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18.モブ令嬢は不安を抱く

 通行止めになっている大通りを迂回して屋敷の前まで送ってもらい、眠るブルックスを揺すり起こす。馬車を降りたリージアは、イザークとイザベラへ感謝の言葉を伝えて頭を下げた。


「そうだ。リージア嬢、ちょっといいか?」


 開いた扉から顔を出したイザークはリージアを手招きして呼び寄せる。

 首を傾げて、降りたばかりの馬車の扉へ近付いたリージアへの右頬へ、イザークは軽い口付けを落とす。


「なっ」


 ちゅっと、リップ音を立てて離れていく唇と温もりに、リージアは目を白黒させてイザークを見上げた。


「別れの挨拶だよ。ではまた学園で会おう」


 固まるリージアが返事をする前に、イザベラに腕を引っ張られたイザークは馬車内へと戻り、勢いよく扉が閉められる。

 馬車の窓からは、申し訳なそうに頭を下げるイザベラの横顔が見えた。


(なんなの、あのチャラ王子)


 口付けられた頬に手を当てたリージアは呆然と遠ざかる馬車を見送った。

 手の甲ならまだしも、婚約者がいる女子の頬に口付けるだなんて信じられない。イザークの公式設定はチャラ王子だが、中身は転生者なら公式の設定に沿わなくてもいい気がする。


「リージア、突っ立っていないで早く中へ入るよ。……顔を拭こう」


 リージアの手から鞄を奪うように持ったブルックスは屋敷の扉のドアノブを持ち、いつも以上に乱暴な手つきで扉を開ける。


 出迎えたメイドへ鞄を渡し、もう一人のメイドからタオルを受け取ったブルックスは、片手で空中に出現させた水球と火球を組み合わせてお湯を作る。お湯で濡らしたタオルをリージアの顔へ押し付け、ブルックスはゴシゴシと拭いた。

 口は悪くても、肌を傷めないように加減している優しい手つきに、幼いころは風呂上りのリージアの髪をブルックスが拭いてくれていたことを思い出す。

 久し振りに至近距離で見る兄の顔をじっくりと観察する。

 少し垂れ目だが切れ長の瞳にスッキリとした鼻筋、薄い唇と艶々の肌、意識して見ればブルックスはユーリウス、イザークと並んで立っても見劣りしないほどの美青年である。

 髪と瞳が同じ色合いでなければ、リージアと兄妹だとは誰も思わないだろう。


「これで綺麗になったか」


 頬だけでなく顔全体を拭き終わり、乱れて湿り気を帯びたリージアの髪をブルックスは手櫛で直す。


(ブルックスお兄様が攻略対象ということは、もしかしたらヒロインとは接触しているのかもしれない)


 まだ見ぬヒロインがブルックスの隣に立つ光景を想像して、胸にモヤモヤしたものが広がる。

 以前から、互いの両親が決めた婚約者と積極的に交流を持たない兄とはいえ、婚約者を蔑ろにするような恋愛はして欲しくない。


「あの、お兄様。最近変わったことはありませんか? 例えば、私と同じ学園の生徒と知り合ったとか」

「学園を卒業してから、生徒と知り合う機会は無いよ」

「そうですか」


 まだヒロインとは知り合っていないと分かり安堵する。

 学園でメリルが与えた周囲への悪影響のように、もしかしたらこの偏屈な兄まで変わってしまうのかと、それは嫌だと思ってしまったのだ。


(いい変化なら歓迎するけれど、悪い変化やヒロイン至上主義になったら嫌だもの)


