五十三話:ウェルディの思惑・下
大っ嫌いだと、真っ正面から言われてもウェルディの涼やかな表情は変わらない。眉がピクリと動くといった、小さな変化すらなかった。
「嫌い……ですか。残念ですねぇ。私は、ルークさんの事はけっこう好ましく思っているのですが」
「……そういうのはナナさんに言ってあげたらどうです?
あと、バドラーは安静にしてて」
肩をすくめて言うウェルディを半眼で睨みつつ、何故か慌ててベッドを下りて立ち上がろうとしていたバドラーを制止する。傷はほとんど癒えているとはいえ、治癒魔法は体力をつかうし、かなり疲れているだろうから、ゆっくり休んでいなさい。
バドラーが動きを止めた事を確認して、チラリと視線をナナさんに移す。相変わらず規則正しい寝息をたてていて、起きる気配はない。
……本当に、なんでナナさんはこんな奴が好きなんだろうね。やっぱり顔なのか。
「彼女にもたまに言っていますよ?」
「……でしたら、貴方はとんだ女たらしですね」
「ふうむ、単純に敬愛や親愛の意を示しているだけなのですがねぇ」
女性の気持ちを利用している事に対する嫌みを、ウェルディは軽く受け流す。
そんな女の敵を睨んでいると、その張本人が「それはそうと」と顎に右手を当てて思案顔で小さくうつむいた。
「何故私を嫌っているのか、教えていただけませんか?」
「……それは本気で言っているのですか? 貴方でしたら、原因を自覚していると思うのですが」
「本気ですよ。嫌われているのは残念ですが、でしたら好かれるように努力したいので」
どの口がそんな事を言うんだろう。空いた口がふさがらないとはこの事か。
バドラーも俺と同じ考えなのか、ベッドに寝て上体を起こす体勢のまま不機嫌そうに顔をしかめる。
俺が彼を嫌う理由と言っても、今更彼が改善出来る事じゃないんだよね。彼への悪感情はほとんどがその行為に端を発するものだから。
人体実験をしているという事実とそれを行うその精神、目的の為には手段を選ばないその姿勢が、俺には合わない。価値観がまるで違う相手を受け入れる事は出来ても、好きになる事は難しい。
でもまあ、彼が改善出来る事を、強いて挙げるとするのなら……。
「貴方がいつも……今みたいな真面目な話をする時も軽薄にへらへら笑っているところとか、話の節々で、人を騙そうとするところですかね」
「おやおや、手厳しい」
ウェルディはふざけたように手を振りながらも、俺に言われた事を反省したのか顔を引き締める。服装もあいまって、いかにも真面目な好青年といった感じだ。その本質は、詐欺師だけど。
以前彼が言っていた、嘘をついていないというのは、本当だろう。けど、意図して情報を秘匿したり、本当の事を言わなかったりして、俺の思考を誘導した。
人を自分の思い通りに動かそうとするところも、気に入らない。
……色々と不可解なところはあるけど、最初から彼は俺を味方に勧誘するつもりはあったんだと思う。だからこそ、捕虜でしかない俺を手厚くもてなしたんだろうし、強行手段には出なかった。でも、最も重要なのはコルネリウスに関する事だから、俺が嫌がる事もしたんだろう。
まあ、とりあえずそれは置いておいて。
「ウェルディさん。先ほど言った通り、私は貴方が大嫌いです。なので、そんな相手に協力したくはありません」
「残念ですねぇ」
そう言う割には、あまり残念そうでない。あっけらかんとしているというか、それならそれで別に良いと思っているかのような。それとも、まだ俺の心を揺さぶる事の出来る何かを握っているのか。
いぶかしげにウェルディを見て、彼はそれを平然とスルーする。俺が言ったのだけど、にこやかな笑顔ではなくて無表情だと、目付きが鋭いからかちょっと怖い。
「な、なあルーク」
お互いに視線で牽制しあっていると、隣のバドラーが声をかけてきた。
