試験の余波4
道中を楽しむかのように、幾分のんびりした足取りで進んでいき、李家の門の前に到着する。
そこで翠蘭は改めるようにして煌月へ向き直った。
「先ほどの話を蒸し返すようで恐縮ですが……私の二胡の演奏をお褒めいただきありがとうございました。二胡を披露できるあの場に立てただけでなく、煌月様からそのようなお言葉をいただけたこと、身に余る光栄でございます」
粛々と感謝の言葉を述べていると、ふわりと霊気を感じ、翠蘭は視線を上らせる。
そこには黒焔がいて、興味津々な面持ちで煌月をじっと見降ろしていた。
「はっきりとは見えないが、あやかしがいるな。それも並大抵の者じゃない」
その視線を感じたのか、煌月もハッとしたように空を見上げた。
どことなく面白がっているようにも見える黒焔とは真逆に、煌月はあからさまに警戒している。
彼が腰元に隠し持っている短剣に手を伸ばしたのに気づいて、翠蘭は慌てて口を挟んだ。
「煌月様。大丈夫です。あれは黒焔といいます。幽魂でありながら人に危害を与える者ではありません。私の友人です」
「友人?」
「はい。楊さんのお店から逃げ出す際も力を貸してもらいました」
幽魂は一般的にはあやかしと呼ばれている。そして、あやかしは人間は相容れないものというそういう認識である。
その上、さすが劉家の血筋というべきか、黒焔の姿ははっきり見えていなくても、普通の幽魂とは一線を画す強い霊力はしっかり感じ取っているらしい。
そのため友人だと説明されてもすんなり受け入れられないらしく、煌月は怪訝そうな表情と警戒の体勢を崩さない。
「明明は大丈夫?」
楊さんと黒焔が助けてくれるとわかっていても、あの場に明明を置いてきてしまったことは気がかりだったため、翠蘭は黒焔に問いかける。
すると、黒焔がもちろんとばかりに力強く頷き返してきて、翠蘭は笑顔で胸をなでおろした。
その気安いやり取りを見て、煌月はちらりと汀州へ視線を向ける。
汀州から心配ないといった笑みを返されたことで、表情をわずかにやわらげた。
「わかった、その言葉信じよう……しかし、このように強い霊力を持つあやかしを友人と呼び、意思疎通までできるとは」
そこで煌月はわずかに含み笑いを浮かべた。それを翠蘭は見逃さず、眉間をぴくりと動かす。
「二胡の演奏もただ素晴らしかっただけじゃない。音色に霊力を込めたな。一瞬であの場が浄化された。さすが李家の人間。恐れ入る。このまま眠らせておくには実に惜しい人材だ」
淡々と並べられていく煌月の言葉を聞きながら、翠蘭は両手で口元を押さえ、歓喜で打ち震えだす。
「……そ、それって、私を認めていただいているということですか?」
「ああ」
「でしたら、私を宮廷占術師に推してください!」
約束したはずなのに試験を受ける許可をなかなか出してくれない父など、正直当てにならない。
それよりも、皇子の後押しを得る方が、宮廷占術師への道が一気に開かれることだろう。
そんな風に考えてしまえば、翠蘭はこのチャンスを逃すまいとばかりに煌月との距離を詰めていった。
「お父様とお祖母様は、もう少し待てとおっしゃるけど、待てません! 私、すぐにでも宮廷占術師になりたいのです! 必ずやあなた様の力になると誓います……なので、どうかお力添えを!」
鬼気迫る翠蘭の様子に煌月が身をのけぞらせた時、門から外へと出てきた雲頼がこちらを見て目を細めた。
そして、翠蘭が詰め寄っている相手が誰であるかに気づくと同時に顔を青くさせた。
「す、翠蘭! お前、よりによって煌月様に対してなんてこと! 困らせるな!」
ばたばたと走ってきた雲頼が、煌月から翠蘭を引きはがしにかかった。
娘と父の騒々しさから町の人々もちらちらと視線を向け始めたことから、汀州が「ひとまず中にお入りください」と煌月に促す。
一行は門扉をくぐり、李家邸宅の敷地内へと移動する。汀州がしっかりと扉を閉めたところで、雲頼が真剣な面持ちで話を切り出した。
「翠蘭、話がある。……しかし、何の因果か。まさかこの話を煌月様の前ですることになるとは」
言いながら、雲頼はちらりと煌月を見た。煌月もその視線を受け、話とやらの内容を察したような面持ちとなる。
一方で、翠蘭は雲頼へふくれっ面を向けた。
「聞きたくありませんわ!」