 兄が婚約者と不仲になるのも、悪い方向へ変わっていく姿は見たくなかった。



 翌朝、朝食と王宮へ向かう支度を済ませたリージアが玄関ホールで帰宅時間をメイド達に告げていると、寝癖をつけたままのブルックスが部屋から出て、階段を降りて来た。


「久し振りにベッドで寝たな」


 ホールへ射し込む陽光が眩しくて目を細める彼の顔色は、昨日に比べて格段と良くなり目の下の隈も多少薄くなった気がする。


「お兄様、行ってきます」

「ああ」


 擦れ違いざま、ブルックスの手がリージアの肩に触れた。


「大変か?」


 かけられた言葉でリージアの足が止まった。

 振り返れば、何時もの気怠い表情は消え、真顔となったブルックスと目が合う。


「お妃教育と王子の婚約者の立場が嫌になったら言うんだぞ。俺と兄さんが全力で国外へ逃がしてやるから」


 幼子にするようにブルックスの手がリージアの頭を撫でると、爽やかなミントの香りがリージアを中心にして玄関ホール中へ広がり、メイド達から驚きの声が漏れた。

 今朝髪を整える際にメイドが使用した、若い女性に人気の香油の甘い香りがミントの香りに変わる。


「今日の香りは王子にはキツイだろう」

「知っているの?」

「シュバルツ殿下から、頼まれているのでな。極々一部の研究者しか知らないし他には漏れないから安心しろ」


 ミントの香りを付与してくれたのと、わざわざ見送りに出て来てくれたのは、兄として心配してくれているからだと伝わってきて胸がほのかに温かくなる。


「お兄様、ありがとう」

「じゃあ、頑張れよ」


 用は済んだとばかりに背を向けたブルックスは、欠伸をしながら食堂へ向かった。




 ***



 王子妃教育を受け終わったリージアは、エルシアからのお茶の誘いを丁重に断りユーリウスの執務室へ向かった。

 昨日ユーリウスと交わした約束もあるが、アレルギー反応が体に出て彼が苦しんでいないか心配だったのだ。

 侍従からリージアの訪問を伝えられたユーリウスは、執務机の上に置いた書類から顔を上げて側に控えていた護衛騎士に人払いを命じる。


「ユーリウス様、お忙しいのでしたら隣の部屋で待っています」


 執務机の上に詰まれた書類の量はのんびりお茶を出来る状態ではなく、いつもより早いリージアの登場に補佐官達が慌てている気配を感じていた。


「後で片付ければいい。丁度休憩しようと思っていたところだ」


 肘掛に手をついて椅子から立ち上がり、傍まで来たユーリウスを見上げてリージアは気が付く。

 彼の目元は赤みを帯びて、白目は少し充血しており目の下には薄っすら隈も出来ていた。

 アレルギー反応とは少し違う、全身から疲労感も漂わせているユーリウスの表情にはどことなく影があり、きっちりとした詰襟上着を着た王子様の格好と相反する色気を出していた。


 補佐官達には悪いが、こんな色気を出して微笑まれたら完敗だ。「仕事をしてください」とは言えない。


 しっかりとユーリウスに手を繋がれたリージアは、執務室に隣接する応接間のソファーへ座らされる。

 ユーリウスがリージアの隣に座ったタイミングで、メイド達がテーブルへ紅茶とアイシングクッキーを並べる。

 並べ終わったメイド達は一礼して下がっていった。

 護衛騎士は執務室の壁際まで下がり、応接間はユーリウスとリージアの二人きり。


 学園とは違い、王宮で二人きりになるのは恥ずかしい。繋いだままの手は離してもらえず、紅茶を一口飲んでから隣を見れば此方を見ていたユーリウスと目が合う。


「目が赤いですよ。痒みはありますか? って、ユーリウス様?」


 ユーリウスの目の周りが赤くなっていることに気付き、アレルギー症状が出てしまったのか問うリージアの肩へ彼の頭が凭れかかる。


「ユ、ユーリウス様?」


 反射的に上半身を動かすリージアの腰へ、逃さないとばかりにユーリウスの腕が回される。


「昨夜は、あまり寝付けなかった」


 肩に頭を乗せるユーリウスの声には疲れが滲んでいた。


「イザークは女の扱いに長けているから、リージアの気持ちが彼奴に傾くんじゃないかと、不安になってあまり寝られなかった」


 繋いだ手と腰に回された腕に力がこもり、ユーリウスはリージアの体を抱き締める。


「俺らしくもないと笑うか?」


 フッとユーリウスが笑う声が聞こえて、リージアは彼の背中を撫でた。


「眠いのなら少しだけでも眠ってください」


 頷いたユーリウスは、肩に載せていた顔を上げて体を横たえリージアの膝へ頭を乗せる。

 眠ってと言ったのは自分だとはいえ、まさか膝枕で寝ようとすると思いもよらなかった。

 スカートごしとはいえ太股にユーリウスの体温を感じる、この体勢で触れ合うのには恥ずかしいし落ち着かない。

 首まで赤く染めるリージアの顔へ、ユーリウスは手を伸ばして熱が集中する頬へ触れた。

 昨夜、イザークが口付けた頬と同じ部位を指先が撫でる。


「好きだよ」


 目蓋が落ちかけているユーリウスは半ば眠りの淵へ落ちかけているらしく、少し掠れた声で言う。

 頬から離れていく彼の手に、リージアは自分の手を重ねてそっと握った。


「私も」


「好き」と告げる前に、ユーリウスの目蓋は完全に閉じていた。規則正しい寝息が聞こえ、彼が眠ったのを確認したリージアは握っていたユーリウスの手を下ろす。

 膝の上で眠るユーリウスの絹のように滑らかな手触りの髪を手櫛ですく。


「不安なのは、お互いを信じきれていないからなのかな」


 続編のシナリオを知らないリージアはこの先の展開を読めず、新たなヒロインによる強制力が働くのではないかという不安、ユーリウスはイザークへの嫉妬から。

 お互いこの想いは本物だと信じたいのに、自信が無くて不安になっている。


「恋って難しいな」


 ヒロインだったメリルは「攻略対象との会話は選択肢じゃないし好感度は見えないし、分からないのは不安だった」と言っていた。

 お互いを知り信頼を築き恋愛感情へと繋がらせる過程をすっ飛ばしたのは、相手の気持ちが見えない不安から。性癖を攻めて陥落させたメリルの気持ちは未だに理解出来ないが、彼女も今のリージアと同じように先が読めない展開に不安を抱いたのだろうか。


 ぼんやりとユーリウスの寝顔を眺めているうちに、段々と眠気に誘われる。

 重たくなっていく目蓋に逆らわず、リージアは目蓋を閉じた。



 その後、申し訳なさそうな侍従と護衛騎士に声をかけられるまで、二人はぐっすりと眠ってしまったのだった。



ユーリウス殿下は、不安で寝られなくてベッドを転がっていたんだと思います。


誤字脱字報告ありがとうございます。

見落としが多く、助かっています。

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[一言] ちょっと気持ち悪くなってきた。
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