「ん? なあに?」
「……お前に、地球への未練はないのか? 家族とか、友人とか……自分本来の体とか」
言うべきか悩んでいたのか、少し溜めて、複雑そうな渋い表情で告げる。
彼も俺と同じように、いやそれ以上にウェルディの事が好きになれないのだろう。強くウェルディの事を睨み、その一挙手一投足に注意を向けていた。何か不審な事をしたのなら、すぐに対応出来るように。
そんな風に警戒心バリバリだけど、地球に戻れるというのは気になるらしい。悔しそうに歯噛みしながら、ウェルディを見つめている。
「うん……。もちろん、地球に未練はあるよ。お父さんやお母さんは心配してるだろうし、友達も……。何か一言、話したい事はあるよ。でも……こっちにも、大事な人が居るから」
ノーヴェさん、ロナルドさん、エイミィ。この世界に来て、出会った人達。バドラーもそう。
皆はこんな俺を、迷惑ばかりかけているのに、命がけで助けに来てくれた。敵国に侵入するなんていう、物凄く危険な事に身を投じてくれた。
そんな人達を置いて帰るなんて不義理な事、出来るハズがない。
「そう、か……」
少し悲しそうに、うつむきながらバドラーは小さく呟く。
「バドラーが帰りたいんだったら、私は止めないよ?」
「いや、俺一人だったら良いんだ」
なんでそんなに?
そう思って、思い至る。そうだ、彼は俺のリアルでの知り合いでもあったんだ。だからこそ気になって、心配してくれて。本当に、ありがたい。
それでも、なんでここまで俺を気にしてくれるのか、理由は分からないけど。
「まあ、ルークがそう言うのなら、俺もお前には協力しない。俺がルークを説得してくれると期待していたのだとしたのなら、残念だったな」
「欠片も期待していなかったと言えば嘘になりますが、仕方ない事ですね。まあ、貴女方の協力を得られなくても、少しやる事が増えるだけですので。そこまで問題はありません」
そうは言うけど、出来る限り戦力が欲しいのは確かだろう。まあ、協力する気はさらさらないけど。
それにしても、まったく表情を変えないから不自然過ぎる。俺の言った事を遵守しているんだろうけど、苦笑ぐらいは良いから。
もしかしてウェルディは頭の良いバカなの? それとも、わざとやっているのだろうか。
「……あの、ウェルディさん。少し、聞いてもよろしいですか?」
「もちろん構いませんよ。質問によっては黙秘しますが」
「では、遠慮なく。
貴方は、私を仲間に引き入れようとしましたが、何故人体実験をしていた事を教えたのです? 隠しておいた方が、都合が良かったのではないでしょうか。それに、私を脅すような事もしましたが、あれも必要なかったと思います」
正直、ああいう行為さえなければ、非道な人体実験をしている事さえ知らなければ。なんとなくほだされて、彼を手伝っただろうと思う。
率直に、戦争を止める為にノーベラルに来てくれ、なんて言われても絶対に行かなかった。だから誘拐した事はまあ百歩譲って良しとして、戦争を止める為ですし、仕方ないですねと許しただろう。でも、彼の悪事を見せつけたから、それが出来なくなった。
それが想像つかない彼ではなかろうに、何故知らせたのか。
「いくつかありますが……。話す必要がありますかね? 知ったところで、何の意味もない事だと思いますが」
「話したくないのですか?」
「そういう訳ではありませんが、ただ言い訳がましくなるだけですので」
「構いません。ですから、教えてください。ちゃんと、全部を」
ウェルディがどんな手段を講じるのか分からないし、知れる事はどんな些細な事でも知っておきたい。知らなかった、でまた今度何かあったら、嫌だ。
「分かりました。では……」
「その前に、ギアスをかけてください。嘘はつかないと保証して欲しいです」