はっきりと翠蘭に拒否されて、雲頼は口をぽかんと開くが、すぐさま気を取り直して、焦り交じりに言葉を続けた。
「……なっ、何を言い出すんだ!」
「約束すら守ってくださらないというのに、どうして私ばかりがお父様の言葉に従わないといけないのですか?」
「わがままを言うな! これから話すことは、お願いではない。李家の当主として命令だ」
ぴしゃりと言われ、思わず翠蘭は口ごもる。命令と言われ、何も言えなくなった翠蘭の代わりに、煌月が口を開いた。
「やはり、あの話、翠蘭殿に白羽の矢が?」
「はい。最終試験、我が娘が五位でしたので、早々に」
煌月の確信めいた問いかけに雲頼が粛々と答えた。それを見て、翠蘭は煌月へと顔を向ける。
「煌月様は、何のお話かわかっていらっしゃるね」
「ああ。朱家の娘が後宮を辞した。その穴埋めとしてそなたに話がきたのだろう」
「後宮を辞した? 穴埋め、ですって」
正妃候補として選出された娘のうちのひとりが辞退したと知り、翠蘭は唖然とする。
話とやらを聞くまでもなく、すべてを察してしまい、翠蘭は打ち震えながら拳を握りしめた。
「黒焔、煌月様のお耳をしばらく塞いでいてくださいませ」
黒焔は本当にやるのかといった顔をするが、翠蘭の本気の眼差しを受けて、仕方なしに煌月の背後に回り込む。
そして、黒焔は煌月の両耳に己の小さな手でふさいだ。
触れられたことで、煌月がわずかに体を強張らせて反応を示したその傍らで、翠蘭の声が凛と響いた。
「お断りします。この前は、試験を受けるというよりも、宮の邪気を払いに行ったまでです。参加さえすればよかったのに、最終選考まで残れましたし、李家の娘として十分に役目は果たせたと思っております。それなのに、宮廷占術師の試験の申し込みをさせていただけませんでした。約束を果たしていただけないのなら、私も、これ以上御命令は聞けませんわ。後宮には入りません!」
「翠蘭! お前! 煌月様の前でなんてことを!」
「大丈夫です。霊力のある方なので、聞こえていらっしゃらないはずです」
煌月をちらりと見つつ、さらに顔を青ざめさせていく雲頼に向かって、翠蘭がはっきり言い切ると、煌月が小さく笑った。
「耳をふさがれたような霊圧は感じたが、声はすべて聞こえているからな」
「えっ。聞こえてしまいました? ……で、では聞かなかったことに」
黒焔に耳をふさがれると、周りの音が聞こえなくなる。それは翠蘭も体験積みだ。
煌月は黒焔の気配をしっかり感じ取れているため、彼の耳もふさげるかと考えての上だったが、どうやら甘かったらしい。
翠蘭は気まずさから視線を逸らすものの、当の煌月はまったく気にしていないようで、徐々に企みの笑みへ変化していった。
「でもまあいい。お前が来てくれるなら好都合だ。正直、妃など誰でもいいと思っているが、被害が出ているとなれば、さすがにそうもいかない」
李家の面々の視線が煌月に集まる中、煌月は翠蘭を真っすぐに見つめて告げた。
「後宮は邪気が蔓延している。朱家の娘が出たのも夜な夜な訪ねてくる悪鬼に怯えてのことだと聞いている。払ってみせよ。見事成し遂げたら翠蘭が問題なく宮廷占術師になれるよう俺が口添えをしてやろう」
「煌月様、本当ですか! 行きます! 行かせてください!」
一瞬で反発心など消え失せ、翠蘭の表情が生き生きと輝き出す。
「李翠蘭が後宮入りしてくれれば、内の情報はそなたを通して得ることができる。汀州と翠蘭、お前ら兄妹を俺のそばに並べ置いて、我が力とするのも悪くない」
煌月が汀州と翠蘭を順番に視線を向ける。李兄妹は敬意を表するように煌月に拱手で答えた。
「翠蘭、後宮で待っている」
「はい!」
煌月は翠蘭の元気のよい返事を背に李家を去るべく馬と共に歩き出す。
そして、後ろについた汀州へとぽつりと想いをこぼした。
「そなたの妹君は単純だな……でも、腹の中を素直に見せてくれる方が、俺には好ましい」
「翠蘭は祖母に続いて高い霊力を持っています。必ずや、煌月様の力になるでしょう……やや、猪突猛進な面もあるため心配ではありますが」
汀州は苦笑いで答えてから、後ろを振り返り見た。
そこには、煌月に対して拱手の体勢を崩さずにいる翠蘭がいた。
汀州の動きにつられるように、煌月も門から外へ出る際、翠蘭の姿を視界に入れ、こっそりと穏やかな笑みを浮かべたのだった。




