五十六話:雑貨屋シャルル
体が勝手に運ばれているような、言い様のない感覚が襲いかかってきた後、俺は重力に引っ張られた。
「いつっ!」
重力を感じたのはほんの一瞬で、すぐに大きな物音を立てながら床に叩きつけられる。体重の差か、俺よりもバドラーが地面についた時の方が大きな音が響いた。
俺達が落ちて来たのは、どこかの建物の二階以上の部屋のようで、パタパタと階段を登ってくる音がする。部屋は落ち着いた雰囲気で、置かれている家具にはどことなく高級感があった。幸い、俺達の体が何かにぶつかったという事はなく、壊れた物は皆無だ。
どうやら一度も見た事のない、正確に位置を把握していない場所への転移は少々無茶だったらしい。ここは、いったいどこだろう。
その時、部屋と廊下を繋いでいた唯一の扉が開かれる。入ってきて目を丸くしたのは、見覚えのあるというか、よく知っている人に似ている女性。
一目見て分かった。彼女が、シャルルさんだ。どうやら、一応目的地にはつけたらしい。
「え、えっと、貴女達……」
「あ、申し訳ありません! 少々魔法に失敗してしまったのです。私は──」
「ルーシー・ヴィッセル様、ですよね? 近頃噂の、聖女様」
名乗ろうとして、その前に名前を呼ばれる。変装をしているのにも関わらず、なんで正体がバレたのか考えて、床に帽子とカツラが落ちているのに気付いた。床に打ち付けられた時、とれてしまったのだろう。
「……はい、そうです。貴女、シャルルさんにお聞きしたい事がございまして、参らせていただきました。……これが、リーリさんからの紹介状です」
いきなりバレたのは想定外だけど、もとよりこちらから話すつもりだったから、問題ない。立ち上がって服や鎧が汚れていないか確認した後、笑顔を浮かべて一礼し、手紙を手渡す。
「事前の連絡のない突然の訪問と、入り口からではなくいきなりこの場に現れるという非礼、申し訳ございませんでした」
「はい、謝罪を受け入れます。
……確かに、リーリ姉様の書状ですね。ですが、今お客様がいらしているので、お話は後でよろしいでしょうか?」
俺達の失礼な行いの謝罪と、それに対する定型文の返答を交わす。この国では謝罪を否定するのは、その謝罪をするという判断を批判するという事になるのだ。日本ではよく聞いたけど、「いえいえそんな、貴女が謝る必要などありません。こちらこそ申し訳ありません」みたいなのは逆に失礼にあたる。
だから、謝罪を受け入れます、と答えるのが貴族のルールらしい。
「構いません。では、私達は席を外し、また後で参りますね」
一応、今の俺は子爵家の娘だ。そんな人物を、一介の商店がなにか都合があるからと後回しにするなど、普通はあり得ない。
それなのにそう言うという事は、つまり俺より位の高い人物が来ているという事だ。
偉い人に絡まれて、厄介事に巻き込まれてはたまらない。ここは、早めに退散するべきだね。
すぐさまそう判断して、この場を立ち去ろうとしたのだけど。
「──その必要はないよ」
その前に、扉の方から声をかけられた。
「で、殿下!?」
開いた扉の先、廊下にて、柔和な笑みを浮かべる少年が立っている。多分年は俺と同じくらいで、その笑みは純粋な喜びを表しているように見えた。
背は、まだまだ伸びそうだけど、今はまだ俺より少し高いくらい。細身であまり筋肉のついていない体は、武芸の訓練をした事がなさそうで、剣も振れそうにない。まあ、身体強化を使って戦う俺みたいなタイプもいるから、一概にそうとは言えないけれど。
その体を、市井に紛れる為か一見はそうと分かりづらい、だけどよくよく見れば高級品と分かる生地と縫合の良い服で包んでいる。よっぽどのお金持ちだろう。
彼のプラチナブロンドの髪はちょうど耳が隠れるくらいの長さで切り揃えられており、前髪は顔の中心辺りで分けられ、緑色の瞳と形の良い唇は弧を描いている。整ったその相貌は、ウェルディが冷たい氷の美貌だとしたら、対照的な温かく太陽のようなハツラツとしたもの。
……逃げるのが遅かった。殿下、とシャルルさんが言ったという事は、この少年は王太子殿下。次代の王だ。
ひきつりそうになる頬を抑え、頼むから面倒事が起きる前に早くどこかへ行ってと内心祈りながら、笑顔で一礼して膝をつく。
「ここは非公式の場だ、そうかしこまる必要はないよ。さあ、立って」
そんな俺の手を掴み、引き上げてくる殿下。殿下相手には流石に手を振り払う事も出来ず、曖昧な笑顔のまま彼に従って立ち上がった。
殿下は膝をついたままだったバドラーに対しても、「ほら、君も」と声をかける。それを受けてバドラーも立ち上がるけど、緊張しているのか拳を強く握っていた。
「あ、あの、殿下。なんでしょうか」