にっこりと口元を緩めて、けど目はまったく笑わずに、彼を射抜く。嘘から話にほころびが出るかもしれないから、ウェルディが嘘をつく事はないと思う。けれど、確証はない。俺はそれを求める。
かなり失礼な発言だという事は分かってる。それはつまり、私は貴方の言葉をまるっきり信じていないと、そう言っているのと同義だ。
でも、おそらくウェルディは断らない。彼が俺の質問に答えるのは、いわば彼の好意であるのは確かだ。それでも、質問に真摯に答える事で俺の心が変わるかもしれないという打算というか、メリットもある。それに彼としては、言い分も聞かれない相手よりも、耳を傾ける相手の方がやり易い。
そう考えた時、ギアスを使うのは、むしろ彼にとって自らの言葉を信じてもらうに足る証拠となるのだ。
だから、彼は俺の要求を飲む。
「良いでしょう。
『我は汝に決して違わぬ契約を結ぶ。我はそれを求め、汝はそれを受け入れるのならば血と共に宣誓せよ。
我、ウェルディ・バウアーと、汝、ルークは互いに虚偽の発言をしないと誓う。また、これが破られた場合には瞬時に命は奪わず、破られた事を相手に伝え、相手が望んだ場合に限りその命を奪うものとする』
……さあ、どうぞ」
ウェルディの詠唱とともに、彼の足元に魔法陣が浮かび上がる。魔力の奔流が迸る。そして、蒼白い光を放つ魔法陣から漆黒の鎖が飛び出し、ウェルディの体に絡み付いた。
食えない奴。契約の内容を、さりげなく『互いに』という文言にしている。
だったら。
「文言の訂正を要求します。『なお、この契約が効力を発揮するのは、締結後三十分のみ』……これを条件に加えてください。それが認められれば、結びましょう」
嘘をついてはならないというのは、黙っていれば問題ない。けれどずっと黙っている訳にもいかないだろう。ノーヴェさん達が近くに居る時に何か変な質問をされて、思わず嘘をついてしまう可能性もゼロじゃない。
だから、時間的な制限をかけさせてもらう。
「了解です。
『なお、この契約が効力を発揮するのは、締結後三十分のみとする。それ以降、契約は解除される』
……これで良いですか?」
「大丈夫です。
『我、ルークはこの契約に同意する』」
この世界で、実際にギアスを使うのは初めてだ。俺自身は使えないし、そもそもとしてそうそう使う物でもない。けれど、何故かどうすれば良いのか理解していた。
ベッドから立ち上がって魔法陣の上に乗り、ウェルディが差し出した短剣の切っ先に人差し指をそっと当てる。それにより垂れた血が一滴、魔法陣に入り、一際輝きだした。漆黒の鎖が現れ、俺にも絡み付く。痛みはない。
「『ここに契約は交わされた。この契約は何があっても破る事は許されず、破った者には多大なる罰を与えよう。絶対契約の名の下に』」
魔法を締めくくる最後の文言を紡ぎ、その瞬間魔法陣の光が爆発する。思わず目を閉じ、再び開けた時には陣も鎖も消え去り、魔法を発動する前と同じになっていた。それでも、しっかりと俺とウェルディをギアスが縛っているのが分かる。
「ルーク、大丈夫か!?」
突然の事についてこれなかったらしいバドラーが、慌ててベッドを飛び下りて俺の全身を観察する。「大丈夫だよ」と俺が苦笑しながら言い、彼も俺の身体に傷一つない事を確認してホッと安堵の息を漏らした。
「では、話していただけますか?」
「ええ」
バドラーが俺の無事を確認したところで、俺はウェルディに向き直り説明を求める。彼は真顔で頷き、はっきりとした声色で切り出した。
「基本的には、すべて貴女が戦力になるか見極めていたのですよ。
貴女の実力は、紛れもなくこの世界有数のものです。ですが、精神は命をかける争い事なんて経験しない平和な国の人間の物。いざビスマルクとの戦闘になった時、戦えないだけならばともかく、足手まといになっては困りますから」
