三十五話:河渡り
ルーク救出隊が結成された翌日、そろそろ日が沈もうかという頃。そのメンバーであるバドラーとエイミィ、ノーヴェにロナルドは一途ノーベラルへ向かっていた。
あの後すぐに最小限の荷物を持って陣を出て、夜通し馬を走らせ続けた。上手くルークが居ない事を誤魔化しながら陣を抜けるのには苦労したが、それ以外はたいした障害もなく、一般的な冒険者とは段違いの速さで進んでいる。どんな獣が出ようとこのメンバー相手に数分とはもたない上に、休憩を殆まったくとらないからだ。
別にルークを助ける為に無理をしている訳ではなく、必要ないだけである。ロナルドは戦時中は三日三晩不眠不休で戦い続ける事などざらであり、ノーヴェもその仕事柄急いで進む事には慣れていた。バドラーは彼の役割が敵の攻撃を受け続ける事であり、体力がなければ務まらない。エイミィが一番体力が無さそうだが、獣人は一般的に人間より身体能力が高く、体力もある。彼女もそれに違わず、その小さな体からは想像出来ない程長い時間、休憩無しでも活動出来るのだ。
そもそもルークを助け出す際に戦闘になる可能性が高いのに、疲れで動きを悪くするような愚を、彼らが犯す訳がなかった。
しかし、彼らは休憩が必要無いとはいえ馬車を引いている馬はそうはいかない。馬が疲れ、休憩をせざるをえない。そんな時はその馬を荷台に乗せてエイミィを除く三人で交代で引き、ノンストップで走り続けた。
「……この川を越えればノーベラルだよ」
彼らを妨げる幅二十メートル程の急流の前で、ノーヴェが言う。こちら側は見張りやすいようある程度は木が伐られて整備されているが、国境という事で丁寧な仕事ぶりではない。向こう側は多少の整備もしていないようで、木が生い茂っている。
陸続きの国境線がほとんどの割合を占めるザッカニアとノーベラルでは、このような自然のもので国境が定められていた。戦争が始まっている今、侵略に気づく為の見張りは必須なのだが、いかんせん隣国と接している所が多すぎてカバーしきれない。流石に数百を越える数の兵が一斉に侵入してくれば気づける程度には見張り台はあるものの、四人という少人数だと見逃してしまうのがほとんどだ。そして、それはノーベラルも同じだろう。
故に今回のような場合は少数精鋭の方が良い。人気のある聖女様が拐われたとなれば結構な数の冒険者が……それこそあの陣にいたほとんどが協力してくれたかもしれないが、そうなると目立つ。彼らを囮にして別の所から侵入するというのも選択肢にはあったが、そうなると甚大な被害が出るだろう。そこまで手段を選ばないのはどうなのかと提案されるまでもなく却下された。その為、いかに冒険者達にバレずに陣を抜け出すかに苦労をしたのだが。
ザッカニアとノーベラル、互いの侵入を防ぐ自然の要塞とでも言うべき川を前にして彼らの足が止まる。その流れの速さは、迂闊に入ればあっという間に流されるであろう事は想像に難くない。濡れた服は重くなるし、重い鎧を着込んでいるバドラーは溺れる可能性がある。
「とりあえずこの川を渡ったら夜営をするとして。……エイミィ、行けるか?」
「うん、多分行ける。馬車は置いてく事になるだろうけど」
ロナルドの短い問いに、落ちていた木の棒で川の深さを調べていたエイミィが軽く頷いて肯定の意を示す。彼女が肩まで入れても届かないらしく、渋い顔をして棒を引き抜いた。その長さ二メートル近くあり、それから察するに頭を水面に出しながら足はつかないだろう。
馬車の荷台から五十メートルの縄を持ってきて、腰の二本の剣の片方をそっと地面に置いてから剣があった場所に巻き付けて固く縛る。そして反対側を「しっかり掴んでいてね」と言いながら一番重いバドラーに手渡した。万が一にでも流れないようにだ。
そして深呼吸をしてから川に飛び込んで、流されているのかふらふらと左右に動きがらも、バタフライに似た泳ぎ方で対岸を目指す。凄まじい速さで半分辺りまで着いた時、彼女を食べようと巨大な魚が水面を跳ね襲い掛かってきた。
「危ない!」
バドラーは思わずそう叫ぶが、ロナルドもノーヴェも、あまつさえ食べられかけているエイミィすら焦る気配は無い。そして魚が口を大きく開け、獲物に食らい付かんとした瞬間に、彼女は持ったままだった夫婦剣の片割れを素早く振り上げ、その顔面に叩き付ける。
動きにくい水中であるにも関わらず、かなりの剣速で振られて正確に魚を捉えた剣は、魚をいとも容易く真っ二つに切り裂いた。