「その変装は見事なものだし似合っているけども、やっぱり君はこの前みたいなドレス姿の方が美しかったなって、そう思っただけだよ」
「あ、ありがとうございます」
じっと足下から頭までを凝視してきた殿下。沢山経験した、でもそこにいやらしさも妬みもない未経験の視線に戸惑いながら問いかけると、ニコッと笑ってそう告げられた。
さりげなく握られていた手を解きながら、感謝の言葉を送る。いつの間にか外されていた手に目を白黒させた後、殿下は少し残念そうに一瞬口をすぼめた。けれどすぐさまにんまりとした笑みに切り替える。
「もう僕の用事は終わったから、退散するよ。君達が席を外す必要はない。……シャルル、さっきの事、よろしくね」
「はい、殿下」
「それじゃあ、ヴァイカウンテス・ヴィッセル。また今度」
優雅に一礼した後、ヒラヒラと手を振って殿下は階段を下りていった。完全に彼の気配が感じられなくなったところで、緊張が解け力が抜ける。コルネリウスにはその場の勢いと、ノーヴェさんに似ているという理由で堂々と相対出来たけど、本来俺は小心者の小市民。王族なんて雲の上の存在、正直畏れ多くて怖いです。
それにしても、殿下の最後の発言。少し前に自ら非公式の場、と言っていたのに、あえてのヴァイカウンテス・ヴィッセルという改まった呼び方。そして、また今度という挨拶。
……はぁ、厄介事かどうかはまだ分からないけど、確実に面倒な事になりそう。
とりあえず、お父様に伝えておかないと。今度、殿下がヴィッセル領にやって来るって。
なにかお飲み物を、と一旦シャルルさんは下の階に下りて行った。わざわざ悪いとは思うけど、確かにさっきまでの緊張で喉が渇いてる。その好意はありがたく受け取らせてもらいます。
元々ここが応接間だったのだろう。置かれていた長椅子に座るよう促され、特に反対する理由もない事だし俺はそれに従った。けれどバドラーは、長椅子に腰かける俺の後ろに立っている。なんでと問いかけてみれば、俺はお前の護衛という事にした方が面倒にならない、と返ってきた。護衛が主人と同じように座る訳にはいかない、とも。
貴族が相手ならともかく、今回話すのはノーヴェさんの妹のシャルルさんなんだし、そこまで気にしなくても良いと思うんだけどなぁ。
まあ、彼がそう判断したのならそれを尊重しよう。
「……それで、ルーシー様。何用で、こちらにいらしたのですか? 先ほど、この私に聞きたい事がある、と仰っていましたが」
くつろぎながら待っていると、少ししてシャルルさんがお茶を持って上がってきてそう訊ねてきた。カップの数は俺とシャルルさんの分の二つだけ。これはバドラーが立ちながら飲むのも品がないと遠慮したからだ。
俺は意識をバドラーからシャルルさんに移す。まどろっこしい聞き方をするのもなんだし、早速本題から入ろうか。
「はい。最近、悩み事がございまして。それをリーリさんに相談したところ、そういう事ならシャルルさんに聞くのが良いと言われたので」
「その、悩み事とは? 私の分かる限りの事にはお答えしますよ。今後、聖女様に私の商店をご贔屓にしていただきたいですしね」
微笑みながら、シャルルさんはウインクをする。ノーヴェさんやリーリさんとは違う、穏やかでホワホワしたその雰囲気に反して、中々にしたたかな物言いだ。これが、商人という人種なのか。ホント、頼もしいね。
「実は、私に婚姻の申し込みが多く来ているのです」
「あら、それは。おめでとうございます」
「いえ、私はまだ結婚する気がないのです。ですから、どのようにお断りすれば角がたたないか、それをシャルルさんにお聞きしたいのです」
「なるほど……。今ルーシー様が結婚なされば、貴族間の勢力図が大きく変わりますからね。様子を見るというのは、良い判断だと思います」
ふむふむ、と感心したように数回頷かれる。いや、あの……。シャルルさん、ちょっと俺を買いかぶり過ぎです。そんな事は全然考えてなくて、単純に結婚したくないだけなんですよ。
まあ、わざわざ訂正はしなくても良いかな。別に勘違いしていてもお互い損する訳じゃないし、むしろ身勝手な理由よりも、対外的なウケはそっちの方が断然良い。
そうなんですよ、とでも言外に言うように小さく頷いて、シャルルさんの言葉を待つ。シャルルさんは少し考えてから、そうですねと口を開いた。
「やはり、今ヴィッセル家と繋がりを持てば、その家は他の貴族にとって無視出来ない存在になるでしょう。英雄二人を取り込む事で世論は味方につけられますし、単純に戦力という面でも格段に向上します。ルーシー様の危惧通り、混乱は避けられないでしょう」
