持参したカートに乗せて持っていく。それをボーッと眺めていると、ほんの少しの時間でメイドさん達は全ての食器を片付け終えて去っていき、俺一人残された。


 ため息をついてテーブルに突っ伏すと、ゴン、とけして小さくない音がする。おでこがちょっと痛い。

 また叱られた。たしなめられた。

 別に、俺一人でなんでも出来ると思い上がっていたつもりはない。けれど、お父様には俺が一人で抱え込んでいるように見えたらしい。

 いわゆる囮役に自分を強引に押し込んだ事、それから俺が自分をおろそかにしていると、そう思われたのかな。もっと自分を省みろと。

 そもそも、なんで俺はあそこまで意固地になっていたのだろう。なんであそこまで、俺は自分が危険な目にあう可能性が高い事を望んでいたのか──



「痛っ……」



 ズキリと、頭が痛む。激しい痛みという訳ではないけれど、かなり煩わしい。

 いったいなんだろう。熱があるのかとも思ったけど、おでこに手を当ててもぜんぜん熱くない。

 まあ特に活動に支障がある訳でもないし、別に良いかな。


 それより、後でばあやに謝らないと。せっかく心配してくれたのに、怒鳴ったりして。しかも結局エイミィと一緒という事になったし。きちんと頭を下げてごめんなさいと言えば許してくれるかな。


 いや、とにもかくにも今日をしっかりと成功させないと。なにかあったら、色々な準備が無駄になっちゃうし、ワークナーとかにまたなんか偉そうに言われそうだ。


 ああ、もう。それにしても頭が痛い。後でバドラーに治癒魔法でもかけてもらおうかな……。


 そんな事を思いつつ、俺は席を立つ。これから今よりちょっときらびやかなドレスに着替えたり、回るルートとかやる事の最終確認をしたり、魔法が問題なく使えるか試したり、やらなきゃいけない事が沢山あるのだ。


 だけれど、ふと、なんとなく外に出て、日差しと風を浴びてみる。ちょっと肌寒いというか、風が冷たいけれど、日差しは暖かい。


 別段、神様とかを信じている訳ではないけれど。その場にしゃがみ片膝をたてて、両手を合わせて指を絡める。作法が間違っているかもしれないけど、それは気にしないで、心の底から真剣に祈った。


 ──どうか、今日一日が平穏無事に終わりますように。


 そこで気づく。膝をついた事で、スカートの部分に少し土がついてしまった。また怒られちゃうかも、と苦笑しつつ、俺は屋敷の中に戻った。





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