小さな女の子がその体より大きな魚を一刀両断するという衝撃の光景にバドラーはポカーンと口を開けて呆けるが、そんな事は気にせずエイミィは無事対岸にたどり着く。そして本物の猫のようにぶるぶると震えて水を弾き飛ばした。
驚いているのはバドラーだけで、ロナルドは荷物を木箱に詰めており、ノーヴェはここまで馬車を引いてきた馬に一言何かを言ってから逃がしている。
(これが、この世界の普通?……いや、絶対に違う。
道添はこんな凄い人達と一緒に居たのか)
バドラーの驚きをよそにエイミィは縄を丈夫そうな木に結んで固定して、バドラーが持っていた反対側をノーヴェが受け取る。
そして先程のエイミィと同じ要領で、同じ場所を泳いで川を渡る。よくよく見れば分かるが、そのルートは岩や木に微妙に遮られているのか、他より少し流れが緩やかだ。バドラーはエイミィが泳ぎながら感覚で流れの穏やかな場所を探していたという事に気付き、彼らの凄さを再び実感してため息をついた。そして付いてきたはいいが自分は足手まといになっているんじゃないか、と不安になる。
「おーい、バドラー!鎧脱いで、縄で縛って!」
「あ、は、はい!」
ネガティブな考えになって自分の世界に入っていたが、ノーヴェの大声で我にかえる。咄嗟の返事で素が出てしまった事を反省しつつ、言われた通り上半身のブリガンダインと呼ばれる鎧を外して投げられてきた縄で縛った。気づけば箱詰めされていた荷物もロナルドも既に対岸に渡っており、残りはバドラーだけだ。
鎧を川に入れると、三人で縄を引っ張ってそれを持っていく。その間に足の部分も外し、脱ぎきったところでノーヴェ達を鎧を運び終えて縄を投げてくる。それを空中でキャッチし、同じように対岸に送った。
鎧を脱いでチェインメイルだけの比較的身軽な格好になったバドラーは、ほぐすように体を動かす。普段鎧で隠れている分厚い筋肉は、鎖の下からでもその存在を主張していた。
地球での自分とは色々と真逆なこの体にも慣れてきたなぁ、などと考えながら投げ返えされてきた縄を
腰に巻き付ける。さっきのエイミィの通ったルートを頭に思い浮かべながら静かに水中に降りて、その流れの速さから泳げなさそうと判断し縄を手繰って前に進んでいく。
向こう岸まで残り数メートルのところまでは順調だった。しかし、その途中で最初にエイミィを食べようとした肉食魚の別個体が、バドラーを狙っているのか彼の足下を旋回するように泳ぐ。
タンクであるバドラーはエイミィのように真っ二つにする技量はない。完全防備をしている時なら問題ないが、今はチェインメイルは身に付けたままとはいえ巨大な魚の歯を防ぎきれるかは分からない。
(こんな事なら鎧を脱がなきゃ良かった。鎧があればあんな魚の歯程度カキンと弾き飛ばせる。……鎧を着たままだとこの流れの中じゃ絶対溺れるけど)
全身を覆うプレートメイルでも慣れれば泳げるのだ。それよりも動きやすいブリガンダインなら余裕だっただろう。ただしそれには普通の川だったら、という前提条件がつく。この急流ではそれは難しい。バドラーは現実逃避に不可能な事を考えては、自分でツッコミをしていた。
とはいえ諦めている訳ではない。冷静に、急いで縄を手繰る。陸に上がればエラ呼吸の生物など敵にならない。
だがそれは魚も分かっているようで、大きく口を開き、彼を水中に引きずり込もうと右足に食らいついてきた。
「っ!………… ?」
噛みちぎられないよう足に力をいれて身構える。しかし全く痛みはなく、出血も皆無で水中に血が漂わない。
魚の歯は確かにチェインメイルとその下のズボンとを貫通しバドラーの足に触れていた。チェインメイルは鎖の集合体であり、多少の隙間がある。その為斬るなどの面の攻撃は防げるが突きなどの点の攻撃には弱い。噛みつきはいくつもの歯による点の攻撃で、事実隙間を歯が通り抜けバドラーの皮膚の上に突き立てられている。
それにも関わらず傷が無い。人を襲うという事は食べられるハズで、骨すらも貫く歯だ。それがバドラーの薄い皮膚にすら、文字通り歯が立たない。
(何でこの体はこんな硬いだろう。これって下手したら鉄とかより硬い。これからの事を考えれば良い事だけど、人間の体がそんなに硬いって、絶対におかしいし……)
疑問を抱きつつ、岸についた為地面に手をついて陸に上がる。右足に噛みついたままだった魚は陸上げされた事により暴れていた。外して地面に投げると、水を求めてかピチピチと跳ねる。