淡々と、ウェルディは説明する。その間も、彼は俺の反応を伺う為にじっと観察していた。
ウェルディの危惧は、妥当なものではあるのだろう。確かに、俺はこの世界に来るまで殴りあいの喧嘩すらした事がなかった。争いの心得なんて、まったく分からない。
それでも、この世界で生活して多少はもまれてきた。感情を面に出さず、鉄面皮で話の続きを促す。
そんな一見穏やかな、でもどこか重いこの場の空気に、バドラーが微妙に居心地悪そうにしていた。ふふふ、俺はまだまだ未熟だけど、この世界で多少は駆け引きを学んだんだよ。
「人体実験の件に関しては、隠し事はしない方が良いと判断したのが一つ。後で知られた方が、色々と面倒な事になったでしょうからね。そして、二つ目に貴女の胆力を試す為。貴女はアレを見て、更に脅されてもなお、こうして私と話せています。怯えて言いなりになるようでしたら、良い駒にはなりますがビスマルクとは会わせられないので」
それ以上の恐怖であっちに寝返りかねませんから、と彼は言う。
他にも、最初にノーベラルにつくよう提案したが、あの時あっさりとそれを受け入れていたら、そんな人間はまた裏切る可能性が高いから殺すつもりだったとも。そんな風に、彼の行動にはすべて彼なりの理由があったらしい。嘘はついていなかった。
その後もいくつか質問を重ねて、あと数分でギアスを結んでから三十分が経つという頃。
「では、こちらからも一つ質問をさせていただきましょう。ルークさん、貴女は元々は男で間違いありませんか?」
「えっ……!?」
そう聞いてきた。
黙秘は、認める事に他ならない。元々女の子であるのならば否定すれば良いだけだからだ。そして、ギアスによって嘘はつけない。
「……そうです。私は、この身体になる前、地球では男でしたよ。……それがなにか?」
「聞いた最大の理由は黙秘させていただきます。二番目の理由は、だったらあそこまで貴女に嫌われるように行動しなくても良かったな、という反省です。私は万が一惚れられても、その気持ちには応えられないので、そうならないようにしていたのですよ」
……な、何を言っているんだこいつは。嘘を言っていないのはギアスの力で分かるんだけど。
「普通なら、自分を誘拐した相手に惚れるなんて事は考え難いですが、世の中にはストックホルム症候群という前列がありますから、念のためにですよ」
俺の困惑を察したのか、ウェルディは更に続ける。
……つまりは、俺がナナさんみたいにウェルディに惚れないように、わざと嫌われるようにしていたと。え、なんでそんな考えになるのさ。その言い分じゃあ、普通にしていたら人に惚れられる事が当たり前みたいじゃない。
いや、事実惚れられてきたのか。彼の顔は凄く良いし、地球でさんざん女性に付きまとわれてきたんだろう。だから、地球ではモテた事なんて一度もない俺に理解出来ない発想が出たんだ。……なんて、自意識過剰なの。いや、ナナさんがあれだし、自意識過剰という訳ではないのかな。
ともあれ、あまりに下らない理由に、思わずため息をついた。
「……ずいぶん、お優しいのですね。貴方でしたら、恋心は利用すると思ったのですが」
「私の為、と言われて暴走されてはたまったものではないので」
嫌みを言ってみるが、思った以上に自己中心的な理由を言われ、更にため息をつく。俺は、こんな奴に関してあんなに悩んでいたのか。馬鹿みたいだ。
ハア、ともう一つ深いため息をついた後、俺は。
「……ウェルディ。やっぱり俺、お前の事が大嫌いだよ」
もはや皮膚と一体化しかけている『ルーク』という少女の仮面を強引に引き剥がし、男子高校生の道添晴樹として、そうこぼす。
そんな風に呆れていたから、俺はウェルディが無表情のまま、ホッと息を吐いたのに気付かなかった。




