【第三部】第42話.診療所
受話器を置くと、耳の奥に残っていた雑音がスッと消えた。その代わりに遠くで波が桟橋を叩く音がやけに大きく聞こえる。穂高は、しばらくその場から動かなかった。
「行方不明のまま、か」
低く呟く。背後から通信兵が遠慮がちに声をかけてきた。
「大尉。ご無事で何よりでした」
「ありがとう」
短く答えると、港の内側に視線を戻した。兵が瓦礫をどけ、担架も行き交っている。戦いは終わったが、戦争はここからだ。通信兵が一つの建物を指差した。
「民間の診療所を借りて、負傷者の治療にあたっています」
「うん」
「良ければ、一度確認に行かれては。ご子息の事もありますし」
「そうしてみるよ」
穂高は帽子を深く被り直して、彼に軽く手を挙げて応じると、診療所に足を向けた。喧騒を後に目的地に近づくと、火薬と埃の匂いが薄れ、代わりに消毒液の鼻を刺す匂いが漂ってきた。
臨時に使われている診療所だけでは、場所が足りなかったのだろう。元は何かの倉庫だった建物まで怪我人が収容されているようだ。
建物に入ると、そこは低い声と布の擦れる音で満ちていた。医師や看護役の民間人が、額に汗をかきながら忙しく動き回っている。
「大尉……?」
穂高の姿に気がついた衛生兵が一人声を上げかけたが、指先で制した。
「騒がなくていい、様子を見にきただけだ」
そう言って、奥に進む。その途中、毛布の隙間から覗く幼い顔が目に入った。頭に包帯が巻かれて、腕に少し火傷の痕があった。きっと港の近くに居たのだろう。一瞬だけ足を止めて、その子の毛布をかけ直してやると、また歩き出した。
建物の一番奥、仕切がわりの白布の向こうから聞き覚えのある寝息が聞こえてきた。
「明継」
名を呼ぶと、布の向こうの人影が動いた。立ち上がって、こちらに向かってくる。
「穂高、さん……」
トリィだった。顔に少し擦り傷があり、片腕には包帯が巻かれているものの、その瞳はしっかりしていた。少し驚いたような表情をしていたが、穂高がジェスチャーで制する。
「トリィか、無事で良かった」
「はい、ありがとうございます。明継はここで、まだ眠っています」
布を捲ると、そこには明継がいた。簡易ベッドの上、顔色は良くはないが胸は規則正しく上下している。額には冷やした布が当てられていた。
穂高は何も言わず、ただその寝顔を見つめた。