「ええ!?足、大丈夫!?」
「ああ、大したことない」
見事に噛まれていた足を見てエイミィが目を見開くが、跡すらついていない。彼女の反応を見て、普通は心配されるような事だと認識し、無傷の自身への疑問を深める。
確かにバドラーは高い耐久力を持つが、それにしてもここまでになると人間として異常だ。元のゲームでも魔法などがあるわりにはリアル志向で、防具無しでは他のプレイヤーとあまり変わらなかった。だからこそ筋力を上げ、重い鎧を着込んでいたというのに。耐久力を上げる魔法はあったしバドラーは当然使えるが、今回は使った覚えがない。
(まあ、そういう事を考えるのは今度で良いか。今は道添を助ける事だけに集中しよう。……にしても、普通逆だよな)
ククッと笑いながら切り替えて、彼が無傷である事を確認した後はまったく気にせず夜営の準備をしていた三人を手伝う。といってもテントなどを持ってこれる程の余裕はなかった為火をつけるだけなのだが。辺りの木々の枝を折り、まとめて重ね合わせる。そこにロナルドが手慣れた手つきで種火を作り、火を移す。少ししてパチパチと炎が燃えだした。
「バドラーがこいつを捕まえてきたおかげで今日は携帯食料を食べなくてもいいね」
「……それ食べれるのか?」
ノーヴェはバドラーに噛みついていた魚をさばき、骨や血、内臓などは川に流す。骨は「良いダシになるけど、持っていく余裕もスープを作る鍋も無いからなぁ」と名残惜しそうにしていたが。
食べられる白身の部分を綺麗に四等分にして塩をすりこみ串に通していく。そして火の前の地面に刺して焼き始めた。
なんでもこの魚は油がのっていて非常に美味しいものの、その狂暴性と強さ、そして生息圏の少なさから需要に供給が追い付かない高級魚らしい。
火を囲むように座り、魚が焼けるまで各々自分の得物の手入れをしながら待つ。そして香ばしい匂いが漂ってきたところでエイミィが荷物の中から保存食に近い硬いパンを人数分取りだして皆に配り、簡単な食事が始まった。
パンは硬くてかなり力を入れないと噛み砕けないし、口の中の水分を持っていかれてパサパサしてしまう。お世辞にも美味しいとは言えないが、ここまで来て美味しい物を食べられるなんて誰も思っていなかったし、こういう食事はバドラー以外は慣れている。そのバドラーも捕まっているルークはこれ以下のグレードの物しか与えられていないだろうと我慢していた。
実際には非常に美味しい料理を食べ、暖かいお風呂に入り、ふかふかのベッドで寝られるなどかなり厚待遇なのだが、この四人にそれを知るよしはない。
バドラーは口が乾ききったところで焼き魚を手に取り口に運ぶ。一口食べて、高級魚とされる理由が分かった。
白い身は柔らかく、味付けは塩のみだが薄いとは決して感じない。噛むたびに濃厚なのにしつこくない質の良い油がトロリと舌の上にとろけだし、口の中を潤していく。肉とはまた異なる旨味で、魚臭くもなくクセが無い。
エイミィは猫の獣人らしく魚に目を輝かせており、かなりの量だが一番早く食べきり更に物欲しそうに皆のを見ていた。苦笑しつつロナルドが少し渡すと、頭の上の耳を嬉しそうにピコピコ動かし満面の笑みで受け取る。幸せそうに、この時ばかりはルークを助けに来ている事は忘れて。薄情と思う人も居るだろうが、気を張りつめすぎても良くない。気分転換は大切だ。
そんな和やかな食事の時間も、数十分もすれば終わりを告げる。そして話し合うのは、これからの事だ。
「この間言ったけど、もう一度再確認。多分だけど、ルークが連れ去られた場所はエルバっていう所だ。もちろん断定は出来ないけど、一番可能性が高いよ。
で、エルバの位置だけど。あそこはノーベラルの王都から結構離れていて、比較的ザッカニアとの国境に近い。この川に沿って北上していって、しばらくすると小さな村があるハズ 。そこから東にある森の中にエルバがあるよ」
「何か質問はあるかい?」という皆を見渡しながらノーヴェが言うと、そっとバドラーが手を上げる。彼にはずっと気になっている事があった。
「なあノーヴェさん。貴女はなんでそんなにノーベラルの事に詳しいんだ?」
その質問にノーヴェはああ、と呟いて苦笑いをする。そして、少し視線を落として小さな声で答えた。
「そういえばバドラーは知らなかったね。
……アタシは、元々ノーベラルの人間だったのさ」