シャルルさんは一度そこで切る。その配慮を受けて、お茶を少し口に含んだ。……うん、ちょっと甘味が強いけど、美味しい。
俺がカップを置いた事を確認して、シャルルさんは続ける。
「ですから、それを陛下に伝えるのです。王家を味方につけて、暗に混乱を避ける為という意図を含ませながら私は結婚出来ないと告げれば、おのずと求婚はなくなるでしょう」
「なぜ、陛下に伝えるのですか? 結婚出来ないと告げるだけでは駄目なのでしょうか」
「ヴィッセル家だけの発言では、欲にまみれた方々が強行してくる可能性が否定できません。いえ、確実にそういう方が出てくるでしょう。それを抑える為に、陛下の力が必要なのです。貴方は、陛下の意向を無視するのですか、と言えばほとんどが諦めるでしょうから」
俺の疑問に、シャルルさんは丁寧に答えてくれて、他にも嫌な相手の対処法や失礼にならない範囲での男性の拒絶の仕方、貴族間の暗黙のルールなどを分かりやすく説明してくれた。リーリさんに言われて話を聞きに来て良かったって、心底思う。
いったいどれだけの時間が経っただろうか。教えてくれた事は身になる事ばかりで、集中していたからか体感的にはほんの数分だと思っていたけれども、かなり長い間話していたみたい。
そして、すっかり冷めてしまったお茶を飲んだ時、ある事に気付いた。
ゆっくり冷めていった事でちょっと色は濁っていたけれども、味や風味はほんの少ししか落ちていない。つまりは出されたお茶は良いお茶だったという事で、それをシャルルさんはまったく口をつけていなかったのだ。
俺は、ちょくちょく話の合間にのどを潤していた。その合間はシャルルさんが作ったもので、だから当然、彼女も飲んでいるものだと思っていたのだけれど。カップは二つ用意されていたし、俺のお茶がきれた時には注いでくれていたし。
……俺の馬鹿。一応とはいえ目上の人を相手にしている時にお茶を飲むなんて、という風にシャルルさんが考えるかもしれないって、なんで思い付かなかった。それに、バドラーもずっと立たされているじゃない。自分の事ばかり考えていたのが丸わかりだ。
反省をしつつ、礼を言って席を立つ。出来る事ならもう少し、貴族と商人とではなくて友人同士として、何かとりとめのない事を話したいけど。もう遅いし、これ以上バドラーを立たせていたくない。
バドラーからかつらと帽子を受け取って、髪の毛をかき上げて団子のように丸めてその上にかつらを乗せる。それによって不自然に盛り上がった部分を帽子で隠して誤魔化した。
「では、シャルルさん。本日はありがとうございました。お礼はどうすれば良いでしょうか?」
お店を出る前に、もう一度礼をしてそう訊ねる。お金をいくら用意すれば良いのか、それとも冒険者として何か毛皮などでも獲ってくれば良いのか。
けれど、シャルルさんは微笑んだまま首を振った。
「お代は必要ありません。この程度の事でお貴族様と繋がりを持てるなど、本来はそうそうありませんから。
強いて言うならば……。今後とも、我が商店をご贔屓に」
「あれ? そういえば、シャルルさんのお店は何のお店なのでしょうか?」
ふと、店内を見渡しながら疑問がわく。置かれているのはごく普通の生活雑貨品。けれど、ただの雑貨屋に王太子殿下がやってくるハズがない。
そんな疑問に対して、シャルルさんは笑いながら右の人差し指を立てて唇に当てる。そしていたずらっぽく、
「──企業秘密です」
と、そう答えた。
なにそれ。思わず、苦笑いが浮かぶ。
まあ、あとでノーヴェさんやリーリさんにでも聞けば良いかな。今日はお店はお休み扱いだったらしく、裏口からこっそりと外に出る。
もう日は傾きかけており、空が赤い。お昼前からこんな時間まで、よくもまあ長話をしたものだ。
あ……そういえば、お昼ご飯食べてなかった。
それに気づくと、急にお腹が空いてくる。夕飯にしてはまだちょっとだけ早いけど、どうしようか。
「バドラー。勢いで王都に来たけど、どうする? 計画とはかなり変わっちゃったけど……。
転移魔法でお屋敷かハルメラに戻る? それとも、このまま王都で宿をとる?」
「うーん……。このまま王都に居ないか? ハルメラを案内されるのも良いけど、よく知らない所をブラブラ散策するのも楽しそうだ。あのマジックスクロールも数が限られているしな」
「じゃあ、決まりだね! 良い宿ないかなー?」
「その前に、美味しそうな店を探そうぜ。王都の名物料理とか食べてみたい」
明日は、早起きして街を観光だ。そして、その前にご飯。バドラーも俺と同じで、お腹が空いていたみたいだし。というか、ずっと話していてごめんなさいだよ。
こういう時、情報誌か何かでもあれば良いのになー、と思いながら、俺達は王都の大通りに入っていった。




