【第三部】第28話.潮風
アナスタシアが去り、小屋の扉が閉まると中の空気が急に冷えたように感じられた。静まった小屋の中で、明継が小さく呟いた。
「ルシヤの船減ってるって、どうしたんだろう」
「……うん」
それが何を意味しているのか、二人にはわからなかった。しかし何か大きな、よくない流れが始まっている、そんな予感が胸の内に渦巻いていった。明継は唇を噛んだ。
「大丈夫、ここに居れば。そう言ってたよね」
トリィの言葉に、明継は黙って頷いた。二人の沈黙の間で空気が揺れる。静けさの中で、何かが動き始めていた。
その日、日が沈むと外の風が少し強くなっていた。小屋の窓を叩く風の音に、明継は落ち着かない様子だった。
「どうかした?」
「風、強いから。飛行艇大丈夫かなって」
少し考えた後、トリィは言った。
「見に行ってみようか」
「大丈夫かな?」
明継はアナスタシアに注意された事を思い出し
た。声は明るかったが、その奥に不安が揺れていた。
「夜の方が安全だって言ってたよ。もう漁は終わってるし、誰も見てないと思う。でも用心して行こう」
二人は小さな灯りだけを手に、そっと扉を開けた。外は昼間より風が強く、木々の枝が揺れていた。冷たい潮風が彼らの間を通り抜けて、波は荒く岸を打っている。
「ちょっと荒れてるな」
「うん。でもその方が良いかもね。私たちの足音も掻き消えてしまうし」
記憶を頼りに飛行艇を置いたスリップウェイに向かう。そこに着く頃には、ちょうど月が顔を見せて、青白い光が二人を歓迎しているようだった。飛行艇は古びた木の枠と布で覆われて、月明かりの下でじっと身を潜めていた。
風が吹くたびに、覆いの布がかすかに膨らんでは戻っている。トリィは息をのんで、用心深くそれに近づいた。
「大丈夫そうだね」
明継もすぐに近くに寄って、覆いの布を少し捲った。その中には、光を失って静かに眠る飛行艇の姿があった。
「……」
トリィが機体の表面をジッとみる。冷えた金属部品の上にうっすらと潮の跡。潮風が思ったより強かったのだろうか、
「それって、塩?」
「うん。布を持ってきたから、拭いてから帰ろうか。いつ動かせるかわからないけど、錆が進んじゃうといけないから」
そう言いながら、トリィは作業に入った。隣に立つ明継は彼女の指示のまま、手を動かす。無心になって作業をしていると、昼間の不安が少しだけ薄まった気がした。一通り確認し終えたところ、風が一段と大きく拭いてどこかの板がぎしりと音を立てた。
「戻ろうか。風がもっと強くならないうちに」
「うん」
トリィが声をかけると、明継は頷いた。最後に飛行艇の周りをぐるりと回ってみて、覆いの布をかけて戻した。
また来るよ。そう心の中で呟いて、二人はそれに背中を向けて小屋に戻り始めた。波が暗闇で砕ける音が続いていた。




